ニュースレターNo.102

信仰と証
だれでも、立派でもない自分を何か立派でもあるかの
コルネリオ会 会員 圓林栄喜

問題は、ベストの解決を得ることが多いことには驚か
ように思うなら、自分を欺いているのです。
ガラテヤ人への手紙6:3
北海道に異動して早くも4ヶ月が過ぎました。北海
道勤務の経験のある方々の多くから、「北海道はいい」、
「また勤務したい」という声を聞いてきましたが、そ
の言葉は真実であったと実感しています。自然の雄大
さ、人々の暖かさ、食べ物のおいしさ等々、こちらに
来れてよかったと本当に思うとともに、そのように導
かれた神様に感謝するばかりです。(ただし、真冬をま
だ経験していませんが・・・)
こちらに来て思うことは、わたしがこの地で果たす
べき役割は何なのかということです。職場で、教会で、
家庭でとそれぞれの立場で考えますが、なかなか結論
は出ません。しかし、一つだけ言えることは、神様の
守りを肌で感じつつ生活できているということです。
神様を信じていない人ならば、「たまたま運が良かっ
たんだよ」とか、「不思議だね」で終わる話も私にはそ
れで済まされません。確かに神様は守ってくださって
いると実感できます。
様々な事故は起こらないに越したことは無いですし、
起こらないように指導することが求められます。私自
身も努めて気づいたことは、隊員に指導するように心
がけていますし、隊員のために毎日祈ります。しかし、
隊員が大きな事故に巻き込まれたり、事故には至らず
とも、「何でこんなことをするのか?」と首をかしげる
ような問題は起こってきます。
そのような中で、祈りながら、あるいは祈ってもら
いながら(主に家内や牧師先生ですが)、直面していた
されます。自分の力をはるかに超えたところで、神様
の御手が働いていることを感じる瞬間です。
一方で、自分がこのようにしようと思っていたこと
で、思い通りに行かないことのために不機嫌になるこ
とがあります。つい、部下にいやな顔や、疑いの声を
かけてしまうのですが、自分の経験のなさや周囲の状
況の認識不足、情報の不足で判断が誤っていることが
往々にしてある点は本当に注意しなければならないと
思わされます。残念ながら、何回か怒鳴ってしまった
こともあります。教会学校で子供たちに教える身でも
あり、この点は深く反省しなければならないと感じま
す。自分が何でも知っていると思うときこそ、気をつ
ける必要がありますし、誤ったときは、速やかに謝る
姿勢を忘れないことが大切だと思わされます。
目下、道路造成訓練に携わっていますが、同じ地域
であっても土質の状態は異なり、水はけの良い土質、
悪い土質、工事しやすい土質、工事しにくい土質等様々
です。作業工程は同じであっても、毎回反省点が残り
ます。工程管理から、現場の施工要領、品質管理、安
全管理に至るまで、これで極めたなどといえるもので
はありません。信仰も証もおそらくそのようなものな
のかもしれません。ワンパターンではなく、対象によ
って、環境によって、千差万別だと思います。私とい
う存在を通して神様の栄光が現れるよう日々祈りつつ
歩むと共に、私自身が日々、神様の御心を求め、従う
姿勢を失わないよう歩ませていただきたいと思う今日
この頃です。願わくは、キリストの香を放ち続ける者
であらんことを。

