News Letter No.5  1971年12月


☆ 天の真理と地の真理
 イエスは言われた「だれでも真理につく者はわたしの声に耳を

傾ける」「真理とは何か」総督ピラトはこう叫びながら大きな罪

を犯すことになってしまった。(ヨハネ福音書18章28〜19

章16)この時ピラトは何を考えたのであろうか。彼はローマの

一官吏としてユダヤ人達をどうやって静まらせようかと心を悩ま

したことがよくわかる。そして、自分の考えで一番よいと思う方

法をとった。しかるにそれが永遠に消えることのない大罪となっ

てしまった。どこを誤ったのだろう。

 我々人間は罪を犯して神から離れて住むようになって以来「苦

しんで地から食物をとり、顔に汗してパンを食べるようになった」

(創3 18、19)そして神は我々にも日光や雨を与え、又、

地を耕し、木を切り、土を掘り、金属を作り、器具を作り、自動

車を作り、テレビを作る能力をお与えになった。又、自然を通し、

人間の交わりを通して、この世に生活するための色々な良い物と

良い知恵とをお与えになったのである。これが地上の宝であり、

地上の真理ともいうべきものではなかろうか。そして地上の真理

は我々が正しく努力すれば神は次から次と我々にお与えになる。

しかし、ここで注意しなければいけないことは、サタンの存在で

あろう。サタンは我々人間に与えられた自由意志を利用して常に

この世の君(ヨタネ12:31)として地上に君臨し、我々に与

えられた真理を曲げようとしており、理解できる真理は、本当の

真理のごく一部分であり、2次元的なものと言えるであろう。

 それでは、誠の真理とは一体何であろうか。誠の真理はやはり

天のものであり、天地万有を作られた神の管理のもとにある、と

考えるのは極めて自然であろう。人間は長い間之を求め、これが

あることを誰でもうすうす感じては来たが、現在の世の中を見渡

すとき、今にいたるまでついに人間の力ではその全容をうかがい

知ることはできなかった。しかし、神の愛は時に応じて雲間を通

して下界を照らす太陽のように、我々の上にそそがれていたので

ある。そして、その事を計画的に我々の上に降りそそがれていた

のである。これが、3次元的な天の真理と言えるのであろう。只

我々は聖書を読んでも十分理解する事が出来ないし、又、聖書が

すべての真理を教えてくれるわけではない。日常生活の一つ一つ

の問題の解決を教えてくれるわけでもない。

 それでは我々はどうしたらよいであろうか。

 イエスは言われた。「真理のみ霊が来る時には、あなたがたを

あらゆる真理に導いてくれるであろう。」(ヨハネ16:13)

そしてイエスの昇天後間もなくこのみ霊が教会に下った事が聖書

には書いてある。(使2:3)だから我々のなすべき事は、この

地上で真理をおおいかくそうとするサタン(悪の霊)と戦いなが

ら、その真理のみ霊を受ける事に勤めなければならない。

 我々は、この2次元的な世の中にあって、2次元的な真理を正

しく押し進めるために、常に天からの3次元的な真理でこれを修

正しながら進まなければならない。地上で如何に矛盾に見える事

でも、み霊による天の真理によって、これを見直す時矛盾は矛盾

でなくなり、誠の道を通すことができる。我々は、この天の真理

を見上げながら自衛官としての道を堂々と進もうではないか。


 ☆合同修養会報告
 46年度合同修養会は、11月13日(土)、14日(日)の

二日にわたって防衛大学校校外クラブ「走水荘」でつぎのような

日程で行なわれ、終始恵みのうちに終了した。二人の兄姉から感

想文を頂きました。又、特にあかし会には各人のすばらしいあか

しがなされたが、紙面の都合で次号で紹介します。



日程

13日(土)

 15:00 受付

 16:00 自己紹介及びあかし会

 19:00 夕食

 20:00 グループ聖書研究会

 22:00 就寝



14日(日)

  6:30 起床

  6:40 早天祈祷会

  8:00 朝食

  9:00 自由時間

 10:00 聖日礼拝

 12:00 昼食

 13:00 お別れ座談会

 14:00 解散



出席者(敬称略)

