ニュースレターNo.112

クリスチャンとして歩み始めて
コルネリオ会 会員 山本由美

「救われるって何?人の命を助けてくれるってこ
と?クリスチャンになる前はそう思っていたわ。」、と
いう友達がいました。まさに私の感覚と同じでした。
私もクリスチャンになる前までは自分の気持ちを優先
し、自分の直感が正しい、自分の思ったとおりに進む
ことが美徳だ・・と自分勝手に思うままに生きていま
した。しかしそれは反面、自分の殻の中に閉じこもる
ということでもあり、自分が思い悩んで立ち止まった
ときは誰にも相談できず、暗闇の中をさまようという
ようなことを繰り返していました。
そんな私がキリスト教と出会ったのは、主人がクリ
スチャンだったからでした。しかし、クリスチャンの
主人からは「教会に行ってみない?」とかキリスト教
について積極的に教えるということは決してありませ
んでした。そんな彼の態度に興味をもったのはむしろ
私のほうでした。またその頃タイミングよく当時私が
住んでいた町で久米小百合さん(「異邦人」を歌った久
保田早紀さんのこと。)のコンサートが開かれるのをた
またま知り、彼女がクリスチャンであることやそのコ
ンサートがゴスペルコンサートであることも知らない
まま一人でそのコンサートに出かけていきました。私
はてっきり「異邦人」等の歌謡曲を歌うのかと思い期
待していましたが結局そういう雰囲気には全くならず
(当たり前です、ゴスペルコンサートなのですから)、
それどころか、会場では一人一人が「お祈り」を捧げ
る状況になりました。私はどうやって祈ったらいいの
かも分からず、周囲の視線に怯えながら、とりあえず
手を組んでうつむいているだけの似非クリスチャンで
した。しかし、私にとっては、彼女の澄んだ声と優し
い歌詞が印象に残り、冷えていた心に明かりを灯され
るようなコンサートでした。後日、同じ部隊でクリス
チャンの方にこの話をしたところ、ノンクリスチャン
の私がそういうことに興味があるのを不思議がってい
ましたが、「あまり職場では話さないのだけれど・・」と
言いながら色々と自分のクリスチャン生活の話をして
くださいました。その方はとても温厚でまた信頼でき
た方なので、仕事の相談や世間話などをしに何度も職
場を訪れましたが、やはり彼も絶対に「クリスチャン
になったら」とは勧めませんでした。
あまり勧められないと、かえって気になってしまう
ものです。ある時私は思い切って主人に「教会に行っ
てみたい」と告白しました。これを機会に私達の教会
巡りが始まりました。当時クリスチャンでない私にと
って教会はどこでも一緒だと思っていましたが、教会
といっても様々な教派があり自分にあった場所を見極
めたほうが良いという主人の意見で、毎週違う教会の
聖日礼拝に行くことになりました。現在私が住む町の
殆んどの教会を訪ね歩いたのですが、主人は首を縦に
は振ってくれませんでした。「私の行く教会は見つか
らないのかしら?」と半ば諦めていた時、市内にある
教会の中では多分最後となる教会に訪ねていったのは
日曜日のそれも12時30分を過ぎたころでした。そ
こは教会といっても教会堂ではなく集会場みたいなと
ころで、どうも今までに行った教会とは違う、それも
何だかワイワイ賑やかな雰囲気・・そこへ出迎えてく
れたのが現在ミニチャーチ(家庭集会)で一緒に活動
しているメンバーの一人と、そしてアメリカ人牧師婦
人でした。突然訪ねていく人は珍しいらしく、英語と
日本語で話しかけられました。そこの教会の牧師は米
海兵隊出身の元軍人であるということ、私の勤務して
いる部隊の英語講師の方もこの教会員であるという、
自衛官の私にとっては運命とも思える偶然が重なった
ことで私達は直ぐにその場所に馴染むことができまし
た。主人もこの教会が以前通っていた教会と雰囲気が
似ているということで、惹かれるものがあったらしく、
私よりも会話(英会話)が弾んでいました。なぜか安
心した私は翌週から自然とそこの礼拝に参加するよう
になりました。この教会が今まで見てきた教会と違っ
ていたのはなんといっても、賛美の方法です。厳かな
賛美歌とは違い、ステージにはヴォーカリスト、ギタ
ー、ドラム、ピアノを中心とした賛美チームによるワ
ーシップソングの演奏する曲はPOPで、また、その
歌詞の意味は理解しやすいため受け入れやすく、直ぐ
に私の心に響きました。歌っている最中に体の中から
熱いものがこみ上げるともに涙がとめどもなく溢れ出
てきました。泣いている私を見た人が「遠慮しないで
もっと涙を流しなさい。その涙が体を浄化してくれる
のよ。」と背中を押してくれた時、更に体中が清められ
ていく感覚を得るとともに私のかたくなな心を直ぐに
開放してくれました。
そして教会に通いだして2ケ月後、私はミニチャー
チの集会の中で「イエス様を受け入れます」と告白す
ることができました。告白後はミニチャーチのリーダ
ーの指導の下、聖書の学びのための個人的なフォロー
アップ訓練を受けながら半年後には聖霊のバプテスマ
を受け、そして昨年11月に水のバプテスマを受けま
した。そして今私は、イエス様に生かされて、用いら
れているということを心と体の全部から表現できるよ
うになりました。
教会との出会いから洗礼までは1年にも満たない短
い期間だったので聖書の知識も充分身についていない
ため具体的な御言葉を引用して証しを申し上げること
ができないのは少し残念ですし、悔しい気がしますが、
イエス様を信じ、その御心に従う気持ちさえあれば、
御霊の賜物を受けることができ、いつか自分自身も御
霊の実を結ぶことができると信じています。夫婦とも
にクリスチャンになれたということでこれからは神の
道を歩んでいくことを誓うとともに、この喜びを二人
で多くの人に伝えていきたいと思います。
(空自 静浜基地)

