81歳の誕生日の決断 -私の信仰に関する自己紹介-
コルネリオ会 会員 海野幹郎
81歳の誕生日を迎えるにあたり、今までの人生を
振り返ってみると自分には人間として大きな欠ける
点、欠点があることに気が付いた。それは、信仰を持
ってないということだった。
遅ればせながら私は最近になって信仰は人間には
必要な大事なものだと思うに至ったのである。
従って、これを機会にキリスト教を私の信仰として受
け入れ、受洗しようと決断した。その決断に至る背景
と経過を書くと次の通りである。
私は、宮崎県日向市細島にある妙国寺(日蓮宗)の
檀家に育ったのだが、父親が途中で日本キリスト教団
の会員になり、召天時は久里浜教会でお世話になった
ので、信仰を持ってなかった私自身は無宗教の状態に
あった。昭和32年防大に入って友人に連れられて行
ったのが、久里浜に千葉愛爾牧師が開いていたキリス
ト教の伝道所であった。結局そこで千葉牧師が私と同
じ細島出身であることが判り、更に、細島教会の初代
牧師千葉昌夫(千葉愛爾は、次男)を父が覚えていた
こともあり、それが縁で涼子と出会い、結婚すること
になったわけだがその時点では特にキリスト教に興
味を持っていた訳ではない。昭和39年1月25日、
久里浜教会で千葉牧師司式により教会第1号の結婚
式を挙げて、それ以降一緒に教会に行くようになった
が、いまだに受洗せずに至っていた。
最近になって、軍人でクリスチャンという先輩の信
仰について、いろいろ調べてみた。
まず、千葉愛爾牧師については、一緒に生活したこ
とがあるし、説教もいろいろ聞いている。
残念ながらほとんど覚えていないが、今思い出せる
説教の一つは、星も月も見えない暗夜の航海で一番頼
りになるのが羅針盤だが、人生における羅針盤は聖書
だという話だ。
千葉牧師は、人生の半分は、海軍軍人として国家に
奉仕し、残りの半分の人生は牧師として久里浜地区の
クリスチャン始め多くの人々の信仰生活に大きな働
きを残しておられる。その生涯を見るだけで、軍人の
クリスチャンとしての1つの模範的な人生を見るこ
とが出来た。
その他、淵田美津雄氏(愛爾牧師の海軍兵学校1期
後輩の元海軍大佐で、太平洋戦争の開始時のハワイ攻
撃の戦闘機の総指揮官)が、戦後クリスチャンになる
ことを決心し、牧師になって積極的な働きをしたその
生涯や、矢田部稔氏(防大1期、元陸将補。「武士道・
キリスト教と自衛官」の著書あり。)は自衛官のクリ
スチャンを受け入れない赴任先の多くの教会を経験
しながらも不動の信仰を貫き、コルネリオ会(軍人の
キリスト教信者の団体。現在名誉会長。)を通じて、
自衛官のキリスト者の中心となり諸活動を積極的に
実施し、多くの人に影響を与えている人生等、その他
多くの立派な先輩の人生を知ることが出来て感銘を
受けた。
内村鑑三の著に「後世への最大遺物」という小冊子
がある。これは、私が中学生の頃父親が買ってくれた
本であり私の人生の生き方に少なからず大きな影響
を与えた本である。後世に偉大な遺物を残すことの出
来ないわれわれ凡人は、“後世の人にこれぞというて
覚えられるものは何もなくとも、アノ人はこの世の中
にいきているあいだは真面目なる生涯を送った人で
あるといわれるだけのことを後世の人に遺すこと”が
最大の遺物だという結論の本であった。
残念ながら私が子孫に残せるものは何もないし、子
供たちの模範となるような立派な生き様を残すこと
は出来なかったかもしれないが、少なくとも「信仰を
持つ」という決断をして受洗をし、最終楽章はクリス
チャンとして真面目な生涯を送ったという事実だけ
は遺したいと思っている。ついでながら、私の家には
家憲がある。これは、母の第1回目の命日(1983
年8月7日)に父親が、兄弟5人に色紙に書いて配っ
てくれたものである。
それには、次の通り書いてある。
家憲の中で、二つはどうにか守って来れたが、真ん中
の“信仰を持て”だけは未だに守れてなくて心残りで
あった。これで、やっと海野家の家憲に従うことが出
