ニュースレターNo.162(2023年4月)

真珠湾攻撃隊長・淵田大佐、信仰に至る
コルネリオ会教職顧問 牧師 佐藤 順

真珠湾攻撃の元総指揮官・淵田美津雄は、戦後、伝
道者となった。米国のビリー・グラハムの伝道テレビ
番組に出演した際、「変化が先に起こり、キリストへ
と導かれた」と語っている(ビリー・グラハム氏は、
「キリストを信じたら、変化が起きたのですね」と話
しを受けるが、淵田本人は、「キリストを知る以前か
ら、(神による導きを感じるような)変化が起こっ
た」と言った。
「祖国の興廃と民族の栄枯をかけるこの一戦に、だ
まし討ちだの侵略戦争だなどとの後ろめたさは、みじ
んももっていませんでした。ただ白色人種百年の制覇
に対する東亜の解放を聖戦と自覚して、わたしたちは
はげしく戦いました」と淵田は当時の心境を記してい
る。敗戦後、淵田は、日本を敗戦に追い込んだ張本人
として日本人からも白眼視される。そこで世間から逃
れるため、郷里奈良県の一寒村に帰り、ひそかに農業
に従事した。この土に親しむうちに、植物や家畜、自
然の現象を通じて、これらを創造された神の存在を深
く思うようになったという。「世の友はすべてわたし
を去ったけれど、創造の神様だけは変わらぬ恩寵を垂
れたまい、その恵みの下にわたしは生かされているこ
とを、しみじみと覚えたのです。わたしは神棚と仏壇
のある普通の日本の家庭に生まれましたが、世捨て人
のような世俗を脱した生活態度の中に、神への思慕を
知りはじめたことは、光明でありました。そして、戦
争で生き残ったのは、神様はなにかわたしに御用をさ
せようとしておられると思うようになりましたが、そ
れがなんであるか、当時のわたしには、まだわかって
いませんでした」と淵田は記している。
米国が依然憎かった淵田はこの頃、一人の元日本兵
捕虜から、ユタ州の捕虜収容所で、日本軍捕虜に親切
を尽くしてくれた20才前後のお嬢さんの話を聞く。彼
女の両親はフィリピンで伝道していた宣教師で、日本
軍からスパイの疑いをかけられ、処刑されたのだった。
処刑される前、30分だけ時間をくださいと願い出た宣
教師夫妻は、聖書を読み、神に祈ってから首を切られ
た。最初は日本を憎んだお嬢さんも、両親が殺される
前の祈りはなんであったかを思った。するとお嬢さん
の気持ちは、憎悪から人類愛へと転向したという。淵
田は美しい話だと思ったが、まだよくわからなかった。
1948 年、淵田は更に衝撃的な話と出合う。東京初空
襲を行ったドゥーリットル隊の一員として日本を空襲
したジェイコブ・ディシェイザーの入信手記を、渋谷
の駅前で手に入れたのだった。ジェイコブ・ディシェ
イザー軍曹は、真珠湾の復讐を誓い、東京を空襲し、
中国に不時着、そこで日本軍の捕虜となった。捕虜収
容所では一緒に捕らえられた仲間3人が処刑され、1
人が餓死した。獄中で虐待されているときに、なぜ人
間同志がこうも憎み合わねばならぬのかと考え、憎悪
を真の兄弟愛に変えさせるキリストの教えというもの
について、かつて聞いたことに心が動き、聖書を調べ
てみた。ディシェイザーはその3年後、日本に対する
憎しみを乗り越え、キリスト教の伝道者としてかつて
の敵国にやってきたのだ。
淵田はディシェイザーを変えたという聖書を買い、
読んでいるうちに、主イエスが自分を十字架につけた
男たちのために祈った言葉と出合う。「父よ、彼らを赦
し給へ、その為す処を知らざればなり」(ルカ 23:34)。
淵田には、あの米国のお嬢さんの話が頭にひらめいた。
あのお嬢さんは、両親が日本軍に処刑される30分前、
この祈りをしたことに気づいたのであろう。彼女が両
親のこの祈りにこたえるありかたは、キリストの十字
架の赦しを日本人に知らせることだと、けなげにもそ
れを実践しようと日本軍捕虜に行ってきたのだ。淵田
は、キリストの祈りは、正義だと思い込んで米国を攻
撃した自分の罪のためでもあったことを知る。そして、
赦しという言葉の意味を知り、48歳にして生まれ変わ
った。「神様は、わたしがイエス・キリストに背を向け
ていた時から、ずっと限りない恩寵を注いで、たえず
導いていてくださった」と語る淵田は、戦後 8 年目に、
爆弾の代わりに聖書を携え渡米、10年間で全米4万キ
ロを廻り、神の愛を語った。
【参考文献】淵田美津雄『真珠湾からゴルゴタへ』
(大阪クリスチャンセンター)