 千葉牧師、天野副牧師、武田貴美、武田夫人、岡部建蔵、

 溝口裕、矢田部稔、矢田部夫人、長女、長男、松山暁賢、

 滝原博、滝原夫人、長女、二女、三女、村松来多郎、

 今井健次、今井夫人


☆ 46年度修養会に参加して
     矢田部 和子
 季節はずれの台風接近の予報を気にしながら、うす曇りの浦賀

水道を真下に見る走水荘に着いたのは、午後3時頃でした。玄関

ロビーで「まあ、子供さん達見違える程大きくなりましたね」と

滝原夫人に迎えられ、?年振りのなつかしい挨拶。ロビーのソフ

ァに腰掛けている滝原さんのお嬢さん達3人もどれが誰がかわか

らない成長ぶり、それもその筈、5才、4才、2才の3姉妹と1

年振りの対面なのです。集会室には今井先生御夫妻はじめ防大生

の村松さん他数名の方が既に到着されていました。集会は、まず

自己紹介をかねての最近の心境などをお互いに語り合ううちに次

々出席者が揃ってきました。真剣なあかしに励まされたり、おの

ろけに宛てられたりで、すっかり気分がほぐれてきたところで子

供達お待ちかねの夕食になりました。

 私がコルネリオ会の事をはじめて知ったのは、もう10年も前

の婚約時代のことです。主人は、その以前コルネリオ会の修養会

に出席して(米軍家族も参加していたとのことです。)とても良

い集まりで結婚したら是非家族連れで出席したいと心に決めてい

たようです。・・・当時はまだ結婚相手も決まっていなかったの

に・・・。結婚後、山陰、静岡、北海道などに住み会員の方とお

会いする機会もほとんど無く、年に一度会費を送る以外、私にと

ってコルネリオ会の事は、あまり興味あることではありませんで

した。4年前の世界OCU会長ユーバンク小将御夫妻が来日され、

市ケ谷会館で集会が開かれました。丁度その頃千葉県八千代市に

短期間でしたが住んでいた時でしたので、出席しました。この時

がはじめてです。故人となられた佐々木様にお目にかかれたのは、

この時がただ一度でした。今は滋賀県に居られる小森様御夫妻に

もあの集会でお知り合いになりました。全国を転々とする私達に

とりまして、出席できる機会に出席しておくことが、とても大事

だと、今になって思います。

 一泊修養会に参加できる状態になったのは、昨年がはじめてで

した。この時は、主人は、かねての希望がかなえられると張り切

っていたようです。私は4才と6才の子供を連れての一泊集会は

いろいろと気になる事が先立っていましたが、会場について、哺

乳びんとおむつを持った若いお母様の姿(滝原さん)を見かけた

時はホッと安心したものでした。

 今年の修養会は、聖書研究の時、お風呂に入ってから子供を寝

かせて行ってみると研究が終わったところだったり、朝寝坊の息

子につき合って早天祈祷会に遅刻したりしました。自衛隊の中で

自分達の与えられている使命の重大さを再確認しつつ、共に祈る

現職自衛官・元自衛官・将来の自衛官そしてその教育者・その家

族。少ない人数の集会ではありましたが、天からの声が「わたし

は既に栄光をあらわした。そして更にそれをあらわすであろう。」

(ヨハネ福音書12章28節)と言われた箇所に真実と慰めが、

また、コルネリオ会の将来につて希望が与えられました。

 「さようなら、又来年会おうね。」子供達はお互いにすっかり

仲良しになって、来年の再会を約束しあっています。「来年の修

養会の会場は何処頭、東京かな。時期は夏かしら、やっぱり秋か

な。今年は参加費用をやりくりしてねん出したけど来年は計画し

て用意しておこう。まだお会いしていない会員の方も来年は出席

されると良いのになあ。」こんなことを考えながら、台風も遠く

離れたコースへ行き、天候にも恵まれた修養会の一コマ一コマを

思いうかべつつ帰途につきました。


☆ ”OCU”親睦会に出席して
   滝原 博
 我家の年中行事の中で、首を長くして待っている一番の楽しみ、

それはOCU親睦会の参加である。一昔前の我輩の顔も大分くた

びれ、女房も少々(いやかなり)中古品となったけれども、2才、

4才、5才の娘共はますます意気軒昂。この待ちに待った日にな

ると、ここ一週間仕事のコンピュータ看病のため殆ど寝ずの数日

であったが、家中六時にたたき起こし、朝食もどこへやら、ソッ

クス、クツ、リボン、ボーシの飛び交う中でどうやら我家のレデ

ィ共の仕度もできあがった様子、ああこのカシマシサ神の御前に

