News Letter No.4 1971年9月


○論説

 世界に目を
 戦後26年を経て、日本国内の様相もすっかり変わってしまった。武力によって世界に伍して行こうという考え方は完全に拭い去られ、進む道は平和外交以外にはあり得ない。幸いにして我が国の経済は大発展をとげ、日本円の信用は今やドルを追い越そうとしている。この時に当たり、我国民として、又クリスチャンとして考えなければならないことは、この経済の力を如何に平和力として推し進めるかということであろう。
 その方法は従来の資本主義的、植民地主義的であってはならないことは明らかであり、他国に対して恵となっても脅威となるようではならない。ここに新しい国際的な経済発展の理念が必要となる。この解答は何であろうか。
 新約聖書は二千年間にわたって、各所で、そのみことばを通じてこれに答えようとしている。今こそ、みことばの正しい解訳と福音の精神を生き返らせなければならない。この意味から世界中のクリスチャンを通しての交わりが非常に重要になってくるのではなかろうか。
 幸いOCUは国際的な組織を持っており、各国にキリスト者の軍人がいるので、或は文書で、或は互いに往来して交わりを深め、世界に類のない、我自衛隊の性格を紹介し、進むべき道を互いに理解し合いつつ進むべきではなかろうか。
 今回の千葉牧師ご夫妻及び武田会長の渡欧はこの意味で先鞭をつけるものであり、これに続いて多くの会員諸君が折にふれて諸外国の兄弟姉妹との交わりに入らんことが望まれる。