聖 書 を 読 む
コルネリオ会 会員 足立 順二郎

聖書を読むことについては、以前にも書いたことが
あります。再び同じ題で書きます。
最近ある本を読んでいて「書かれたもの(つまり 聖
書)は理解されるために書かれている」と書いてあるこ
とに気がつきました。「分からなくても読めばよい」な
どというのは全く乱暴な話だというのです。全くその
とおりです。しかし、聖書を読んで理解することは大
変なことにも気がついた次第でした。「浅学菲才」とは
私のためにとっておいた言葉ではないかと思うくらい
です。
しかし、それでも私は「分かっても分からなくても
聖書を読む」のです。創世記のはじめから黙示録の終
わりまでを通読するのです。1回通読するのに約1年
半かかります。
現在、旧約聖書は明治訳(1887年)、新約聖書は大正
改訳(1917年)で読んでいます。しかも音読するのです。
「ああ、ヱホバよ・・・」などとかなりな声を出して読む
のです。階下で聞いている孫どもは「おじいちゃんが
お経をあげている」といっているそうです。繰り返し
になりますが「分かっても分からなくても読む」ので
す。傍には、念のため、新共同訳聖書の同じ箇所を開
いておきます。
こうすると、いろいろなことが分かってくるのです。
また参考書などを読むと、その著者のいわんとすると
ころが、よく分かるようになるのです。
ご承知のとおり、明治訳は新共同訳のようには親切
な印刷表記ではないのです。べた書きです。それでも、
音読していると、不思議なことに切れ目が分かってく
るのです。詩篇など「ああ、ヱホバよ!」と声を出し
ているうちに「ああ、ダビデは神様をこう理解してい
たのかな」などということが、ぼんやりながら見えて
くるのです。また、同じ語句が明治訳・口語訳・新共
同訳で、こうも違うのかなと気がつくこともあります。
明治訳と大正改訳では、何となく感じが違うことにも
気がつくのです。旧約と新約という差は無視してです。
明治訳の翻訳者は多分江戸時代に原語形成期を送った
でありましょうし、大正改訳の翻訳者は多分大槻文法
確定後に原語形成期を送ったであろうなどと推察して
います。
分かっても分からなくてもとにかく大きな声を出し
て読んでいます。
有難いことに、我が国には「読書百遍意自ずから通
ず」という格言があります。
だから、とにかく繰り返して読むうちに、何となく
分かってくるのです。聖書学者が論ずるような分かり
方ではないかもしれませんけれど。
それこそ、聖霊の交わりというのかもしれません。
パウロ書簡(コリントの信徒への手紙 二)の末尾に
「聖霊の交わり」とありますが、文語訳では「聖霊の
交感」と書いて「まじわり」と仮名が振ってあります。
また、コリントの信徒への手紙一13章12節で、パ
ウロはこうもいっています。「今われらは鏡をもて見
るごとく見るところ朧なり。然れど、かの時には顔を
對せて相見ん。今わが知るところ全からず、然れど、
かの時には我が知られたる如く全く知るべし。」
だから、今は分からなくても、その時になったら全
く分かるんだろうと安心して、現在は、分かっても分
からなくても、ただただ聖書を読むのです。
以 徳 報 暴
蒋介石懐古録によると、清朝末期頃漢民族は現中国
コルネリオ会 会員 滝口 厳太郎
1945 年8月10日、私はこの国にある日本人旧制中学
大陸の支配者、満州族という蛮族に対し、あの辮髪を
した連中を万里の長城の向こう側に追い返せ,と言っ
ていたとある。蒋介石総統の願いどおり満州族は長城
の東北側に追い返され満州国が設立された。
校の2年生であった。太平洋戦争の末期で通年動員、
夏休み無しで小1時間離れた農地開拓に出かけていた。
到着まもなく学校から直ちに全員帰校せよと連絡があ
った。前日の9日不可侵条約を破棄したソ連軍が越境
開始したからである。生活基盤の低い軍人の家族が
てください。』ここまで祈った時、目の前に立派な中国
先に避難するよう帰宅を命ぜられ、この日がこの校舎
最後の日となった。避難は整斉と行われ、姉が関係す
る大手商社のグループの避難に便乗し13日奉天駅を
列車で発った。同行者は大倉商事の家族で行き先は南
満州の瓦房店にある子会社の康徳食品の工場であった。
14 日に到着し翌15日陛下の玉音放送があったが音質
が悪く意味ははっきり分らなかった。8月とはいえ満
州では秋の訪れが早く工場には採取された初茸が運び
込まれていた。自然が珍しい都会育ちの子供達と最年
長の私の発案で山に初茸狩りに行くことにした。
翌 16 日のことである。途中5族協和を国是とする 5
色の満州国旗を見慣れている子供たちにとって見慣れ
ぬ晴天白日満地紅旗を掲げてくる人に出会った。
ここで少し何か事態がおかしいとは思ったが、好奇心
に勝てずそのまま山に向かった。山地に入る前に沼が
有った。この沼で地元の青少年達が水浴びをしていた。
そのまま山路を進もうとすると彼等が水から出てきて
後ろに回り我々に石をぶつけだしたのである。この時
やっと事態の急変に気がついた。年長の自分だけ逃げ
出すのはたやすいが、低学年の子供たちをそのままに
して逃げるわけには行かない。幼児期から教会の日曜
学校に通っていた私はステパノの事を思い出した。
『ステパノは神様に仕えてなくなりました。私は神様
に何もお仕えしておりません、お仕えする機会を与え
人紳士が現れ、地元の青少年達に何か訓示のような言
葉を与えた。彼らはこの紳士の言葉に素直に従って
我々を解放してくれた。
その後この紳士が何を訓示してくれたのか調べている
うちに、蒋介石総統の『以徳報暴』暴に報ゆるに徳を
以ってせよ。との放送が有ったと理解した。
今この放送は無かったという言動が一部にあるが、私
は8月13日にあったと言う説を信じる。日本のポツダ
ム宣言受諾はその頃すでに分っていたはずである。
15 日の翌日に晴天白日旗を準備する事は難しいし、軍
艦旗と十字架の著者、足立順二郎兄は終戦直後台湾の
基隆に2回寄港したが戦勝国民である中華民国軍人は
敗戦国軍人である我々に対する態度は大変丁寧で親切
であったと書かれている。
これは蒋介石総統の意思が実行された事であり、また
永年私が主に仕える機会を与えて頂いた事にもなり感
謝を捧げたい。
この夏、若い方を対象にAMCFのInteract研修を担当
する台湾MCFが、わずか一年の準備期間中にSARS
発生などの困難な事態にあった。そのような中で、日
本から出席者0では申し訳ないと思っていたところ、
出席の機会を与えられた。主と台湾の方に感謝の言葉
を述べる機会を与えて頂いたことと思いこの機会を充
分に生かしたい。

