クリスマスメッセ-ジ
〔マタイ2-1-11〕
今年もクリスマスツー-ズソとなり・会員各位も年末の酷がしきの中把明
け暮れている事と思われるo我国の特技である科学技術もさらに次の飛躍
目ぎして繁栄に商って苦悩している時期であろうo Lかし益々増加し続け
る世界山]を上郡こ養うためL,,=ほ、食料だけを考えても全林では不足であ
るし、現在のままの文化を維持するため糾ま、必要なエネ}7,ギ-だけを考
ぇても、新しい鞘発の必要性が和まれているqかくして入射ま、月施行を
実現し、原子力把よるエネルギ-利用法を開発し、また酎e医学は画期的
な発展麗とげ、生理学の知識は新しい生命の級構把まで及はうとしているo
Lかし一一万でこれらの科学技源の刑発に鴎与すればする臥その鑑ゎ提
さに憩い至らなければならないo
例えは人間の–勘当の働きを考えても、その複雑で微妙な点酎墨しては、
執鑑人知の及ぶ所ではなく、これを真似して作るという事はとても考えら
れる尊ではないoその謂官の代表的な俵能の一つを真似する事がやっとで
ぁり、ロボットは如何に進歩しても人称の輔巧さ把くらぺたら全くおもち
ゃ把等L(動画の域を損ない事を知らされる。科学を少しでも考えるなら
は科学万能等という言葉は空くおこがましい話と言わなければならないo
このように人階匪与えられ、ている科学技師ま真理のごく一部分であり、
残りの寅理把ついては未だ深い未知の中経閉ざされているということであ
一一1 –・
旦
る。
初冬の中天に足を仰ぐ時、その星の過去、未来について、我々が進歩し
た天文学の動け把よって知り得るのは、現在の状態の延長としての存在で
ぁり、それだけが頼りであって、その奥に果して何があるか,何時どのよ
ぅな変化が起るのかは、正確には河もわからないoそしてその勤ま2000
・年前の東から果た樽上達(マタイ2-2)も同じであったであろうC彼等
は当時の文書文献をあさりながら、ユダヤの王の誕生と崖との因果関係に
っいて学び、その出現を確かめるために.はるばる異国の地にやって来た、
そLて文献の教える通りに従って、残軒をもってなる-ロデtの所把来て
櫨面もなくその後継者把ついて閃いただしたC
真理紅対する一途な態f_Eほ今も旨も同じであるo
そして彼らが「壬の言う事を聞いて出かけると・見よ彼等が東方で見た
星が徽らより先虹進んで幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった」
と射、てある。この崖がどんな星であったか、流れ星であったか、すい星
であったか、または何か明るい星が明滅して見えたのか,現在それはわか
らないo Lかし彼等は文献に予言されていた通りにそこでユダヤの七とい
われる幼な子にめぐり会ったというのであるo
聖嘉によれは、神はその一人子をあがない圭として・この世にお送りに
なったの把、選民といわれるニ1-ダヤのパリサイ人達は、それを認める事が
出来ず、そのため彼等は後紅残され、我々異邦人といわれる全世界の民が、
こうして先妊婦の国に入る観会を与えられ、今が恵みの時となっていると
いう車であるoその救いの実現のためにあがない主であるイエスキリスト
が聖霊によってみごもってマリヤからこのi陳生まれて来られたのであるO
型割ま血を流すことなしに罪のゆるしほあり得ない{:/-プル9–22)と
言っているか、旧約聖=書は罪の中にある普通の人間の血によっては罪の清
めがない事を長々と説明しているoまた動物の蟻牲把よる清めは・一時的で
ぁり、それは旧約の終りの時に–」宜こa)世に嵐われた神の十仁エスによる
あが・ないの子,表であると言っている0—-2 ・
またイエスキ11ストの誕生については「その有様は人と異ならず」 (ど
リビ2-7 )とあるから入園の組織肉棒を持っておられたので、その受胎
~
も現々両棲細胞の減数分裂から始まったものと思われるoその始めの抑恥
