2010軍人キリスト者会東アジア大会を終えて
コルネリオ会会長 今市 宗雄
本大会は、振返ると全て御手の中にあって、主から
の恵みの連続であったことを覚えさせられる。
事の始まりは、台湾での2007アジア大会時に日
本担当の予定が告げられ、翌早朝からベッドで三人の
兄弟との相談も過熱して隣室から壁を叩かれた程であ
った。帰路は、成田空港から真っ先に本大会を実施す
ることになるマロウドホテルへ直行し、規模に応じる
見積りを依頼した。このホテルは、予ねてホーリネス
千葉県聖会で毎年世話になっていた。大会開催の日本
受託は、韓国から70名と台湾から40名の参加を前
提として、2ヶ月後に決定してAMCF本部へ報告した。
しかしながら、間もなく参加者が所期に満たない懸
念が海外からも漂い始めた。その理由は、予定会場が
東京から遠く離れていることと各国とも不況の最中に
あることであった。
そこで対案として、国立オリンピック記念青少年総
合センター(代々木)を追求し、いよいよ申し込み開
始直前の2009年10月末を迎えた。一方、このこ
ろ平行して課題にされていたのが、中央アジアからの
会員の招聘についてであった。こうした中で時を同じ
くして重要会議が、同センターで持たれる運びとなっ
た。参集者は、AMCF側からリー東アジア会長、
ACCTSのリックさんとコルネリオ会役員である。
本会議での決定事項は、大会会場をマロウドホテル成
田とすることと中央アジア招聘に伴う関係各国間の責
任分担が明確にされた。この時が、準備に当たっての
ターニングポイントであり且つ再出発点にもなり大き
な弾みが与えられた。
次なる恵みは、有力な奉仕者が与えられたことであ
る。私と妻は、この春に牛久市の恵泉キリスト教会み
どり野チャペルに転教会をしていた。そこでの間もな
くのプレゼントは、主任牧師が大会の講師へ、続いて
奏楽の姉妹、韓国語・中国語・英語の同時通訳の宣教
師と兄弟が次々と与えられた。また、主任牧師の大喜
多正洋師は、大会計画の当初から総司会を御願いし且
つ私に洗礼を授けて下さった尾山謙仁牧師と親友でも
あられた。
こうして段取りが逐次整えられて行く中でも、2010
年度コルネリオ会活動計画では参加者が所期に満たない場
合は大会中止をも明示し、祈りつつのひた向きな調整作業
が続けられた。
こうした時、準備間の最終カンフルは大口献金と石川
兄の大会手引書等の献身的な作成であった。この作業の
調整間にシュミレーションが十分なされ数少ない基幹要
員の総力が一定方向に集中できたことは大変感謝なこと
であった。
実施間は、各所掌に委ねまた助け合い、そして参加
者の霊性が日々盛り上がりを見せ主の栄光を仰ぎ見る
恵みの時となった。特に、開催間の自衛隊宣教会の働
きには活力を与えられた。
喜びと感謝に溢れた兄弟・姉妹方の姿が、今でも眼
に浮かぶ・・・・。
いよいよ、この恵みによって強くたち(テモテⅡ2:1)
沖へ漕ぎ出す重荷を覚える今日である。
2010軍人キリスト者会東アジア大会成果報告
会員 圓林 栄喜
1 はじめに
2010年9月2日(木)から4日(土)までの
間、マロウドインターナショナルホテル成田にて実
施された2010年軍人キリスト者会東アジア大会
は盛会のうちに終了しました。
大会は特段のトラブルもなく、また時間の大幅な
遅れもなく整斉と進行することができました。参加
者全員が主の前に終始謙遜かつ協力的であったこと
に他ならないと思います。
また、開催準備間そして開催間多くの兄弟姉妹か
らの尊い祈り、支援、献金をいただいたおかげであ
り心から感謝申しあげます。今回の大会成果を主要
なプログラムから省みたいと思います。
2 参加者数
国名 参加者数 国名 参加者数
日本 55 米国 4
韓国 33 台湾 17
モンゴル 2 中国 1
キルギスタン 1 カザフスタン 2
8カ国 参加者総計 115名
今回、初めてキルギスタンとカザフスタンから参
加があったが、世界会長と東アジア会長が中央アジ
ア会員の招聘に留意されていたことを付記しておく。
3 礼拝・講演
開会礼拝 大喜多正洋 牧師
聖書講演 山北宣久 牧師
派遣礼拝 徳梅陽介 牧師
それぞれの牧師から、大会テーマ「沖へ出でよ」
に係るメッセージをいただいた。(聖書講演のメッ
セージ要約を掲載)
講師の方々の尊い奉仕に感謝申しあげる。