聖書と私(第2回)
コルネリオ会会員 ブラジル宣教師 下桑谷 浩

神は私の行く道を知っておられる。神は私を調べら
れる。私は金のように出てくる。
ヨブ記23章10節
私が教会に通い出して1年。1つの試練に直面した。
万事休すと言うか、全てが終わった、とそんな思いが
脳裏をかすめた。とっさに浮かんだのが、死に場所で
ある。そうだ北海道の樽前山だ。若い頃、登ったこと
がある。今も白煙を吹き上げ、底知れない火口が口を
開いている。
その翌朝、聖書を開いた。その理由は次のようであ
る。『この一年、寒村に生まれ育ち、無学のただびと、
おまけに光に照らされた自分の心の醜さはうじ虫にも
等しいさま。このような者が教会を知り、神様を知る
ことができた。何と有難いことよ。そうだ、恩返しに
聖書を開こう。そうして今日限り教会ともおさらばし
よう。』
実は、お礼のつもりで開いた聖書を通して神様は私
に語られたのです。『どうしたのかね。死ぬの、生きる
の、教会をやめるのと、おだやかではありませんね。
お前さんはこれが最後のつもりで聖書を開いたのだろ
うが、つまりは、私を求めていたことを私はよく知っ
ていましたよ。お前さんの人生はこの私がお預かりし
ますよ。さあ、元気を出して仕事に行きなさい。』
私は庭を掃いていた大家のおかみに威勢良く挨拶を
交わし職場に急いだ。その直後に、私の自殺の恐れを
感じて、牧師夫妻が駆けつけてくださったことを、後
日伺った。私は、この試練を通して幾つかの事を教え
られた。
①人間的な敗北は神の時である。
②神様が私の人生に聖書の言葉を通して介入された意
図は「わざわい」ではなく「希望」を与えることに
あった。
③神様は私が農業出身者であること、学力、体力、そ
れに幼少の頃よりブラジルの農業開拓に憧れ、且、
企画していたこと、その農業移住の道が閉ざされた
時、伝道者のかたちでの渡伯を願った事などを知っ
ておられたのでした。
『しかし、神は、私の行く道を知っておられる』『神
に知られた人生』を歩いて三七年。今日もその幸いを
噛みしめています。