聖書に学ぶリーダーシップ(その5)
―サーヴァント・リーダーシップ(イエスの愛が為された事から学ぶ)―
コルネリオ会 会員 伊藤忠臣

1.概要
(1) 定義
イエスが伝道された3ヵ年間の奇跡の数々は、創造
力の証し,神の子イエスの権威の証しで、それは「民
衆のニーズを汲み取りそれに応える」ことがリーダー
の務めである事を教えています。防衛大では「リーダ
ーシップとは他人に対し、服従、信頼、尊敬、及び忠
実な協力を要請しこれを受ける事を意味している(そ
の1参照)」と、学生が4ヵ年の学生舎生活を通じて築
く人間関係と研鑽すべき人格面を強調しています。一
方現役軍人にとっては部隊(集団)を統率して、与え
られた任務をいかに効率よく達成するかと言う‘人間
関係’と対である‘任務達成意欲(task)‘が重要です。
この2つは実はリーダーシップの原動力なのです。軍
隊では階級による(俗称ピラミット)権力構造が当然
有効とし通用してきました。しかし任務達成に必要な
命令遵守的効果があっても人間関係とのバランスが時
間経過とともに減衰する場合があります。そこで古今
東西最も偉大なリーダーであるイエス・キリストが十
字架にいたる伝道の道筋の諸所において、イエスが民
衆を導かれた愛の行為(リーダーシップ)を模範にし
て定義すると「皆(民衆)に共通の正しいと認識され
たゴール(健康や幸福)に向かい人々が精を出して働く
ように影響(愛が為せる行為)を与えるスキル(神の証
し)と言う事が出来ます。
‘スキル’つまり‘単に習って身につける能力‘と
の意義付けは、リーダが権力(階級)ではなく、人々に
影響を与えること(人格・識見等から生ずる行動)で
人々を導く能力を磨くという重い責任を自覚し、日々
実行することが要請され研鑽し習熟すれば立派なリー
ダーになれるということができます。
(2) 人々に影響を与える行為
愛の讃歌Iコリント13章です。13節では‘愛゜
が至上であることを謳い、さらに4-7節を‘愛が為す
事’として読み解くと、忍耐、思いやり、謙虚、敬意、
無私,寛容、誠実、献身、などリーダが具備すべき人
格的要素が抽出できます。‘愛が為す事’と読み解く理
由は、聖書の原語、ギリシャ語の‘愛’が意味するこ
とを重視したからです。英語の‘ラブ’とは異なりギ
リシャ語では、‘エロース’(性的誘引による感情)‘ス
トルゲー’(家族愛)‘フィリア’(親友愛)そして‘ア
カーべ’(差別のない行為の基となる無条件の愛)と4
つを使い分け、イエスが‘愛’と言う時はこの‘アカ
ーべ‘が使われており行為を選択する愛であって感情
の愛ではないのです。つまり私たちは他人に対する感
情をコントロールしにくいのですが、他人に対する行
動は`意志’を強く持ってコントロールできます。
○隣人が気難しくて好きに慣れなくても愛情を込めて
振舞えるよう修養できます。
○隣人の態度が悪くてもそれに耐えて誠実に敬意を払
うよう振舞う修養はできます。
従って我々も‘アカーべの愛‘が示す人格的要素を
身に付け、スキルに習熟すれば人々に影響を与える事
ができるということです
参考;米軍の最新の野外令の‘あるべき人格’は「忠
誠、義務、尊敬、献身、名誉、誠実、勇気、服従の心、
について世界各地で行動する軍人のリーダーシップは、
人種的・民族的宗教的・文化的・性別的なバックグラ
ンドの差に寛容と尊敬を払わねばならぬ」と規定して
います。
(次回に続く)

