ニュースレターNo.153(2020年4月)

矢田部稔名誉会長天国へ凱旋
コルネリオ会 会長 石川信隆

「見よ。わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ
行っても、私はあなたを守る。わたしは決してあなた
を見捨てない。」(創世記28:15)
2020 年3月9日(月)1030-1130日本キリスト教団柏教
会で矢田部稔コルネリオ会名誉会長(以下、矢田部兄と呼
ぶ)の葬儀が行われた。コルネリオ会からは、今市兄、加
瀬兄、芝兄、長濱兄と私の5名、また元モンゴル宣教師
の木島正敏先生も参加された。春原禎光牧師の司式によ
る聖霊に満たされた立派な葬儀であった。
矢田部兄は、1933年高知県で生まれ、小学5年生の時に
父親を亡くし、家族の中で父親代わりとなった。1953年防
衛大学校(当時保安大学校第1期生)へ入学。1955年防大
3年の時、横須賀の日本キリスト教団小川町教会で受洗。
防大卒業後、ラクビーで痛めた頭部の治療のため 1年間、
故郷の高知で過ごすが、その間も教会生活に専念したそう
である。その後、自衛隊に復帰、野戦特科部隊を中心に北
海道から九州まで各地を転勤、その先々の教会に出席し、
信仰を守り通した。出席した教会数は20以上にも上り、ク
リスチャン陸将補として1989年に退官され、2003年には瑞
宝小綬章を受賞された。
クリスチャン歴は、受洗後、1959 年5月23日コルネ
リオ会(当時日本 OCU, 会長吉江誠一元陸幕長)の発会式
(美竹教会)に参加され、コルネリオ会員として、一貫
してその人生を自衛官クリスチャンとして全うされた。
1986 年8月日本で初めての軍人クリスチャンアジア大
会(当時市ヶ谷会館)の開催にあたっては、今井健次会長
(元防大教授)のもとで副会長として補佐し、また1995年
8 月の第2回目のアジア大会(池袋サンシャインホテル)
では、コルネリオ会会長(1992年-1999 年)として大会を
成功させた。(大会テーマ「主を求めて生きよ」(アモス
5:4))。さらにAMCF世界大会にも奥様(和子夫人)とと
もに日本を代表して参加され、海外にも多くの軍人クリ
スチャンたちとの交流をもった。
コルネリオ会の例会には必ず出席して、我々後輩たち
に聖書の指導や自衛隊生活での信仰上の相談にも当たら
れ、的確な助言をいただいた。矢田部兄が『こころの友』
(日本キリスト教団教会誌)に書いた「ある三等陸佐の
願い」や著書『武士道・キリスト教と自衛官』(石川書房)
は有名であり、この本によって、元海将補・海野幹郎兄
が感銘を受け81歳になってクリスチャンになった。矢田
部兄の信仰と行動の陰には和子夫人の支えと励ましがあ
り、和子夫人にはコルネリオ会の例会やアジア大会など
で大変お世話になった。
和子夫人から葬儀の終わりに「主人は最後まで、自
衛官として、そして信仰者として、その人生を自衛官
クリスチャンとして生き抜いた。」とご挨拶があった。
矢田部兄はまさに「ミスター・コルネリオ」そのも
のであり、このような信仰の人・矢田部兄からイエス
様を学ぶことができたことを、コルネリオ会一同、主
に感謝して、天国での再会を祈るものである。在主
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なお、AMCF(軍人キリスト者協会)世界会長や台湾の
東アジア副会長、韓国・アメリカからも哀悼の意を表
するメールが来ましたが、世界会長のみ紹介します。
(中野久永兄訳)
『私は、JMCF(通称;コルネリオ会)の先駆者である矢田
部稔元将官がお亡くなりになったことを知らされました。
私は彼に個人的に会ったことはありませんが、彼のクリ
スチャンとしての証と長年にわたるJMCFのリーダーシ
ップについて聞いたことがあります。彼は、人生のレー
スを忠実に走り通しました。私は「主が両手を広げて彼
を歓迎してくれた」と確信しております。AMCFのすべて
のメンバーを代表して、矢田部和子御夫人と御家族に心
からの哀悼の意をお伝えください。キリストによって敬
意を表します。
軍人キリスト者協会(AMCF)世界会長
元将軍 スリアル・ウィーラーソーリヤ(スリランカより)
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聖霊から禁じられて(その2)
