ニュースレターNo.74(1995年2月)

’94A…C F世界大会特集
「~AMCF世界大会に参加し主_

矢田部稔/
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1994年10月6日から10日までめ5日臥米国ヴァージニア州
ヴァージニア・ビ⊥チで開催されたAMCF世界大会について報告した
い。
参加92ヵ国の地域別国数は、次のとおりであった。アジア: 1_3、
アフリカ:28、ヨーロッパ:22、北・中米:14、南米:10、オ
セアニア:5。総参加者数は、日本からの6名を含み1. 047名であ
った。今大会の大・きな特色は、ロシアをはじめ多数の旧共産主義諸国が、
参加したことであった。
ヴァージニア・ビーチは、ワシントンから国内便で1時間、更に車で 小1時間の距離にある。広大な敷地と大きな収容能力を持つ研修センタ ー「ファウンダーズ・イン」であるが、宿泊用として更に他3ホテルを 増加使用した。 /’~\ 主題は、フイリピ書第1章3-6節から「福音宣教のパートナー」で あり、ビル・ワードロップ師(退役空軍中佐、 10年間のグレース福音 教会牧師の後、現在は「宣教における教会前進委員桑」主事)による5 日間連続のフイリピ書講義が行われた。 開会式は、米国国歌で始まり、アルゼンチン歌手(退役一等軍曹)の 「あなたはなんと素晴らしい方」の独唱と参加各国国旗の入場があった。 世界会長ニュ- (英国)退役少将から、 「この大会の目的は、単に会合
を懐かしみ喜ぶととではなく、軍隊社会の中に福音をいかにして広める
かを考え求めることです」との挨拶があり、また、この大会のために作
詩作曲された「福音宣教のパートナー」が披霧された.
次の日から、ほぼ同じ日課が続いた。日課の第1は、祈祷会である0
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大集会場を使用する英語による祈祷会の他、各言語の祈祷会が小集会場
で行われた。我々日本人は英語の大祈祷会に1度出席し、他は日本語祈
祷会を持った。そのうち1回は韓国の李痛撃将軍夫妻等を招き日韓合同
祈祷会を持った。
日課の第2は、朝食である。千余名はホテルに隣接して特設されたチ
ント食堂で食事をするoある日の朝食は・東アジアが特別出演を担当す
るときセあり、韓国、台湾に続き私達日本人が讃美歌31 0番を合唱し
た。
日課の第3は、聖書講義である。内容については主嵩のところで既に
㌍述べた。大寒会場では、英語は、全て6言語(日・韓・中・露・仏・ス
ペイン)に同時通訳された。日本語通訳のために数名の在米日本人ボラ
ンチアの奉仕があった9プロ,グラみの中位多くの音楽が準備されてお
り、有名な歌手ダニ∴バイラム氏の独唱やスカートを履いた英国楽隊
の演奏などがあった。
日課の第4は、コーヒータイムであり、日課の第5は、昼食である。
コーヒータイムと食事が個人的な交わりの時であるo食堂のテーブルは
1 0名の丸テーブルであり、自由に着席した各国代表者によって話の花
が咲く。
1 4年前の英国大会で、私達にホームステイを提供してくれた夫妻に
再会し・私の証に続いて日本のため祈りを捧げてくれた英国婦人にも再
会した。コーヒータイムでは、ギターを持ち出し廊下にはみ出して、∫
スペルソングを始めるグループもある。特にスペイン系が上手である。
日課の第6は、 3回連続の、次に列記する8個のゼミである。 ①祈り
におけるパートナー、 ②信仰成長におけるパートナー、 ③軍隊宣教にお
けるパートナ-、 ④家族生活におけるパートナー、 ⑤小グループ聖書研
究会におけるパートナー、 ⑥敵対的環境で生き宣教することにおけるパ
ートナー、 ⑦軍隊生活におけるパートナー、 ⑧若い人の将来を考えるパ
ートナー。
私達夫妻は、予め「④家族生活におけるパートナー」のパネラーと
して指名されており、今井夫妻は「⑧若い人の将来を考えるパートナー」
のパネラーであった。
家族ゼミの司会者は米国人夫妻であり、パネラーは司会者とは別の米
国人夫妻、ロシア人夫妻、エクアドル人(夫人の参加はなし)こ と私達
夫妻であった。
このゼミは、婦人が多い。同時通訳の装置はなく、肉声通訳者の周