米国人から「裏切り者」と呼ばれて――
元真珠湾攻撃隊長・伝道者 淵田美津雄
戦後、伝道者になった真珠湾攻撃隊長・淵田美津雄
が、真珠湾攻撃から11年目、米国でテレビ出演した。
すると次のような投稿があった。「私はビリー・グラハ
ムのテレビジョンでお前を見た。そしてテレビのお前
の顔に唾をひっかけてやった。古鼠め(ユー・オール
ド・ラット)、すぐ日本に帰りなさい。ここはおまえな
んかの来る国ではない。クリスチャンになったという
が、なぜ真珠湾を爆撃する前になっておかなかった
か」[あの日、子を失った母より] これに対し淵田は、
「真珠湾で最愛の子を失った母親は、…今も私を憎ん
でいる。無理はない、それが人情だ」と言い、相手へ
の恵みを祈った〔ラットは「裏切り者」「卑劣漢」〕。
1941 年12月8日(ハワイ時間12月7日)朝、日
本海軍が真珠湾攻撃し、米軍側は死者約2400名を出
した。(淵田の指揮した攻撃隊は、戦艦アリゾナを乗
員1177名と共に撃沈。)この時、日本政府による宣戦
布告の遅延のため、日本が卑怯者(ラット)とされる。
しかし、第一次世界大戦後、国際法により不戦条約に
より戦争そのものが違法化されているので、第二次世
界大戦後は開戦に先立ち宣戦布告がなされた例は稀で
ある。例えば、ベトナム戦争は宣戦布告がされていな
い。つまり、宣戦布告の有無などで戦争の正当性が決
まるのではないのだ。それより、真珠湾攻撃の約一時
間前、米海軍駆逐艦が米国領海内にいた国籍不明の潜
水艦を撃沈した。これは日本海軍の特殊潜航艇であり、
実は先に弾を撃ったのは米国側なのだ。
米国人から卑怯者、裏切り者(ラット)と呼ばれて
も、淵田が米国人を愛せたのは、聖書を通して神の愛
を体験していたからである。戦後淵田は、かつては日
本を憎んでいた二人の米国人(宣教師だった両親が日
本軍に殺害されたお嬢さんと、日本軍の捕虜であった
米軍爆撃機の乗組員)が、聖書の言葉によって憎しみ
が愛に変えられたことを知り、自分も聖書を読みたい
と思った。敗戦後の東京は、書店は数少なく、あって
も聖書など置いていない。そこで淵田は、渋谷駅前で
伝道していた宣教師のところに行けば、聖書が手に入
るだろうと考えた。果たして渋谷駅に行くと、宣教師
はいなかったが、若い日本人が、「魂の糧、聖書をお
もとめください」と聖書を売っていた。彼は日本聖書
協会の聖書販売人で、みかん箱を伏せた上に聖書を山
と積み上げて叫んでいた。宣教師に聖書をねだろうと
来てみたら、神さまはそこに聖書販売人を備えていて
くださったのだ。淵田は聖書を買ったものの、占領軍
司令部の召喚で上京し、占領軍への答申の仕事に忙し
かったため、熱心に読まずにいた。ところがある日、
朝日新聞の「天声人語」が聖書についての評論を扱っ
ていた。「聖書は世界のベストセラーと言われている。
人類の話すあらゆる国語に翻訳されている……。現代
において、もし島流しの刑があると仮定して、たった
一冊だけ本を持って行くことを許すとの判決であった
としたら、世界人たちは、その一冊を聖書に求めるだ
ろう……。日本の皆さまよ、まだ聖書を一度も読んだ
ことのない人がいらっしゃいますなら、心を開いて三
十頁だけでよいから読んで御覧なさい。必ずあなたの
心を打つものがあるでしょう」これは淵田にとってま
さしく天声人語であった(天声人語=「天に声あり、
人をして語らしむ」という中国の古典)。天の声で聖
書を読めと言われたと受け取ったのだ。この日から聖
書を読み始めると、ルカ23章34節に、「かくてイエ
ス言いたまふ、父よ、彼らを赦し給へ、その為す処を
知らざればなり」という十字架上でイエス・キリスト
が祈られた箇所まで行った。そしてキリストの贖いを
知ったのだ。
ところで、昭和28年(1953)、淵田は太平洋戦争末
期の大統領トルーマンと15分間会見している。そし
て真珠湾が話題に出た際、トルーマン前大統領は笑い
ながら、「キャプテン、真珠湾はね、ボス・ギュルチ
ィ(両者有罪)だよ」と言った。淵田は、「そりゃ神
の前にはボス・ギュルチィでしょうけれど……」と言
い及ぼうとしたら、トルーマンは遮って、「いいや、
神の前ばかりでなく、人間の前にも、いまに史実とし
てボス・ギュルチィが明らかになるだろう」と言った。
【参考文献】淵田美津雄『真珠湾攻撃総隊長の回想』
(講談社)
(おわり)

