主イエスは生きておられる
6ii遜
クリスマスが終るとつぎはイースターがやって
来る。聖書Iこよれば主イエスは死人の中から復活
されて,その後天に昇られたとある。
そしてこれが福音メッセージの後半をなしてい
る。 ( Ⅰコリ15章14節) 我々はユダヤ人ではな
く日本人なので主の復活昇天についても何か遠い
所で起った事のようであまり実感がわいてこない
かも知れない。しかし主の昇天の現象が起ったの
は地球上で只1回だけ中東イスラエルの地に於て
であ?た。その時主は天に昇るほつれてだんだん
エルサレムの地から距離が遠くなって終に見えな
くなった事であろう。それから2千年近くの間主
イエスは変ることなく父なる神の右の座について
おられるとすればその位置はどこからでもほぼ等
距離という事で,その点我々異邦人もイスラエル
の人達と同等と言えるであろう。
メ– 近年経済発展と円高のため日本人の海外旅行は
容易となり,割合気楽に主イエスの昇天されたエ
ルサレムの地点まで行くことが出来る。しかしそ
れは2千年前の主の昇天の状況をしのぶためで,
現存する主イエスを仰ぐためIこは旅行の必要はな
い。主はイスラエルの上空におられると同様日本
の上空にもおられるので,主を仰ぐためにはエル
サレムの昇天教会まで行かなくても東京で明治神
宮の森に於てでも十分そのご臨在Iこ接することが
出来る。
日本人とユダヤ人の一番大きな違いは何かと言
われたらユダヤ人は選民だが日本人は異邦人だと
いう事ではなかろうか。日本にも今や数多くの信
仰の厚いクリスチャンが居られる事ではあるが,
しかしその先祖は皆主を信じていなかった。我々
が敬愛するローマ軍人コルネリオ(使10章)もア
ブラ-ム,イサク,ヤコブのような主を信ずる先
祖は持っていなかった。しかし彼は主を仰ぎ見る
や家族一同を集めて主に心を向けるにやぶさかで
なかった。我々にもその事は言えるであろう。我
々が尊敬し慕っている先祖はどのような生き方を
した方であったとしても,若し我々国民が復活の
主イエスキリストを信ずるならば日本国内どこで
でも一族集まって誠の主を仰ぐことが出来る。こ
のようにして天地の創造者であり今も生きておら
れる主イエスを讃美する国民となる事が理想であ
ろう。
数年前たまたま米国サンディゴでイースターを
迎えた事があった。その時の1,000人教会でのイー
スター前夜祭での状況は忘れられない。聖歌と復
活詩とで編まれた40分間の聖会は2千年前のイス
ラエルを思い出すというよりは現存する主イエス-のさんびであり待望であった。主は生きておら
れる。復活とは何か,神の力がどう働いているの
か,現在の科学では解明不能な最大なものの一つ
であろう。しかし科学をそして真理を支配するの
ほ人ではなく天地を創造された神である。聖書に
よれば復活の主は戸を開けずに弟子達の集まって
いる所においでになったという。これはどういう
事か,現存する人間の間ではこのような例を見る
ことは出来ない。生科学が如何に進んでも現在の
人間の知識ではまだまだそこまでは届きそうもな
い。しかしこのような同じ復活の事実は今までは
ないが,将来世の終りの時には起るという。どの
色
ようになるのか,使徒パウロは言う「愚かな人よ,
もしキリストがよみがえらなかったとすれば我々
は最もあわれな人間になる」 ( Ⅰコリント15章)
パウロはこの葦の中で「もし」を8回くり返して
使っている。パウロも昇天前のイエスには会って
おられないのだから「もし」という事になったの
だと思うが,その点は私達も同様である。そして
それを信じられないのは愚かな事であるという。
ある人達は仲々信じられないであろう。しかしそ
の人連を笑う事は出来ない。それと同時に自分自
身の信仰をかえり見なければならない,そしてこ
の復活と昇天と現在もなお生きておられる臨在を
信じる事が出来た時,福音メッセージの前半であ
る十字架のしょく罪とイエスの血による清めの意
味がはっきり理解出来るのではなかろうか。我々
人間の罪をゆるし神の国に引上げるために主イエ
スは今も我々を見守り,とりなして下さるのであ
る。十字架の言は寂び行く者には愚かであるが,
救いIこあずかるわたくしたちには神の力である。
( Ⅰコリ1章18節)
コルネリオ会秋の修養会報告
1 987年秋の修養会は次記のように行なわれた。
目的 信仰の交わりを深める。
期間1987.ll.7(士) ~8(冒)
場所 静岡県伊東市宇佐美1746-1中島荘
参加者:今井健次,矢田部稔,和子夫人,中野
正治,石川信隆,小山田光成,滝原博,山田
伊智郎,武宮啓夫,坂本登利男,孝子夫人,
聖子(6才)忠(4才)各兄姉, (13名)
時程及び担当
曜 倬騏” 内容 �99e�
ーl’16:00-17:00 刎(+Xリx*#イ 司会(石川信隆) 発題(中野正治) 報告(今井健次)
