全能の神 (その1)
今井 健次(元コルネリオ会会長、工学博士)
1 ヘンデルの「メサイヤ」
日本人は音楽が好きである。近年建設ブームにのって各地にたてられたミュージックホールではクラシックの西欧宗教音楽
が演奏される機会が多くなった。ヘンデルの「メサイヤ」もよく演奏されるものの一つである。そしてその中の独唱・合唱の歌
詞はいづれも聖書から引用されたものであり、それが原文である英語で歌われるので日本人の聴衆にはその意味が理解で
きない。しかし近頃は字幕にその内容の翻訳文を書いて舞台横に掲げるようになった。全曲の演奏には二時間半を要し、そ
の内容は第一部 救世主イエスキリストの誕生。第二部 その受難と昇天。第三部 復活と栄光。と歌うわけなので、新約聖
書の内容そのままであり、これは伝道のためには有効である。しかしこれらの意味はキリスト教の信者になら分かるわけだが
、日本人のキリスト教徒の数は人口の1%以下と言われているので、残りの99%の人たちには難解で、その内容は常識で
は中々理解するのは困難と思われる。新旧約聖書は救世主イエスキリストを啓示した全能の神の言葉なので、そのことを理
解するためにはその全能の神を理解することが、先決ではないかと考えられる。
2 世の始め
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形無く、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた
」( 創1:1)
旧約聖書によれば天地が創造される前のことは記されていないが、物質は無く、霊といわれるものが神の霊と共に混沌とし
ていた様に思われる。 この頃の状況については、我々人間の知識・思考によっては見極めることは困難であり、想像の域
を脱しない。しかしこの混沌の領域を支配するものがあるとすれば、それは全能であり、それこそ真理の神と言えるであろう。
真理の神は人の心には一見動かないように思われるかも知れないが、しかし細かく観察すれば静止しているのではなく、混
沌の中で絶えず変動しているのであろう。これは人の目には人格を持っているように思われるかも知れない。以後これを全
能の神と定義しよう。
はじめに神は天と地とを創造された、とある。現在天と地があることは我々人間の目にもはっきりしているので疑問の余地は
ない。しかし人はその創造の始めの時のことについては知らないので、色々と想像することになる。世界には色々な人類・思
想・信仰・哲学等があるが、そこには創世について、色々な言い伝えや信仰がある。人間の思考はやはり自分を中心にした
所から始めるのが自然であり、我ら日本人から見たら、その一番近い存在は親であり祖父であり群のリーダーであろう。また
世にある多神論的な考え方もやむを得ないのかも知れない。しかし人が自然の厳しさに接したときその理由を理解することが
出来ず、兎に角それから逃れる方法が無いかと考慮する。そこに色々な宗教行事が考え出される。しかし人が更に哲学的に
思考するとき、自然の広大さの中に無を考えることになる。無神論、これは人間の思考の終点かも知れない。
3 天地宇宙
神は天と地とを創造されたと言うとき、それは霊の世界を含む混沌の中から物質である森羅万象を含む天地宇宙を見える
形にされたと言うことと考えられる。人は物質の世界を自然と呼び、その中で生活をしてきた。自然は決して混沌ではなく、人
の目にもそれらを支配する法則の様な物を感じてきた。そしてそれに従うとき平安があり、それに逆らうとき困難を感じた。そ
のため人は自然に関する知識を得ることに熱心となり、それから自然科学の分野が研究されるようになった。新旧約聖書を
神の啓示と信じてきたキリスト教徒は、それに関する神学の研究に熱心であったが、中世になってからヨーロッパ各地に大学
を建てた。そこでは人文学を基礎としその上に神学・法律学・医学の分野を置いた。自然科学が盛んになるにつれて、大学に
も理学・工学・農学、更に経済学等の専門分野も出来るようになった。二十世紀になってからの理工学分野の研究の成果は
目覚ましい。しかしこれらの成果は物質や地上のことが多いので、神学的に見ると、如何にもキリスト信仰に反する様に見え
るかも知れない。しかしよく考えたら、それは余りにも皮相な考えではなかろうか。 次回以後このことについて少し考えてみ
たい。(つづく)
21世紀のキリスト教会 石川信隆(防大土木工学教室教授)
これは、1998年9月15日の日本同盟教団神奈川ブロック教師・役員研修会でミニ発題をさせて頂いたものです。
只今、ご紹介頂きました馬堀聖書教会の石川信隆です。現在馬堀の役員として伝道係をさせていただいております。本日
は主の憐れみによりまして、私のような者にミニ発題をさせていただく機会をお与えくださいましたことを心から感謝申し上げま