特に、山北宣久牧師からはAMCF会員はパウロ同様
に他のために血を流す人であるとの励ましを受けた。
4 各国報告
日本、韓国、台湾、中国、モンゴル、キルギスタン、
カザフスタンの各国と韓国人留学生を中心に日本で活
動しているテモテ会がそれぞれの国の軍人キリスト者、
クリスチャンの活動状況等を報告した。
キルギスタン、カザフスタンの兄弟によるロシア語の
アメイジング・グレイスは印象的で素晴らしかった。
また、中国牧師の証しを通して、中国でのリバイバ
ルが興りつつある様子を知ることができた。
5 歓迎夕食会
各国を歓迎し夕食会を実施した。その際、長橋晴子姉、
今井潤子姉によるピアノとファゴットの特別賛美が演
奏され参加者皆癒された。その後、全員で写真撮影を実
施した。
6 グループ討議
「沖へ出でよ」ルカ5:4をテーマに任務・仕事、家
庭生活、福音伝道の3グループに別れ、それぞれのグル
ープごとに互いに体験談を証し合い、リーダーの選定し
た代表者が証を実施した。それぞれの証に参加者一同励
まされた。
7 見学会
参加者はつくば宇宙センターとクリスタルガラス
の見学グループに分かれて見学会を実施し、その後
つくばイオンショッピングセンターで買物・夕食を
楽しんだ。
8 自衛隊宣教会
2夜にわたり、自衛隊宣教会による特別賛美、証、
メッセージが行なわれた。自衛隊宣教会が精一杯の
奉仕をして下さった。
講師をはじめ奉仕してくださった兄弟姉妹に感謝
申しあげる。
特別賛美 マハナイム賛美チーム
2日(木) 朴 昌允 牧師
3日(金) 深谷春男 牧師
9 証
矢田部稔・和子夫妻、下桑谷宣教師からそれぞれ
コルネリオ会にまつわる証、ブラジル宣教にまつわ
る証をいただき、長年にわたり奉仕献身された矢田
部夫妻と下桑谷宣教師の歩みを辿ることができた。
10 閉会式
矢田部稔コルネリオ会名誉会長、下桑谷ブラジル
宣教師に対しAMCF会長から感謝状が贈呈された。
また、今後の東アジア地区のAMCFの大会等の予定
についてAMCF東アジア会長からアナウンスがあっ
た。
年 内容 開催国
2011 Interaction モンゴル
2012 Interaction 台湾
2013 東アジア大会 韓国
2014 世界大会
2015 Interaction 日本
2016 東アジア大会 台湾
2017 Interaction モンゴル
2018 Interaction 韓国
2019 東アジア大会 日本
11 送別昼食会・見送り・ホームステイ
送別昼食会を実施した。石川信隆コルネリオ会前
会長が送別の挨拶を実施し、昼食会の後、満面の笑み
で帰国につく友の姿を見送り、アジア大会の全プログ
ラムを終了した。
その後、キリギスタン、カザフスタンの兄弟の国
内観光等は在京のACCTS会員Rick夫妻がホーム・ス
テイを含めて対応していただいた。
12 会計報告
1 収入 一般会計から繰越 \1,853,650
参加費(注1) \2,103,240
東アジア大会への献金(注2) \377,890
合計 \4,334,780
2 支出 ホテルへの支払(注3) \2,474,050
講師謝礼・奉仕者謝礼(注4) \620,000
中央アジア参加国旅費 \146,860
中央アジア参加国接遇 \100,000
事務通信費(注5) \312,100
茶菓代 \596
一般会計へ繰入れ \681,174
合計 \4,334,780
注1:金額に端数があるのは郵便振込払いの場合手数料が引かれているため
注2:東アジア指定献金、東アジア大会時の席上献金を含む
注3:宿泊代等\1,359,400、会食代等\1,114650の合計
注4:講師3人、奉仕者6人及び自衛隊宣教会講師分
注5:通信機レンタル料、通訳機返送料、名札代、印刷代、額縁代等
13 その他
コルネリオ会役員9名が夫々の務めを果たせたこ
と、各講師そして司会・賛美・奏楽・通訳を与えて
頂いたことを改めて神に感謝する。
さらに、ホテル担当者の積極的な協力があったこ
とも付記しておく。
沖へ出でよ!(要約)
山北宣久牧師(日本基督教団総会議長)
この会場に来て主にある同志であることを実感する。
戦友は絆が最も強い。AMCFの人々は主にある信頼と
絆を実感できるのだと思う。イエス・キリストは三流
の人であった。私達のために涙を流し、汗を流し、血
を流してくださる。パウロの生涯もそうであった。A