新井宏二先生との思い出(これが道だ これに歩め)
コルネリオ会 会員 圓林栄喜

馬橋キリスト教会の創立60周年記念の証を投稿
する機会があり、それを通して教えられていること
を証しさせていただきます。
1.新井宏二先生との出会い
私は2006年8月に鹿児島から東京に異動となり、
高円寺の官舎に引っ越すことになりました。歩いて2
0分程度のところに単立「馬橋キリスト教会」があり、
そこで奉仕されていたのが新井宏二先生でした。
教会学校も行われており、家族で通える良い教会
でしたので祈り通い始めました。神様の導きを感じ
ましたのは、礼拝メッセージで新井先生が「海軍兵
学校」生徒であったことを知ったこと。もう一つは、
以前礼拝を守っておりましたインマヌエル船橋キリ
スト教会でお世話になった竿代忠一先生と新井先生
が知り合いであったことを聞いたことでした。
洗礼を受け、クリスチャン生活を送る中で、自衛
官という立場が必ずしもどの教会でも喜んで迎えら
れる立場ではないことを感じていましたので、クリ
スチャンになる前ではあっても軍人として歩もうと
されていた新井先生に親近感を無意識のうちに感じ
ておりました。
2.愛と祈りの実践
また、お忙しい奉仕の中、求められれば自分のこ
とはさておき、とにかく病の中にある方々のために
東奔西走され祈るそのお姿にキリストの愛を覚えて
おりました。実際に私の知り合いの家族が大病とな
り、横浜や世田谷まで一緒に行って祈っていただい
たこともあり本当に感謝でした。
3.主の導きに感謝
そんな新井先生が2015年に召され、竿代先生
も昨年召されました。戦中、軍人として歩もうとさ
れた新井先生が戦後信仰に導かれ、クリスチャンと
なり伝道者として歩まれたことは神様のご計画だと
思いますし、私たち家族が2006年から2014
年までの間馬橋キリスト教会で礼拝を守れたこと、
私自身が礼拝メッセージを通して、仕事上の様々な
ストレスや困難も乗り越えることができたことは神
様の導きであったと思っています。
4.『これが道だ これに歩め』
新井先生が書かれた著書の一つに『これが道だ こ
れに歩め』があります。このタイトルは、イザヤ書3
0章21節の御言葉、「あなたが右に行くにも左に行く
にも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに
歩め。』ということばを聞く」からとられたものです。
新井先生のところに相談に来られる方々が「どうした
ら良いでしょう?」という質問をされるが、「自分で決
めてください。私が指示するのは適切ではありませ
ん。」といっても「先生決めてください。」と言われる
ことがあったそうです。そのような時に新井先生は、
主が「これが道だ、これに歩め」という主の声をその
方が直接聞くことが出来さえしたらどんなに安心して
進むことができるだろうかと思ったと書いてあります。
この著書を読んで、教えられたことが3つありました。
①決断の前提である動機は「愛」、理由は「主が導い
ておられるから」、そして目的は「人々の救いと神の
栄光のため」であり、「わたしの願うようにではなく、
あなたのみこころのようになさってください。」をベ
ースに祈り求めること。
②決断において、他者の助言は助言であり、やはり自
らが御言葉や祈りの中で確信のある決断をすべきであ
ること。また、御言葉や語りかけがなかったとしても、
情報を集めよく考えて結論に到達し確信することでも
よいこと。(主の導きは「自分でよく考えること」も
あるということ)
③たとえ、間違った決断だったとしても神様は軌道修
正してくださるお方であること。
「あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せ
られる。『わたしは、あなたの神 主である。わたしは、
あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道に
あなたを導く。』」イザヤ48章17節
この本を読んでから、あまり決断で悩まなくなった
と思っています。主は私を愛してくださり、私に自主
裁量の余地も与えながら、私の歩むべき方向に導かれ
ると確信できたからだと思います。
これからも主の導きの中で、主にある確信をいただ
きつつ歩んでいきたいと思います。