す。「21世紀のキリスト教会のあり方」について皆様とともに考えてみたいと思います。
「21世紀のキリスト教会」といいましても、もう目の前に迫っておりまして現在のキリスト教会が如何に日本の社会の中に溶
け込んでいくか、つまり地域社会の中で根を張って人々に平安と幸せを与えていく教会となれるか否かに尽きるのではない
かと思います。現在の日本社会において宗教は自由であり、強制されるものではありません。例えば、校外のファミリーレスト
ランで流行っている店があれば、人々はその美味しい食事を求めて少しぐらい遠くても殺到するのを見かけます。また私の家
の近くにダイクマという百貨店がありますが、10時の開店前にはいつも行列が出来ています。このように「21世紀のキリスト
教会」、10時半の礼拝前にはいつも教会の中が満員で、外に溢れ出た人々はメッセージをマイクで聞くような教会だと思いま
す。 では、そのような教会になるための秘訣は何でしょうか。
その第1は、美味しい食事を出してくれる所、つまり魂に平安を与えてくれるところではないかと思います。1週間会社で忙し
く働いて疲れて帰ってきたサラリーマンの肉体と心に活力を与えてくれる所、イエス・キリスト様が命をかけて私達を罪から救
い出してくれた真実の愛を体験させてくれる所、「疲れた人、重荷を負っている人は私の所に来なさい、私があなた方を休ま
せて上げます」というイエス様のみ言葉を本当に実現してくれる所だと思います。私は、昨年からある歯医者さんに毎週1回約
半年も通っていたのですが、全然治らず遂に他の歯医者さんに変えて治してもらいました。日本社会は口コミの社会です。良
者 良 病院 安く 美味
満 き 貨店 度味を が
伝 れ治 く
い医者、良い病院、安くて美味しいレストラン、満足できる百貨店、一度味をしめた人がいると口から口へと伝えられ、治してく
れる医者、病院、そして安くて美味しいお店を探し求めます。
ですから、「21世紀のキリスト教会」形成の第1は、イエス様の福音を如何に美味しいご馳走として人々に提供していくか、
また疲れた経済的に苦しい人々の魂に癒しを与えていくことができるかという、教会の目的、方向、ビジョンをしっかり持った
教会だと思います。要は、魂の良き癒しの場所、魂の良き病院になるということではないかと思います。
第2は、教会員一人一人のモデリングだと思います。これは、田中信生先生が日本伝道の鍵の一つは、牧師及び教会員一
人一人が如何に恵まれて楽しそうにはつらつとして毎日の信仰生活を送っているかによると云っています。馬堀聖書教会で
は9月12日~13日に16周年の記念集会があり、川崎招待キリスト教会の趙先生がメッセージをして下さいました。そのメッ
セージの中で、出エジプト記第17章8節から16節で、イスラエルの民がアマレクと戦う場面がありますが、モーセがヨシュアに
「私たちのために幾人かを選び、出ていってアマレクと戦いなさい」と云いました。この戦いに行くピックアップされた幾人かは
つぶやく人ではありませんよ、と趙先生はおっしゃいました。いつもはつらつと楽しそうに信仰生活を送っている人をヨシュアは
ピックアップしたと思います。私自身を振り返って見ますと、クリスチャンになる前はいつも心に平安がなく、いらいらとして子供
たちも学生たちも私の傍に寄りつかなかったのですが、あるパーティの席で今井健次(コルネリオ会名誉会長)が、「クリスチ
ャンというものはいいものですよ」と、一言にこっとおっしゃられました。そして主の憐れみによりクリスチャンにさせて頂いた後
は心に平安が与えられ、いつもにこにことは云えませんが、毎回の授業の始まる前に「今日の一言」として、「求めよ。さらば
与えられん。」とか、「人を恐れるとわなにかかる、しかし、主に信頼する者は守られる。」などのみ言葉を黒板に書いてから授
業を始めるようになりました。また研究室では毎週月曜に昼食会で研究報告の時をもっていますが、会議の前後には先週1
週間の危険な実験が無事終了したことの感謝の祈りと今週1週間のお守りの祈りを捧げております。さらに、Cadet Bible
Studyという防大聖書研究会を毎月1回徳梅先生がメッセージを担当して下さっており、多くの学生、研究科学生が聖書のみ
言葉に触れることができました。これも主の恵みと感謝しております。しかし、最近は私自身のモデリングが良くないためか受
洗者が出ておりませんので、お祈り頂ければ幸いです。
第3は、これも出エジプト記から趙先生が「両手を上げて祈っている人を支えなさい」とおっしゃられました。つまり、福音宣教
のため戦っている牧師先生を教会員が支えているかどうかにかかっていると思います。私は馬堀の役員として4年半になりま
すが、徳梅牧師が両手を上げて祈っているときに、アロンとフルのようにその手を本当に支えているだろうかと大変反省させ