戦争について考える(その6)
コルネリオ会会員 足立順二郎

4.軍隊
もともとそうだとは思っていたが、最近小泉総理が
「自衛隊は軍隊」と聞き取れる発言があったので、こ
の稿では自衛隊と軍隊とを区別しないで書いて行く。
吉田総理が「自衛隊は軍隊ではありません」といった
ことと思い比べると隔世の感がある。
(1)システム
軍隊というものは国家防衛という明確な目的を持っ
た一種のシステムである。組織構成員運用などに関す
る各種規則類や装備品類などなど各種のハードウエア
ソフトウエアからなる一種のシステムである。
(2)集団
他の集団も同じことだが、軍隊には組織も編成も構
成員も階級もある。軍隊を運用する計画もある。
それらの根拠となる法令もある。
もちろんリーダーがいる。最高指揮官は国家元首ある
いは総理大臣である。
軍隊というものは、つまるところは、暴力集団であ
る。警察もまた同じ。しかるべき暴力手段つまり兵力
を保持しこれを運用する。これらが市井の暴力団と異
なるのは、国の法律によって作られ運用されるという
点である。
軍隊と警察との違いは、戦う相手が違うことである。
軍隊の相手は敵国軍隊である。警察の相手は犯罪者で
ある。
構成員もまた異なる。軍隊の構成員の大部分は軍人で
ある。警察の構成員の大部分は警察官である。軍人に
ついては後述する。
(3)任務
軍隊の主任務は国家防衛である。上述の汚くない戦
争に従事するのが主任務である。戦争でなくても大惨
事大災害などに対しては持っている力を利用して国民
の救助に当たる。
軍隊の平時における主任務は訓練である。このこと
は一般に理解されていることが少ない。軍隊は存在す
るだけでは何の役にも立たない。訓練が十分であって
はじめて戦争ができるし、大惨事大災害などに対処す
ることができる。
一に訓練二に訓練三四がなくて五に訓練である。
訓練は、個々の軍人の資質(精神力、体力、技術力など
すべてを含む)を向上する訓練からはじまり、グループ
としての訓練があり、最大のものとしては全軍をあげ
て行う実働を伴う攻防の演習がある。
(4)出兵・戦争・戦闘の準備
軍隊はいろいろ準備がないとすぐには動けない。そ
のためにはいろいろな準備が必要でそれには段階があ
る。私は海軍軍人だったので海軍を例にとって考える。
これから戦をやろうと心を決めたら、兵力整備を行わ
なければならない。出師準備
である。
日清戦争のあとで、三国干渉があった。明治28年(1
895年)のことである。当時の我が国の兵力ではとう
てい仮想敵国ロシヤに対抗することはできない。とう
てい話にならない。臥薪嘗胆で軍艦を買ったり兵器を
買ったりがはじまる。訓練も猛訓練となる。このレベ
ルの準備が出師準備だったと思う。
私が海軍経理学校に入校したのが昭和12年(193
7年)。29期生徒であった。この年に生徒の数が増え
た。26期20名、27期と28期はそれぞれ25名
であったものが、29期生徒は30名となった。もち
ろん海軍兵学校海軍機関学校の生徒数も比例して増え
た。それだけでなく、予備艦が聨合艦隊に編入された。
つまり現役となった。同型艦4隻あったら、2隻は予
備艦2隻は聨合艦隊という予算配分だったものが4隻
とも聨合艦隊に配属されたのである。海軍予算も大い
に増額された。6億5千万円になったと聞いている。
ここら辺が対米戦争を本気に考えた準備のはじまりだ
ったのではあるまいか?
いよいよ戦がはじまってこれから出港するぞとなる
と、船のなかには燃えるものがいろいろあるし、戦に
はすぐには必要ないものもある。そこでそのようなも
のを全部陸揚げしてしまう。もちろん燃料弾薬食料は
満載、弾薬にはすべて信管装着必要な調整はすませる。
このレベルの準備が臨戦準備
である。
出港して戦域に到達し、これからチャンバラを始め
るぞという予令が合戦準備
である。この状態になって
後はじめてチャンバラの号令がかかって対水なり対空
なりの戦闘がはじまるのである。
(5)有事即応
ところがこんな悠長なことをやっていたのでは、と
てもじゃないがこのめまぐるしい世の中の戦争に追い
