アルゼンチン宣教(その3)
コルネリオ会 会員 圓林 栄喜
在原宣教師が、アルゼンチン宣教に導かれるまで
の神様の働きについて、在原宣教師の証を前回に引
き続き紹介します。
4 アルゼンチン宣教準備期(日本での神の導き その
2)
また、次のような主のことばが私にありました。
「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを
知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、
あなたを国々への預言者として定めていた。」(エ
レミヤ1章4,5節)
1987年のその日、アルゼンチン宣教の扉が開
かれた私たち家族は、年末までに衣類と書籍以外の
ものをすべて処分し、渡航前にJICA(国際協力事業
団)から指定されていた「海外移住センター(横浜
市根岸)」に入り、ここで10日間の研修を受けるこ
とになりました。1月10日だったと思います。当地
では「スペイン語」をはじめ、「日本人の移住史」、「文
化的適応」、「移住する現地の問題点」等々、かなり密
度の濃いカリキュラムだったと思います。移住者の
証言や現地の映像から南米移住の実際を見聞するこ
とで、意識はかなり変革されたと思います。良い意味
での緊張感を有し、現実に身構えることになりまし
た。移住者としての意識を高める時としてこの10
日間は極めて貴重な時を過ごすことになりました。
この時に受けた研修が、アルゼンチン渡航後に始ま
る、幾度かの逆境の壁を乗り越えることに役立ちま
した。研修期間をキリスト信仰の世界で言えば「力を
受けるまで、エルサレムにとどまっていなさい」とい
うところでしょうか。
すべての準備が整い、「いざ出陣」という出国の3日
前のこと、私の心に一人のクリスチャン姉妹(横浜
市在住)の思いがやってきたため、急きょ電話をす
ることになりました。この方は、元伝道者として仕え
ておられた方で、過ぐる4年間、私たちの宣教準備期
において、過分とも思える支援をしてくださった方
でした。「この方にお会いし、何としてもお礼を述べ
ねば」と、衝動に押されるように電話した私は、それ
まで示された数々のご配慮に対しお礼を述べるつも
りでいたのです。が、しかし、「主の栄光」だけのため
に生きることを宣言するこの姉妹は、私からの感謝
の言葉を一切受け付けることなく、開かれた「みこと
ば」をもって私を励まして下さるだけでした。いよい
よ「出発日」の前日のことでした。その姉妹から便箋
3枚の手紙が「移住センター」の私宛に送られてきた
のです。内容を簡単に言いますと、次のようなもので
した。
「在原師に対する私からの宣教支援について、御礼
など一切不要です。それは、今から約20年も前のこ
とでした。それは、御殿場で開かれた「夏季聖会」の3
日目の晩のことでした。その夜、聖会は聖霊様の激し
い油注ぎを受けて盛り上がり、定刻を過ぎても終え
ることなく続き、終盤に民たちは主の前にひざまず
き、祈りの会衆となっていたのです。その時です、半
分消灯した集会場の目の前に「幻」が現れ、その「幻」
の中に、「在原兄」がどこか他の国で「宣教活動」をし
ているというものだったのです。その夜の「幻」を通
し、あの兄弟(在原)は、いずれ「宣教師」として派遣
されることになるであろうことを、今日まで確信し
て来たのです。同じ「幻」は、集会場で隣に座っていた
妹も見ていたため、私たちは「在原兄イコール宣教
師」ということをいつも語り合ってきたのです。在原
兄に対する今日までの捧げものは神様の導きによる
ものです。当然のことをしたまでのことですから、個
人的にお礼を述べる必要はありません。」
「脳天をハンマーで叩かれるような衝撃」とはこの
ことを言うのでしょう。約20年前のその日とは、逆
算すれば、私が20歳前後のことになりましょう。当
時の私は大学入学を果たした直後で、教会生活は従
順だったと思いますが、信仰の「霊的レベル」はヨチ
ヨチ歩きの赤子程度ではなかったかと思います。将
来に「献身」する思いなど全くなく、まして「宣教師」
として海外で働くことすら思いの片隅にもありませ
んでした。自ら人格を見るならば「献身者」としての
資格すら感じないレベルの者だったのです。しかし、
そんな愚かな器に対しても、神様の私に対する「創造
の目的」は明確だったわけで、私の将来に対する御計
画は、永遠の昔から設定されていたことを知り、心は
感動で激しく震えたのです。「主の道を、主とともに
歩むことで、この戦いは必ず勝てる」。過ぐる4年半
にわたる訓練行程は、まさに「力を受けるまでエルサ
レムにとどまる時」で、それは、主から供えられたこ
とを確信することになりました。
(次回に続く)
2013年度総会報告
5月10日(土)、2014年度コルネリオ会総会を馬橋
キリスト教会の一室をお借りして実施しました。2013
年度の活動報告・会計報告と2014年度の活動計画・予
算計画及び役員人事の審議がありました。