られました。主の憐れみによってJohn Reid先生が馬堀の地に教会を建てて下さり、この者を救って下さったにも拘わらず、今
もって自己中心の生活、主の恵みを自分の力と誇示してしまう自己の傲慢さにあきれるばかりです。
馬堀の16周年記念集会のテーマは、「あなたの心にビッグ・バン」という題でしたが、確かに私自身「私の心にビッグ・バン」
が生じ、これから牧師先生を助け、職場において家庭において毎日はつらつとして楽しい信仰生活を送って行き、主と教会の
皆様とともに、教会の外に人々が溢れ出る教会形成に向けて歩んで行きたいと願うものであります。
会員からの短信 ~中野兄への電子メールから~
山口県岩国基地から長田哲男兄から
主の御名を賛美します。いつもコルネリオ会月例会の案内を送って下さり感謝します。 返事がなおざいになってしまい、大変
失礼いたしました。私の行っている牧師は元陸自のレンジャーでもあり、今後も自衛官の救いのために祈ってゆきたいと思っ
ています。 また本日、訓練飛行中、機体のトラブルが発生しましたが、主に守られ無事着陸できました。感謝でした。
横須賀防大 圓林英喜兄から
メールありがとうございます。 いつもご案内いただきながら、参加できませんことを残念に思います。それでも、集会が祝さ
れますようお祈りさせていただきます。 それでは感謝をもって。
日本福音キリスト教会連合 筑波キリスト教会 後藤茂光師から
栄光が主にのみありますように!
月例会のご案内と最近のご活動のご様子をお知らせ頂き、喜んでいます。ありがとうございました。 先日、会長の滝口嚴
太郎兄よりも、メールでお便りをいただきました。温かい激励のお言葉を頂き、感謝しています。 コルネリオ会のお働きが、
地道に、着実に進展し、主のご栄光のために用いられますよう、お祈りしています。 お奥様にも、どうぞ、よろしくお伝えくだ
さいませ。
ハルトマン中佐から
Dear Hisanaga, Blessings and greetings for 1999. It has been a long time since I have written to you, so decided that
today I would try to catch up on my correspondence. I hope that all is well with you and your wife in you home (was
going to say new, but realize that you have been in it for almost 3 years – how time flies). Do you anticipate any travels
to the USA – we would love to see you again if you are coming to the East coast. I have sent messages to MG Yatabe
and to Takihara, thanking them for previous messages and for the MCF newsletter. Hope that this finds you well. We are
well and God continues to bless us daily. I know that the our relationship with the Cornelius Group (thanks to you!)
blessed our life and we continue to pray for that committed group and all MCF groups. Blessings and prayers for you and
your family.
K牧師から
栄光在主
度々おたより、ご案内いただき恐縮しています。私は経理部士官候補生第7期で主計少尉として終戦を迎えました。経理部
時代から求道心が深く求められましたが、教会をたずねたのは終戦後でした。しばらくたってから戦前コルネリオ会なるもの
がり、経理部の先輩方もこのメンバーだった事を知りました。それが現在も続いていることを滝原兄から知らされました。そん
なわけでコルネリオ会について全く無知な私ですのでよろしくご指導下さい
なわけでコルネリオ会について全く無知な私ですのでよろしくご指導下さい。
モンゴルの木島宣教師から 1999.1
モンゴルで宣教中の木島牧師からのレターを一部紹介します。
最後の冬を味わっています。
一月に入った途端、急に寒さが厳しくなりました。夜間はマイナス37度、日中でもマイナス18度。しかし、毎日晴天で風もな
く、穏やかな天候です。
(途中略)