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りに着席する方法がとられた。従ってゼミ会場は一見騒然とした感じで
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あったが、多いときに約百・各あ参加者が家族生活の詰問愚を轟も阜うこ
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とができたo聖書における圃人・配偶者患摩施す二教条=:’■社会に関する基 本的な考えの説明に続き‥各自の異棒的な問題を持ち出し話t合った0 内容的には・子育ての問題や単身赴任に伴う問題が多かったi-各回与も 聖書のみ言葉で締めくくられた。人間生活が実際的にみ言葉の智恵によ って支えられていると・Q)=実感を深くした。 日課の第7は・夕食である。食事について時日凛の第2で述へたが、 各地域毎の出し物のほか、ある日の夕食では功労者に対する感謝表彰式 もあった。 Gi■iヨ ■ノ 日課の第8は、夕食に続く時間であを紘ある日は各地域の集会で iZI あり、私達は東アジア軽率集会に出尽し、日本代表として私が1995 年の東アジア大会を単心だ報告をした。      二~Yも 日課の第9は、休憩と良由な交わり又は小グル⊥プの交わーりの時であ る。朝7時から夜10時頃までのスケジュ「ルは、相当強行軍であった。 日課の第1 0一は、日本勤務の経験がある海兵隊グリナルド退役,il婿 の証であった。 日課の第1 1は、記念写真の撮影である。隣接の放送局CBNの石段 玄関に千余名が並びカメラマンをクレーンで空中高く揚げての撮影であ った。民族衣装や軍服の正装姿は色とりどりであった。、 日課の第1 2は、小グループ聖書研究会であるo ,11チターの居室で1 0名が話し会った。私達のグループには、ロシア空軍士官学校の哲学教 官がおり、被に対する質問が集中したo 日課の第13は、日曜日に行われた聖餐式である。空軍チャプレン・ リチャードソン中佐により、また大会参加中の約30名のチャプレンの 補佐により行われた。カソリックの聖餐式が別室で行われた。 日課の第14は、観光である。徒歩で放送局CBN見学に行くグルー プ、車でノフォーク海軍基地やウィリアムズバーグ等に行くグループ等 があった。 日課の第1 5は、世界会長及び各地域会長の任命式である.。t・世界会長 達は既に何年か繭に就任し活動をしているが、就任後初めての世界大会 において、この式が行われた。前ホイートン大学長のハドソン・アーメ i ルデイング博士がヨハネ福音書第21章に従って、 「私を愛するか」と 問いかけ、会長が「はいo愛します」一と答える問答が3由繰り~返されたo 最後に、 1995年の日本におけるアジア大会が期待されているこ とについて述べたい。各プログラムで日本が紹介されるときは、その節 度、日本はアジア大会と連接して紹介され、多くの参加者から大きな励 ましを受けた。 家庭生活のパー �x6�イ 日本代表団 写真右から 今市宗堆兄 石川信隆兄 今井健次兄 今井倫子姉 矢田部和子姉 矢田部稔兄 大川哲史兄 (日本語通訳) 大川夫人. (日本語通訳) (グループセミナーでの話題)     矢田部和子 プログラムの1つであるセミナーは、 8グループに分かれていました。 私達夫婦は、 「セミナー:家族生活のパートナー」のパネラー役の-・組 として参加しました。 英語が出来ない私は、紡らに控えてくださっているボランティア通釈 の方を頼りに、必死で革を傾けました。通訳によって私がそれらの発言 を理解した時は、話題は既に次に進んでいるという具合でしたが、 「家 族」と言う最小の社会組崩にも、世界の人々がそれぞれの困難や問題意 識を抱いていることがわかりました。 ルーマニアの夫人は、夫は幼児洗礼を受けているが信仰生活をしてい ない。両親の間で子供が何が真実か判らなくなるのではないかと心配だ と。また、つい最近父親になったばかりのロシアの若い軍人は、信仰を 持つ人になるにはどのように育てたら良いでしょうか。放任は良くない が、さりとて強制は民主的でないと思うし- ・。そしてアメリカの父 親は、子供が学校へ行くようになって友達の影響で悪いことも覚えるよ うになる・どうしたら良いのか・・ ・。 パネラーや参加者たちは,.助言をします。