土 �s」 簽 Ε 訪米報告
18:00.-19:00 �磯b 司会(武宮啓夫)
19:00ノー20:00 �傚 ハHクb 司会(小山田光成)
08:30.-09:30 �磯b
日 �s」3 簽 Ε3 祈商会 俶��Y ィヒIH竰 偰~2亥)68嫌’ 4 �譏橙穎�9YI���
09:30.-10:30 凭yG 司会(坂本登利男) 奨励(矢田部稔) 案内(山田伊智邸)
10:30-ll:30 伜Y^
ll:30.-~12:00 �磯b 司会(坂本孝子)
㊥聖日礼拝での奨励 (矢田部稔)
(ルカ22章54-62節)ペテロの信仰のぎりぎり
の場面を示しているので,この箇所をとおして忠
誠心Iこついて問われる。この事が起る前には19葦
のイエスのエルサレム入場から始まる一連の事柄
がある。しゆろの日曜日,宮清め,夜は山での祈
り,木曜日には捕えられ, -ロデやカヤパの中庭
での事があり,それから主を三度否定することに
なる。誠の忠誠心とは人の思いだけで構成される
ものでなく,その弱さややぶれを通して完成され
た時始めて御栄光をあらわすものとなる事を教え
られた。
㊥証詞・話し合し、の抜粋 中野正治 昭40年から航空自衛隊救難部隊で-リコブタ 摸索機の操縦をしてきた。沖縄配属の時4年間米 国軍人と接触し,その信仰生活に興味を持ち救わ れてクリスチャンになった。それから10年余りに なるが,近頃少したるんで来ている事を反省して いる。伝道,信仰の生活が少し希薄になりそうな ので,このような場で活性化をはかる必要がある と思う。現在空幕調査一課に勤務している。あま り明るい仕事ではないが,現在の仕事を通しても それと同じような情況が教えられ励みとなってい る(内容略)。 今井健次 この話は宣教と比較すると面白い。クリスチャ ンは選ばれた人であり,米国でも本当に信仰に立 っている人は少いようだ。アメリカの社会を見た 時どこに神の国があるかと思われる。今の話でソ 連についても同じようなことで,硬い国だと思っ ていたが内容は案外という事もあるようだ。日本 の共産党もだらけているとすれば日本のクリスチ ャンはどうであろうか。 山田伊智郎 キリスト教は長期停滞のようだが,これからの 背景は明るいのではないか,今は何でも合理化さ れてインスタントばやりだが最近手作りのものが はやって来た。これは本質的なものを求める思い がもどって来ているのではなかろうか。企業でも より所を求めている人が多く,そのような選び方 ノー■\ 3 になって来ていると思う。新興宗教も盛んではあ るがキリスト教でも根本的な所を求めるべきで, その追求をしてくればキリスト教は楽しいものだ という方向にいくのではないか,ただきびしい戒 律を求めていくのではいけないと思う。 滝原 博 あまり真剣に考える事はしない。娘が大学で老 人福祉に興味を持って来た。 60歳, 70歳の人を対 象に今奉仕して歩いている。しかもそれで最終的 には喜んでいるので,近頃は世の中も変って来た ので色々な事が対象になる。先入観にとらわれる 事ではなく,その中から活性化をはかっていけば ′へ良いので教会生活でも伝道でもその中から考える。 福音は一皮聞かせたらあとは知らないというので はなく,も一度振り返って神の声を聞かせる姿勢 が大切ではないか。 小山田光成 こんな話がある。あるお婆さんが愚痴を言って いた。それほっぎの三つで, (1)は馬鹿, (2)はあっ ち-行け, (3)は死んでしまえ,であった。これは 生存を確保するのに必要な三つの条件で, (1)は相 手が悪いということ, (2)は侵入者に出て行けとい う事, (3)は出て行かない時,となる。これは人間 の本性で自分が限界で生きようとする時そうなる。 国家間でも同じような事が起る。大韓航空機撃墜 の場合がこれに当るのではないか。クリスチャン は神のゆるしと愛の中でこの三つを静めなくては ならない。人間の原始姿勢は地獄に穀込まれなけ メ-ればならない。又テレビで,あるタレントが面白
い事を言っていた。丸テーブルの真申に料理がお
いてあって長い箸がおいてある場合,地獄では我
先に食べようとするが他人を蹴落してもと思うが
誰も食べられない。しかし天国では自分は食べら
れなくても他の人に食べさせる事は出来る。自分
を愛するようIこ隣人を愛せよという事になる。
山田伊智郎
しばらく研究の業務に従事しているが,研究と
いうのは締切が3月末というのでその間切迫感が
少い。ついつい明日にたよる傾向がある。イエス
はそれをマタイ6葦34節でたしなめておられるの
だと思う。マルタとマリヤの話にしてもイエスは
マルタに時の大切な事を説いているので今の時を
のがしてはいけないという事であろう。福音のす