は48個の染色体を持っており、その半数の24個はマリヤから受けたo
これは入間から受けたのだから完全ではなかったであろうo LかL漁りの
2 4櫛ま聖霊から受けたのだから完全無欠であり、この二者か一休となっ
た凱不完全な半数はそれと対となる残りの半数に完全把-ミ-されて完
全なものが据来上ったものと思われるq
碧雲による染色体とは軒ごあろうか・これは鋸との科学ではわからないo
これは統綱に再現きれる朝まないであろうし,聖書には一変だげと書い
てあるのだから酎息再びこの事を起こさないであろう諸L神がこの事杏
軒草を過Lて人間紅示される時があるとすれば、それは妓後の科学ではな
かろうか。自然碑には単性生殖もあるL・・似た現象はあるかも知れないo
Lかし聖書か言っているイエスの誕生はそれらとは全く月順帝なのである4⊃
この師艶は–{!]-字の蛤酢蛸ち、桐約てみどり子が誕生したoそれら
はすべて聖書の予言のとおりであった。これがクリスマスであるo
我々はこの蝉あ-は免-tfi眼前の畢のみ匿意を奪われ、物質を超えた
窓の世界の事は見えないo LかしだかF:}と言って物腎を遣えた主用が無い
ゎけではない。ア:)アの.-す陀起って、ギリシャ、ロ-マに始まり、ヨ
ぎ7ジバ.アメリカーな回り、今や全世界把子持渡ろうとしている轟細波の
中にあパ、この救い主の生誕のi、沌記念して祝う事は我々クリスチャン
にとってほ大きな喜びであfj、この世の人達把と-もまた大きな希望の
光明ではなかろうかo
℡ ltKhow Yowl: Bib-e” (肇lf川)
著者 W.CIScrogがC
掛告 郡毎 醜男(食酢7イラ・,:i-i.ルフ十ア教会牧酢防棋射
て,iJ・, ・.再,.ip_よる福喜一薄
鍵の言葉二車代「私の僕を見なさいj
p~マ把て書かれるo p-7人のため紅薫かれる0年の様な南海持つo
働きの舶蕗。
著作年代 紀元後50-55年
ヽ
著 者
ヨハネマルコほて.)ヤの息子でエルサレム妃住んでいたo (捜徒1 2
12 )敏の名翻ま新約聖童の車紅-出て来るoヨ-ネが、ユダヤ名であ
ラ,マルコがp-マ名であるo
パウロの忠敬生涯・3)始めとその終わF)紅,てル-は観と一一緒であったが、
これらの期間の間妃はペテロと一緒だった様である。
マルコがこの福音書を書いたと言うのは、非常に古くからの伝承であり、
紀元後120年のノミピ了スの桝宅にさかのぼるoパピアスは彼のことを
「べテpの適訳老日として語っている0枚徒の飽き10:34-43はペテ
ロの説教の要約であり、マルコの福音は本磐的wLはペテロのn運のメッセ
〟:I)の全文である(, 「通乱射と言う言集によっておそらくパピアスは
澗訳者」を意味したと患われるo即ちマルコはペチpが述べ伝えたと忠
ゎれるアラム語をギt)シャ語iJ・C轟訳したのであるo
読 者
この責の見解はマルコがp–マ人の読者たちのためt,qL書いたことを強く
文縛している。
この証拠は外面的及び内離軒であるo華昌一て旧約聖書からの掴沌欠け
ているo p一一マ人が知らない言葉の意味は紳訳されているo fマルコ3-
17 5一・才tl 等)
こしダヤ人の慣習は説明されている。 (マル‥コ7-I-2 15–描)オリ
ブ山の位置が示されている(てルコi3 I)ユダヤ人の律法把ついては
言及されていないC
他の記録糾まのっていないラナン離Ⅷされている0日・,’,:”16・一一27、
t:・ !、、・; I; ・ t^. 1
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記された場所
マルコはこの書を工..)プト,了ソテオケ、シ.)ヤ又カイザIjヤで喜いた
と主張されて果たが,証しを重視する時、記された場所は、 p-マと見え
るoこの見解はペテp葦lの5-13把於いてlもし巨ビロンjがp