自分一人で悩まず牧師さん ゼ ノーヽ\ 一一■■■\ Jr ● に、教会の仲間に、問題を打ち明けて祈ってもらいましょう。信仰によ る子育ての手引割まありますよoあなたのお国ではまだ無いかもしれな いから英語の本で良かったら送りましょう。台湾の退役軍人は、-アメリ カのお父さんとその娘さんのために私は祈り続けまし・ようと言いました。 等々、子育ての悩みは万国共通のもので、世界の剛言の兄弟姉妹によっ て励まされ tトダーからみ言を示されて力付けられます/。 単身赴任の問題も出ました1.何カ月も連続して海中生活をし電話もで きない潜水艦乗組員の家族や湾岸戦争参加者の家族等は深刻です。日頃 から教会と連絡を取り合い家庭の事情を理解してもらっておくことは、 突然の命令を受けても教会の方々の祈りと励ましに支えられることが大 きい・また、長期不在であった夫や父親が帰って来る時にも、このよう ノ■~ヽ\ メ-l一、 な配慮が大切であるとの発言。 ちょうど、この大会参加のため日本を出発する直前のテレビは、ゴマ へ行かれる自衛隊員と見送りのご家族を放映していました。日本の教会 が自衛隊を理解してほしいと切に思ったことです。 世界大会の恵みに思う 石川信隆 Fその奥義とは、福音により、キ●リストイエスにあって、異邦人もまた共同の 相鏡者となり、と・もに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる著となる ということです.(ェペソ3‥6)j 今回ヴァージニアで開催されたAMCF世界大会のテーマはFPartnersti,n the Gospeljで、上記のみ言葉から、ともに福音にあずかった著として、さらに 福音を広めていくための修養会でした。世界の約100ヶ国から約1000名以上の Military Christian達が同じ家産や下で、共に賛美し、共に聖書のみ言葉を学 r]: び、共に祈る場を与えられたことは、それこそ主の大いなる恵みてした。お互 いの軍人連が敵同志として血と血を争うのでなく、お互いにキリストの兵士 として、ロシアの軍人もLポーランドの軍人も、南アアリタの軍人も平和のため に祈り合う姿はとても崇高なものでした。特に、今回の世界大会を主催され たACCTS(Association of Christian Conference Teaching And Services)の 方々は、空港の出迎えから、受付、通訳、ホテルから会場までの送迎、食事、自由 時間の観光案内等、あらゆるサービスが行き届いて七りました。とりわけ当 地の日本人ガイドとしてお世話下さった園ミューバさんには、ピューリタン が最初に米国に上陸したゆかりの坤やマッカーサー記念館など案内して頂き、 心から感謝申し上げる次第です.いよいよ1995年AMCFアジア大会をコルネリ オ会が主催しますが、祈りを以て最善の準備をしていきたいと願われました。 i 多彩な賜物 今市宗堆 今回の世界大会への参加は、主の造られた自然と人の多彩さに終始包まれ た楽しい旅であった。 数多くの入江に轟なすノーフォーク地方を見下ろしながら空港に降り立つ と間もなく、現地スタッフが私達の名前入りプラカードを掲げロビーに親し く出迎えてくれた。
初日は若いチャプレン宅にホームステイし. 13時間の時差ボケの日をこ
すりながら談笑した。翌日は主人のドライブで東海岸沿いに南下し、紅葉間
近いヴァージニアの秋を満興した。イギリス人が米大陸への一歩をこの地に
選んだ理由がよく窺える。
早速夕刻から計画に従い各行事が進行する。
この間感く思い知らされた事は、会長を初め大会運営責任者の恵みの豊か
さについてである。主から与えられた賜物の素晴らしさを目の辺りに見せて
頂いた。主の教会を構成する中枢の働き人とはこれ等の人々なのだ、と目か
らウロコの様なものが落ちた思いをした。本当に世界は広くかつ寮もしい。
井の中の蛙である私など謙遜にならざるを得ない。
後半の2日間通訳の奉仕に当たられた1人に園Roseさんがいらした。彼の淑
女は京都を離れ米国で40年、幾多の試練を経て今日の希望と喜びを与えられ
ているのであろう。F患難は忍耐を生み、忍耐は練られた品性を生み、練られた
品性は希望を生み、この希望は廟えることが有りません.jとの御言葉の証し
人でを?キム今でも楽しい会話と美しい背景が目に浮かんで来る.ハレルヤ!