静まるどころではない。五人車中におさまる。祈り、出発。二才

のオシャベリ屋はあだ名(キョロ)の如く大きな目をキョロキョ

ロ。知識欲旺盛な四才になったばかりの次女は、専ら後車の監視

役。五才の長女は悠然とそっくりかえっている。女房は甲斐甲斐

しくも迷コンパスとなって方向を指示してくれる。

 横浜に数年も住んだことがありながら、我が愛車を横浜港付近

の工場街に誘導してくれたり、散々の体で地理に慣れた横須賀に

入る。横須賀は変わった。あの遠泳をやった海の一部が陸地に変

り、また絶好の野外訓練の場だった砲台南方の山岳地も、あたか

もエルサレム城の整然と区画された地割の如く変わってしまった。

しかし会場の走水荘(防大校外クラブ)に着いてみると、見慣れ

たなつかしい顔ばかり。二人の新しい人がいたが、早速祈り。次

いで自己紹介兼証しが始まった。皆、この七夕の如き日を待ち焦

れていたことがわかった。一体何がこれ程の調和と熱意と愛をか

もし出しているのか。唯、主。汝の愛の偉大さよ。昨年のこの会

はOCU中興の会であった。数年の冬眠の後に、今年は昨年の熱

気にプラス落ち着きを与えてくれた。矢田部大先輩のドッシリと

した信仰生活ぶり、後輩の村松学生の旧約の言葉が何回も出てく

る熱弁と毎日曜東京まで出て礼拝に出席しているその熱心さ、武

田先生の世界をまたにかけた同志との交わり、その成果をスライ

ドを通して今年も紹介してくれた。新顔の岡部先生、すばらしい

証しを家内と共に感心して聞き入った。防大時代お世話になった

千葉牧師、電灯が要らないくらいになったがまだまだ若い。奥さ

んが見えられなかったのは残念。北海道から久里浜の学校に入校

されている松山兄。ペープ式聖書勉強会の我がグループのチーフ

になり、汗を流しながら内容をまとめ発表してくれた。溝口先生

が一番早く会場に着かれておられ、なつかしく話を交わしたが、

友人の古希祝のため早退されたのは残念であった。今井先生、防

大に勤めることができたのも神の導きとばかり、その恵みを一生

懸命神にお返ししている様子には恐れ入った。最後に、御婦人方

も御苦労様でした。来年は各人が友を誘い、より充実した会に致

しましょう。


☆ 利岡中和先生昇天
 旧軍人伝道の大先輩利岡中和先生には去る10月11日84才

のご老齢にて昇天されました。謹んでお悔やみ申し上げます。な

お、平山鉄(?)次郎兄からつぎのような弔辞が届きました。



 弔辞

 私共はキリストの時代にローマよりカイザリヤに駐留していた

百卒長コルネリオの美しい信仰を慕いコルネリオ会なるものをつ

くり、罪深い軍人の間にキリスト教を伝道するく導かれた者であ

りまして、そのコルネリオ会の創始者であり又私共を救いに導い

た大先輩がここに眠りについておられる利岡中和先生であります。

先生によって救いに入られた方々は数えきれない程居られますが、

既に昇天された方では熱海景良兄、田中友次兄、藤原明夫兄、生

地竹之助兄等々、尚高齢を保って今尚健在の方には桑貝秀二兄、

紺田修一兄、永井円信兄、山田敬一兄等はその一部の方々であり

ますが、先生がなされて神の生命の文に記されたすばらしい働き

は尚限りなくありますが、永い84年の地上生活を終えられて今

永久の休みに入られたのであります。

 利岡先生のご思い出は語り尽せませんが、そのお働きの中心は、

聖書を誤りのない神のことばと信じ、之を正しく人に伝えること

でありました。よく私共に言われた言葉でしたが、「聖書はお赤

飯をしこしこ噛むと同じく味わえば味わう程おいしい、又魚の骨

と骨との間のささ身をほじくって食べるおいしさと同じく熟読玩

味しなさい。」とは正に至言です。先生が常に手から離されなか

った革表紙の大型聖書は手ずれし、その中のどの頁を開いてもビ

ッシリ細い書き込みがしてあったことも聖書をよく読まれたこと

を証拠だてております。そして聖書を中心に、謙虚に懇切丁寧に

教え諭された。お願いすれば、決して嫌な顔をせずに、どこにで

も足を運んで、?ある一句一句が私共に強い印象を与えることば

でお話がありました。福音以外のこの世的な話を聞くことを嫌が

られ、歯にきぬを着せずに注意せられました。私などうっかりし

たことを言って叱られはしないかといつもビクビクして応待した

ものでした。頭の鋭い、神の人、霊に満ちた方、愛の人、絶対に

此世に妥協しないキリストの僕でした。