また、2014年度の活動計画、役員人事、会計決算及び
予算は以下のようになっています。異議のある方は会
宛て1ヶ月以内に申し立ててください。
2014 年度コルネリオ会活動計画
1 方針
コルネリオ会は、主から与えられた使命を果すた
め、例会およびニュースレター等の活動を活性化し、
会員の霊的成長および国内外との連携を追求する。
このため、2014南アフリカ世界大会への参加と支援
を行う。 さらに2015Interaction Japan (軍人クリ
スチャンリーダー研修会,日本開催)を準備するとと
もに、特に現役会員の使命が達成されるように、毎夕
お互いに祈り合い、コルネリオ会の魅力化を図ると
ともに、新来訪者を歓迎する。
2 活動要領
(1) 例会
ア 例会は、原則として毎月第2土曜日に開催す
る。
イ 学び会は会員の霊的成長につながる集会とな
るようなプログラムとする。
また聖書の学びに加え、祈り会や在日米軍ク
リスチャン等との交流を実施し、特に現役会員
の使命が達成されるように、コルネリオ会の魅
力化を図る。
ウ 役員会は学び会前後に必要最小限の時間で実
施する。この際、霊的一致が図られるよう祈りの
時間を重視する。また必要があれば臨時役員会
を開催できるようにする。
エ 新来訪者を歓迎し、共に学び交わる環境を醸
成していく。
(2) 広 報
ア 会員の証しや学び会での恵み等、ニュースレ
ターの記事をさらに会員の霊的成長につなげる
内容に改善し、会員の会活動への参画意欲を醸
成して行く。
イ 中央からの情報発信だけでなく、地方でのコ
ルネリオ会活動(沖縄支部・関西支部・東北支
部)の情報提供にも心がける。
(3) 宣 教
ア ホームページを更に活かし、例会の状況、各国
AMCF等のホームページの日本語での紹介等
を実施して会員等が活用しやすいホームページ
作りに着意する。
イ 韓国軍人クリスチャンおよび防大生との交わ
りを継続し、信仰を深め励まし合う。
ウ 宣教団体との協力を継続し、会員の霊的成長
につながる情報を提供していく。
(4) 国外活動への参加と支援
ア AMCF(世界軍人キリスト者の会)及び
ACCTS(AMCFの教育支援機関)との連絡・調整
を維持し、相互の意思疎通を図る。
イ 2014世界大会の参加を会員に勧め、大会に必
要な支援を実施するとともに、2015
Interaction Japan の準備(規模・開催日時・
場所等)をする。
(5) 会 計
ア 世界大会への支援献金、活動の運営資金が備
えられるよう、ニュースレター等を通じて祈り
求めるとともに、支援者の獲得に努める。
イ 予算の効率的な使用に心がける。
ウ 2015 Interaction Japan の開催資金を備え
る。
役員人事
役職2014年度
会長石川信隆
副会長今市宗雄、中野久永
総務圓林栄喜、檜原菜都子
渉外中野久永、薮内隆志
広報圓林栄喜、芝 祐治、中村誠一(沖縄
支部)、松山暁賢(東北支部)
会計長濱貴志
監査伊藤忠臣、玉井佐源太
教職顧問金学根、井草晋一、徳梅陽介
名誉会長矢田部稔
2013年度決算
(2013.4.1~2014.3.31)
1 収入前年度繰越金\741,664
献金\434,000
利息\38
合計\1,175,702
2 支出講師・謝礼費\0
ニュースレター作成・発送費\79,360
新聞雑誌広告費\12,600
集会費・例会会議費\1,920
慶弔費\16,300
接待交際費\13,000
旅費交通費\0
事務通信費\20,890
雑費(振り込み手数料)\6,910
献金(国内教会・海外へ)\60,000
献金(世界大会へ)\200,000
小計\410,980
2012年度への繰越\764,722
合計\1,175,702
2014年度予算
(2014.4.1~2015.3.31)
1 収入前年度繰り越し\764,722
献金\500,000
利息\100
合計\1,264,822
2 支出講師等への謝礼・支援費\40,000
ニュースレター作成・発送費\90,000
新聞雑誌広告費\20,000
集会/例会費\10,000
慶弔費\20,000
接待交際費\5,000
旅費・交通費(国内・国外移動)\0
事務通信費\8,000
雑費(振り込み手数料)\7,500
献金(国内教会等へ)\30,000
世界大会参加費(3人分)\240,000
2015Interaction Japan 準備金\200,000
次年度への繰越\594,322
合計\1,264,822
058
みことばの支え
コルネリオ会 会員 宮下和之
5年ほど前、49歳の時に30年務めた自衛隊を退職、
以後、介護職員として現在に至っております。順調に
努めれば今年の1月に定年を迎えられたわけですが、
鬱病になり部隊のお荷物になったと感じた時、この
状態で良しとはできない自分がいたことに気づき、
退職を決意しました。
それまでに至る経緯を書きたいと思います。私は
45歳の時に人間関係の問題により鬱病を発症しまし