ニューヨークで一夜を過ごし、雑踏の池袋駅から出迎えの電話を自宅にしたo
その際凍行用バックの上に置いたショルダーバッグをコンクリートの床に落
とされ、彼女から頂いた血を明らかに琴られた。F割れ物が壊れるじゃあ∧りま
せんか、注意して下さいojと無頓着そうな中年婦人に声を高める。帰宅後この
一週間でイヤな思いをしたのはこの件だけであったと家内に話すと、日くF未
だ未だ貴方は愛が足りませんね.』とたしなめられた。全く身を低くせざるを
得ない導きの族であった。
会の合間に
今井倫子
F福音にあずかるパートナー』というテーマで始められたこの度の世界大
会は、世界中のあらゆる人種・言語・習慣の異なる国の軍人達がイチスキリ
ストを主と仰ぐという一点で共通した1000人余の偉大なイベントで大変魂福
の多いものでしたoアメリカの人達の周到な準備によって、万端行き届いた
愛の奉仕で終始され、その見事さは流石と感じ入りました。特に英語の出来な
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い私達にとって、日本語通訳をして掛、た事は、参加の意味が倍増の思いで
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大きい喜びでしたo 又集会の合間をみて大会三日目の午後、通訳者のお一
人ローズさんのご好意で、今市さん矢田部夫人とご一緒にウイリアムスバ_
グ-ドライブすることが出来ました0 -イウェ-が縦横に通っており、周囲
の林は恵まれた大地に、真っすぐに伸びた大樹が茂り、又入江の沿岸には古
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城を思わせる施設が日をひき、開国以来200年余たちますがイギリス人が始
めて入国した場所だけに、その歴史を感じられましたo 間もなく街全体が独
立戦争の数年前から戦時中の時代まで、そのまま復元したと言われる?イリ
アムスパーグ市に到着しましたo 限られた時間を有効に過ごすため、まず、
概要の映画を見ることにしましたo現存の修復された古い建物を背景に撮癒
され服装も当時の優雅なものでしたo独立の指導者達の商い見乱困難を乗

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り越えた情熱、そして勇気ある行動が今日のアメリカの土台を築いたと、偉
大な人達の業簾を垣間見た思いがしましたo ゆったりとした美しい街並は、
植民地時代そのままに客政庁・議事堂・裁判所・大学・教会そしてシンプ),L
な邸宅・庭園等、それらが大変調和良く保存再現されていて、今も使われて
おり、サミット会議の場所ともなったというので成程とうなづけました。昭
和天皇がご訪問の際立ち寄られたという店には、美しい餐食器・錫細工の装
飾品や調度品のコレクションが有りましたo心せわしい日本とのお国柄のち
がいでしょうか、観光に訪づれたアメリカの人達は皆のんびりと=々草々散
策、ヰ後の時間を楽しんでいる様に見えました.更に生活様式等くわしくう
かがえる当時の商工業の展示実演公開の館を巡る馬車ツアーもあると聞きま
したが時間が無く心を残しうっ帰途につきました。ちょうど秋の紅葉がはじ
まり、さらさらと何とも心地よい風情が広がっており、遥か200年の昔もか
くやと偲ばれ実り多い楽しい数時間を感謝致しました。
ワシントンDCにて
今井健次
国際大会終了後ワシントンDCに三日滞在して市内を見物した。空港に降
り立ってタクシーを恰うまでは長かったが、似たような名のホテルた乗り\っ
けてしまって、も一度探し直すという始末、お上りさんよろしく族が始まっ
たo次の朝はホワイト-ウスを見学しようというので8時ごろに行ったら既
に長い列が出来ていて、その最後列についたら大体1 0時ごろ入れるだろう
と聞いたので畢ぶ事にした。列の人達は老若男女子供達が色とりどりの普段
