願いを聞いてくださる神
コルネリオ会会長 滝口厳太郎
『何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださると言うこと,これこそ神に対する私たちの確
信です。』Ⅰヨハネ5:14 1948年のイ-スタ-は私の受洗記念日であり,今年98年は50周年記念にも当たる。 その年
は、私の受洗の直後に,2000年の放浪の末ユダヤ民族の念願が叶い独立を達成した驚くべき年でもあった。イスラエルの
祈りを主がよしとされたのであろう。 『風は海から吹いてくる。私の姉さん何処行った。情け有るなら教えておくれ私の姉さん
何処行った。風は海から吹いてくる。』哀調を帯びたこの歌詞は少年時代聞いたアヘン戦争の映画の歌詞である。
当時、アジアで完全な独立国は日本とタイ国だけと言っても言い過ぎではない状態であった。欧米諸国の植民地支配に
アジアは塗炭の苦しみの中にあった。物心付く前から教会学校に通っていた私は、まことの神にアジアの開放を心のうめきの
ように祈った。1945年8月日本軍の軍事力による解放は挫折した,神には解放と言う新たな支配をお見透視だったのである
。
当時,香港の租借99年と言う数字は永久のようにも思われたが、昨年ついにその時が来た。祈りは聞かれ,アジアの殆ど
の国々は今独立を達成しているのである。 コルネリオ会には神学校に通い正しく神学を学んだ優秀な人材が何人もいる、
その中で心ならずも私が会長に推されれたことは、昨年のアジア太平洋大会で示されたテ-マ『み言葉をの宣べ伝えよ』とあ
るように主は私に証をするように命ぜられたと解釈し,お引き受けすることにした。
それは人間の考えでは到底無理と思われる願いでも主が良しとされれば叶うのである。私の67年にならんとする信仰生活
で主が示して下さった数え切れない恵みを証して行きたい。50年前韓国の軍人クリスチャンは数えるほどしか居なかったと
思われるが今将校は70%を越える率であると言われている。
これを手本に、人間的には無理な願いを主に願い祈り、仕えて行きたい。最後にコルネリオ会員にお願いしたい事は、コル
ネリオ会員である前に良き教会員であって欲しいと言うことである。
1997年12月シンガポールにおけるAMCF南東アジア大会での日本代表報告 矢田部 稔
(84号ニュースレター1ページ文末から2ページ文頭の間の文章が欠落してしまいましたので、ここに掲載するとともに、お詫
びいたします。)
(シンガポールの皆様の若い力が躍動していたことを覚)えています。 数々の感謝の思い出があります。 第2回目の1990年
大会は、エペソ4:12より「奉仕の業においける一致」“United in His Service”であり、日本からの参加者は4名でした。 今回
は3名ですが、コルネリオ会からは私1名のみ、 他のグループから2名であります。先日、実行委員長のタン大佐から 「日本
からの参加者が少ないのはさびしいですね」 という日本語の手紙をもらいまいした。彼は日本に留学したことがあります。 私
も彼と同様にさびしく思います。 次回は日本から大勢の者が参加できることを希望しています。 今回参加できなかった日本コ
ルネリオ会のメンバーから、皆様によろしくとのことであります。
日本のキリスト教と自衛隊におけるキリト教の現状について申しますと、日本総人口に対するキリスト者人口(カソリック・プ
ロテスタントの合計)の割合は1%以下であり、自衛隊員総数に対するキリスト者自衛隊員の割合は、その約10分の1、つま
り全隊員に対するキリスト者の割合は0.1%以下であると思います。
最初に日本がキリスト教と接触しました16世紀の中頃から17世紀の初め頃の歴史を振り返って見ます。 その時代は親子
兄弟までが相争う戦国時代から強力な中央集権政権に移行する時代であり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という将軍が
活躍した時代です。 この時期にカソリックの熱心な布教が行われ、それは約半世紀の間に日本社会のあらゆる分野に、勿論
軍隊の中にも浸透し、信者総数は、当時の総人口の約3%に当たる、現在のキリスト者人口とほぼ同じくらいに進展していた
とのことであります。 ある大名の軍隊では戦争の場面でキリスト教の従軍チャプレンが活躍していたとの記録があります。し
かし、このキリスト教は、当時の権力者には日本の独立を危うくする邪教と見なされ、彼らの巧妙で徹底した禁教政策によっ
