ニュースレターNo.120(2009年4月)

救 い の 証
会員 石川 信隆

「 わが魂よ。主をほめたたえよ。主の良くしてく
ださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」
1.求道時代
これから私がイエス様に出会い、そしてクリスチャ
ンになったいきさつをお話したいと思います。
私が最初に教会に行ったのは、名古屋にある御器所教
会というところで、高校1年のときでした。
その後、防衛大に入り、米海軍基地にあるChapel Hope
という教会に英語の勉強にメッセージを聞きに行きま
した。そのとき「Righteousness」 (正義)という単
語が今でも耳に残っています。
会員 石川 信隆
帰りの電車の中で、ある女性クリスチャンから「あな
たは自衛官なのにどうしてキリスト教に興味を示すの
ですか」「軍人は人を殺すことが仕事ではないのです
か」と質問されました。返答に困ってしまい、
それ以来、私はキリスト教から離れてしまいました。
そして今まで大切に持っていた「聖書」を赴任した第9
施設部隊のある八戸の下宿の中学生に上げてしまいま
した。
2.苦悩時代
それから、防衛大を卒業して、久留米の幹部候補生
学校に行きましたが、そこでは禅宗のお寺に下宿しま
した。1年後水戸にある施設学校では、「Friend」 とい
うクエーカー教の教会に通いました。しかし、牧師先
生によるメッセージも無く、礼拝も無かったので、イ
エス様が何のために十字架にかかって下さったのか、
よく分かりませんでした。ただお互い輪になってお祈
りをしているようでした。あるとき水戸にクリチャン
クルセードがあり、ワニ博士が講演に来て「信じるも
のは前に出なさい。」と促されましたが、私はキリスト
教そのものには憧れるが、キリスト教界(人間の輪)
にはなんとなく、入りたくないという気持ちがあり、
前に出ませんでした。その夏に山中湖で修養会がある
というので、申し込みをせず、友達を連れて、その修
養会の会場を探して飛び込みました。キリスト教とい
うのは、愛の宗教だから、受け入れてくれるだろうと
いう甘えがありました。修養会の間すべて「沈黙」を
守らされました。全員祈祷のとき、ある人が「今回の
修養会では、2人の失礼な者が入り込んできた。これか
らこのようなことが無いように」というお祈りをされ
ました。冷や汗が脇の下を通るのを覚えました。また
その後、九州大学大学院で修士課程・博士課程で研
究に没頭して31歳のとき自衛官の制服を脱いで防衛庁
教官講師になりました。しかし、研究の行き詰まりや
体調の不良でいつもいらいらしたり、心に平安が無く、
学生に怒ったり、妻や子供につらく当りました。
そしてとうとう胃潰瘍で入院して、胃を切除してしま
いました。40歳のときでした。入院した病院はヨセフ
病院というところで、日曜日の朝、賛美歌が流れてき
て、涙を枕に流しましたが、まだイエス様に出会うこ
とはありませんでした。退院後も食事が思うようにで
きないので、いらいらが益々つのり、家に帰ると子供
達は逃げてしまい、学生達も私に寄り付かなく、いつ
も険しい顔をしているようでした。
指導する学生の研究もうまくいかず、再び胃が痛くな
る日々が続きました。
3.きっかけ
防衛大学には当時今井健次先生というクリスチャン
教授がおられ、「コルネリオ会ニュース」を私にも送っ
てくれていたのでしたが、いつもゴミ箱に捨てていま
した。その先生が退官パーテーのとき、「石川君、クリ
スチャンというのは、いいものだよ。」と「にこっ」と
笑いました。その印象が忘れられなく、その後、1983
年10月から妻が通っていた馬堀聖書教会に通い始めま
した。 そしたら、少しづつ心に平安が得られるよう
になってきました。 1986年8月に日本で第1回目の