~2019 年4月コルネリオ会例会メッセージから~
横浜指路教会 牧師 藤掛順一

さて, トロアスでマケドニア人の幻を見た時に初めてパ
ウロたちは、これまでの歩みにおいて聖霊が自分たちの計
画を二度までも妨げた理由を知ることができました。聖霊
は、彼らをマケドニアへと渡らせ、そこでみ言葉を語らせ
ようとしていたのです。つまり「アジア州で御言葉を語る
ことを聖霊から禁じられた」のも、ビティニア州に入るこ
とをイエスの霊が許さなかったのも、主が示して下さる新
たな地でみ言葉を語っていくためだったのです。私たちは
この部分を一気に読みますから、主がそのようにして彼ら
をマケドニアへと導いて行かれたのだと納得することがで
きます。しかし, それは結果として分かったことで、「アジ
ア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」その時の、
またビティニア州に入ろうとしたら「イエスの霊がそれを
許さなかった」その時のパウロたちの思いはどうだったの
だろうか、ということを想像してみたいと思います。彼ら
は主の福音を宣べ伝える伝道に熱く燃え、その意欲に溢れ
ていました。そのために自分の命をささげ、あらゆる困難
をも引き受けようとしていたのです。そういう熱意をもっ
て、主のために最もよいと思う計画を立て、それを実行し
ようとしていたのに、他ならぬ主ご自身がそれを禁じ、妨
げたのです。どういう事情かは分かりませんが、これを妨
げておられるのは主ご自身であり、聖霊であることがはっ
きりと分かったのです。人間による妨害なら、力を尽くし
てそれと戦うことも出来たし、何らかの迂回路を見出して
対処することも出来たでしょう。しかし聖霊がそれを禁じ
ているなら、それは人間の努力によってどうにかなること
ではありません。彼らはそういう事態に直面したのです。
しかも二度続けてです。「神さまどうしてですか?」という
問いが当然彼らの間に起ったでしょう。「私たちはあなたの
ためにこの働きをしており、あなたが伝道のために遣わし
て下さったからこのように歩もうとしているのに、そのあ
なたがどうしてそれを妨害するのですか」という抗議の思
いも湧き起ったでしょう。「神さまは何を考えているのか分
からない」という不信も生じたのではないでしょうか。そ
のような体験の中では、「もういやです。こんなことになる
なら、もうあなたに従い仕えるのはやめます」という思い
になっても不思議ではありません。自分ならきっとそうな
るだろうと思います。ここに語られているのは、そのよう
になっても不思議ではないような事態なのです。そのこと
をしっかり見つめておきたいのです。
そしてこのことを見つめる時に、この出来事と、ここに
描かれているパウロたちの姿は、私たちに大切なことを教
えてくれます。この出来事が教えているのは、聖霊のお働
きは、私たち人間の思い、願い、意志、計画を超えたもの
であって、時としてそれを否定し、妨害し、私たちを自分
の思いとは違う他の道へと歩ませるものだ、ということで
す。私たちは聖霊のお働きを、つまり神のご意志、ご計画
を、自分の思いによって「こうだ」と決めてしまってはな
りません。聖霊は私たちの思いや計画をはるかに超えた仕
方で働くのです。この場合も、小アジア伝道を構想し、そ
の要となるエフェソで伝道しようとしていたパウロたちの
思い、計画をはるかに超えて、聖霊は彼らをギリシアへと、
ヨーロッパへと遣わしたのです。パウロの考えていたこと
も決して小さな、せせこましいものではありません。しか
しそれよりもはるかにスケールの大きなことを、神は、聖
霊は考えておられたのです。あのコルネリウスへの伝道の
出来事もそうでした。聖霊が、ペトロの思い、ユダヤ人と
しての常識をはるかに超えて、異邦人であり、ローマ帝国
の軍人だったコルネリウスにキリストの福音を語ることを
命じ、主イエス・キリストによる救いの出来事が彼らの上
にも起っていったのです。ペトロもパウロも、自分の思い
や計画を聖霊によって否定され、変えられ、思ってもいな
かった道へと進んでいくことの中で、自分の思いをはるか
に超えて大きい主の救いのみ業のために用いられていった
のです。
またここに描かれているパウロたちの姿が私たちに教
えているのは、聖霊によって自分の思いや計画が妨げられ、
否定された時にどうすべきか、です。彼らは、聖霊によっ
