「東日本大震災での自衛隊に対する感謝」‐ 震災から10年 ‐
横須賀長沢キリスト教会牧師 大須賀真人
◎東日本大震災での感謝
まずは、自衛隊の方々の献身的なお働きについて
感謝を申し上げたいと思います。2011年3月1
1日金曜日、東日本大震災が発生しました。マグニ
チュード9.0の未曽有の地震であったと言われて
います。そして、大きな揺れに加え、津波、原発事
故もおこり、東北地方を中心に太平洋側沿岸部の広
範囲にわたり未曽有の被害が発生しました。
その当時、私は岩手県の盛岡市におりました。そ
のため、震災の復旧支援にかかわることになり、繰
り返し沿岸地域に出かけていました。そのような活
動の中で、自衛隊の方々の働きが耳に入ってきまし
た。特に震災初期の段階で我々が入ることもできな
いような危険な場所で、また一般人ではだれも手の
つけようのないような人道的な働きを命がけで実施
してくださっていたということを知らされました。
震災支援の初期段階では私も緊張することが多々
ありました。ボランティアででかけていきましても、
現地の方々はなかなか言葉が出てきません。私たち
も何を話し、何をすればいいのか分からなくなるこ
ともありました。自分たちの働きがどれほどのもの
かと思わされたこともありました。
そのような中で自衛隊の皆さんの働きは被災者の
方々への励ましや喜びになっていたと思います。
誤解を恐れず申し上げれば、私もこの時初めて自
衛隊の必要性を感じさせられたのでした。
コリントの信徒への手紙 第一 15章58節に
は「私の愛する兄弟たち、こういうわけですから、
動かされないようにしっかり立ち、主のわざに励み
なさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が
決して無駄にならないことを、あなたがたは知って
いるはずです。」とあります。
私たちの働きがどれほどのものかと思わされたと
しても、多くの方々が被災者支援に加わりました。
そして私たちも教会から遣わされその働きに連なら
せていただいたのですが、そこで自衛隊の皆さんの
大きな働きに出会い、その存在を知りえたことは大
きな励ましになりました。
◎それ以前に、私が自衛隊に対して抱いていた印象
それまでの私にとって、自衛隊は漠然とした存在
でした。東京におりました頃は靖国問題や戦争責任
など諸々の課題から自衛隊が受ける影響についてよ
く耳にしました。誤解のないように簡単に申し上げ
れば、自衛隊の皆さんがそれらの問題に関連して変
な形で利用されるのではないかと心配する声が耳に
入って来ておりました。そしてそのことにより自衛
隊の方々の命や人格が傷つけられるのではないかと
いう心配もよく耳に入って来ていました。しかし、
情報が先行し、直接隊員の皆さんと触れ合う機会は
ありませんでした。
そのような中で、当時通っていた教会で自衛官の
方々と交流する機会が与えられました。そこでよう
やく自衛隊の働きについて知り、自衛隊の存在を実
際に感じることができたのです。
その後、私は福岡の神学校で聖書を学びました。
その頃にちょうどイラク戦争が勃発しました。
本日はちょうど9.11テロが起こった日ですが、
その事件で亡くなられた方やご遺族の皆様のために
お祈り申し上げます。
そして「テロ」ということをより身近に感じるよ
うになりました。それをきっかけにイラク戦争が始
まったわけですが、そのことを通じ、自衛隊の方々
の派遣が注目されるようになります。多くの議論は、
自衛隊の皆さんの安全が守られるのかということで
あったと記憶していますが、それを通し、改めてテ
ロや戦争は多くの人たちが死ぬ、危ない出来事であ
ることを覚えました。また、私の娘も8月15日
(終戦記念日)に生まれ、これから生まれてくる人
たちの生きる世界が平和であってほしい、そして自
衛隊の皆さんの安全と平和が守られてほしいと強く
願いました。
さて、その後、私は岩手県盛岡市の教会に牧師と
して就任しました。そこの近くには演習場がありま
した。監視カメラが設置され、厳重に立ち入りが制
限されていたので閉塞感がありました。
その頃憲法改正の動きが強まり、9条の会の活動
も活発になされ、自衛隊の方々の安全も議論されて
いました。そして、戦争になった場合や軍事行動に
出た際の自衛隊や国民の命の危険、悲惨さを確認す
ることになりました。自衛隊の皆さんの存在を通じ、
そのようなことを積極的に考えさせられるようにな
ったことは恵みでした。
それから冒頭でも述べました東日本大震災が発生
し、そこで全くイメージとは違う自衛隊の皆さんの
働きを目にすることになったわけです。自衛隊の皆
さんの働きに改めて感謝しますとともに、主イエス
キリストをともに礼拝できていることにも感謝した
いと思います。