ついて行けるかという問題がおきる。
そこで軍隊の最高指揮官がやるぞと決心したらすぐさ
ま武力を行使できるようにあらかじめ法律上の問題を
含めて万全の対策を行っておく必要がある。世界各国
の軍隊はこの考え方を採っていると思う。我が国の自
衛隊もこの考え方を採っている。ことに民主主義国家
においてはあらかじめ法律上の問題点をクリアしてお
かなければならない。独裁国家とは違う。
艦艇についていうならば、修理中とか錬成訓練中の艦
艇を除いて、燃料弾薬(信管装着済み)食料満載、乗員
の練度十分、この考え方が有事即応である。
ところがこれを実行しようとするといろいろな問題点
がおきるのである。末端の技術上や予算上やその他
諸々の付随的事項が起きるのである。
たとえば、機雷。いつでも敷設できるようにするた
めには(つまり有事即応ということだ)炸薬を装填して
おかなければならない。ところが機雷というものは図
体が大きいので、炸薬の装填していない缶体だけだっ
たら普通の倉庫に格納できるが、装填してしまったら
弾庫に入れなければならない。全部装填してしまった
ら弾庫に入りきれない。おまけに炸薬を装填するには
けっこうな日数がかかる。「機雷は戦略兵器だから炸
薬未装填のままで通常倉庫に保管しておいてそれでい
いんだ」と本当に言い切れるのだろうか?
現場にいた一自衛官として本当にこれで有事即応でき
るのかと思ったことは幾たびもあった。
我々が現役だった頃の自衛隊は「創る自衛隊」(兵力整
備中の自衛隊)だったが、現在は「働く自衛隊」(兵力
整備を一段落して実働する状態にある自衛隊)だと聞
いたことがある。本当にそうであることを祈るのであ
る。
(6)仮想敵国
どのような脅威から我が国を守るかということを考
えなければ、兵力整備も訓練も計画の立てようがない。
当然のことながら、仮想敵国というものがある。ただ
名指ししないでA国とかB国とかいうだけのことであ
る。アメリカのオレンジ計画だって、「オレンジ」は日
本のことだった。
ところが、我が国では仮想敵国などというのはけしか
らんという風潮があった。今でもあるかもしれない。
かつて自衛隊が「三矢研究」という研究作業をやった
ことがあった。その時「仮想にしても敵国とはなんだ」
と政治家マスコミ総出になって自衛隊を叩いた。妙な
ことだ。
(7)軍隊を保有する 目的
「10年兵を養うはただ1日
り」という言葉がある。確か秋山真之中将(日露戦争当
時の聨合艦隊参謀)の言だったと思う。思うと書いたの
は原典に当たって確認していないからである。私は現
在では、「10年兵を養うはただ1日も
らんがため
なり」と思っている。
軍隊は戦争抑止のためにあると考えている。
5.軍人
(1)軍人
軍隊の構成員の大部分を占める。
以下我が国の自衛隊と外国の軍隊とが別々に論じられ
たり、個別に論じられたりする。時々の文脈による。
自衛隊を例に取ると、自衛官が軍人に当たる。
軍人はもっぱら目に見える戦闘行為にかかわる。
軍隊には軍人以外の多くの構成員がある。内部部局
の構成員である文官、主として事務にかかわる事務官、
もっぱら技術的な業務にかかわる技官などである。軍
人以外を一般にシビリアンと言い習わす。彼らは直接
には戦闘行為にはかかわらない。しかし、軍人は彼ら
とは異なる。
軍人は命令があったら、たとえ戦死の可能性があっ
ても弾の降ってくる戦場に赴かなければならない。こ
ういう仕組みになっている。死にたくなくてもだ。命
令に逆らうことは出来ない。抗命は罪である。敵前逃
亡は罪である。後発港期(出港時刻に後れること)は罪
である。ともに戦時には死刑を伴う罪である。世界中
の軍人はこういう仕組みのもとで働いている。このこ
とはあまり知られていない。殊に日本人は知らない。
自衛官の家族だって知らない人が多いと思う。自衛隊
を運用している政治家たちだって本当に分かっている
か否かは疑わしい。
(2)軍隊の最高指揮官とスタッフ
軍隊の最高指揮官は国家元首あるいは総理大臣であ
る。軍人ではないことが多い。