来たという満足感もある。
海野家憲
祖先の意思を受け継ぎ、改めて要約して示す
1 親子兄弟仲良くすべし
1 信仰を持て キリスト教 可なり
1 如何なる些事と言えども国法に触れるべからず
一九八三年八月七日
多美一年記念会に際して
幹郎殿
父 健一
私は、日本人の精神の中にわずかにDNAとして残
っている武士道精神(司馬遼太郎の言)が好きである。
私は、武士道精神とキリスト教信仰と共通するところ
が沢山あると思う。
新渡戸稲造がベルギーの法学者の質問に答える形で
書いたのが有名な英語版の「BUSHIDO」(「武
士道」)だが、日本人には宗教教育はないが精神基盤
に「武士道精神」があるとして武士道精神について詳
しく説明しているその本を読んで、感銘を受け、その
精神に大きな影響を受けている。台湾の元総督 李登
輝氏の書いた“武士道解題”にも感銘を受けている。
“武士道と言うは、死ぬことと見付けたり” という
言葉が”葉隠“(佐賀鍋島藩士山本常朝著)にあるが、
私の武士道は“ 如何に生きるか、そして、如何に死
ぬるかを探求し、実行することと見つけたり”である。
81歳になったことを機会に、これらの問題を熟慮
し、具体的行動の表れとして、キリスト教を信仰とし
て持ち、残りの生涯を心置きなく生きることを決心し
たのである。
私は、海上自衛官として半生を過ごしたので海上武
人だと思っている。従って、武士道精神とキリスト教
の信仰を持った元海上武人として残りの人生を送り
たいと願い、受洗を決心した。
好きな讃美歌:子供の頃入浴中に父親の歌っていた
讃美歌:“・・・刈り入るる日は近し・・・”
好きな聖句:受験時に参考書で覚えた“They that
sow in tears shall reap in joy.”
(涙と共に蒔くものは喜びと共に刈り取らん。
アルゼンチン宣教報告会記録(講演編)
コルネリオ会会員 圓林栄喜
2018年2月10日(土)、東京渋谷福音教会にお
いてアルゼンチン宣教師の在原繁師、津紀子師をお招
きして宣教報告会を実施しました。その内容をまとめ
て皆さんに2回にわたり情報提供いたします。
今回は講演内容について、次回は質疑応答内容につ
いて掲載します。
1 はじめに
ただいまご紹介に預かりました在原でございます。
御殿場の教会におりましたので、富士、滝ケ原、板妻、
駒門といった自衛隊の駐屯地があり、多くの自衛官ク
リスチャンとの交流もありましたので、コルネリオ会
の皆さんとは違和感もなく、仲間のような感じがして
います。
エゼキエル書47章9~12節をお開き下さい。
「この川が流れて行く所はどこででも、そこに群が
るあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるように
なる。この水が入ると、そこの水が良くなるからであ
る。この川が入る所では、すべてのものが生きる。漁
師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエ
ン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は
大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。しかし、
その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで
残る。川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が成
長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、
新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているか
らである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」
私たちが現在奉仕しております、アルゼンチンの国