その後、私は横須賀長沢バプテスト教会の牧師に
就任しました。そして山田伊智郎兄ともお会いする
ことができました。山田兄からは自衛隊の国内外で
の様々な働きがなされていることを教えられていま
す。コルネリオ会の皆様ともお会いする機会が与え
られましたことを感謝します。
◎信仰者として共に歩ませていただく喜び
ローマの信徒への手紙8章38節〜39節に「わ
たしは確信しています。死も、命も、天使も、支配
するものも、現在のものも、未来のものも、力ある
ものも、高いところにいるものも、低いところにい
るものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キ
リスト・イエスによって示された神の愛から、わた
したちを引き離すことはできないのです。」 とあり
ます。この先、グローバル化、コロナの問題等でも
わかりますように、日本でも世界でも様々な出来事
が起こると思います。しかしどのような事が起ころ
うとも、主は皆様とともに、わたしたちとともにお
られます。そして今日は ZOOM というデバイスを
用いて礼拝をもっておりますが、主はいつでもこの
ような礼拝の場を整えてくださるのだと思います。
さらに自衛隊の皆さんが、苦しんだり悩んだりし
ている人々を助け続けてくださることも感謝します。
死と復活の主、十字架のイエス・キリストがとも
におられることを、皆さんを通して感じさせられ、
感謝します。引き続き十字架のキリストをともに賛
美させていただければ幸いです。
(おわり)
滝口厳太郎兄召天
長年、コルネリオ会で奉仕してこられた滝口厳太郎
(たきぐちがんたろう)兄が2021年8月12日召
天されました。89歳でした。
滝口兄は、戦前から信仰を持たれ、戦後航空自衛隊
に入隊。自衛隊の中で福音を伝える組織の必要性を覚
えていたところ、コルネリオ会の存在を知り入会され
ました。
その後、1986年に日本で初めて開催されたアジ
ア大会からコルネリオ会のために協力いただきました。
特に、1998年から2000年までの2年間コル
ネリオ会長として奉仕されています。
コルネリオ会の活動についても、総会等で歯に衣着
せぬ発言をされていたお姿が印象に残っております。
まさしく、戦前・戦中、戦後を通してクリスチャン
としての信仰を守りつつ戦ってこられたことの証左で
もあろうと思っておりました。
これまでのコルネリオ会での様々なご奉仕に心から
感謝いたします。
(編集子)
証し
会員 山田伊智郎
1.バプテスマを受けた頃
初めて教会へ行ったのは防大2年の時で、防衛学
の高木先生による紹介でした。その教会が、今、会
員となっている横須賀長沢キリスト教会の集会所で
す。特別伝道集会に参加しましたが、参加している
皆さんは素晴らしい人ばかりで、ここは、私の来る
ところではなく、もう2度と来るのはやめようと思
い、帰りの電車に乗りました。しかし、帰りの車内
で、特別伝道集会に参加されていたご夫妻から声を
かけられました。私は、そのご夫妻のことを全く知
りませんでしたが、ご夫妻は私のことをよく覚えて
いて、電車の中で、「また来てくださいね」と声を
かけて下さいました。その時私は、自分のことを気
にかけて下さる人がいるのだ、ということを感じた
のです。そして、次の週も教会に行くようになりバ
プテスマを受けました。
信仰を持ってからも、私は本当に神がいるのだろ
うかと疑い、思い悩み、何度も神を試したことがあ
りました。自分が不本意に思うことを神に問い、も
し神がいるならこの事を取り除いて下さい、と何度
もお願いしました。偶然にも何度もこのことが叶え
られたことを覚えています。その頃、よく心にとめ
ていた聖句が以下の通りです。
マタイによる福音書 6:34 新共同訳
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のこと
は明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だ
けで十分である。」
2.教会学校の教師の時
横須賀長沢キリスト教会での信仰生活が始まり、
数年が過ぎ、教会学校の成人科の学びのリードを始
めました。最初は、注解書などを読み、その内容を
話していましたが、このような紋切り型の解釈でい
いのだろうか、と思うようになりました。自分の気
付きや、自分で考えた解釈を説明してみると、先輩
の信徒からは「自分勝手な解釈をしてはいけない。
解釈はあなたが思うようなものではないから」と釘
を刺されたり、ある他の教会の牧師からは「イエス
の例え話は解釈の仕方が決まってるんだよ。この例
え話はこの解釈が正しい」と言われた思い出があり
ます。その他の奉仕も色々とするうちに、奉仕がつ
らくなり、教会へ通うことに疑問を持つようになり