アジア軍人キリスト者会議があるというので、君も来
ないかというお誘いを今井先生から受け、参加するこ
とになりました。人手がないので、君も司会をするよ
うにといわれ、まだクリスチャンになってもいないの
にと思って妻に電話したら、お恵みだからやらしても
らったら、ということで、韓国・台湾・アメリカなど
偉いクリスチャンの前で、見よう見真似で、あるセッ
ションの司会を担当しました。その会議のなかで尾山
令仁先生という方が、大正時代、日本軍が韓国の堤岩
里(チュアムリ)教会を焼き討ちにしたお話をされま
した。尾山先生は「つぐない」をするため、日本で献
金を募り、その教会の復興のためチュアムリ教会の方
に説明に行ったのですが、どうしても受け入れらなか
ったのです。しかし、とうとう尾山牧師の熱意にほだ
されて、教会が復興されたというお話をされました。
メッセージの終了後、韓国代表団が講壇に駆け登り、
尾山令仁先生と固い握手をされました。また早天祈祷
会で私は韓国のチャップレンと 2 人で手を握り締め、
涙を流しながらお祈りをしました。イエス様はこの韓
国のチャップレンを通して私の心に神様の赦しと愛を
伝えて下さったのだということを知りました。
4.洗礼
その年1986年10月には太平洋放送教会の羽鳥明先
生が特別伝道集会に来られ、2日間4回のメッセージを
涙ながらにされました。「主イエスを信じなさい、そう
すればあなたもあなたの家族も救われます。」といわれ、
手を上げました。 手をあげた人は5-6人いたようで
すが、そのうち 2 人が洗礼準備会にはいり、徳梅先生
のご指導を受けました。ところが10回の準備会のうち、
残りあと1回というところで、もう1人の人がいなく
なってしまい、最後に残ったのは私1人でした。
そして1986年12月7日この馬堀聖書教会でリード宣
教師から洗礼を受けることができました。49歳のとき
でした。徳梅牧師は断食祈祷して私のために祈って下
ったことを後で知りました。それ以来、仕事の面や家
庭の面で多くの祝福を神様から受けました。
5.受洗から今日まで
1989年2月から私の研究室で聖書研究会が徳梅先生
のご指導でもたれ、私の退官するまで約14年間、主の
お守りの中で続けることができました。そして退官後
もしばらく馬堀聖書教会で続けられ、学生たちに福音
が伝えられてきました。また授業の前5分間だけ「今
日の一言」として学生の生活に必要な聖書のみ言葉を
黒板に書いて、学生に励ましを与えました。例えば、
「求め続けよ。さらば与えられん。」、「 思い煩うな。
あなたの道を主(天)にゆだねよ。」、「主(天)は決し
てあなたを見捨てず、見放さない。」、「あなたは高価で
尊い。防大生は国の宝。」、「すべての営みには時がある。
勉強するのに時がある。」、「誰でも自分を高くする者
は低くされ、自分を低くする者は高くされる。」 など。
1995 年日本で第2回目のアジア大会(池袋、コルネリ
オ会副会長として)、2002年の第3回目アジア大会(市
ヶ谷、コルネリオ会会長として)、2004年世界大会(ソ
ウル、コルネリオ会会長として)、2005 年軍人クリス
チャンリーダー研修会(品川、コルネリオ会会長とし
て)を開催し、また参加して大いなる祝福を受けまし
た。
2010年9月にはコルネリオ会主催で今市会長のもと
で、再び日本で第4回目のアジア大会を開催する予定
ですので、皆様のご協力とお祈りをお願いします。
このアジア大会や世界大会を通して、現在、世界の軍
人キリスト者会の会長である李(Lee Pil Sup)将軍や、
テモテ会を創設された権(Kwon Tae Whan)大佐にお
目にかかることができたことは、本当に主の恵みであ
ると思っています。
この証しは、2009年 2月28日テモテ会(韓国軍人クリスチャンと
の信仰の交わり会)で話したものに一部加筆したものです。