大変妙な表現になるが、軍隊の最高指揮官(つまり国家
元首とか総理大臣)は「進め進め兵隊進め!」とはいう。
つまり出兵の命令は出す。軍隊運用の命令は下す。し
かし、決して自ら弾の降ってくる戦場には赴かない。
そういう建前になっている。そういう仕組みになって
いる。
軍人は「進め進め兵隊進め!」と命令されたら弾の
降ってくる戦場に赴かなければならない。命の保証は
ない。これも原則である。
だから、最高指揮官(あるいはそのスタッフ)に軍人と
しての経験がないならば、軍人は命令を受けたとき違
和感を感じざるを得ない。いくら軍人としての身分と
か使命について理解と覚悟を持っていたにしてもであ
る。幸いにして、現在の身分が軍人でないにしても、
軍人としての体験がある人が最高指揮官になったら、
この違和感は軽減されるか解消する。
これは帝国海軍軍人であった経験と海上自衛官であ
った経験とを比べ併せてそう思うのである。「朕は汝
等の大元帥なるぞ」というインパクトは海上自衛官時
代にはなかった。(軍人勅諭の実際の文言は「朕は汝等
を股肱と頼み、汝等は朕を頭首として仰ぎてぞ、その
親しみは特に深かるべき」だったと記憶している。)
戦後歴代総理大臣のうち、軍人であった体験を有した
のは中曽根総理だけだったと記憶している。
大東亜戦争のはじまる直前の駐米大使は野村提督で
あった。戦後防衛庁ができた際に防衛庁長官に擬せら
れたことがあったという。しかし実現しなかった。崇
文蔑武(注参照)の空気がありはしなかったか?
(注)「すうぶんべつぶ」と読む。文事あるいは文官を
尊崇し、軍事あるいは軍人をさげすむこと、李朝
にあった気風といわれる。また、建武中興が失敗
に終わる頃楠木正成が湊川で戦死しているのだが
(1336 年)、我が国にも崇文蔑武の思想があったの
ではあるまいか?現在の我が国にもありはしない
か?
(次回に続く)
2006年度 総会報告
6月3日(土)~4日(日)、霞ヶ浦湖畔の県立研修所
で2006年度コルネリオ会総会が実施されました。2005
年度の活動報告・会計報告と2006年度の活動計画・予
算計画及び役員人事の審議がありました。
また、2005年度の活動計画、役員人事、会計決算及
び予算は以下のようになっています。異議のある方は
会宛て1ヶ月以内に申し立ててください。
2006年度コルネリオ会活動計画および担当者
1 全般
2005年度のアジアインタラクションの成果を踏ま
え、自衛隊宣教の進展とコルネリオ会員の霊的な成
長を図り主の栄光をあらわす活動とする。
(1) 例会のあり方
ア 事務的事項は、新人等の到着以前に済まして
おく。
イ 集会所を、市ヶ谷から大久保(JR高田馬場駅か
ら徒歩6分)へ移転する。
(2) 在日米軍CFとの協調
横田基地等との交流を継続する。
(3) 自衛隊宣教会への協賛
2 国外活動との連携
(1) 2006年度インタラクション(韓国,7.31-8.6)へ
の参加
3名の予定者中2名が不都合な為、更に公募する。
旅費支援一人5万円とする。
(2) AMCF及びACCTSとの連携
ドン・スノー氏等との情報交換を続ける。
3 聖書の学び
月例会でInductive Bible Studyを継続する。
4 会計
(1) 海外宣教師及びAMCF,ACCTSへの献金をする。
(2) 協力奉仕者への献金をする。
5 広報
(1) ニュースレターを年に三回発行する。
この際、広く会員からの投稿を起用して行く。
なお、会員で住所変更時は必ず一報頂く事とす
る。
(2) インターネット・ホームページの有効活用と内
容の充実を図る。
6 祈り
コルネリオ会活動の進展のためには、祈りが不可
欠との認識に立って意識高揚を図る。特に、防大生
への福音活動に関しては当面は祈りを主体として行
く。
役員人事
名誉会長 矢田部 稔 監査 中野 秀知
会長 今市 宗雄 渉外 石川 信隆
副会長・総務中野 久永 顧問 滝口 厳太郎
副会長 伊藤 忠臣 教職顧問 金 学根
企画 加瀬 典史 教職顧問 井草 晋一
広報 圓林 栄喜 教職顧問 徳梅 陽介
会計 長濱 貴志

