「軍人キリスト者」国際大会雑感(その三)
元コルネリオ会会長 工学博士 今井健次
6.Naval Postgraduate School
海外の「軍人キリスト者」との交わりは、国際大会
が主な場であるが、その外にも色々あるので、それら
について少し述べてみたい。
筆者は1982年2月から3月間米国カリフオルニア州
の Monterey にある海軍大学院(Naval Postgraduate
School)に交換教授として出張した。そこの海洋部門に
米国OCFのCal.Danlap 海軍少佐がおられた。彼(愛称
Cal)は助教授であった。Cal とは数年前に、英国での
国際大会の折に知り合いになった。そしてこの渡米の
手続き等については色々お世話になった。Calは少し前
に奥様を病気で亡くされ、そのときは二人の息子と共
にNPSの学校から30マイルほど離れたSalinasの町に
住んでおられた。そしてこの出張期間、私の家内と共
にきて共同生活をしないかと言われるので、私も喜ん
でそれに応ずることになった。そこで 2 月初めに家内
と共にサンフランシスコ経由でMontereyに到着した。
Cal はベンツのバンを持っており、又その他に本田のシ
ビックを持っていて、それを使っても良いと言われる
ので、お借りすることになった。アメリカで生活する
には、車は生活必需品と言われるほど便利なので、大
変快適な3ヶ月を過ごす事ができた。
男世帯のところへ家内が入ったので家事の大部分は
家内が引き受けることになった。Cal と私は毎朝車で
NPS に通勤する。約30マイルを時速80マイルで飛ば
すので25分足らずで到着した。
私はDepartnent of Aeronautics に属することになった
が、私の研究はほかの部門とも関連が有ると言うので、
先に防衛大学校に交換教授として来られたことのある
Prof..Fuhs と、もう 1 人イスラエル国から派遣されてい
たDr.Amichaiと3人でProf..Fuhsを長としてチームを組
むことになった。
Prof.Fuhs は NASA(航空宇宙局)でも責任ある仕事
を持っている有力な科学者で、NPS でも一段高い称号
をもち、名刺にはDistinguished Professor Dr. Allen E Fuhs
と書いてあった。
Dr. Amichai の名刺は、所属はイスラエル国防省でHead
of R&D Department, Dr. Oded Amichai となっていた。彼
は今回ラム・ジェットの研究のために PGS に来て
Associate Professor となっていた。彼は熱心な愛国者の
ようで、課業の合間を利用して昼の休みの時間に学生
や職員を集めて集会を開き、西暦70年頃ユダヤ滅亡の
時、死海のマサダ砦でユダヤ人が最後まで戦って、力
尽きて全員玉砕したことを熱烈に語った。今時此処で
こんな話を聞くとは、私にとっては以外であった。NPS
の学生は海軍士官なのだが、私服で通学するので全く
目立たない。NPSには70人位入れる礼拝堂があり、海
軍士官のチャプレンがその管理をやっておった。日曜
日には11時から聖日礼拝が行なわれた。十数人からな
る聖歌隊があって、毎週違った歌を歌うので練習はな
かなか大変だろうと思うが、何処にでも熱心な信者は
居るものだと思った。礼拝前にはOCFの人たちが集ま
って聖書研究会を行ったが、毎週十数人は集まってい
たようである。会員が輪番のように司会を担当して聖
書を読み、それに付いて一人ずつ感想をのべるという
形で、一時間半の時間は瞬く間に過ぎた。
Cal は米国 OCF の幹部だったので、その関係の色々な
集会にも出席していた。それに関連して私も共に行動
1
することが多く、場合によっては彼の代行を頼まれて
私だけが出席することもあった。それらに付いては次回に説明しよう。(続く)
桜といちじく
ミャンマー コルネリオ会 会長 S.Khup Chin Pau
2002 年に東京で開催されたAMCF大会の説教の最
後に池田牧師は壇上でひれ伏し、先の世界大戦で日本
軍が行なったことへの赦しを乞われました。
私の心はインド国境の近くのテディムの私たちの仮避
難所を思い出しました。そこで11歳だった私は初め
て長い剣を持った長い髪の日本兵たちを見たのでした。
私は彼等を恐れ、憎んでいたことを思い出しました。
戦後24年にして、私はインパールの同じ道を旅し
ました。それは不幸な運命にある第33部隊がインド
への侵入の途中に通ったテディム道路(MS102)
ですが、私はたくさんのいちじくの木が枝を広げて美
しくずっと続いているのを見て大変驚きました。日本
の桜の繊細な美しさに匹敵する荘厳さでした。
人がすんでいる所から、こんなに遠く離れたジャン