てアジア州での伝道を禁じられると、向きを変え、違う方
向へと歩んで行ったのです。そしてビティニア州に入るこ
とも禁じられると、また方向を変えたのです。そのように
して港町トロアスに着いたのです。そのように彼らは何度
も歩んで行く方向を変えました。聖霊に自分たちの計画を
禁じられ、妨げられると、その都度方向転換をして、新し
い道を歩んで行ったのです。それは外から見れば迷走して
いるように見えるし、無定見な、行き当たりばったりの歩
みのように思われます。しかし大事なことは、彼らは聖霊
に禁じられ、妨げられたことによって、歩みを止めてしま
わなかったということです。主に与えられた使命を果たす
ための旅を放棄することはなかったのです。拗ねてしまっ
て、「もういやです。あなたに従い仕えるのはやめます」と
投げ出すことはしなかったのです。そのために彼らは結果
的に、聖霊が彼らを導こうとしている道を正しく歩むこと
ができ、トロアスからマケドニアへと渡って行くことがで
きたのです。聖霊によって自分たちの思いや計画を禁じら
れたり, 妨げられる時にどうすべきかがここに示されてい
ます。私たちはともすれば、「あなたのために、あなたの伝
道命令に従ってこのように歩もうとしているのに、そのあ
なたがどうしてそれを妨害するのですか」と文句を言い、
そして「もういやです。あなたに従い仕えるのはやめます」
という思いで、主に仕える歩みを止めてしまいます。しか
しそれでは、聖霊が私たちを導いてなさせようとしている
み心、神のご計画を知ることができなくなります。いろい
ろ方向転換をしながらも、主に与えられた伝道の使命のた
めに歩み続けることが大事なのです。そのように歩み続け
ていると、どこかで、「聖霊はこのように自分(たち)を導
こうとしておられたのだ」ということを示される時が来る
のです。そのことを信じて、主のみ心をいつも新たに祈り
求めつつ、与えられている課題を、柔らかい心で果たして
いく私たちでありたいと思います。
(おわり)

コルネリオ会の皆様へ
桜林美佐(防衛問題研究家)

はじめに
コルネリオ会を知ったのは、つい最近のことでした。
出会いに心より感謝しています。まずは自己紹介方々、
私がここに寄稿させて頂くに至った経緯からお話しした
いと思います。
私は東京のごく普通の家庭で育ち・・と言いたいところ
ですが、どうもあまり普通ではなかったようです。家族に
は縁が薄く、ひとりで過ごすことのほうが多い毎日でした。
とはいえ大学までは行かせてもらい、社会人になってから
は生活のために、とにかく必死に働くことしか考えてきま
せんでした。
現在は「防衛問題を研究する」などという非常におこが
ましい肩書で文章を書くなどしていますが、全く思いもよ
らない出会いめぐり逢いによって、導かれるようにこの職
を務めているというのが率直な表現になります。
子供の時にニュースキャスターが主役の映画を観て漠然
と憧れていましたが、大学を出てからはその気持ちも冷め
てしまい、乗馬クラブで馬の世話をしたり、駐車場でアル
バイトをする日々を過ごしていました。そんな時にたまた
まテレビ番組のアシスタントオーデションに誘われ、受け
てみたら合格してしまったことが運命を変えました。
その後はテレビのキャスター、リポーターを経て番組の
制作にも携わるようになり、ラジオ局のニッポン放送では
16 時間勤務の泊まりニュースデスクを10年ほど務めま
した。目の前にできそうなことがあれば何でもチャレンジ
してみようと、防衛問題への取り組みも周囲の人々の勧め
により始めたものです。
はたから見ればいかにも幸運で、実際に多くの人が憧れ
る職を与えてもらったわけですが、実は私は40年以上、
心から「楽しい」と感じたことはありませんでした。朝か
ら晩まで心配ばかりし、寝ている間も悪い夢ばかり見てう
なされ飛び起きることが長年の悩みでした。
教会の扉を開けた日
ある時、英語のレッスンを受けるため米軍の横田基地に
行った際のことです。その先生はカトリックで、ある時、
基地内の教会に連れて行ってくれました。私の祖父母は内
村鑑三に帰依していましたが、同じキリスト教でもカトリ
ックとは縁もなく関心もないようなことを伝えたものの、
私の英語力ではほとんど通じなかったようで、それならあ
なたも教会に行ったらいいと勧めてくれるのです。その後、
彼女はわざわざ麹町のイグナチオ教会に行き偵察!?まで
