ニュースレターNo.159(2022年4月)

救い主の神イエス・キリスト
コルネリオ会教職顧問 牧師 金学根

私はキリストとともに十字架につけられました。も
はや私が生きているのではなく、キリストが私のうち
に生きておられるのです。いま私が、この世に生きて
いるのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになっ
た神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ2:20
1.イエス・キリストは救いの神
イエス・キリストが身代わりになって、十字架で血
を流し死んだことによって救われます。すなわち、そ
の主イエス・キリストによって救われ、永遠の命が与
えられ生きているのです。ですから、キリストを信じ
る者はキリストと共に十字架につけられ、またキリス
トと共に生きているのです。それは次の御言葉からも
明らかです。
キリストと一体になってその死の姿にあやかるなら
ば、復活の姿にもあやかれる。(ローマ書6:4-5)
キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きてい
るのだと考えなさい。(ローマ書6:11)
キリストと共に十字架で罪に支配された体が滅ぼさ
れ、もはや罪の奴隷にならないため。(ローマ書6:6)
神の子の名を信じている・・・永遠の命を得ている
ことを悟らせたいから。(ヨハネ第一5:13)
偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束して
くださいました。(テトス1章2-3節)
そして、「神はこの世を愛しひとり子をお与えにな
った。これはわたしを信じる者がひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:16とあるよう
に、私たちの救いは神が永遠の前に約束してくださっ
たことです。ですから私たちは、イエス・キリストの
十字架の贖いによって赦され永遠の命を与えられます。
この永遠の命を約束してくださった神は、イエス・
キリストです。聖書は、口でイエスは主であると公に
言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させら
れたと信じるなら、あなたは救われるからですとロー
マ書10章9-10節で語っています。

この世に来られた神はイエス・キリストである
聖書はイエス・キリストに関することを記録した書
物です。旧約聖書は、来られるイエス・キリストにつ
いて、また新約聖書は、来られた救い主イエス・キリ
ストについて書いたものです。つまり、聖書はアダム
が罪を犯し、永遠に生きる存在から死ななければなら
ない肉体となった人間を神が救いだし、再び永遠の命
を与えるという神の救いの計画を書いた書物なのです。
サタンの誘惑と人の死については、創世記3章1-6節、
創世記2章16-17節に記されています。堕落した天使は
サタンとなり、サタンは蛇の姿で女に現れ女を誘惑し、
女は善悪を知る果実を食べ死ぬことになったのです。
人は永遠の世界から死の世界へ落ちたのです。ここ
で「死ぬ」という概念は、肉の死、魂の死、霊の死の
ことです。神は天地と人間を創造し、人に肉と魂と霊
の祝福を与えられましたが、人は罪を犯し祝福は変わ
りました。罪を犯した結果、肉の祝福は、永遠に腐ら
ない肉から腐る肉に、魂はサタンの性格、霊はサタン
の子になってしまいました。
善悪の知識の木からは取って食べてはならない。そ
れを食べると必ず死ぬ。
(創世記2:16-17)
3.この世に来られた救い主は創造の神である
人が罪を犯して、人は死ぬことになったとき、神は
救いの計画を立てられました。
「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子
孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を砕き、お
まえは彼のかかとを砕く。」創世記3章15節
この文章の構成は、初めに「敵意をわたしは置く」
とあります。敵意は(「エーヴァー」הָבי ֵא)です。その
「敵意」が置かれるのは、「おまえと女の間に」そし
て「おまえの子孫と女の子孫の間に」、「おまえ」とは、
直接的には「蛇」ですが、真の意味はその蛇の背後に
いる「サタン」です。また「女の子孫」は「神の民イ
スラエル」(教会)を指すこともあれば、メシアである
イエス・キリストを指すこともあります。
そして、彼はおまえの頭を砕き、おまえは彼のかか
とを砕く意味ですが、頭を砕くと言うことは致命的な
ことです。それで最後のさばきのときにサタンは「火
と硫黄の池に」投げ込まれるのです。(黙示録20:10)
次の聖書個所にも救いの計画が示されています。
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者で
あることに固執しようとは思わず、かえって自分を無に
して、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも
十字架の死に至るまで従順でした。(ピリピ2:6-8)
罪が支払う報酬は死です。神の賜物は、私たちの主
キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
(ローマ6:23)
彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々
には、彼は神の子となる力を与えたのである。
(ヨハネ1:12)
1)なぜ、イエス・キリストが創造主である神なの
か?ヨハネ書1章
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神で
あった。この言は初めに神と共にあった。万物は言に
よって成った。成ったもので、言によらずに成ったも
のは何一つなかった。(ヨハネ1:1-3)
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照
らすのである。
(ヨハネ1:9)
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。
わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子と
しての栄光であって、めぐみとまことに満ちていた。
(ヨハネ1:14)
言は命であり、命は光です。その光はこの世に来ら
れ、言は肉体となり人間としてこの世に来られました。
つまり、神の御子として来られたということです。そ
の言とはすなわち、イエス・キリストです。
創造する前に言があり、その言は神(三位の神)と
共にあって、この言は神であり、創造前の初めに神と
共にあって人間としてこの世に来られた救い主イエ
ス・キリストです。
2)言である神の御子の救いの方法
罪人となった人間を救う神の救いの法則は、血によ
って贖い救うというものです。「血は命を持っており、
血を流すことなしには絶対に赦しはない。」 つまり、血
は命であり、その血は罪を赦す。だから、神である御
子がこの世に来られ血を流してくださり救いを完成さ
せようとしたのです。次のように聖書には記していま
す。
生き物の命は血の中にあるからである。わたしが血
をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの
命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命に
よって贖いをするのである。
(レビ記17:11)
聖書に示された小羊の血は、救い主イエス・キリス
トを象徴しています。
神様は子羊の血による贖いを、最初は、アダムに、そ
してカインとアベルに、さらに、アブラハムに具体的に
示しています。イスラエルの民全体にも示しました。
神様は、幕屋で血のいけにえを通して、血の贖いによ
って罪が赦される燔祭(はんさい)を行わせたのです。
すなわち、年に一度大祭司が至聖所に入り、血の贖いを
通して赦されるというものです。(レビ記16章、ヘブライ
書9章)
3)イエス・キリストの十字架の血の贖いによって罪
て私たちの罪が赦されるのです。
が赦される
世の罪を取り除く神の小羊はイエス・キリストです。
イエス様の十字架の贖いによって、わたしたちは大祭
司のように直接至聖所に入ることができます。イエス
の血によって至聖所に入り、贖罪の座に行ける。そし
イエスキリストを信じる者は、イエスの血によって贖
われ永遠の命を得ます。
人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救わ
れる。
(ローマ書10:9-10)
(おわり)