2005年度決算
(2005.9.18~2006.3.31)決算
1 収入前年度繰り越し ¥1,623,218
献 金 ¥269,671
合 計 ¥1,892,889

2 支出講師・謝礼費 ¥40,000
ニュースレター作成・発送費 ¥79,270
新聞雑誌広告費 ¥79,300
事務通信費 ¥9,195
集会費
○聖会・例会会議費 ¥8,087
雑費(振り込み手数料) ¥1,875
献金(国内教会・自衛隊宣教会等) ¥10,000
次年度への繰越金 ¥1,665,162
合 計 ¥1,892,889

2006年度予算
(2006.4.1~2007.3.31)
1 収入前年度繰り越し ¥1,665,162
献 金 ¥500,000
合 計 ¥2,165,162

2 支出講師・謝礼費 ¥120,000
集会費 ¥110,000
(1)例会費(10回) (¥70,000)
(2)その他(他Gpとの合同集会) (¥10,000)
(3)聖書研究会 (¥30,000)
ニュースレター作成・発送費 ¥80,000
新聞雑誌広告費 ¥60,000
事務通信費 ¥40,000
慶弔費 ¥20,000
接待交際費 ¥60,000
研修参加費(韓国Interaction) ¥50,000
雑費(振り込み手数料) ¥5,000
献金(インターアクション等参加支援等) ¥100,000
予備費 ¥1,520,162
合 計 ¥2,165,162

コルネリオ会(JMCF)
(防衛関係キリスト者の会)
コルネリオ会広報室
〒895-0041鹿児島県薩摩川内市隈之城町215-4-2-24
電子メール:enrin@m9.dion.ne.jp
郵便振込口座00130-3-87577コルネリオ会
コルネリオ会ホームページ:
http://www.geocities.jp/samuel1/index.html

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