マを意味するならは.主嚢L得る根拠を持つ。
著作年代
この隔意書は、エルサレムの破滅の紀元70年以前紅書かれたものと恩
ゎれる。また四融酋書中葦一一のものであることも確かであるC
7,・カによる福吉書が紀元後約5 6年から6i)年にかけて書かれたので、
て′しコの福晋却ま簸比後5 6年以所に書かれていたものに違いないのであ
る。エーティー。/ミートソ-/持上は鼓も確実な年代として紀元後50年を
ぁげている,3ヤニープ書を醸いては新約聖書中最も柳星の書物であるC
文 終
全編盲点中マルー一雄よるものが=-番絵画的であt)また蝉刀直入であるG
能町言葉は小さな絵であるo鮫の好んだ時紬£末売手鳩制でありまた歴史
的射相律、読者の繭に、実際生活の石動と動きを引き音ててくれるの管
ぁる。日~30、 37比較)-モリンソ博士は・マ7レ-,の文体は- 「古典的
でなく.摂理約であり、どの韓海の軒言轟の無敵葺匠も欠けているoそれ
は督素であり、鈍らず、文学的手法または技巧の全くないものであるo」
と述べている。この素朴さが、少なからずこの書の魅力である0
日 的
脚1の言葉はその目的を述べるために削、られるであろうo 仁マルコ1
二日鞘ち目館の清釦内な生活を送って来た、また人々の中で全魔力を傾
けて生活し.、働いて来たイエス、また屈辱を忍んで購った僕としてのイエ
スを提供することである。 〔ゼカi)ヤ3–8、イザヤ52–13 53
1 2日O章の(皇5瓢iほ福宵を馨的LL・(.いる,, 「人の7凍きたのも、仕え
られるためではなく、往えるためであり、また多くの人のあがないとして、
自分の命を与えるためであるc j il串–16章o
~ー~ .1
特 色
これらのrilで福轟ま富んでおり.少数のものだけが名イ摘ーられるのであ
るoここには、 18の奇跡があり、その二つはマルコ転よる福畜書にのみ
記されているo また四つのたとえ話があるが、その一つは,この轟落書だヽ
けのものである。どのたとえも発展がなく、長い鰍親もない。マルコだけ
が.使徒たちが「食事ができない程把暇がなかった)と二度語っているo
41回紋は〔cuthe盲S)と言う語を肌、ているが、それは「直ちに葦「程
なく」 rすぐ匿う「一歩一一歩主「すぐさま」 「~するや否や量また巨きび
しく」と言うように、色々紅訳されている語である。紋のみが、キリスト
が敵から逃れるためにまたは祈りによって彼の魂を新た把するために奉仕
の最中で退かれた少くても1 1以上の出来事を我々紅告げてくれるのであ
るo放のみがイエスがr大工」であったことを語り,ナずL,把於いての不
明瞭な年jH′こ光を照らして下さるのであるo繰り返LW・よる塵調はマ′しコ
の特徴である., (例えは1-こi5・48、 14–68等弓 また級は詳細に書
き記しているo (例えは3-16、 10・一一46、 5-13、 6-一一7、 i.–35、
tl1-135、 i卜∫Ft、 12一一一4i、針∴i2、 1-t41・,生3, 8—12・23等1)
これらの詳細やまたこの様なことは,名所や番号や、時や場所や、色や
感棺に閥Lてもであるo
ノ-ト
マタイの福酋書中、 1068の聖句の中で約500はlYi7-コ匿よる融青書
661聖句からであり、ルカの轟音書1149の車、約320担拍+17ルコか
らであるo唯2t)から3OのマJ・’Jコの聖句だけがマタイにもルカにも見出
されないのみであるo f次回へ)
虫 日本キリスト教団出版「倒立の友妻投書絶対する反論
矢闇薄稔凪ぐ経常絞)からと記「読・:Bのひろばi投書欄の河瀬氏の投書
紘対する放論を掲戟するよう依頼がありました.なおこの反論は同没書欄
に殴4日ノた所、冒キ教団出版部から「教団の置かれている全般的な状況か
・-l h ~一
7
ら本櫛ま和裁しない圭との註がついて返送して来たものです。