て、地下に潜行した一部のかくれキリシタンを除いて、ほぼ完全に消滅しました。270年を経て、1860年代に至りキリスト教
禁教政策を国是とする徳川政権を倒し、日本は近代国家に生まれ変わりました。 この明治政府の近代化政策とともにプロテ
スタントを主とするキリスト教が流入することととなりました。 キリスト教は日本の社会と日本人の心に浸透しましたが、しかし
ながら、徳川時代の長いキリスト教(禁教政策の時代を通じて養われた・・・)
外に出て行って、伝えなさい (修養会講演会要約) クロウフォード米軍中佐(横田基地、チャプレン)
イエス様は今も生きている神様です。私は軍人として、軍の方にイエス様のメッセージを語ることができ幸です。
コルネリオ会の目的は、自衛官の人たちにすばらしいイエス様のことを伝えることだと理解しています。自衛官だけでなく、
日本全体に広める使命もお持ちでしょう。みなさんの信仰を通して多くの人たちが、イエス様の心にふれるということを信じてく
ださい。
でも多くの人がクリスチャンになるためには、私たちがイエス様の福音を伝えて行かなくてはなりません。どんなに幸せなこ
とであっても、それを伝えに行かなくては、彼らはそのすばらしいニュースも知ることはできません。私たちが救われたのは、
イエス様のことを他の人たちに伝えるためなのではないでしょうか。ですから、このニュースを他の人たちに伝えてください。そ
れは喜びです。私たち自身が、救われたという事実を体験しているからです。キリスト教が始まったとき初代教会の人たちは
、喜びと興奮とを持ってイエス様のことを伝え、多くの人が救われました。2000年後の私たちにもそれはできるのです。イエ
ス様は12人の人に、「このメッセージを全世界の人に伝えなさい。」と命令しました。イエス様もご自身の福音を伝えていきま
した。
使徒行伝10章には、コルネリオという百人隊長の話がでています。幻の中でコルネリオにペテロのもとに行くようにいいまし
た。コルネリオはいやだなと思っていたかもしれません。ペテロは、「神は偏ったことはなさらないお方だ。(途中略)人々はこ
の方を木に掛けて殺しましたが、神はこのイエスを3日目に蘇らせ、現せられました。ただし、全ての人々ではなく、神によって
前もって選ばれた私たちにです。」(10章34-41)と語りました。すばらしいと思いませんか。次の42節が非常に重要な箇所
です。イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生けるものと死んだものとの裁き主として、神によって定められたことを述べ伝
え、その証をするようにいわれたのです。預言者もイエスを信ずるものはみなその名によって罪の許しが受けられると証して
おります。ペテロはコルネリオの元に行って、福音を伝えたのです。その結果コルネリオだけでなく、コルネリオを通して更に
多くの人たちが救われました。みなさん一人一人はもう神様に用いられています。
福音とは何でしょうか?福音とは神様が人類を愛してくださったことの記録です。罪深い人間をあがない、救ってくださり、そ
して神との交わりを回復させてくださったということなのです。福音の中核のメッセージは、イエス様が人として生まれ、人生を
過ごし 私たちのために死に よみがえってくださったということだけではなく 再臨するということです 福音とはイエス様その
過ごし、私たちのために死に、よみがえってくださったということだけではなく、再臨するということです。福音とはイエス様その
ものであります。イエス様は生きている間に、全てのことを弟子たちにお示しになりました。それを弟子たちは福音として伝え
ているのです。弟子たちがしたことは、単に見たこと聞いたことを他の人たちに伝えたということです。皆さんはイエス様につい
てどのようなことを体験しましたか。体験して知っていることを他の人に伝えるのです。なぜならあなたがたもイエスの弟子だ
からです。私たちはイエス様の愛を体験しています。私たちに与えてくださった愛を他の人たちに伝えましょう。伝道あるいは
宣教とはその愛を伝えるということなのです。家族や、もう聞きたくないという人にも愛を持って伝えてください。あるときには
父母姉妹を忌み嫌うほどにならなければ弟子にはなれないという厳しいこともいわれました。どんなに憎まれようとイエス様は