土は日本の7倍、隣国パラグアイは1.2倍あり、そ
の中のミシオネス州は四国と同じ大きさです。人口は
100万人、昔はジャングル地帯でしたが現在は2/
3が開拓されています。映画「The Mission」の舞台に
もなった場所です。
私は1988年に日系人伝道を行なうため家族とア
ルゼンチンに渡りましたが、その当時奥地まで入植し
た日本人たちはブエノスアイレスに戻ってきた状況で
した。ブエノスアイレスには1万人の日系人がおりま
した。その7割は沖縄出身の方々です。私たちは奥地
ポサーダスに行く予定でしたが、ブエノスアイレスの
日系人の皆さんは「おやめなさい」、「奥地へ行っても
勝てない」と言われます。奥地は暑い、夏場は40~
45度にもなります。また、パラグアイからの麻薬の
通り道でもあり危険である。さらに、そのころ3人の
子供がおりましたが、ポサーダスは世界でも最も子供
が誘拐されるような危険な場所でした。
しかし、私は神の兵士です。あなたが行けと言われ
るところへ私は行きますと主に申し上げ、神に従う決
断をしたのです。
2 アルゼンチン宣教に導かれるまで
私たちは、アルゼンチン宣教に導かれるまでに4
年間の準備期間がありました。パウロも荒野で訓練を
受けましたが、訓練を経ないで、本戦に臨むことはあ
りません。
その期間に私が学んだことは自分に失望することで
した。私たちはこの宝を土の器に入れているとありま
す。エゼキエル書にもありますように、教会は神殿で
あり、教会はキリストの体です。宣教は宣教地を良く
し、うるおしていくことが働きです。それを体感、体
得して現地に参りました。神の御心に従わなければ何
もありません。ですから、ブエノスアイレスではなく、
神の導きに従い奥地へ行ったのです。
私がアルゼンチン宣教の召しが与えられた当時の御
殿場の教会は、教会員が40名、自衛官をはじめ出入
りが激しく宣教師を送って大丈夫かという状況でした。
神さまからは「日本から最も遠いところへ行け」と言
われましたが、なかなか道が開かれませんでした。ク
リスチャン生活は兵士と同じです。上からの命令に絶
対服従することが求められます。
話しは変わりますが、母教会の御殿場教会の設立者で
ある、スウェーデンのアクセルソン師は2年間チベット
で宣教している際にチベット動乱に巻き込まれました。
クリスチャンが共産党軍に捕まり、公開裁判で殺されて
いく中、ご夫妻も投獄されましたが不思議な導きで香港
までたどり着き、祈りの中で日本に導かれ御殿場にたど
り着いた方でした。人格的にも霊的にも非常に素晴らし
い宣教師でしたが、徹底して称賛や自分が高められるこ
とを否定された方でした。スウェーデンに帰国後は誰か
らも看取られることなくひっそりと天に召されましたが
まさしく彼が望む召され方だったと思います。亡くなら
れてから彼の働きは評価されますが、宣教には徹底して
神に従う器が必要です。
私の場合は、「あなたを選び、召したのはこのわたし
である。あなたはこれから、わたしにのみ信頼して従
って来なさい。わたしが、あなたを導き、油を注ぎ、
力を与えます。必要のすべては、このわたしが備えま
す。わたしの栄光のために、今よりあなたを用います。
わたしに従いなさい。」という御言葉を3回にわたりい
ただきました。
1回目は山中湖のキャンプ場で一人断食祈祷の最中、ア
クセルソン宣教師との祈りの中でした。
2回目はKBI(関西聖書学院)での「いやし」のセミナー
に参加した際、オーストラリア人牧師の祈りの中でした。
3回目はスウェーデンから一時帰国していた学院の元
委員長 F・スンベリーご夫妻との祈りの中で奥様が預言
されたものでした。
その後、スンベリーご夫妻に別れを告げ、霊的感動
に心震えた私は、「日本での戦いは終わりました」と神
の声をはっきり聴きました。その時に、目の前にそび
える巨大な岩のようなものが、「ガラガラ」と音を立て
るように崩れる思いがやってきました。「何かが起こ
った」と確信した私は、家族の住む御殿場に電話をか