コルネリオ会創設者利岡中和先生のこと
聖書キリスト教会 会長牧師 尾山令仁

1.陸軍の秀才にも悩みがあった
私が陸軍経理学校に入校したとき、校長は迫栄吉
主計中将でした。利岡中和先生は、この迫中将と同
期の方でした。利岡先生は、同期生の中でも秀才で、
生徒科生(士官候補生)と甲種学生(陸大相等)の時、
いずれも一番で、恩賜の銀時計を頂いております。
さらに東京帝大(今日の東大)に送られ、学びをして
おられます。将来は、陸軍の衣食住をまかなう大物
軍人として期待されていました。
そのような利岡先生にも、深い悩みがあったので
す。それは、先生がクリスチャンであり、どうして
も陸軍と合わないということでした。そこで、退職
を願い出るのですが、この偉才を失いたくない陸軍
では許可を与えませんでした。

苦肉の策に出る利岡見習士官
ある時、演習があり、それに見習士官として参加す
るのですが、休憩の時、中隊長から呼び出されました。
「おい見習い、酒を持って来い」と言うのです。利岡
見習士官はこう答えました。「私は、陸軍経理学校で、
演習は実戦と同じであると教わりました。ですから、
酒を持って来ることはできません。すると、中隊長は
大声で、「見習いのくせに生意気なことを言うな。い
いから持って来い」と言うのです。利岡見習士官は、
頑として応じません。業を煮やした中隊長は立ち上が
り、腕力を振るおうとしたその時、利岡見習士官は護
身のため、さっと軍刀を抜くやいなや「かかって来る
なら、どこからでもかかって来てください。軍刀を抜
いて、やり合おうではありませんか。」「私はこれでも
剣道五段」と言ったかどうかは分りませんが、利岡見
習士官の構えは鋭く、おじけづいているところ、小隊
長たちが飛び込んで来て、最後には大隊長まで来て、
一応その場は収まりました。利岡先生は、たとえ護身
の目的であったにしろ、上官の前で軍刀を抜いたわけ
ですから、陸軍を免職してもらえるのではないかと期
待していたのですが、例の中隊長は左遷、利岡先生は
厳重注意だけで、免職にはなりませんでした。