◎ 「河瀬伊勢手(鎌倉教会牧師)氏の投書要旨i 去る6月7日国会で.大規模地産対策特規措置法が可決、成立したo地 震国に住む我々は、地産の怖さ、地葦対策の必要とその国難についてはよ く聞かされており、この法津の成立を歓迎する人も多いと思われる。 Lか しこの法律のねらいは全く塊の点にある。伺対策法は.マグニチュード8 級の地車の予知宣言が出されれば、災害発生前に総理大臣の権限で自衛隊 の防災出動が可髄であるとLている。自衛隊が出動するや、町は-一一・樽の戒 厳令下に如かれ、たとえ予知寓言が空振りで亀嵩が起きなくても、指示把 従わない行動は犯罪となり、罰せられるo つまり園対策法は災害対韓とい う仮面をかぶった治安立法といわざるを得ない。また腹案に勉轟災害が発 生した際の自衛隊の救済活動が、住民第-ではありえないと考えられるo 昨年9月横浜でのファントム墜落事故で,負傷した子供より’Ityr・無傷の米 軍パ仁ロットを放射ノたことからも明らかであるo自衛隊の救済活動は何 よりもT恒尭Lf摘二や大資本施蓮の保革を目的とLている。 輯 i矢田薄儀兄の反論」 「地産対策法j閲連の御発言は、直接的には自衛隊に対するも’j)ではな く政治一般把対するものであるが、自衛官であり教会の一一・員である私には 納得できないo ここでは、偶々の指摘事項に触れず自衛隊について取木的妃問うてみた いo御視言の真意も自衛隊の地震における活躍反対ではないと思われるか らo たまたま …福音と現代j 9月琴把宗教改革者の宗教把関する倉松功氏の 論文があるC !判俗の公権力を磯極的把意味づけることのできない宗教は、隠避すち かその宗教自身が極力を奪取するかしなくてはならない。宗教改革者たち-7- .. の教え把はー教会論と典に国家論や世俗の公権力論が含まれていたが、公 認の宗教となり得なかった傍漁のそれには小集団としての教会を超えて、 国民生活全般にわたってその責任を負おうとする教説には欠けていたo」 戦後口本のキl)スト教会には、敗戦の体験、軍国主義に対する反省或は 軍嫁にいじめられたことなどから、軍隊紅対する復L軒う拘な気韓を自衛 隊に代射すること把より,戦争の罪悪感を拭いまた7㌔了諸因との連携を 深めることができるとでもする櫨向が償い。 かくして.自衛隊を不可触親し30年を経過しても感鰭的置歪反応以外 把自衛官論は欠落のままであるo 倉桧論文の傍流は日本の主流となり、 ・全 体としてほ世静の傍流-と進んでゆく。 アジアでも非共産仁義諸国ではキl)スト者の軍人は少なくないo軍人を 教会からはじき出す教説を徹底させてゆげは、いずれクレーームを付けられ よう。 私は今春、韓国を訪闇し教会と軍隊の相互協力状況を一一・・瞥したが日本で は想像できないものであるo 私の滞在間、将兵1527名の集団洗礼があっ たが.チャプレンのはか一・一一般の牧師多数がその御用に当っていた。 鎌倉教会及び碑剰日教区に現在或は将来において属する自衛官及びそtJ。 家族LhII対する牧会的な配慮も欠くのは残念である。 * Mc Donald氏歓迎会 米国OCFの姐e Donald操が夫人と共iJて約-週間日本および韓国を訪 潤された艶会把、 11月19日(‘冒)15:OO からホデルオルグ 二uTjMadoc 帥事務所で歓迎会を行ったo Mc Donald氏は元産nOCFの代表であっ たが停年後、現在の米国OCF勘好窺いこ各国のOCUの発展のために労 LておられるC またMadoc師も元OC Fのメソノミ一一であったが現在は某 国のミッションに属して、ホテルオ-タこのGarden Chapelを上勝L ておられる力である。 日本側からは、千葉愛顧牧師、武出会良夫妻、失出郵稔兄夫妻、滝原博 一・・-.i -.L ? 兄、今井醍次兄が損婿、久し振り紅拘らぬ舌で英詔7・,Cよる交歓を行ったo なおその緒でMc Donai机t,から.中南米諸乱アフリカ謡札 西ドイツ、 イ:/ドッ十、フィリピン、剛勇等のOCUの活動ifTついてのお話があったo