○OCU国際大会に参加して

 千葉愛爾
 今年度の国際OCU大会は5月28日から6月2日までドイツのダツセルで開催されたが、幸いに私達夫妻は武田会長と共に出席することができた。そしてこの旅行を可能ならしめた背後には色んな方々の援助や後押しがあった。衣笠病院、久里浜教会、日本キリスト者自衛官連盟、それに行く先々であらゆる友情を惜しまなかった、独、英、米、オランダ各国のOCUメンバーたち、また、各地の知人や親戚たち、更に内地に留守部隊として我家や教会や職場を守ってくれた人たち、これらの方々の尽力なくしては、私どもの年令、経済、境遇からいって到底今回の旅行は不可能であった。ここに先ず神様とこれらの人々への感謝を捧げたい。
 私たちは5月27日朝ローマで武田貴美陸将(以下先生と誌す)と合同し、1345フランクフルトに着いた。空港ではドイツのヨハネス、ミッシェル空軍中佐、ログナー軍医大尉、マインツ大学のファスベンダー教授が迎えに来ておられた。この日はファスベンダー教授のもてなしでマインツのヒルトンホテルでラインの流れを見下ろしながら御馳走を頂いた。食後同市のグーテンベルグ博物館で特に公開されてない世界最古の印刷した図書など見せされたが、私たちには?か猫に小判の感であった。夜はミッシェル中佐の案内でフランクフルトの旅館に宿った上、夕食まで御馳走になった。
 翌5月28日にはフランクフルトから空路約40分にしてハノーヴァーに着いた。空港には軍医大尉ジョンリル氏が迎えに来ていて実に親切に世話をしてくれた。彼はその後も武田先生を私たちと、その両親の家の夕食に招き、長途ベーテル迄車を運転して、更にOCU国際大会会場のあるダッセルに連れて行った。
 そこには既にイギリスのユーバンク卿夫妻、韓国の崔牧師、カナダのリード牧師、アメリカのハリソン中将、インドネシアのダルマ小将、印度のコーカル氏など、旧知の顔が見える。ドイツOCU会長はグンター、コラツ陸軍中佐(退)、その他の役員セガーン氏、クニツプシェア氏、クリステンセン氏、カイガー氏、カニツ夫人(前会長夫人、未亡人)等、初対面の人たちであるが十年の知己の如く迎えられた。その前に泊った国々が、エジプトやローマの如きどちらかというと違邦の国々であったので特に親しさを感じた故もあろう。此の会場はYMCAの建物であるがドイツから170〜200名、外国から70〜80名の参加者があり、大部分の人は此処に泊ったのであるが、私たち二人とアメリカのジョンソン牧師夫妻は4キロばかり離れた町のホテルに泊ることになる。我らの世話係はドイツのカイザー少佐で、この人は600哩も南から夫婦でこの大会のために出て来て大会終了まで極めて親切に世話をして呉れた。此の度の大会はドイツ軍全体の援助は強力であった。宿泊、通信連絡、交通、警戒等至れり尽せりであった。
 我らをフランクフルトに迎えて呉れたミッシェル中佐らはOCUの国際大会がダッセルでああることは知らなかった。只上司の命で我らを迎えて宿まで送るのが任務であったようである。リル大尉と?も大会への出席よりも我らの世話を第一としていた形跡が見える。而も我らの接待のために個人的の負担をせられたのは感謝に堪えないことであった。全体として受入側のドイツの会員は皆よく協力して、車輌の提供、連合輸送などを快く引受て居るのには感心させられた。
 第一日目の5月29日朝8時から朝食前の祈祷会が行なわれ(青年)というテーマがドイツ委員によって発題せられ、各国会員の熱烈なる祈祷がなされた。食事は約300名が一階と二階の大広間に分れて、自由に誰とでも坐れる様になっているので、各国委員と話を交えることが出来た。此の朝には米国のクレオ、パックストン、英国のゴッドフリー、バックストンの顔も見えた。十時から10:45迄はオランダの会長コーマー氏の司会でDr. C. Sternの聖書の研究があり、11:30から12:30迄、英(バーソロミュー氏)カナダ(リード氏)日本(武田先生)印度(コカール氏)よりそれぞれの国のOCU現状報告があった。武田氏は劈頭に(グーテンモルゲン)と挨拶して大喝采であった。特に淵田伝道以後の防大を中心とする動向について説明された。各国代表が後刻、日本の防大のため、日本のOCUのため、多数祈る動機となった。昼食後16:00迄は自由時間で希望者はドイツ会員の車に分乗してConveyという町を見に行く。此処には1150年に建てられた古い教会堂があった。
 私たちの車は前会長カニツ夫人のものであった。カニツ夫人は55〜56才の未亡人。現会長コラツ中佐夫妻やセガーン夫妻と共に今大会の接待委員に挙げられていて、伯爵夫人という肩書を今でも使っている。私たち二人の他に、ベヒラー夫人という60才位の婦人が同乗した。
 緑深い森を走り抜け。老人ばかりではあったが菩提樹やローレライの合唱など口ずさんで誠に楽しい3時間の見学であった。<BR>  17:00から17:20迄はアフリカ、アジア、オーストラリアの各国について祈がなされた。次で約一時間に亘って、シュミット、クラウゼン博士の講演(神の国と此世の国)がある。夕食後更に講演のテーマについてパネル、ディスカッションが行なわれ、各国代表の活発な意見が出て21:00頃に終わった。大体他の日も、ペンテコステを除いてはこの様な日課が行なわれ最後の日にはユーバ?英国のC.スターン博士、ワトソン師、ドイツのシュミット、クラウゼン博士、シュナイダー氏、ゴットフィールド、クラッパー師など一流の人物を網羅して行なわれた。5月30日のペンテコステには特にドイツ教会のビショプ、リルイエ博士が来て聖餐式を司った。一般にOCU会員は熱心な祈の人が多く、礼拝は祈祷会には却って教会に見られない或る霊的なものが溢れているのを感じた。
 各国共、新しき世代との問題、東西の問題、人生の目的、平和、という様な問題があり、特に東西分離を身を以て味わっているドイツの人々には深刻なようである。ミッシェル中佐は東独の姉に合うことが暫く昨年から、年に二週間を限って許されることになった、と瞬きもせずに言う。(あなたたち外国人は却って自由に東どくへの出入が出来ます。我らドイツ人にとっては東西の交通はまだまだ容易なことではありません)という。韓国大統領の対北朝呼びかけが極く二三日前に行なわれたことを思い合わせて、日本は幸福であったと思う。
 ペンテコステには全員礼装して礼拝後は自由時間となったので、ドイツ会長コラツ中佐夫妻によってアインベックという中世紀の町を見学した。その後で武田先生と私たちはリル大尉に案内されて150キロ西方のベーテル病院街を見学に行った。ここでも大変多くのことを学んだのであるが、更にその晩はハノーヴァーでリル大尉の家族と会食し、夜の大噴水(高さ90メートル)や、200キロのアウトバーンの快速に肝を冷やしたりした。
 この様な交わりが続けられて2〜3日後には各国の人々と皆打解けて、人種の差別なく、言葉の障壁を感ぜず、誠に天国の一部を此世に持来らせり如き会合であった。
 ドイツの人自らWonderfulと言って憚からない程の和気藹々たる出来栄えであった。
 このドイツ大会の後、私たちはオランダ、英国、アメリカ各地でOCU関係の人々にお世話になり、又会合に参加し、真に兄弟に遇せらるる様な気安さを覚えて6月23日に帰国したのであるが各国のOCU結成状況は、まちまちである。英、米、独、韓国等の如く半官半民的の組織を有するものと、日本の如く全然政府の協力を期待出来ない場合は大いに異なるし、更に印度や、インドネシア等の如く政府が寧ろキリスト教に反対に近い立場を取るものもある。カナダは会員約200名、機関紙は年間一回発行、財政は一切会員で賄い余り豊かでなく苦心している(Riled会長報告)由である。日本に一番近い状況かも知れないと思われる。