利岡先生との出会い
利岡先生との出会いについては、利岡先生によっ
て導かれ、コルネリオ会の会員となった義父、平山
鉎次郎元主計大佐について述べなければなりません。
義父、平山は、甲種学生のころ、将来は将官が約束
されたようなものなので、もっと確かなものを求め
ていた時、同じ甲種学生の永井円針氏の誘いで、利
岡先生の集会に行き、その時、「永遠の命」
という
説教を聞き、これだと決心し、クリスチャンになっ
た人です。クリスチャンであったがゆえに、仙台の
第二師団の経理部長として、ガダルカナル作戦にや
らされるのです。主のお守りがあって、九死に一生
を得て帰国します。マラリヤにかかり、マニラの陸
軍病院、広島の陸軍病院で静養の後、閑職として陸
軍経理学校付となります。平山の義父とはそこで最
初に会うわけです。
ところで、平山の義父の家と私の家とは割合近く
にあり、同じく近くに住んでいた陸軍経理学校の同
期生とよくその家の前を一緒に歩くのですが、ある
日、平山の義父の家の前に、一枚の張り紙があって、
こう書いているのが目に留まりました。「キリスト
教家庭集会入場無料どなたでもおいでください」私
たちはこう話しあったのです。「もと教官の家でや
っているのだから、入ってみようか」 こうして恐
る恐る入ったのです。平山の義父は、元軍人らしく
なく、腰の低い人で、私たちを歓迎してくれました。
そして、私たちを利岡先生に紹介してくれたのです。
「利岡先生。今日は元、陸軍の経理部の士官候補生
が二人おいでになりました」すると、利岡先生は
「よく来たな」でも何でもなく、「わしは陸軍の話
は嫌いじゃ」と言って、そっぽを向いてしまわれま
した。取り付くしまがないので、もう二度とその集
会には行きませんでした。おそらく利岡先生の「土
佐つぼ」が顔を出したのでしよう。
それから、私はアメリカの兵隊たちが開いていた
GIゴースペル・アワーという集会で救われ、その
後、主によって召され、献身して牧師となる道を歩
み始めました。神学校を卒業し、開拓伝道をする日、
私はかっての教官平山鉎次郎大佐の所へ挨拶に行き
ました。その日からずっと私の始めた教会に来て、
若僧の私を助け、教会の長老として、すばらしい働
きをしてくれました。それからというもの、平山家
に来られる利岡先生の集会に私も加えていただき、
利岡先生と親しい交わりを持つようになりました。

利岡食堂、十字架まんじゅう
利岡先生は、陸軍を退職された後、生活のために
何かをしなければならないと考えておられました
が、元軍人がやる仕事が、そうやたらにあるもので
はありません。そのころ、丸ビルが東京駅前に出来
て、入居者を募集しておりました。ことに店という
ことになると、申し込みが殺到し、困り果てていた
そうです。多くの人は袖の下を使っていた中で、一
切それをしなかった利岡先生の所が当選し、丸ビル
の中に利岡食堂が誕生するわけです。ある時、利岡
先生が聖書を読んでいると、パウロが「われは福音
を恥とせず」と言って いる箇所に来て、利岡先生
はこれを実行すべく、まんじゅうの上に十字架の焼
印を押し、「十字架まんじゅう」を売り出したとい
うことです。
5.「私はカナンの女でございます」
ある時、利岡先生が地方の部隊のある所で家庭集
会を開いておられたことがありました。すると、そ
こに一人の軍人をご主人に持つ奥さんが来ておられ、
「先生。主人が救われるようにお祈りしていただき
たいのですが」と懇願しておられました。すると先
生は「できません。私はあなたのご主人に会ったこ
ともないし、『します』なんて言ったって、すぐに
忘れちゃいますからね」と言われました。利岡先
生らしさがよく表れている言葉ですね。す
ると、
その婦人はそれで諦めたりしないで、こう言ったと
言うのです。「私はカナンの女で
ございます」。す
ると利岡先生は、「分った。紙にあなたの主人の名
前を書きなさい。」こうして、利岡先生はその人の
救いのために祈り続け、その人は救われたというこ
とです。
利岡先生は、戦後「コルネリオの後」という雑誌
を出しておられました。私の感想は、利岡先生とい
う方は、主のためなら非常識と思われるほどの生き
方を平気でされた方だと思います。ですから、利岡
先生によって導かれた軍人は、私の義父のほか、生
地竹之助少将、永井円針中佐をはじめ、かなり多く
の人がおりました。私が先生に、「陸軍と両立しな
いというキリスト教信仰を軍人に持たせたら、皆先
生と同じように陸軍を辞めちゃうとは思われなかっ
たのですか」と聞きましたら、「辞めるのは私ぐら
いで、みんな後に残っていますよ。その人たちによ
って陸軍を変えてほしかったのです。一人では出来
なくても、人数が増えれば出来ますからね」と言わ
れたことを今でも思い出します。 (おわり)