た。2年間新しい職場で勤務しましたが、その間、どの
ような人とかかわったのか、どのような仕事をして
いたのか、まったく記憶がありません。ただ毎日、自
分の気持ちと闘いながら勤務していたように思いま
す。
当然、家庭内でも、会話や笑い声もなく食事のあと
は、早々に布団の中にくるまり寝ているだけだった
ように思います。妻にも大きな負担をかけ苦しめま
した。わかっているけれども、どうしようもできない
自分がいて、いらだちと無気力と自己嫌悪に陥り、毎
日死ぬことや、この場から逃げる事ばかり考えてい
ました。聖書も読めず、祈ることもできず、ただ2週
間に一度、心療内科の帰りだけ、教会の礼拝に行くこ
とは出来ました。
すべての、趣味が中断した中でコーヒーを点てる
ことだけが残りました。おそらくその香りが、気分を
和らげたものと思います。ある日、接触事故をおこし、
トラブルに巻き込まれてしまいましたが、いつも取
り寄せているコーヒー店からコーヒーと合わせて、
店主の思いが込められたメッセセージカードが送ら
れて来ました。そのカードには「マタイの 福音書 6 章
25 節から 34 節(文語体)」が書かれていました。店
主はクリスチャンではありませんし、私が鬱である
ことや車の事故で苦しんでいることなど知るはずも
ありません。
神様が取り計らってくれたものと、確信をしてお
ります。
今でもそのメッセージカードは、聖書にはさんで
います。「神は、実に、そのひとり子をお与えになった
ほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひ
とりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つた
めである。」ヨハネの福音書3章16節。今考えると、
このみ言葉が隠されていたように思います。
やがて、転属となりました。鬱のままだったので使
い物にならず、休む事ばかり考えていました。さまざ
まな理由をつけて、休もうとしました。時には妻を病
気にしてまで。さすがに、親や兄弟を殺すことはしな
かったですが、上司はそんなことはお見通しで、取り
合ってくれません。一年後、どうにもこうにも、心が
いうことがきかなくなり、職場を逃げるように自衛
隊札幌病院に入院をしました。退院まで3か月かか
りました。入院中、回復プログラムを組まれていくう
ちに、冷静に物事を考えられるようになり、定年後は
このような仕事につけたらいいな。と何気なく思っ
ていました。退院後、色々調べていくうちに看護師は
無理かもしれないが、介護士ならなれるかもしれな
い。と定年後の人生の選択肢の一つに入れていまし
た。
とりあえず、元気になり、3か月後職場復帰を果た
し、さあやるぞ!と思っていましたが鬱を患って3
年間に自衛官としての体力、技術、力が全くなくなっ
ていることに気づかされたのです。そんなとき、妻が
急死しました。鬱から立ち直りこれから二人で生活
を立ち直らせよう、楽しもう、妻には苦労をかけたの
だから。と思っていましたが、妻は自分の役目を終え
4
妻の死後の荒れる生活の中で、今の妻が慰めてく
れた時、み言葉が与えられました。マタイの福音書 6
章 25 節から 34 節です。彼女とは静内の部隊にいた
時から、同じ教会で信仰をもっていましたし青年会
で交わりを持っていました。先の妻とも友人関係だ
ったことと、お互いに相談をしあっていたので、これ
までの事を受け止めてくれるとの確信もありました。
喪が明けた時、再婚をしました。
また、自衛官としての役目を果たせなくなってい
たこと、周りから馬鹿にされ、自分のプライドが傷つ
いていたこと、そして5年後、定年を迎えた時、元気
なままで入れるのだろうか?うつ病になっていない
だろうか?そのような不安がありました。どうした
らよいか、主に祈りました。そして、マタイの福音書 6
章 25 節から 34 節を与えられ、私は自衛隊を中途退
職しました。
さて、振りかえると人生において3回も同じみ言
葉が与えられているのです。しかも、それぞれの人生
の節目において。神様は何を言わんとしているので
しょう。たぶん、「心配事はたくさんあるけれど私を
信頼しなさい。お前に必ずついてあげるから。心配事
がたくさんあることは信仰が薄いこと。私を信頼せ
よ。まず、神の国とその義を求めよ。それらのものは
すべて与えられるから。」私は、そのように解釈して
います。
介護の世界に入って5年。介護福祉士になって1
年。まだまだ、半人前ではありますが、み言葉を胸に
収め今の妻と祈り合いみ言葉を分かち合いながら、
歩んでいきたいと思います。そして、この世の役目を
終えた時、主の前に立った時、「み顔をきちんと見ら
れるように」、そして胸を張り「自分のなすべき事を
してきましたと堂々と言えるように」なりたいと思
います。
(編集子)
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