グルの道に一体誰がこれらのいちじくの木を植えたの
でしょうか? 死にかかっていた日本兵だと聞かされ
ました。そして不運な第33部隊の兵士達は草の実や
いちじくを食べなければならないまでになった事、彼
等の何人かは私たちの民族が『お母さんのミルク』ト
呼ぶ美味しいいちじくのお陰で生き返ったこと、しか
し未熟な青い実しか得られなかった兵士達は、下痢を
して、道端に苦しみながら、悲しみの『種を蒔いた』
のだということを聞きました。
その道から戻って、生残った兵士は極わずかでした。
然し、この苦しい試練から、奇跡の命が芽生えました。
やがて種は若木になり、日本兵の祖国の桜の木のよう
にたくさんの葉を茂らせて、後世の旅行者たちに、日
蔭と果実を与え続けているのです。
今日、私たちがすべての苦しみと悲しみの和解と赦
しを探し求める時、遠くビルマのジャングルのいちじ
くの木と日本の桜が、私たちにとって、世界の善意と
美のシンボルとなりました。
日本宣教のビジョン
「私は、だれに対しても自由な者ですが、すべての
馬掘聖書教会 繁田春代姉 訳
宣教師 金 学根
わたし自身も、韓国でも最も厳しい海兵隊での軍人の
人の奴隷になりました。出来るだけ多くの人を得るた
めです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになり
ました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されて
いる人に対しては、私自身はそうではないですが、律
法に支配されている人のようになりました。律法に支
配されている人を得るためです。」
(Ⅰコリント10:19-20)
私は、日本に来て 16 年目になります。私の両親は、
大変熱心な信仰の持ち主でしたので、厳格な信仰家庭
の中で育てられました。今、思えばある意味では、キ
リストの兵士のように信仰に対しては妥協を赦さない
ただ、キリストに従い信じる信仰のみ許される厳しい
家庭でした。
経験をしておりましたので、軍の厳しさは知っており
ます。しかし、私たちが信じるキリストの信仰を持つ
と言うことは、ある意味では簡単でまた、ある意味で
は兵士より厳しい戦いがあると思います。妥協の許さ
れないキリストへの信仰と、私たちが属する家庭や職
場、隣人に対して忠実になること、私たちには自衛隊
や国に対して忠誠を果たすことや隣人や人を愛す心を
持つことがそう簡単な事ではないことと思います。
しかし、神は、私たちを愛してくれました。私たち
が愛したのではなく、神が罪人である人間を愛してく
れたのであります。神が人間のために死ぬほどまで愛
したように、その愛を受けている私たちは、神を愛し、
隣人を愛しすべての人にそのキリストの愛を伝えるべ
2
きであります。それだけではなく、私たちが属してい
日本人に触れさせたいと言う一心でありました。関心
る国のためにも忠誠を果たして国を愛すべきでありま
す。
今日の私たちの社会は、いろんな問題を抱えており
ます。国にも様々な政治的問題があります。しかし、
私たちはそのようなことに心を奪われずに、キリスト
の愛を持って互いに愛し合い、神の愛を伝えるととも
に国を愛するべきではないでしょうか?また、私たち
は、だれに対しても自由ではありますがすべての人に
奴隷になるということは、できるだけ多くの人を得る
ためであるという聖書のみ言葉のように、私たち信仰
者は、神のみ言葉と愛をもって、どんなことやどんな
人にも接し、そのようになるための心構え常に持ち続
けることが大事ではないでしょうか?少なくとも私は
そう信じております。
私が、コルネリオ会(Japan Military Christian
Fellowships)と初めて関係を持ったのは、95年度の「軍
人キリスト者アジア大会」でありました。この当時か
ら、日本の自衛隊宣教と言うことが如何に困難で大変
であることかは認識しております。日本の宣教は難し
いと言われますが、特に日本の社会の中では一番難し
いところは自衛隊ではないかと思うのは私だけではな
いと思います。しかし、どんな状況でも、あるいはど
んな人にも神の愛は必要であり、伝えなくではならな
いのです。私たちは地の果てまで福音を伝えなくては
なりません。私たちの地の果てはどこでしょうか?世
界で一番宣教が難しいと言われているのが日本です。
その日本の中で一番難しいところが自衛隊の中です。
と言うことは、神様が一番喜ぶことではないかと思っ
ております。
私たちがやるのではありません。主ご自身で、神の
み業を成しどけられることだと信じます。私たちはた
だ、福音を恥ずかしく思わず、主を信じキリストの愛
と福音を伝えることです。そうすれば聖霊様が成しど
けられることでしょう!