その人を愛し、見放さすことはありません。
ではどうすれば福音を伝えることができるのでしょうか?他の人に伝えるためにはまず自分が復活されたイエス様を体験す
る必要があります。信じることにより主への信頼が生まれます。ローマ10章:9ー11。もう一つには、福音を述べ伝えていく上
からの力が必要です。使徒行伝1章8、聖霊があなた方の上に臨まれるとき力を受けます。あなたも私も上から力が与えられ
ているのです。神様は力を与えてくれました。はじたりおそれることはありません。その人は救われてクリスチャンになるでしょ
う。聖霊のバプテストを受けたみなさんは、口を開き、話さなくてはなりません。私たちがやらなければ誰がやるのですか。イ
エス様のことを語るとき問題が起きる場合もあります。あいつはもう嫌だとのけ者にされたり、迫害されるかもしれません。イエ
ス様は2000年前にやってくださいました。弟子たちもイエスに従ったのです。Ⅰテサロニケ2章1、2。
みなさんはその人たちを愛しているから福音を伝えていくのです。彼らを助けるという思いでするのです。私たちは神に認め
られゆだねられたものですから、それにふさわしく福音を語るべきです。それは人を喜ばせるのではなく、神の御心であり、神
を喜ばせるものです。人からの賞賛を求めるものではありません。福音とは何かを知り、それをいかにして伝えていくかもわか
りました。だれが伝道の資格を持っているのでしょうか。イエス様を愛している人は皆できるのです。「だれでも、イエス様を愛
するものはできる。」と書いてあります。誰でも「私についてくるものは人をとる漁師にする。」といっています。みなさん一人一
人が、神様のたまものを受けて、人をとる漁師になることが私たちの祈りです。皆さんはイエス様に救われました。ですから、
その救いを他に方に受けていただくように手を伸ばしていただきたいのです。日本でもアメリカでもそうですが、神の裁きを受
けますから、救いも必要です。この世の人たちは物質的なものがなくなったら希望もなくなってしまうような人たちです。そこに
裁きが待っているということを信じないものに裁きがあるということを伝えなくてはなりません。いつの日にか神の前に立って
裁きを受けなくてはならないということを人々は信じないかもしれないが、それを伝えて行かなくてはなりません。このような全
ての人が、赦され救われて永遠の豊かな命をいただけるのです。その人がどんな人であっても、「神様はその人を愛してくだ
さっている。」ということを伝えて行かなくてはなりません。どんな罪を犯した人であってもイエス様は彼を愛しています。そして
新しい人生を始めることができるのです。この日本というすばらしい国があります。みなさんはここにいます。それは、更に多く
の人に福音を伝えるためにここに集まっているのです。この集会は人数的には非常に小さいかもしれません。でも御国の体
験を伝え続けているならば、この会はどんどん大きくなります。イエス様がともにいてくださいます。イエス様も12人で始めた
のです。語り続けることにより、コルネリオ会は更に用いられるようになるでしょう。元気を出して頑張ってください。私たちは勝
利のチームなのです。宇宙を創造された神様が私たちの見方なのです。
会長退任の挨拶 前会長 矢田部 稔
恩寵のもとお過ごしのことと存じます。 さて、私たちのコルネリオ会は1998年6月13日、港区の三田会館で98年度総会・修
養会を開き、会長交替を含む新人事を決定しました。 私は、1992年に第6代会長を拝命し、会長として6年間を経過していま
した(その前に、1979年から役員の幹事を5年間、1984年から副会長を8年間、務めていました)。欠け多い私を支えてくださ
った会員諸兄姉及び関係の皆様に対し、厚くお礼申し上げます。 なお、しばらくの間、私は役員の一人として務めることになっ
ております。 日本のため世界のため御神のため、コルネリオ会が用いられますよう、引き続いて、ご協力ご加祷くださいます
ようお願い申し上げます。 婦人祈りグループ 会員の婦人による祈りグループが、矢田部和子姉を中心として運営されていま
したが、今回矢田部会長の退任に伴い、本グループも一時中断することとなりました。婦人達の祈りに支えられた方も多数い
らっしゃることと思います。これまでの活動に感謝いたします。
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