平 和 と 軍 備
西 澤 邦 輔

五歳年長の兄が、東大法学部在学中に学徒出陣で海
軍航空隊の予備学生となり、終戦二ヶ月前に比島で切
り込み戦死したことは、私の齢と共に深まる悲しみで
ある。
しかし、だからと言って、戦争絶対反対を叫ぶ気に
はならないし、そうすることが兄に対する供養である
とも思えない。先の見えない戦争に命を賭けた世代で
あるせいか、敗戦と共に国民最大のスローガンとなっ
た「平和」にはなぜか違和感を覚える。
(一、正義)
戦争の悲惨が語られる場合、その多くは敗北を嘗め
たがゆえの悲惨である。それゆえ、悲惨であるから戦
争に反対という論理には、もし勝者になっていればど
う考えたであろうかと想像しないではいられないもの
がある。
負ける戦争をしたのがけしからんという主張もよく
聞かれる。裏返して言えば、勝つ戦争なら必ずしもけ
しからんわけではないということになる。要するに、
正義の問題が無視されている。正義が辛うじて問題に
されるのは専ら、正義を問題にするから戦争が絶えな
いという否定的な面だけである。
戦争が最大の悲惨であるかのごとく思うのは、そ
れがもたらす悲惨の量的大きさに目を奪われるからで
ある。ところが、悲しいかな、人の世には、戦争の悲
惨よりももっと深刻な悲惨があって、それを除くため
には戦争の悲惨が避けられないということがありうる。
例えば、人権が剥奪された奴隷状態の社会、或いは、
集団が集団に対する侵略行動、等々。
(二、覚悟)
しばしば、戦争絶対反対論は単純に軍備不要論とな
り、無軍備こそ平和の大前提であるかのごとく主張さ
れるが、無軍備は、自国から仕掛ける戦争を不可能に
しても、他国から仕掛けられる戦争を不可能にはしな
い。却って、力の真空状態を作って、これが外からの
侵入を誘発する。その誘惑に負けない強国は歴史的に
は稀であろう。そうして、無軍備国は
戦争になる前の段階で早くも他国の意志に振り
回されて、戦争による犠牲に優る犠牲に甘んじ
なければならなくなることすらある。
そのような犠牲の可能性を承知した上での絶対無抵
抗を主張するのであれば、国民にそれを納得させ覚悟
させなければならない。それなしに、無軍備であれば
犠牲のない絶対平和が今にもありうるかの如く期待さ
せるならば、それは次世代に対する無責任と言わざる
をえない。
(三、責任)
国際的正義実現を使命とする世界軍があれば、自国
の平和と安全を確保するために自国の国防軍を持つ必
要はないという暗黙の期待があるのではないか。
そもそもそんな世界軍があるとしても、その兵士と
は、天から地上に降り落ちた不死身の天使の軍勢であ
るはずはなく、あくまでも地上の現実の諸国民で構成
される犠牲覚悟の連合軍であらざるをえない。そのよ
うな共同責任社会にあって、自国防衛のための可能な
限りの努力をせず、いわんや世界の正義社会実現に献
身する意志もなく、ただ保護される立場ばかりを主張
するとすれば、それは国家の品格として問題であるば
かりか、そのような責任逃れの平和に確かな持続性が
あるとは思われない。
(四、軍備)
兵器は凶器であるが、だからと言ってこれを全く拒否
するわけにいかないのは、包丁を、凶器になるからと
言って、使用禁止にするわけにいかないのと同様であ
る。また、兵器は凶器であるから、できるだけ実用し
ないのが理想であるが、だからといって、持ち腐れに
なるなら初めからないがましということにはならない。
一流剣士は、生涯一剣を磨いたればこそ生涯一人をも
殺さずにすむのである。
つまり、戦争を近づける軍備もあれば、戦争を遠ざ
ける軍備もある。戦争を遠ざけて不発に終らせる軍備
こそ、恐れられもせず侮られもしない品格を国家に与
え、世界に平和への一歩を踏み出させる軍備である。
戦争か平和かは、単純な二者択一ではない。平和を
遠ざける戦争もあれば、平和を近づける戦争もある。
戦争を近づける平和もあれば、戦争を遠ざける平和
もある。一挙に満点の平和を実らせることはできない。
平和を近づける戦争と、戦争を遠ざける平和とが、繰
り返されて、徐々に時間をかけて平和は実るのである。
(五、原爆)
超大威力の原爆を持たない軍備は無力無意味である
という解釈から、一方で軍備不要論があり、他方で原
爆必携論がある。しかし、無軍備は侮りを招き原爆保
有は恐れを招く。いずれも平和を近づける道ではなく
遠ざける道である。
結果的に勝者なき原爆戦の可能性を前にしては、原
爆を持たないがゆえに見舞われるかもしれない被爆と
いう究極の悲惨を、国民共に十分認識し覚悟した上で、
敢えて原爆を持とうとしない意志を貫くより他に道は
ない。原爆は持たないことに平和貢献の意味がある。
「海軍兵学校102分隊会報」18号(2008年11月)か
ら転載 (日本キリスト教団(高知県)安芸教会員)