MCFの方々は命をかけて他人を守り、血も流す方々
でもある。
漁師シモンは夕方から働き出して一晩中働いて漁を
し、朝を迎えるのを常としていた。しかしその朝は、
夜昼取り違えた健闘も虚しく、魚一匹網にかからない。
徒労とシラケた思いが疲労感を増すばかり。朝が明け
染めようとしているのに、光に背を向けて空しい夜の
業の後始末をしていた。
そのシモンに主イエスが近づいて舟を貸してくれと
いう。押し寄せた群衆を裁き切れず、舟を説教壇にし
て人々に語るためであった。
「こっちは疲れているんだョ、早く帰って眠りたい
んだ。もういい加減終えてくれないかナー。」
話がようやく終り人波も引き、ヤレヤレと思ってい
るところに、イエスのとんでもない言葉が飛び込んで
きた。「沖へ漕ぎ出し、網をおろして漁をしてみなさ
い」
「オイオイ何言っているんだ、私たちは漁師なの、い
くら偉い先生とは言え大工の子に漁のことは分かるは
ずないでしょ。大体こんなに明るくなって魚が底に沈
んでしまっている。餌のある浅瀬ならともかく沖へ出
て網をおろせなんていうこと自体無知をさらけ出して
いる。付き合っていられないゼ」という思いは想像に
難くない。
ところが、イエスの言葉には何か従わざるを得ない
ものがあった。朝になってから沖へ漕ぎ出すのは無駄、
無意味、徒労であることを良く知っているシモンであ
った。しかしそうしたシモンに迫ってくる圧倒的な主
イエスの言葉に彼は応答して言った。「先生、私たちは
夜通し働きましたが何も取れませんでした。しかし、
お言葉ですから網をおろしてみましょう。
夜通し働きましたが、何も取れませんでした。何を
やっても無駄です。少なくとも今日はダメです。無駄
に、無益に、無意味、無理、無謀、無軌道というもの
です。というところをシモンは「しかし、お言葉です
から網をおろしてみましょう。」と大いなる<しかし>
を発したのである。
この<しかし>は、自分の経験を絶対とする生き方
から離れることを意味した。経験それは尊いものでは
ある。しかし、この経験を絶対化し、振り回すとなる
と自分に対しては自信過剰となり、人に対しては押し
付けがましく過干渉になりやすい。「人それぞれなの
に自分の経験からして絶対に~だからやってごらん」
などと強制する。そして「無理させて無理をするなと
無理をいう」ということになりかねない。
作家サマセット・モームは面白い言い方をした。「私
には確信の持てることが一つだけある。それは人が確
信を持てることなど本当に少ないということだ。」確信
を持てることなど本当に少ないということだけは確信
を持って言えるというのだが、そうだろうと思う。
人間は不確かさの中を求めつつ生きるのだ。しかし、
自分の経験や知識、判断を確実なものとして行動して
いくうちに観念が硬直し、新鮮な見方ができず、感謝
や喜びを味わえなくなっていく。
ペテロは、「夜通し働きましたが、何も取れませんで
した。」と言って自分の経験に照らして今日はダメだと
訴えている。「しかし、お言葉ですから網をおろしてみ
ましょう」といって自分の経験より主の言葉を優先さ
せた。
<しかし、お言葉ですから>これは、方向転換を示
す言葉である。
今まで私は、私の知見、私の経験、私の計画、そうし
たものの上に立ってきました。しかし、今はそれをや
めてあなたのお言葉の上へと立つところを変えてみま
す、という意味である。
夜通し働いたのに、一匹の魚も取れず疲れ切って網
を洗っている。考えてみれば、これは人生の縮図では
ないのか。一生懸命やっても実を結ばず、苦労は徒労
と疲労のみを生み、報われることがない。希望は失望
に、願望は絶望へと変わっていく。それが人間の現実
ではないかと思う。
しかし、そこにこそ主イエスは近づき「沖へ漕ぎだ
し網をおろして漁をしてみなさい」と言われる。徒労
を越えて新しい歩みを今一度踏み行かせようとされる。
人間の徒労、虚無、そこにみ言葉が切り込んでくる。
この切り込んでくる主の言葉の上に立ってもう一度挑
戦してみようとする決断と冒険、それが信仰である。
「沖へ漕ぎ出せ」これまた象徴的な言葉である。他
の福音書では「深みへ乗り出せ」となっている。沖、
深み、それは危険な場所である。浅瀬と違って自分の
足で立つことができない。今までの経験、さらには自
分の惨めさと無力を知らされる所、それまでの自分の