救いの証
会員 甲斐悠樹 (洗礼名:塔登者シメオン)

「たとえわれ死のかげの谷を歩むとも禍害を恐れじ、
汝我とともに在せばなり。汝の笞なんぢの杖われを慰
む。」(文語訳 詩編 23 篇 4 節)
「我ら基督におり、基督我らにいますことを」(祈祷
書文語訳 聖餐式の式文)
コルネリオ会の皆様、初めてお目にかかります。
甲斐悠樹と申します。まだ25年しか生きていない
若輩者でありますが、証させていただきます。
この証では私の25年間を振り返りながら、要所要
所で、聖書の言葉がどのような働きがあったかを共有
させていただきたいと思います。
故郷は横浜市の金沢文庫という海の近い街で 家は
一般的な家庭であり、信仰は浄土宗でした。
私が初めてキリスト教に触れたのは平成24年、16
歳の頃だったと記憶しています。あまり勉強熱心では
ない高校だったため遊ぶ毎日でしたが、日本キリスト
教団の長老派の信者の先生の勧めもあり、ふと教会に
行くようになりました。先生からは宗教改革者カルヴ
ァンの話をよく教授していただきました。
初めて聖書を買ったのは横浜のダイエーの本屋でし
た。教会に行くのならば聖書は必要だと思い購入しに
行きましたが聖書に多くの訳があるとは当時知らず、
ハードカバーのたいそうありがたみのありそうな包装
をしていた文語訳の聖書を買ってしまいました。内容
は文語のため難解でしたが、これがきっかけで現在も
文語訳聖書を日常使いしています。
聖書も手に入れ、いざ行った教会は家から近い長老
派の教会で日本長老教会神奈川中会の横浜金沢文庫キ
リスト教会という教会です。
1 年ほど通った後、入信しようと思い立ち信仰の違
う家族の反対もなく平成25年の12 月、クリスマス
前に受洗いたしました。詩篇23篇の聖句は洗礼に導
かれた際に心に留めた聖句です。
私がキリスト教徒になったのには明確な理由はあり
ませんでした。ただ、聖書の言葉は自分の人生におい
てポジティブな方向へ導いてくれる、ということだけ
は明確に感じていました。特にこの詩篇の句は、どん
な時も力強い存在が供に歩んでくれているということ
を著しているのではないのでしょうか。
そして何よりも命をかけてカルヴァンが守りたかっ
たもの、崇高な信仰を感じたからでした。
関西学院大学入学のため西宮に移り、必然的に新たな
教会へと移りました。その教会は母教会の牧師先生に紹
介された教会だったため大学生活 4 年間の内2年間は
通い続けました。しかし、自分には合うことはありませ
んでした。私が初めて教会に躓いたのはこの時で、キリ
スト教の教理や聖書に躓いたわけではありませんでした。
それは政治的な思想に躓いたのでした。西宮の教会
は社会運動などに重きを置いており、頻繁に政治的な
集会などを行っていました。礼拝の説教も8月に近づ
くにつれ、日本人は罪を被っており謝罪しなければな
らないなどの内容が増えていきます。一般的な日本人
として育てられた私にとって、初めて感じたキリスト
教への違和感でした。信徒の方に、政治団体の集会に
誘われた際、特に興味もなかったため断ると「クリス
チャンなのに?」と言われたのは衝撃的でした。キリ
スト教徒であることによってそのような決めつけをさ
れることに嫌悪感を抱いたことをよく覚えています。
自分はそこから抜け出したいという気持ちが高まりま
した。しかし、生活においてキリストが共にいるとい
う感覚は絶えず感じていましたため、キリスト教に対
する帰依は消えませんでした。
そんな時、戦前の日本聖公会の祈祷書に「天皇のため
の祈り」(現在は用いられていない)があることを知り、
興味が沸き一度、聖公会の教会に行こうと思いました。
家から一駅のところにある西宮聖ペテロ教会に初めて行
ったのは平成29年頃だったかと思います。初めて参列
した聖餐式の退堂聖歌の風景、聖歌532 番をバックに
司祭一行が厳かに退堂する姿を見て感動を抱きました。
聖公会の礼拝は伝統を護り厳かに行われ、信仰は祈
り、そして非常に素朴なものであると感じ魅了されま
した。説教では聖書の事だけを語り、礼拝の中心がキ
リストであるというのを感じることができます。また、
聖公会の「via media」(「中道」)という思想にも共感
を抱きました。多様性の中にも祈祷書の統一を持って
おり伝統を重んじる姿勢こそ、私に合った信仰ではな
いかと感じ、宗旨変えを行いました。
堅信を受けるにあたって洗礼名を決めなければなら
なかったのですが、「塔登者シメオン」という非常に
珍しい聖人の名前を頂く事に致しました。これは、大
学1回生の時に受講したキリスト教の歴史の授業に登
場した聖人で、ややこしい名前の人々がたくさん登場
する中、鮮明に覚えていた聖人です。聖シメオンは
400 年代に活躍したシリア地方の聖人で、塔の上で祈
り続けた聖人です。
塔の上で静かに祈り続けるという姿勢は自分の仕事
に忠実であることと、メンタルを強く持つことを教え
てくれています。これからの自分の歩みに力強く見守
ってくれる聖人ではないかと思い洗礼名としていただ
きました。堅信式の当日は多くの友人に集まっていた
だき見守られ、キリスト教という同じ信仰を持ってい
る同志が与えられており、自分は恵まれていると感じ
ました。
大学卒業後は、大阪のテーマパークUSJの運営会社
で正社員として働くことができました。仕事では何度
も挫けそうになりますが、その度に聖書の言葉が与え
られ、自分が一人ではない、強い存在に守られている
ということを自覚し前進することができました。
そして、自衛官であった父の影響から幼き頃より一
度は経験したかった自衛隊への入隊を決め、令和3年
に25歳で海上自衛隊に練習員として入隊し、舞鶴教
育隊で教育を受け、広島県呉へ配属されました。自衛
隊生活は過酷を極めるものでした。しかし、そんな死
の陰の谷のような状況下も力強い存在が守ってくれて
いると何度も実感致しました。
私にとって神は力強い存在です。その存在ゆえポジ
ティブに生きていくことができます。現在の私の指揮
官の方針は「前へ」です。何事も前進する時には恐れ
も伴います。しかし、我らには力強い存在が供にいて
くださいます。それによって前進することに恐れる必
要はないのです。
以上を私の証とさせていただきます。皆様と皆様の
家族、自衛隊と我が国に神の御加護がありますように。
在主
(おわり)