2003年度 総会報告
6月15日(土)、市ヶ谷で2003年度コルネリオ会総会が
実施されました。特に、防衛大聖書研究会が新しくス
タートいたしましたので、コルネリオ会として強力に
支援することといたしました。また、森祐理姉が加わ
ってくださり、韓国語・英語・日本語による賛美によ
り、感動と感謝のうちに、名残惜しみながら会を終了
いたしました。役員人事、会計決算及び予算は以下の
ようになっています。異議のある方は会宛て1ヶ月以
内に申し立ててください。

役員人事
会長 石川信隆
副会長兼総務 中野久永
企画 伊藤忠臣
会計 長濱貴志
広報 圓林栄喜
渉外 矢田部稔
監査 加瀬典文
顧問 鈴木健一
顧問 滝口厳太郎
名誉会長 今井健次
教職顧問 月井博
教職顧問 金学根

2002年度決算及び2003年度予算
(2002.4.1~2003.3.31)決算
1 収 入 前年度繰り越し \918,087
特別会計から返済 \1,000,000
献 金 \251,000
集会等参加費 \27,000
合 計 \2,196,087

2 支 出 ニュースレター作成・発送費 \68,174
新聞雑誌広告費 \53,475
事務通信費 \7,480
慶弔費 \23,360
接待交際費 \16,887
集会費 \20,860
雑費(振り込み手数料) \14,100
献金(国内教会・海外へ) \79,429
次年度への繰越金 \1,912,322
合 計 \2,196,087

(2003.4.1~2004.3.31)予算
1 収 入 今年度繰り越し \1,912,322
献 金 \500,000
合 計 \2,412,322

2 支 出 講師・謝礼費 \30,000
ニュースレター作成・発送費 \100,000
新聞雑誌広告費 \80,000
事務通信費 \60,000
慶弔費 \20,000
接待交際費 \120,000
旅費・交通費 \80,000
集会費
例会会議費 \50,000
防衛大聖書研究会 \220,000
雑費(振り込み手数料) \50,000
献金(国内教会・海外へ) \50,000
大会準備基金 \1,500,000
予備費 \52,322
合 計 \2,412,322

献金感謝 (2003.3.21~2003.8.15現在)
今回も多くの愛する兄弟姉妹から尊い献金をいただ
きました。心から感謝申し上げます。ありがとうござ
いました。 (敬称略)
石川信隆、足立順二郎、宮岡修二、滝口厳太郎
矢田部稔、石井克直、飯塚正実、中野久永、長濱貴志
圓林栄喜・さゆり、長尾有二、山下和雄、韓国MEAK
伊藤忠臣

(祈りの課題)
①防衛大学校での聖書研究同好会のためにお祈りくだ
さい。
②矢田部稔兄の甲状腺眼症の癒しのためのにおいのり
ください。
③イラク、アフガンなどに派遣の世界AMCFの働きのた
めにお祈りください。

皆様のご意見、ご感想をお待ちいたしております。
匿名でも結構です。自由なご意見をお寄せ下さい。
(編集子)

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