月例会動画の案内

コルネリオ会月例会における牧師先生らのメッセー
ジをコルネリオ会(JMCF)ホームページにアップ
しております。毎回様々な視点から信仰の糧となるテ
ーマでメッセージをいただいております。見逃された
方、興味のある方は是非ご覧ください。
http://jmcf.s302.xrea.com/index.html
2022 年12月 「クリスマスの喜びをあなたに」
~十字架の救いに導く「恵みと祝福」「救霊の力」
「証しの原動力」~
武庫川キリスト教会協力牧師・コルネリオ会教職顧問
2023 年 1月 「神の御言との出会い」 〜聖書通読による霊的成長のすすめ~
井草 普一
惠みキリスト教会牧師
藤原 幸生
2023 年 2月 「御言葉は私の道の光」
〜御言葉に導かれた祝福の歩み〜
恵泉キリスト教会みどり野チャペル牧師
大喜多 正洋
2023 年 3月 「返さなければならない負債」
~ロ-マ人への手紙1章14、15節~
桜が丘キリスト教会 協力牧師
野田 秀

お祈りください

1 ロシアがウクライナに侵攻し1年が経過しました。
物価の高騰等、我々の日常生活にも影響が出ています。
ロシアが速やかに部隊を撤収し、ウクライナに平
和が訪れるように
2 コルネリオ会会員の信仰と日々の勤務が守られま
すように。様々な課題にも知恵が与えられ乗り越え
ることができるように
3 コルネリオ会例会に新たな方々が加わりさらに良
き交わりの輪が広がっていくように
献金感謝(2022.11.1-2023.2.28)
皆様の献金を心から感謝します。
常盤一崇、圓林栄喜・さゆり、吉田靖
在原繁・津紀子、大頭眞一、加瀬典文、今市宗雄
宮岡修二、海野幹郎、手束正昭、荻原洋聡
石井克直、康田洋子、桧原菜都子、長橋和彦
瀬在道晴、岡村紀子、下桑谷玲子、内山和彦・和子
石川信隆、矢田部和子、中野久永、真鍋英治
栗田祥子、匿名
献金振込先は次のどちらでも結構です。
① 郵便振替口座:00130-3-87577(コルネリオ会)
② 銀行振込口座:三菱UFJ銀行 和光支店 店番
505 口座番号0385701 ジェーエムシーエフ ナ
ガハマタカユキ
③ ゆうちょ銀行 〇一九(ゼロイチキュウ)店
当座0087577 コルネリオ会

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