お祈りと励ましに支えられて、モンゴルでの最後の年を迎えました。働きと家族の近況をまとめてみました。とりなしに覚えて
いただけたら幸いです。
教会は、モンゴル人牧師の按手式をしました。二人の牧師は「水を得た魚」のようです。オトゴンバヤル師とナルマンダク師
の今後の働きのためにお祈りください。
会堂建築を継続しています。一昨年末の火事から一周年を迎えました。・・・工事は昨年10月初めに2階の壁を半分ほど積
み上げたところで冬眠に入りました。
ヤルマク村の家庭集会が成長したのに伴って、2年半前に集会所として「ハシャー」を購入しました。
私は、モンゴル人牧師任命に伴って、牧師を辞任しました。KHET社での働きの契約は11月いっぱいで終了です。12月1
日までの最後のビザ更新ができました。長女のいずみは、13歳になり、高校受験の時期を迎えています。残りの10ヶ月内に
教会の自立と成長を見届け、リーベンゼラ宣教会の後継チームを迎えてモンゴルを離れることができればと願っています。(奥
様の浩子姉とお子さまのいずみさん(13歳)、信君(11歳)、小枝さん(9歳)、くみちゃん(今年小1)も皆様お元気で過ごして
おられるようでした。編者)
◇月例会より
11月21日(土)
私のところには、全国からの事故速報が入ってきます。殉職をした家族は、今後の人生を何に頼っていけばよいのでしょう
か。2ヶ月後には隊員の母親が自ら命を絶ちました。隊員の妻は、2人の子供を抱え誰も頼る人がいません。
コルネリオ会員は、その中にあって互いに励まし、慰め合いイエスキリストの愛を伝え、交わりを持ちたいと思います。どうぞ
気軽に参加されてはいかがでしょうか。
12月19日(土)
クリスマス-それは神と人、人と人をつなぐ愛の知らせ、喜びの知らせです。今日ダビデの町で、あなた方の為に救い主が
お生まれになりました。この方こそ主キリストです。ルカの福音書2:11
1月16日(土)
カリスとは、ギリシャ語で「恵み」と言う意味です。「わたしの目には、あなたは、高価で尊い。」(旧約聖書)本当に「自分は、
ためだ」と思うようなとき神様は、ハッキリとこの御言葉をもって語って下さります。どうかこの1年がコルネリオ会員、御家族の
皆様にとりまして良き年でありますように、主にすべてをゆだねる事が出来ますようにキリストの御名によってお祈りいたしま
す。アーメン。
2月20日(土)
防衛庁にて現役自衛官によるコルネリオ会昼食会が定例化しつつあります。以前は陸幕4号館地下の図書室にて聖書の
学びと祈祷会が行われていたと聞きます。そして今、主は再びコルネリオ会員に対して活性化と主への賛美と会員との交わり
を望んでおられるように思います。そして各地におられます愛する兄弟姉妹、いつでも証をする事ができるよう神に深く根ざし
ていて下さい。栄光在主アーメン
3月20日(土)
2月は、主に祝福され素晴らしい例会でした。新入会者ご夫妻の信仰の証を聞くことができ感謝でした。また会員の近況紹
介としては、今村兄(元防大教授)は聖書翻訳を研究中、狩野和夫兄(元中央病院医官は、群馬県群馬町にて外科医開業と
ともに聖書学者としても活躍中です。北海道の兄弟も元気です。岩国の兄弟も元気です。矢田部前会長がキャンパス・クルセ-ド主催の国際指導者親善会に出席されました。6月には、40周年記念総会の予定です。コルネリオ会員の皆様、その場に
あって神に深く根ざしていて下さい。 栄光在主アーメン
祈りの課題
・役員の家族、今市兄の母上、山本兄のご両親、 矢田部兄の母上、今井兄の奥様、これらの方々のご健康
・下桑谷師の教会でアカデミ-設立の願い、木島師の会堂建設、片山進吾師の家族の教育について。
・コルネリオ会の現役会員の活躍、公務、会務共に、コルネリオ会が多くの隊員に開かれた会であるように。
・ニュ-スレタ-が月に1度発行出来るように。
・特に友愛会と、共同歩調が取れるように。
・将来構想として、コルネリオ会自体または自衛隊 内にチャペル、チャプレン、連絡事務所を持つこと。
下桑谷宣教師からの祈りのリクエスト
教育事業計画「教育館」の建設に際し
・教会員が信仰に堅くたって完成まで祈り抜くとができるように
・工事をとおして活ける主を証できるように
工事をとおして活ける主を証できるように
・工事によって教会の使命である宣教のはたらきが滞ることのないように。
防衛庁3月定期昼食会報告
3月19日(金)1130~1255 内局6階食堂
参加者及び近況等
中野曹長、タウン少佐、飯塚3海佐
山本2空佐 7月まで転勤なし
滝原氏 22日JTJにて按手式。
31日定年退官されます。38年間の長きにわたる勤務に敬意を表します。
守屋1海尉 3月施設庁へ転勤
坂口2空佐 健康のためにお祈り下さい
滝原氏の今後のために祈りました。
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