コルネリオ会例会の恵み
会員 圓林栄喜

コルネリオ会の例会に参加して30年以上になりま
す。最近のコルネリオ会例会を通して感じていること
を若干証したいと思います。
1. 離れていても交われる恵み
新型コロナウイルス感染拡大前まで、例会の会場
は都内の会場を中心に実施してきました。転勤族の
自衛官は地方で勤務する時は例会に参加できず、メ
ールでの報告で内容を確認しておりました。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、都内での
集会も難しくなりましたが、他方オンラインでの開
催が実現し、国内外問わずその恵みに加わることが
できるようになりました。これはコルネリオ会会員
としては画期的な事でした。中野副会長はアメリカ
から参加してくださっていますし、関兄は沖縄、長
濱兄は愛知、そして私は宮城からとどこからでも参
加できることは恵みです。
2. 新メンバーが加わる恵み
新しい牧師先生や兄弟姉妹が加わってくださって
いることも恵みです。自衛官クリスチャンだけでな
く、関心を持ってくださる兄弟姉妹が加わってくだ
さることにより、これまでのコルネリオ会にはない
視点や考え方も加わることで、私たちもまた学ぶこ
とが多いと感じています。
3. 例会内容の恵み
さらに、最近の例会は聖書の学びに、先生方のメ
ッセージや兄弟姉妹の証も多く加わり、多くの神様
からの語りかけや気づきを与えられています。
例会は毎月第2土曜日午前9時~10時30分の
間、オンラインで行っています。興味のある方は、
会長:石川信隆(cgishikawa@m4.dion.ne.jp)
までご連絡下さい。
(おわり)
ロシアがウクライナに侵攻しました。
武力による一方的な現状変更の試みは世界各国か
ら非難を受けています。
ロシアが速やかに部隊を撤収し、ウクライナに
平和が訪れるよう祈りましょう。
編集子

159nl

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