け、妻から驚くべき報告を耳にすることになりました。
妻の話によれば「昨日、JICA(国際協力事業団)から
電話があり、かねて申請していた「アルゼンチンへの
移民申請」が受理され、私たち家族は1988年1月
22日成田発のアルゼンチン行の飛行機に乗ることに
なる」というものでした。さらに「在原家5名の飛行
機代の全額が、JICA を通して日本の政府から支給され
る」という驚くべき内容だったのです。神の御心に従
ったら「勝てる」という確信を得た瞬間でした。
3 アルゼンチン宣教を通して得られた確信
私も宣教師として3~5年いればいいかと思った
のですが、気づくと30年が経ちました。日本からも
世界中に250名の宣教師が送り出されていますが、
技術宣教師が多いと認識しています。残念ながら日本
の宣教師としての寿命は4年と言われます。異文化シ
ョック、奥様・お子様の病気や精神的な病など様々な
理由があります。その中で神の命令を良く聞かず赴く
ことも大きな原因として考えられます。ミシオネスに
導かれたのは御霊の導きがありました。御霊の導きや
聖霊の満たしがなければ長続きはしません。
アルゼンチンでの宣教活動が始まってからも、信仰
の揺さぶりはありました。ある時、ポサーダスから大
河を渡り、パラグアイに行ったときのことです。エン
カルナシオンというパラグアイ第2の都市に上陸した
際にショックを受けました。汚水が流れ、やせた牛が
おり、汚いマーケット、そこに熱風が吹きほこりまみ
れになりました。
どこに何があるかもわからない、頼るべき人もいま
せん。子どもの教育はどうする。様々な思いの中で、
「勝てない」との思いが沸いてきました。
そのような中で、ブエノスアイレスから350km程
離れたコロンという町の教会に導かれました。その教会
は5年前には7人の老女のみであった教会でしたがリバ
イバルがあり500~600人の教会になっていました。
牧師の部屋に通され、3人の婦人がおり皆聖霊に満たさ
れていました。その婦人の一人が話すには、「日本から牧
師が遣わされ、説教するようになり、アルゼンチンの祝
福が日本に流れ出るようになる。その祝福の人があなた
である。」と言われました。その時、ミシオネス、パラグ
アイ宣教は主の御心であることを悟りました。
宣教は宣教地で何かをすることなのですが、私が何か
をするのではなく私を通して神の恵みを現していくこと
です。それは日々神の御声に従っていくことであり、軍
隊であれば上司の命令に従うことと同じことで、当たり
前のことです。
私は日本の祝福のためのアルゼンチン宣教と考えてい
ます。現地の人々ができないことを私たちが整えてやる
こと。現地の人々が教育を受け豊かになることが宣教師
の社会的責任であると認識しています。命の水が神殿か
ら流れ出し生き物たちを潤したように、私たちが神の命
令に従い、神様の恵みがミシオネス、パラグアイの宣教
地に伝わることにより、アルゼンチンの中に救われる魂
が多く起こされ、さらにはそれが日本に流れて行くこと
を願いつつ奉仕させていただいております。
(次回に続く)
献金感謝(2017.12.1-2018.3.31)
いつもコルネリオ会を覚えていただき感謝致します。
また、2019年8月15日(木)~17日(金)横浜地区
で2019 年アジア大会を開催します。現在、大会に向
け準備中です。是非お祈りいただき、参加くださり、
そしてお捧げ下さいますようお願い申し上げます。
献金心から感謝します。
今市宗雄、滝口厳太郎、松山曉賢、久保田雄介、
山下和雄、内山義彦・和子、大沼薫、倉松功、
瀬在道晴・米子、柳澤二郎、海野幹郎、矢田部稔、
中野久永、桧原菜都子、圓林栄喜・さゆり、
石井克直、栗田祥子、吉田靖、石川信隆、
黒木綾、長橋和彦、瀬戸重樹、中村純誠
コルネリオ会献金振込先
1. ゆうちょ銀行 コルネリオ会 00130-3-87577
2. 三菱東京UFJ銀行 ジエーエムシーエフ
店番505 和光市店 口座番号0385701