ました。それは、私がキリスト教に入ったのは、幸
せになるためであり、苦しむためではないと思った
のです。その答えを捜すために、さらに、色々と自
分なりの解釈やキーワード(復活、裁き、永遠の命
など)の意味を考えるようになりました。
3.震災の体験
2011 年 3月11 日に東日本大震災を体験しました。
当時、私は船岡の部隊に在籍しており、翌日には仙
台の駐屯地に移動し活動を開始しました。悲惨な現
状を見るにつけ、神は本当にいるのだろうかとの疑
問が沸き起こってきました。神は罪のない人たちを
も死に追いやってしまう。そのことを問うても、神
は何も答えてくれなかったのです。まさに神の沈黙
なのです。この問いかけはずっと続きました。私の
中で、様々に思い巡らせましたが、物事が起きたり、
人と出会ったりするのは、如何ともしがたい事実で
す。しかし、そのことに対するとらえ方は人それぞ
れです。この神が介在するとらえ方こそ、その人の
人生に大きな変化をもたらすのではないかと思って
います。これが神の私への応答なのかもしれません。
私の今の愛唱聖句は、以下の通りです。
エレミヤ書 29:11 新共同訳
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく
心に留めている、と主は言われる。それは平和の計
画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与
えるものである」
(おわり)
『祈りマニュアル』について
1 『祈りマニュアル』とは
金学根牧師から『祈りマニュアル』の紹介があり
ました。これは、日本のリバイバルのためソウル良
い木教会の李康雨(イ・ガンウ)牧師が日本宣教の
命を主から受け、日本を学び、研究し、日本のリバ
イバルを信じてまとめられたものです。
その目的は大きく3つあると書かれています。
① 戦後日本で生まれたリバイバル世代が召され
る前に祈りにより日本の福音化の土台を準備
するため
② 御言葉に基づいた体系的かつ長時間の祈りを
ささげてもらうことによって霊的な祝福を体
験していただくため
③ 日本に福音の力強い広まりを起こす御言葉の
メッセージを伝えるため
祈りマニュアルは「祈りのマニュアル」ではあり
ません。5時間の祈りを集中して2回行うための
マニュアルです。
2 『祈りマニュアル』の構成
(1)祈りマニュアルを始めるにあたって
ア 神への賛美
三位一体の神への感謝の祈り
イ 神の国を築く日本人の幸いなる気質
日本人の気質が神の国を実現するための
偉大な贈り物であることを様々な事例を挙
げて紹介するとともにその賜物である慣習
を主が国を救うために用いるよう祈る。
(個人と共同体を一つとみなして生きること
ができる民族、高い道徳性、和の民族等)
ウ 悔い改めの祈り
偶像崇拝の罪、歴史的民族的罪
イエスを主人として認めなかった罪
聖霊に従わなかった罪
生まれながらの思いに生きた罪
暗闇に捕らわれた行動と罪
教会の聖さを追い求めなかった罪
イエスが主であることを伝えなかった罪
律法主義的なしきたりに偏った罪
(2)第1章 約束の御言葉
言が肉となられたイエス・キリストがどの
ような方であるか、約束の御言葉の実体を祈
りつつ確認し、主なる神様の統治が進められ、
約束の御言葉に基づいた祈りを奉げる
(3)第2章 霊的戦い
栄光と暗闇の差異を明らかにし、霊的戦い
の本質を確認して主イエスの聖名の権威をほ
めたたえるとともに、霊的戦いに勝利し天国
の鍵をいただけるよう祈りを奉げる。
(4)第3章 チャーチシップの祈り
キリストの働き人としての責任を覚え、私
に与えてくださった賜物を用いて教会による
万物の統治が進められるとともに日本の福音
化が進むよう祈りを奉げる。
3 『祈りのマニュアル』のお薦め
李牧師が、日本と日本人はこの終わりの時代に福
音の働きのため主なる神様が選ばれた国と民族であ
ると書かれています。そのために多くの韓国人の
方々も祈りマニュアルで祈りを奉げておられます。
我々もこれまで自分や隣人のことは祈っていた
が、祖国日本や日本人のためにあまり祈っていな
かったという兄弟姉妹もおられるのではないでし
ょうか。是非、マニュアルを手に取っていただき
ともに日本、日本人の救いのために祈りましょう。
興味のある方はぜひお問い合わせください。
非売品です。
お問い合わせ先
金学根牧師 :hkk628@hotmail.com
(編集子)
献金感謝(2021.7.1-2021.10.31)
皆様の献金を心から感謝します。
石井克直、石川信隆、今市宗雄、内山和彦・和子
海野幹郎、圓林栄喜・さゆり、及川雅道、大頭眞一
岡村紀子、栗田祥子、桜林美佐、椎名良三
瀬在道晴・米子、手束正昭、常盤一崇、中野久永、
長橋和彦、桧原菜都子、吉田靖