深呼吸して、祈って、さがせ
明野キリスト教会牧師 大頭眞一
聖書 ローマ8:28(口語訳)
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従っ
て召された者たちと共に働いて、万事を益となるよ
うにして下さることを、わたしたちは知っている。
【2月8日のこと】
2 月8日のことです。その日、教会員から電話が
あって、「詐欺にあいそうになったんだが、守られ
た。いま、あと処理中。」と言います。私は、なに
かおかしいと感じて教会員宅に行きました。すると
そこへ「受け子」と呼ばれる若者が現れ、捕らえよ
うとした私を振り切って逃げて行きました。彼はす
ぐに警察に捕まり、現在公判中です。あのときのこ
とを思い出すたびに、自衛官のことを考えます。専
守防衛。これは言うが易く行うのは難しいことです。
映画「空母いぶき」やコミック「ジパング」を見る
と、専守防衛は圧倒的な力の差がなければ不可能。
ギリギリまでがまんして、相手に撃たせて、それか
らやっと自分を守る、これは至難のわざです。その
ために自衛官たちは猛訓練に励んでいるわけですね。
ところが、そこから不思議なことが始まりました。
まず警察官たちが、「教会って仲がいいんですね。
なんでも話し合うんですね。」と言い始めたことで
す。私は「(神の)家族のようなものなんです。」
と、話しました。とくに担当の方とは仲良くなっ
ていろいろ相談にのってもらえるようになりました。
また京都地検に呼ばれたときには、世界の破れをつ
くろう神さまのお働きについて語る機会も与えられ
ました。
主語は神さま。神さまが、私たちと共に働いてくださ
る。小さな私たちをそのみわざに加えてくださる。与
らせてくださいます。
同じローマ書の8章には「実に、被造物全体が、
今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続け
ていることを、わたしたちは知っている。 」(22
節)とあります。
世界には三つの破れがあります。神と人との間が
破れ、人と人との破れ、人と被造物の間が破れても
だえています。人と被造物の間の破れはコロナを考
えていただくとわかりやすいかもしれません。
この詐欺事件もまた世界の破れの一つの現れだと思
います。あの受け子の腕をつかんだとき、私はなんと
もぞっとしました。まったく力が入っていないんです。
虚無というか、まるで穴ぐらに手を突っ込んだようで
した。この人の中には絶望しかないんだな、と思いま
した。京都地検で聴取の後、感想を訊かれたのですが、
私は「世界全体が苦しんでいるように感じます。世界
が破れていて、この事件もその現れのひとつだと思い
ます。検事さんはそのお立場で破れをつくろっておら
れる。尊いことです。私は別の方面で、人の心に働き
かけて破れをつくろって行きます。」と答えました。
若い検察事務官が、帰るときにはとてもていねいに送
り出してくれたことが印象的でした。神さまは私たち
それぞれを置かれた場所で用いてくださいます。「置
かれた場所でていねいに」は、私がよく語る言葉です。
教会に「お姑さんのおむつを替えるとき、ああ、私は
こうして世界の破れをつくろっているんだ、と思いま
す。」と言った人がいて嬉しくなりました。
私たちは置かれた場所で世界の破れをつくろうの
です。神さまのみわざに加わるのです。どうか教会
で掃除をしたり、献金を数えたりすることだけが、
神さまに仕えることだと思わないでください。私た
ちがもっとも多くの時間を費やす仕事や家庭こそが
主戦場です。置かれた場所で普通のことをきちんと
ていねいに愛を注いで行うのです。
一方、御霊の実である愛、喜び、平安、寛容、親切、
善意などの、他人を愛し、他人に仕えることは、祈り
をもって決断しなければできない。これらは、人間的
な「わざ」ではなく、キリストを受け入れた謙遜な魂
に宿る聖霊の働きによって結ばれる実である。これら
の良い実こそが律法の目標です。
最初の「愛」は、他の徳の基礎であり、ここにあ
げられているいくつかの徳は、Iコリント13章4~7
節では、愛の特質とされています。新約聖書のいう
キリスト者の愛とは、他人を尊び、その価値を認め、
他人の幸せを望むことです。
【神のうめきを知って】
26 節には、「御霊みずから、言葉にあらわせない
切なるうめきをもって」とあります。御霊なる神さま
がうめいてくださっているというのです。京都地検の
検事と私には、ただ一つ、ちがいがあります。神さま
のうめき、神さまのお心を知っていることです。
今週は、イースターを祝った私たち。先立つレン
トの期間には、十字架を思いつつ過ごしました。神
さまは破れてしまったこの世界を、破れてしまった
私たちを、そのままにしておくことが、どうしても
おできになりませんでした。だから、子なる神であ
る主イエスが、人となってこの世に来てくださり、
十字架にかかってくださいました。神のうめきが十
字架へとご自身を駆り立てたのです。そして復活の
いのちを私たちに注いでくださいました。3月のコ
ルネリオ会では、愛を語り合いました。愛するとは
どういうことか、と熱心に語り合いました。私はふ
と思ったんです。なるほど私たちは、愛することに
おいて、完全ではない。けれども、私たちは神さま
の喜びだ。ここに神の子たちがいる。愛を与えられ、
愛を注ぎ、なおかつその愛の不足を嘆く、新しい人
びとがいる!とてもうれしくなりました。そして、
こうして礼拝するうちにも私たちの愛は成長してい
ます。
【深呼吸して、祈って、さがせ】
何人かの方がたが、「栄光への脱出」(出エジプト
記)を読んでくださいました。あの中でいろんな方
が、心に残ったと言ってくれたのが、「深呼吸して、
祈って、さがせ」という言葉。これは数年前にナザ
レン山陰聖会に招かれたとき、子どもたちのために
も、なにか語って欲しいと頼まれたんです。ちょう
ど新学期が始まったばかりのころでした。中には、
いじめなどで学校に行きたくなくて困っている子ど
もたちもいることでしょう。
こんなとき、私たちは「お祈りしなさい。」と言っ
てしまいがちです。けれどもいきなり祈るとついつい
「神さま、あの子にいじめがないようにしてくださ
い。」と具体的なことをお願いすることになります。
するともう神さまがはじめてくださっている助けに気
がつかないことが多いのです。ときには、「祈りがき
かれなかつた。祈りが足りないからだ。」というスパ
イラルに入り込んでしまうこともあります。
だから深呼吸なのです。深呼吸するように、今すで
に、注がれている神さまのあわれみ、うめき、恵みに
心を開きます。落ち着いて。そして短く「あなたの助
けを見つけさせてください。」と祈り、さがすのです。
「だれも助けてくれない。」と思い込んでいる子ども
たちが、心ある先生や友だち、両親の助けを見つける
ことができるかもしれません。ひょっとしたら、それ
は牧師かもしれない。そう、語りました。これは、も
ちろん子どもたちのことだけではありません。私たち
神さまとともに働く全ての者たちに、すでに助けは与
えられているのです。コロナの中でも。災害の中でも。
イースターおめでとう!復活の光の中、続いてご
いっしょに世界の破れをつくろってまいりましょう。
神さまの腕の中で、おかれた場所でていねいに。
(2021 年4月例会メッセージ)
献金感謝(2021.3.1-2021.6.30)
皆様の献金を心から感謝します。
中野久永、飯塚正実、匿名、吉田靖、今市宗雄
康田洋子、内山義彦・和子、山田伊智郎、荻原洋聡
匿名、手塚正昭、清水幸子、石井克直、北川政雄
山下和雄、長橋和彦