ブラジルアリアンサの地より〔伝道年誌〕
会員 下桑谷浩牧師

「すると御使いが言った。怖がることはない。マリア
あなたは神から恵みを受けたのです。御覧なさい。あ
なたは身ごもって、男の子を産みます。名をイエスと
つけなさい。」 ルカ1:30-31
今年も〔08年〕も残すところわずかと為りました
(09.3.31受領、約4ヶ月の遠路)
こちらは暑さ〔日中40℃〕と雨季とサマータイム
のなかにありますが、守られて12月に踏み込むこと
ができました。ここに皆様のお祈りと励ましとご支援
とを、心より深く感謝申し上げる次第です。
過ぎし1年を振り返りますと、
84年前、約700家族〔うちクリスチャン100余
名〕が送り込まれ、「コーヒーよりも人を作れ」との標
語のもと、乳と蜜との流れる里の建設を目指して、原
始林に開拓の斧が入れられました。開拓史にその名を
止めています。しかしそれは入植時のことで、長い世
俗の波に洗われ、その面影はありません。さらに一世
が去り、殆どの若者がサンパウロや日本に流出し、少
子高齢化が進みつつあり過度の状態にあります。その
ため積荷〔働き〕を減らし教会暦行事を軸に礼拝、日
曜学校,早天祈祷会、聖研〔ハーベストタイムのマン
スリービデオ、P・D・Sテキストなどを用いて〕な
どを行いながら航海を続けておるところです。さらに
船内〔教会〕で3名の方の葬儀、10名の方の召天者
記念会を行いました。地域的には、移民100周年記
念祭、入植祭,先没者慰霊祭、落成式等のミサ〔礼拝〕
を行いました。他方,全盛時に増改築した建物を含め、
段々畑のような1600坪の敷地の清掃、整備も大き
な仕事のひとつで『陣営を清くしなさい』とのお言葉
に従い、毎週の「奉仕日」を設けて維持管理に勤めて
います。アカデミー「アドラムの家」の建設について
10有余年の祈りの末、移住組合の所有地の一部を借
りる方向で「書類提出」にこぎつけました。あとは理
事会での審査と株主総会での議決によって借りること
ができます。しかしそれまでにはまだまだ祈っていか
なければならない課題があります。なお「地域に根ざ
した教会を」との要望に答えるため、アカデミー内に
「大草原の小さな家」のような教会を作りたいと、ビ
デオテープを購入し、研究、検討を重ねているところ
です。もうひとつは『聖書と農業』を取り上げ学んで
います。そのひとつが「ミレーのアンジェラスの鐘」 ―その一;教会の鐘を合図に夫婦の百姓が祈っている。
私達も一日の仕事の終わりに、その歓びを神様に
感謝を捧げましょう。 ―その二;ミレーの絵が有名になったのは、百姓を愛
し、キリストの心を心として画いたからです。私
達も生産者、消費者の立場を考えることは当然で
すが、神の視点に立ちキリストの心を心として、
牛を育て果樹を作りましょう。
と、このようなことを勉強しています。
さらに後には『イスラエルの農業』を取り上げる予
定でいます。
なお、残る12月、第三アリアンサ〔富山村〕、弓場農
場、そして教会でのクリスマス行事を予定しています。
これらがこの1年のささやかな働きです。とにかく
船を目指す港〔アカデミー〕に着けなければ為りませ
ん。老朽した船〔教会〕老いた船員〔教会員〕を接岸、
上陸させるためには、波が高く、困難が伴います。無
事に着けるように更なるご加護をお祈りください。
よきクリスマス、よき新年をお迎えられますように主
にありて祈りつつ、御礼と報告まで。
2008年12月
追伸 私 個人的には75歳の老兵、時には針、マッ
サージ、トレーニングに労働を加えての日々です。女
医さん曰く、「骨が磨り減っています」とカルシゥムを
飲まされています。 とにかく不思議に生かされてい
ます。こちらは晴れると40℃位暑くなり、パイナッ
プルなど果物が早く熟れだし大変です。いつも皆に`食
べに来て・・・ ‘と叫んでいます。でも遠過ぎて残念で
す。
IGREJA EVANGELICA ALIANCA
REV HIROSHI SHIMOKUWAYA
C、P.543-PRIMEIRA ALIANSA
16800-973-MIRANDOPOLIS-SP-BRASIL
FONE/FAX(18)3708-1265

献金感謝(2008.12.1-2009.3.31)

いつもコルネリオ会を覚えていただき感謝致します。
松山曉賢、今市宗雄、中野久永・しのぶ、玉井佐源太、
武宮啓夫、矢田部稔、伊澤薫、河内俊介、郷家一二三、
加瀬信吾、谷岡博志、圓林栄喜・さゆり、飯塚正実、
加瀬典文、山下和雄、原和誠、井坂玲子
会(JMCF) コルネリオ
(防衛関係キリスト者の会)
コルネリオ会広報室
〒166-0003 東京都杉並区高円寺南5-33-8 2-33
電子メール:hidenobu-sayuri_enrin1211@y3.dion.ne.jp
郵便振込口座00130-3-87577コルネリオ会
コルネリオ会ホームページ:
http://jmcf.s302.xrea.com/indexeng.html

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