ぼらしさは認めるが,それは今日でなく明日信じ
ても間に合うというのが悪魔の言い分である。
ブラジル伝道旅行を終って
コルネリオ会員,元中央病院勤務,現東京基督
伝道館副牧師の下乗谷浩師がブラジル伝道旅行を
終って帰国されたので1月の定期集会にその報告
をして頂いた。その要点をお知らせする。
旅行はブラジル日系人教会,および国情視察を
目的として,サンパウロ,.リオデジャネイロ,サ
ルバドール,ベレン,マナウス,ブラジリアを回
りイグアスの滝まで行き,その間聖公会,ホ-リ
ネス,メソジスト,ホサナ,アライアンス等の教
会を回って各所でみ言葉の奉仕をする事が出来た。
サンパウロ周辺でも600km位の行動範囲があるの
で夜行バスで行って朝礼拝をして再び夜行バスで
移動するという状態で体力が必要である。また,
無牧の教会が多く集会のため人を集めると言って
も電話もないので各家を自動車で回って知らせる
という状態なので,日本で考えるような予定の行
動は仲々うまくいかない。一世二世の人達が対象
となり,若い人達とは疎外されやすい。しかし集
会に集まるのは家族単位の事が多く,個人伝道と
いうよりも家族が同時に入信しやすい。しかし無
牧に近いのでその信仰を維持するのが問題となる。
従って信徒伝道者に頼ることとなり,又教会が地
域に深くかかわっているので生活上の行事を重視
する必要があり,結婚式,葬式その他新築の時と
か誕生パーテ一にもメッセージを頼まれる。信仰
を持っている人は特に真剣で,行事を通して多く
の家族が救われている所もある。ブラジルの町は
カトリック教会を中心に発展して来たのでカトリ
ックは多いが新らしい所や日本人の多い所にはプ
ロテスタントの教会が待望されている。治安は良
くなく貧富の差が大きいので,貧しい人は富んで
いる人から奪う事Iこ罪悪感が少ない。しかし物資
は多く人々は底抜けに明るくて人種差別はない。
果物等の食料は豊富で,人民は貧しくとも生きる
ことだけは出来る。日本人の努力は今や実って,
社会的地位は高い。ブラジルは広いので何事もあ
せってはいけないと言われるので,予定が狂うの
午
は一向Iこ平気で,日本から先生が来るというと,
農作業等は後回しにして集会に集まる。収穫はな
くとも神の祝福があればよいという信仰を持って
いる。~ブラジル伝道には問題もあるが,マケドニ
ヤの民の叫びが聞こえるように思った。しかし伝
道をするにはポルトガル語は是非必要だし,子供
の教育の問題等があり,日本からの宣教師は単身
赴任の人も多いように思われた。それから牧師夫
人の役目は広範囲であり,その重荷は大きいよう
に思われた。 (文責 今井)
コルネリオ会集会報告
- 12月定期集会
日時 62.12.12(士) 14:00-16:00
場所 東京市ヶ谷 矢田部稔兄宅
実施事項
聖研「エペテロ1葦1-9節, 2章18-25節」
担当 今井健次兄
出席者
矢田部稔,石川信隆,中野正治,今井健次の
諸兄 - 1988年1月定期集会
日時 63. 1.9(士) 14:00-16:00
場所 東京新宿 長橋和彦兄宅
実施事項
ブラジル旅行報告
担当 下桑谷浩兄
出席者
矢田部稔,中野正治,滝口巌太郎,下乗谷浩,
今井健次の諸兄
トピックス
科学とは。
聖書の無誤性は科学的にも適用されるかという
時,科学を実証可能な事柄と定義するならば聖書
に記述された定常的でない事実または地上に痕跡
を残していない事柄については説明出来ないのが
当然であろう。しかし対象領域を広げて現在再現
出来なくとも系統的な予見を許すならば科学の前
途は無限に聖書の真理Iこ近づくことが出来るので
はないかと思われる。
会計報告
( 62.5-62. 12)
収 入
前回よりの繰越
献 金
支 出
News letter
通 信 費
集 会 費
ソングブック
次回 へ繰越
1,043,937
122,000
1,165,937
85,000
45,000
23,030
8,000
1,004,447
計 1,1-6 5,93-7
繰越金のうち¥800,000は定額貯金
㊥献金者氏名(62.5-62.10順不同,敬称略)
矢田部稔,今井健次,望月錦吾,谷岡博志,
斎藤良一,鮎川英男,中野研精,峯崎康忠,
長尾有二,足立慣二郎,藤田勝男,宮下和之,
飯塚正実,石川信隆,今村和男,中野正治,
岡村紀子,安永 稔, ′」、森邦治,武内哲史,
玉井佐源太,武宮啓天,蔵谷三郎,吉江誠一
(会計係 石川信隆記)
/′~ \
★ 転勤,住所変更の場合ほお知らせ下さい。 /一・、
★ 原稿を募集します。論説,あかし,御意見,
近況等お寄せ下さい。
コルネリオ会事務局(JOCU)
東京都東村山市富士見町2-1 2-34
TEI. 0423-93-6902
郵便振替 東京3-87577
(発行責任者 今井健次)