℡ 通 信
C)滝「j厳太郎兄、絹子姉 (棺町)
ニ=L、一・一スレタ–中野島キリスト教会牧師、後藤茂光先生からお貸りして拝 EjJb、たしましたo壬,人は棉町境亀勤務の二等空佐で、その妻私も其れ観測 鮎畜教会で率往させていただいております6 –年毒封的-このニュ–スを拝見 し、自衛官のお家旗と交りをいただきたいと有じておりましたoその後払 達の教会虹捨ても、いちいちと試練の時があ>)、そのため紅祈り.神LJ73導 きL・Trより支えられ今日把至りましたo 主人の父は榊鏡キリスト教会の長老 とLて、永い信抑生活を終え君天しましたが、その:/JTr巨くチャンホ一一一ムに 宵も、あと紘残ったI t1人ojJ・11-も・達はすべて危碑の迫をこ導かれて今榊こ生 っておりますo私も.との救いのみわざにすべてをおゆだねして神の巨か牲一 員として受持入れられ、日々教会の奉封控童んで信酢も活を歩んでお()藍
すU娘牧子は桜糞鉢海舟一年生ですか、今はは-:・lきりと碑9・jL存在なみと担、
洗礼準備のため学んでおります,j私達も心から神虹感謝し-喜んでおります,,
すべて紳♂jご計酢,,”伸二私達がおかれておる車を覚え.、この猛に神の愛が すべての人にそそがれておられる主を為とめ、み栄えのため献身の覚鴇で おります。何卒兵士の-人として私達もコルネijオ会oL)交り把入れて頂き 乾くご交倍を加わがいいたします。 主にあって。 0 猪狩栄勇兄 (八施) 斡転校卒業以来、始めての九州勤務となり、鎮西部隊の・一員として着往 ヽ 来、怒涛の如く激動するその適中にのめり込み、東奔西走の一半把一一ケ月が 過ぎまLたo CGS在学中賜りまLたご指導ご厚情絶対L御礼申上げる挽- 9- /0 会を逸Lたことを深く恥じ、改めて衷心よi.I)御礼努々御挨拶串上げますo 亡〕勝山昌之兄 (北一千捉Hj.2人′)
倍碑とは望んでいる頭からを確信Lまだ見ていない*’粟を棒認するL’-・と
であるといわれるように、克之並では霊魂がひじ1-うf,,i,上ってきまして葬が
神秘的紅見えるよう把なりました。また物!tlT-封する執缶も少なくなり、欲
望をおさえる事か出来るようになりまLたt= コルネtjオ会はどうなってい
ますか、どうぞ悪魔にうち購っで発展して下さい。
仁兄からほしばしはお練りを頂き献金を頂いております(、今井記)
C)樋n 隆兄 (jtJr一一陸佐)
成果補給処の勤務を猿鋸,i-:ー停年退湛し、筑披研究学酢馴沌おいて工業
技術院ojエネルギ–センタ・-イ副所長施竜射文献享-詔,l・-巨こ勤務することに
なりました。家かiLr:凍てi一日分程の・i軒fJtす。, -/璃葉上?:,しく、畑鋸、、いたし
まづ{. (自宅) 日南蒔荒吊沖海区6- 二川6 仁)杵々本新次兄 上北二陸佐) 伸時も無汚;・T.打過ぎ久乱し-ており恵す1,.退出変911Jliiji濯摘肖れて泰i]ま
した1、碧暖のご健康を断りま,すt,
i/自宅) 大村市池田二∴Hj3fj9– i
(〕武宮稗大兄 仁二空佐)
尊い圭の型名を心から賛菜いたします。この度下記把転属いたしましたo
近く紅お出かけの際は是非おrl’.寄り下さいo
53年12月22t上航空自衛隊2()年10ケ月の勤務を終り停年退官
の予定です。今後共なお一層のご交誼を賜わりますようお廊いいたします0
.(自宅) 大官’rh’今羽町477–17 今羽町Lll’i地j5–4()4
コルネリオ事務局(日本OCU)- IO
横須賀市走水-丁目 防衛大学校
応物教室 今井教授気付
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