歩みをもう一度顧み、問い直させられる場所として、
沖へ漕ぎだし、深みに乗り出す。シモンはそこでこそ
イエスと出会い、自分を再発見させられる。
「しかし、お言葉ですから網をおろしてみましょう」
主イエスの言葉の上に立った時、シモンは主客転倒を
経験した。主であると思っていた自分、客であると思
っていたイエスが入れ替わる。まさに主客転倒が起こ
る。その時、シモンはイエスをもう「先生」とは言わ
なかった。「主よ」と告白する。イエスに捉えられた逃
げ隠れできない自分を再発見させられる。
徒労に終わるかに見える人生、無駄に窮まるかに思
える人間のわざ、それを主イエスが十字架と復活の恵
みをもたらして下さる。獲れたのは魚ではなくシモン
自身であった。
徒労の現実の中でこそ、み言葉により鍛えられ、自
分を再発見されつつ新しい現実へと導かれていく。私
たちを赦し、執り成し、再創造したもう十字架と復活
の確かさにあって、第1コリント15章ではこう勧める。
「だから愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、
いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっ
てはあなた方の労苦がムダになることはないとあなた
方は知っているからである。」
この世は無駄なく、無理なく、ムラなく物事をやり
最大の効率を上げることを旨とする。シモンはそんな
ことやっても無駄だ、もう一度網をおろすなんて徒労
に終わるに決まっているという思いがひっくり返され
て主イエスに出会った。以来、効率第一でなく、無駄
とも思えることを主のために平気でやれる人間になっ
ていく。徒労を越えて逞しく生きる者とされる。それ
は主にあっては労苦がムダになることはないというと
いうことを知らされたからであろう。
最後に一つのことに触れて終ろう。沢山の魚が獲れ
たので、「もう一艘の舟にいた仲間に加勢に来るよう
に合図をした」という言葉である。
英語では、He motioned to his partner となっている。
合図はmotionとされている。Motionは言葉の違い、人
種の違いを越えて伝わる。
今日の世界に欠けているのは、この合図である。心
と心を結ぶ合図、恵みと喜びを分かち合うとする
Motion、これが足らない。「でもお言葉ですから」と言
って、徒労を越えて沖へ漕ぎだし、恵みに与り、それ
を分かち合う合図Motionを発していく、私たちに求め
られている一点を深く示される。
EA 軍人クリスチャン大会に参加して
宮崎健男牧師
各国の国防に携わっている方々の中から、主が永遠
の御国の建設の為に召しだされた方々が、階級組織の
中にあっても,その階級を超えて、仕え合う美しさ、
軍人らしい時間の正確さと、集会の密度の濃さ、各国
が身につけている生活習慣の機敏さなどを感じ取り、
流石だと思わされました。
各国報告の中では、特に韓国の軍人クリスチャンた
ちが、国民の総福音化のために軍隊内で目標を定めて、
計画的に祈り、集会活動を組織し、実践している報告
を聞いて,正に、主と共にある軍隊だなと驚嘆しまし
た。
本大会において、世界や、東アジアの組織の長をお
招きでき、そのビジョンを共有すると共に、モンゴル
や初めてカザフスタンやキルギスタンの軍関係者の
方々をお招きでき、お交わりのうちによき研修ができ
たことは、彼らにとって大きなチャレンジであり、今
後の発展への第一歩だと信じます。
またクリスチャンとして定評のある台湾と共に中国
の地下教会の現状を報告された方もあり、今後の発展
が注目されます。
日本のコルネリオ会が、少数精鋭で一丸となって、
この様な大会の開催に貢献された労苦は如何ばかりだ
ったかと推察します。主が豊かにお報い下さいますよ
うに。国際社会にあって、真のリーダシップを見失い
つつある祖国日本にあって、今は少人数とはいえ、日
本のコルネリオ会の中にあって、今日まで主の御前に
忠実に主に仕えてこられた諸先輩と共に、主が加えて
おられる若い世代の諸兄姉たちが主の大庭でますます
用いられますようにお祈りいたします。
(編集子)
今回の大会において様々な形で支援してくださった皆様に改め
て感謝申しあげます。引き続き防衛関係キリスト者が主にある証
をしつつ歩めるようお祈りをお願い申しあげます。