私は、昨年の12月27日に防衛大学学生と共に韓国
に行ってまいりました。そこで、私は新たな多くの可
能性を体験することができました。不安の中で、自分
の力や能力、時間やお金も私には何もなかったのです。
や願いがあっても、深い関心を持って自衛隊宣教を協
力しようと言う環境もまだない中で何の力もない人間
が何ができるだろうか?だれも期待も望んでもなかっ
たと思います。私自身もそうであったでしょう。とに
かく何があっても、伝えようと言うことで、何にも考
えず、主を信じて進めました。
しかし、驚くことにすべては主ご自身がなさる業に
私自身が驚きました。主がすべてを備え、主自らがみ
業を現してくださったのでありました。彼らは 3 泊 4
日の中で神様の愛に触れキリストの愛を知らせられた
のでありました。そしてキリストを知ることの祝福を
受けられたのであります。私たちが許されたように、
キリストの愛を持って愛を示した時彼らも、キリスト
の愛を知ることができます。そのことを皆さんにもご
紹介し、喜びを分かち合えたら幸いだと思います。
キリストの赦しと愛がいつも皆さんと共にあり、神様
の祝福豊かにありますよう祈ります。
人はみな草のようで、その栄はみな草のようだ。草
はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこし
えに変わることはない。
(ペテロの第一の手紙1章24~25節)
韓国旅行参加者
3
しかし、唯一、神の福音、キリストの愛を何とかして
礼拝参加風景
4
No 項目 金額
4 招待費 ¥688,000
5 講師謝礼 ¥400,000
6 通訳者謝礼 ¥210,000
7 奏楽者等謝礼 ¥327,888
8 交通費・食費負担 ¥365,553
9 通訳システム ¥800,000
10 ツアー関係 ¥225,480
11 事務通信費 ¥348,897
12 広告費 ¥0
13 大会記念品代 ¥62,947
14 写真費 ¥35,780
15 報告書
16 繰越金 ¥110,244
合 計 ¥7,720,522
収入
No 項目 金額
1 国外参加者 ¥3,027,000
2 国内参加者 ¥760,500
席上献金 8月17日 ¥234,324
献金箱 ¥14,130
大会中 ¥129,000
大会前/後 ¥3,092,000
3 献金額
特別献金(海外から) ¥393,663
4 Tシャツ売上 ¥58,500
5 写真売上 ¥11,380
6 利子 ¥25
¥7,720,522
支出
No 項目 金額
1 宿泊費 ¥1,967,845
2 ホテル内食費 ¥1,647,743
3 会場費 ¥530,145
聖書と私(第1回)
コルネリオ会会員 ブラジル宣教師 下桑谷 浩
私が「聖書」なる書物を手にしたのは、十四歳のと
きで、敗戦後一年、焼野原と食糧難、貧のどん底にあ
り、聖書も粗末な紙で印刷されていた。黄色の表紙に
は、「ヨハネ伝福音書」と書かれていた。こともあろう
に私は「ヨハネ・でんぷくおんしょ」と読んだ。正し
くは「ヨハネでん・ふくいんしょ」である。
当時の故郷は、電気もなく、車も入らない北茨城の
山奥で、学業のかたわら、父の農林業を手伝い、遊び
は山や川で、ぞうり履きの通学という文化生活。です
から、「ヨハネ伝」が聖書であると分かったのは、14
歳も後のことであった。
その後、実家の改築で「ヨハネ伝」は焼かれてしま
い、おまけに中身は開かずじまい。しかし、そのヨハ
ネなる「黄色い本」は、私の心の中で、光り続け、燃
え続け、ますます、輝きを増しているから、まったく
不思議な書物である。
会計報告(アジア大会関連報告)
昨年8月15日~17日にわたって実施された「防衛
関係キリスト者会アジア大会(グランドヒル市ヶ谷)」
には多くの献金と祈りをもっての協力を賜り本当にあ
りがとうございました。
献金感謝 (2002.10.17~2003.3.20現在)
今回も多くの愛する兄弟姉妹から尊い献金をいただ
きました。心から感謝申し上げます。ありがとうござ
いました。
(敬称略)
足立順二郎、滝口厳太郎、後藤茂光、伊藤忠臣
鈴木建一、長濱貴志、石川 信隆、長橋 和彦・晴子
山下 和雄、圓林 栄喜・さゆり、広田 具之
対外献金
以下のGpまたは個人に献金いたしました。
① ミャンマーS.khup Chin Pau会長へ
コルネリオ小児クリニックのために 100$
② 下桑谷宣教師へ
宣教の働きのために 100$
③ モンゴル Odondtugs兄
Mongolia Campus Crusade Christのために 100$
④ 聖一教会
韓国宣教旅行 感謝献金 100$
会員近況
石川信隆教授は、3月31日で防衛大学校を退官さ
れました。これまでの防大聖研でのご奉仕を感謝しま
すと共に、恵子夫人共々の健康が守られるよう、また
ご家族の上にも祝福をお祈り下さい。
(祈りの課題)
石川先生退官後の防衛大学校での聖書研究同好会
のためにおいのりください。
皆様のご意見、ご感想をお待ちいたしております。
匿名でも結構です。自由なご意見をお寄せ下さい。
(編集子)