着の服装で出たり入ったり、屋台で食べ物を買って来たりするが列は余り崩
さない。外の木立では高い木を切り倒す作業をやっている人達がいる。十数
メートルの高さのクレーン車のゴンドラの上から、動力鋸で枝を切ってはP
ープで下へ釣り降ろす。これを繰返しながら段々下まで切ってくる訳だが、
この作業を見ていると退屈しない。間欠的に聞こえる動力鋸の響きが回りの
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静けさ柱反響して心地よい、こんな所にこんな環境があったかと思って、回
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りの米人仁も親しやを覚えたoこの木が殆んど根本まで切り倒されたころやっ
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と列が動き,出した
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o混学は約一一時間の予定で、ホワイト-ウスの裏口から簡
単な持物検査q)後入壕した0 -潤の各部屋が解放されているo大き五催し物
の部屋や食堂、接待用の部屋等、中世を思わせるような内装で、大統領夫人
の趣向で療様替えをすることも有るらしいo全部見せてくれるが、見学者も
おとなしいもので、禁止事項を犯す著はいない。これがアメリカの一般庶民
感覚かと好ましく感じたo二階以上は大統領の居住区や執務室で、嘩近達も
執務中と思えば何と無く現実感が,あるoこれが自由民主主義というものかと
感心した。
次0):冒早手ペンタゴンを見学することが出来た。ここは米国の国防総省で
陸海空三車・儀兵隊・潤岸警備隊の五軍の参謀本部などがあるo防諜等警戒
は厳筆に違いないのだが、見学は割合自由で毎時間受付け、 30人位の見学者
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に~本の若い士官が?七、て寒粧してくれbo 不騨草の果物の一階から四階
までを見学蕗た鍵-て寵明しながら案内する。説明する士官は常に見学者の
方を剛亘撃退しながら説明するのでちょっと異様だったが、監鹿の役もし
ているのだろうと∴その執務態度に感心した。 00参謀長執務室などと表記
のある部屋の戸が開いたままになっておったり、執務中の人の背が見えたり
という状態もあって、ここでも必要以上の警戒が無いのには、さすが民主主
義の国であることを思わせられたo その後ペンタゴンに勤務している某日
系陸軍大佐に案内して頂いてベトナム戦没者慰霊碑を見学した。これは市の
中心部にあるが、道路から見えない様に場所を少し掘り下げてあるので、外
界とは離れて静かな場所になっているoそこに1 50メートル位の長さの黒
みかげ石の記念碑があり、それにベトナム戦争で犠牲になった5万人余の人
の名前札戦死年月日の塀にアル-ベット順に刻まれているoそしてそ.0)名
前今場所が分かる様になっている.貴人かの人がそれぞれの所で花を飾り蝋
燭をたてながら祈7才いる姿は印象的であった。世界平和は特に我由の願い
であるが、-案内して下さった陸軍大佐も今回の世界大会に参加し、かつロシ
ャの海軍中佐のホームステ-を引き受けているので忙しく、これから又彼に
会いに行くという事であったoそのロシャ軍人は元潜水艦の鮭長芋、最近ま
で原子力清水艦で大西洋を遊泳していて、仮想目標はNorfol摘軍基地であっ
たと言う・oそれは今回の世界大会が開かれた地域であった事を思えばこその
両者が現在は共にクリスチャンとして主にある交わりをしているという事で、
新たに平和の重要さを示された気がした。

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(発行責任者 今井健次)

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