◎会員消息

 ○椎名良三兄(2陸尉11A3Bn)
 46.5.25長女出生されましたが、早産のため約9時間の短命で昇天されました。夫人隆子姉は元2陸尉です。御夫妻のためお祈りください。  ○糸井 勇兄(元海軍大佐)
 ご所属の四日市教会でプリントされた証詞集を送っていただきました。旧海軍時代は千葉牧師と同期との事です。未だ救われざる先輩、後輩のために祈っておられるとの事、感謝です。  ○平山?次郎兄(元陸軍主計大佐)
 「信仰生活45年の前半(終戦まで)はコルネリオ会同人として過ごして参りました。ガダルカナル島に4ヵ月島流しにされ、九死に一生を得た体験は、私の一生涯で一番神様が身近に居て下さった思い出深い経験です。今74才で高田馬場教会の長老として、豊かなので畏れおののいている次第です。」とのお便りがありました。  ○佐々木新次兄(3陸佐、3教団)
 新隊員教育中隊長として連日隊員の教育に追われておられ、又教会は政治活動的で困っておられる由、重要使命を負う兄のため主の豊かなお守りがあらんことを祈ります。  ○山口利勝兄(2空尉 浜松基地)
 4月に長男がご誕生「夫婦共に一人の新しい家族に振り回されておりますが、この子が主に従順なものとして健やかに育ってくれる事を祈っております。」とのお便りがありました。どうぞ皆様もこのお祈りにご唱和下さい。  ○蔵谷三郎兄(3陸佐 1ヘリ団)
 「1ペリ」団飛行隊長を拝命、教会も変わりました。 -----嫌な感じをうける事もありますが主を求め、主にあって教会に連なっている事を思い直して怠なる僕の道を歩みたいと考えております。」との事です。キリスト者の道は平坦でない所に恵みも深くなるのでしょうか、ない弟の子供(蔵谷忠司君)が防大の2年生とのこと、防大支部の方々はどうぞよろしく。

◎転勤、住所変更

 2陸佐 藤原正明 少年工科学校 企画室

          横須賀市御章浜21ー1

 海 将 安永 稔 大湊地方総監

 1空尉 武宮啓夫 青森県八戸市市川町桔梗野

          航空官舎11号

 元3陸佐 藤田喜敬 日立建機K.K.

          埼玉県朝霞市田島288

 3陸佐 佐々木新次 陸自3教団322共中

           佐世保市大深町0番地

 1陸尉 松山暁腎 北海道地区補給処

          恵庭市西島松柏台官舎Bー6

(転勤の折はお通知下さい。)

◎会費納入(敬称略)

45年度分

 安永 稔、糸井 裕、????馬場千代喜

 藤田??、蔵谷三郎、山口利勝、佐々木新次

46年度分

 松山暁腎、椎名良三、????、三上賢一、

 大貫忠和、????、熊野政重、蔵谷三郎、

 山口利勝

お知らせ

 46年度合同修養会を計画しております。  11月頃に三浦半島方面ということですので良い場所が与えられますよう、また成るべく多くの方々が集まれますようお祈りください。 コルネリオ誌原稿を、お送りください。論説、あかし、通信文、近況、詩歌、何でも結構です。 コルネリオ会事務局
 横須賀市走水一丁目防衛大学校
 応用物理学教室射理研気付