してくれて、あそこに行ったらどう?といいます。
ここで行かないと、ただでさえ話題に困る英会話の時間
をやり過ごすことができない・・・そんな動機で、初めて
教会の重い扉を開けたのです。そしてその時にミサに与っ
た感動は一生忘れないものとなり、この日から、洗礼を受
けるまでの道のりが始まることになりました。
受洗は福岡県の教会でした。麹町で準備のための勉強を
していましたが、その途中で結婚することになり陸上自衛
官である主人と引っ越すことになったのです。自衛隊のす
ぐ近くに小さくて素敵な教会があったことはこの上ない幸
せでした。朝6時すぎに付近をウロウロしていると、朝ミ
サに向かう神父様が出て来られ、それが福岡での最初の出
会いになりました。
教会の人たちは自衛隊にどんな感情を持っているのだろ
う、そんなことを当初は心配していました。事実、「憲法9
条を守る」署名をするシスターがいたり、反戦平和活動を
公然とする人もいて、その点にかなり抵抗感を持ちました。
フランシスコ教皇の掲げる「核廃絶」に異論はありません
が、それまでのプロセスにおいては冷戦終結に至った時の
ような一時的な「軍拡」も必要と考える私は果たして信者
として許されるものなのか、等々の逡巡が常にありました。
しかし、思えば自衛隊は「平和を仕事にする」と明言し
ている組織であり、この大看板は主イエスの教えと同一だ
ということに気づいたのです。実は、数少ない自衛隊関係
のキリスト者には国防や安全保障について理解を深める役
割が付与されているのかもしれない・・と。
国防と信仰
ある日、知人が駐屯地の見学に来た際、同行された方が
偶然にもクリスチャンで、しかも「国防と信仰の関係」を
研究しているというので驚かされました。コルネリオ会の
存在を教えてくれたのはその方でした。会については、キ
リスト教と戦争に関わる本を多数出している石川明人・桃
山学院大学准教授の著書に書かれているとのことでしたが、
実は、私は石川明人先生のことは何年も前から知っていた
のです。それなのに、ちゃんと本を読んでいなかったので
す。思い切ってコンタクトをとり、コルネリオ会会長の石
川信隆先生をご紹介頂いたというのがこれまでの顛末です。
現在の日本では軍事と信仰は全く関係がないか、あるい
は相反するもののように受け止められているように見えま
すが、言うまでもなく本来は密接であるべきものです。あ
の横田基地で見たような、戦闘服姿の人が昼休みに一人で
神様と触れ合える(信者でなくても気軽に入れる)教会、
あるいは「みことば」に触れる機会が自衛隊にもあったら
いいのになあと夢想するようにもなりました。
自衛隊が組織的に日本の伝統行事に近い神事に関わるこ
とも政教分離云々で避けられているような状況ですから、
現状では壁は高いですが、いずれはコルネリオ会の皆さま
が残された軌跡により新たな歴史が生み出されることと私
は思っています。
自衛官の多くは強く優しく逞しい働きをしています。災
害派遣では、自分の持っている携帯糧食を被災者に差し出
し、空腹や寒さをものともせず黙々と活動します。幕僚監
部などでは心も体も疲弊させながらも奮闘する姿がありま
す。しかし、この人たちが傷ついた時に癒しになるのは誰
かの感謝の言葉、家族の存在、カウンセリング・・・と人
それぞれであり、不変的に確立されたものはありません。
何も手だてを見いだせない人もいるでしょう。
防衛装備品は買うだけでは全く機能せず、いくら数を揃
えても精強な軍はできません。過酷な使用環境によって壊
れやすい装備を「修理する能力」こそが、実は最も重要で
す。もちろん最新鋭装備が必要な分野はありますが、いず
れにしても修復能力が不可欠で、これは装備だけでなく人
にも当てはまります。
わが国をとりまく安全保障環境は激動の時代に入ってい
ます。今こそ、自衛隊に神様の豊かな恵みが注がれること
を祈って止みません。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たち
は神の子と呼ばれる。」(マタイ福音書5章9節)
献金感謝(2019.12.1-2020.3.31)
皆様の献金を心から感謝します。
矢田部稔・和子、長橋和彦、圓林栄喜・さゆり、
山下和雄、桧原菜都子、石井克直、匿名

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