ニュースレターNo.124(2010 年8月)

聖 な る 人
会員 片山 進悟

アロンとその子らは、その肉と籠に入れてあるパンを
臨在の幕屋の入り口で食べる。彼らは、彼らを祭司職に
任命し、聖別するための贖いに用いられたものを、食べ
る。他の者は食べてはならない。これらは聖なる物であ
る。もし、任職用の肉またはパンが、朝まで残ったなら、
その残りは火で焼く。食べてはならない。これは聖なる
物である。(出エジプト29:32~34)
今日は聖ということについて考えて見たいと思います。
キリストを信じる人達を弾圧しようと意気込んでダ
マスコに向かう途中、キリストに出会って、その余り
にも強烈な光で目が見えなくなってしまったパウロの
もとに、神がアナニヤを遣わそうとされた時、「アナニ
ヤはこう答えた。『主よ。私は多くの人々から、この人
がエルサレムで、あなたの聖徒達にどんなにひどいこ
とをしたかを聞きました。」」(使徒9:13)
このように聖書には聖徒という言葉が何度か出てき
ます。聖なる人達という意味ですが、新約時代で言え
ば、クリスチャンのことを言っているだけです。そう
すると、私も聖徒の一人ということになり、自分を省
みて、何となく居心地が悪くなってしまいます。
そこで聖徒と言われている人はどんな人のことを言
うのだろうか。聖なる人とはどんな人だろうかと考え
てみると、旧約聖書にも聖徒という言葉は使われてい
て、その中に答えがありました。
「私の聖徒達を私の所に集めよ。いけにえにより、
私の契約を結んだ者達を。」
この詩篇50:5は、聖徒とはどういう人のことで
あるかを明確に告げています。聖徒とは、いけにえの
血を通して神と契約を結んだ人のことです。
イスラエルがエジプトを出てきた時、モーセは「契
約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、『私達は
主が語られたことを全て行い、守ります』と言うと、
モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、こ
れは主がこれらの言葉に基づいてあなた達と結ばれた
契約の血である。」(出エジプト24:7~8)
この時、イスラエルの民は、いけにえの血を通して
神と契約を結び、神の民になりました。それは神の所
有になったということです。最初に挙げた出エジプト
29で神が「聖なる物」と言われたのも、御自身の物
だから、人が私物化してはならないということです。
人間なのに所有と言うと誤解を受けそうですが、こ
の契約を神は結婚に例えられることを知れば、多少違
った感じがすると思います。結婚について神は、「男は
父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記
2:24)と言われます。夫は妻に属し、妻は夫に属
すから、言ってみればお互いに所有の関係にあるとい
うことです。
神は、絶対的に聖なる方です。その聖なる神の所有
になるということは、その瞬間に、例えば火で焼いた
ように、あるいは物凄い電撃が走るようにして、一瞬
にして混じり気や汚れた部分が消えてしまい、聖いも
のになってしまうとみなされるのです。
でも実際、この世にある間、人間は聖くはなれませ
ん。日々、色々な俗な事柄を扱い、接していかなけれ
ばなりませんから。
しかし、実体はどうであれ、神との契約関係にある
人は聖なる人なのです。
それは地位と状態ということを考えると分かりやす
いと思います。神との契約関係に入った時、その瞬間
に、その人は神の子になります。ところが、実態は今
までと変わらない、俗な部分の多くある人のままです。
つまり状態は少しも聖ではないのだけど、聖なる人と
いう地位、身分を受けるので、聖徒と呼ばれるわけで
そういう人に向かって神は、「私はあなた方の神、主
であるからだ。あなた方は自分の身を聖別し、聖なる
者となりなさい。私が聖であるから。私は、あなた方
の神となるために、あなた方をエジプトの地から導き
出した主であるから。あなた方は聖なる者となりなさ
い。私が聖であるから」(レビ記11:44~45)と、
御自身との契約関係に入った人達に聖なる者になるよ
うにと言われます。
これは何も旧約だけのことではありません。「キリ
ストに対するこの望みをいだく者は皆、キリストが清
くあられるように、自分を清くします」(1ヨハネ3:
3)と、新約でも日々清くなるように努めなさいと教
えている。
聖なる者になったから契約に入れられるのではなく、
契約に入れられたのだから、聖なる者になりなさいと
言われています。救いは努力によって得られるもので
はないことを、もう一度確認しておきたいと思います。

AMCFアジア大会の恵み
会員 圓林 栄喜

2010年AMCFアジア大会が近づいて来ていま
す。私は1995年、2002年の大会に参加しまし
た。アジア諸国の軍人クリスチャンの方々との信仰に
関わる交流がもてましてことは、私にとって信仰上の
非常におおきな励みでありました。今回は、アジア大
会で与えられた恵みをいくつか紹介したいと思います。
1 各国の信仰者の状況がわかる
日頃、クリスチャンとして生活する中でどうして
も日本のことばかり耳にすることになりますが、ア
ジア大会に参加することでそれぞれの国の特性、キ
リスト者の置かれている立場、ビジョンなどを知る
ことができます。
韓国のようにクリスチャンの割合の多い国もあれ
ば、日本のようにクリスチャンの割合の少ない国も
あります。
しかしそれぞれの国の中でクリスチャンとして信
仰の証をしつつ、歩んでいる兄弟姉妹の状況を知る
とてもよい機会であります。各国の宣教師の方々が
でそれぞれの教会で宣教報告される機会はあると思
いますが、同時期に10カ国近い国々のキリスト者
の状況を現地の方々から直接話を聞く機会はなかな
かないと思います。
是非、参加して聴かれることをおすすめします。
2 軍人キリスト者としての祈りの課題が与えられる
ある種特別な立場にある軍人(極めて高い倫理観
と規律が求められるべき組織であると認識していま
す。)の兄弟姉妹が置かれている状況を理解し、祈り
の課題として祈っていくことはクリスチャンとして
本当に重要なことであると思います。
AMCF(※1)、ACCTS(※2)のように軍
人クリスチャンの各国の状況を紹介しつつ祈りの課
題を提供してくれる組織もありますので、祈りに覚
えたい方々はぜひ参加することをおすすめします。
3 信仰の友が与えられる
この大会を通じ、私にはBrianという友人が
与えられました。彼は米軍士官でしたが、現在は退
役しある国の医療宣教の働きに加わっています。
イスラム教国の中で身の危険を顧みず働いている
宣教師の友から送られてくるニュースレター等を読
み、祈りに覚え、家族ぐるみの交流を続けています。
一人で何でもできるわけではありません。今置か
れている立場で我々が何ができるのかを考えた時、
まずは情報を得ること、そして自分にできることを
はじめることが大切だと思います。
祈りの友、アジア地域の信仰の友を与えてほしい
と思う方々は参加することをお勧めします。
アジア大会を通じて与えられる恵みは他にもさま
ざまであると思いますが、百聞は一見に如かずです。
ぜひ皆さんも参加され、多くの恵みを受けていただ
きたいと願います。
※1 AMCF http://www.amcf-int.org/
※2 ACCTS http://www.accts.org/
献金感謝(2010.4.1-2010.7.20)
いつもコルネリオ会を覚えていただき感謝致します。
今井健次、石川信隆、倉松功、今市宗雄・敬子、
下桑谷玲子、吉田靖、大畠之成、岡村紀子、
矢田部稔・和子、片山信悟、伊藤忠臣、谷岡博志、
廣田具之
アジア大会の必要が満たされますよう引き続きお祈
りとご支援をお願いいたします。

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