 そして今や、天命を全うされ、此世の試練や迫害やわずらわし

さや苦難から開放され、祝福と栄光に輝いた自由と、幸福の世界

で直接神と交わるすばらしい世界即ち天国へ行かれたのです。そ

してキリストご再話の日には主の栄光のからだと同じからだに変

えられるのです。残されたコルネリオの私共も此先輩のすばらし

い御昇天にあやかり、聖化の行程をたどり、栄化の希望を達成し、

共に天国の宴に列する日を待ち望みましょう。

 尚此機会に一言申し添えますが、コルネリオの会合は利岡先生

の御昇天で絶えるのではなくて、横須賀の防衛大学内に事務所を

置いたO.C.U.なる世界的団体に加入したコルネリオ会によ

り若い世代の自衛隊員にバトンを受け継がれて、尊い伝道の業は

続けられているのであります。

 一言以て弔辞といたします。

  昭和46年10月14日

    コルネリオ会同人 平山 鉄次郎






☆ 立てよいざ立て主のつわもの
   平山孤羊(元陸軍主計大佐)

 三里塚空港建設の為の土地収容が執行せられた日、三名の警察

官が、反対派の暴力によって殺害された。此三人の死(毎日沢山

の人が交通事故等で死傷しているが、それは問題にならぬ)によ

り、全学連並びに農民に対する社会の与論はガラリと変わって同

情は無くなるばかりか、追われる立場となった。之は誰が見ても

ハッキリする道徳的非行に対する批判で抗弁の余地がない。

 戦争も国と国との間の大きな罪である。太平洋戦争の真珠湾攻

撃によって日ぶたが切られたが、此理不尽なやり方は世界の同情

を失うに至り、やがて敗戦につながるに至った。

 総て道義に反する行為は、個人であろうと、社会であろうと、

国であろうと神の前には許されない。

 今問題になっている、米国の「弗」価値の下落について省察し

てみると、米国のアジアに於ける戦争介入に端を発し、出先軍人

の残虐行為、黒人問題、社会的道義の頽廃等神の前に相済まぬ罪

を犯していることに端を発した神の試練とも考えられる。

 翻って我日本は敗戦より立ち上がり、目ざましい経済的復興を

とげたが之も、全部自力によるものではないことは明瞭であって、

その感謝の気持ちを忘れて、自分一人の手柄と考える如き不届者

があっては大変で、やがて世界の人々から爪弾きされ、閉めださ

れてしまうであろうことはイザヤ・ベンダサンという名の人物が

「日本人とユダヤ人」という書物の中で警告している。それは極

端な拝金主義の故に多くの迫害の中で往きのびてきたユダヤ人の

経験からの言葉ですが、今こそクリスト者の日本人は目覚めて、

神の武具即ち真理の帯、正義の胸当、平和の福音、信仰の盾、救

いのかぶと、み霊の剣即ち神の言葉を取り、福音の奥義を明らか

に示し得るように祈って、一人でも多くの日本人に伝道して、世

界の人々に役立つ日本人になるようにする責任があります。

  (聖書エペソ6ー10〜20)






☆ UCCチャプレン世界大会
 12月1日(水)東京千駄ケ谷野口英世記念館ホテルに於て開催された。主催はユニオン教会(中村信一牧師)で、日本キリスト教団の幾つかの教会の協賛で行なわれた。集まったのは韓国のチャプレンが主で警牧二十数名の他、各国の宣教師が参加し、主にあって超教派の恵まれた集会であった。韓国には軍牧(軍のチャプレン)の他に警牧(警察関係)文牧(学校関係)等、公職の牧師が数多く奉仕しておられる事は大変恵まれた事である。
 我が国に於ても、この混乱した社会にあって、各部門部門における精神的な支えが如何に大切であるかは論をまたないが、特に非常の場合にあって人心が動揺している中に、き然として事に当たるべき自衛官の中に信のキリスト者の数が如何に必要であるかを思わせられる。これは自衛隊内の問題であるばかりでなく、そのまま国民全体の問題でなければならない。この意味から自衛官に対する福音伝道について国内にある各教会の理解と協力とを切望する次第です。


☆ クリスマスお目出度うございます。
 また昭和47年の新年に向かって益々お元気に主にあって職務に御精励下さいますようお祈り致します。


☆ 46年度会費(年1000円)は、来る3月末日までにお送りください。
 なお46年度会費納入者はつぎのとおり
(敬称略)
 安永稔 糸井勇 平山鉄次郎 馬場千代喜 藤田喜敬
 蔵谷三郎 山口利勝 佐々木新次 村山暁腎 椎名良三
 越田久一 三上賢一 大貫忠和 門脇泰政 熊野政重
 谷川洋 武田貴美 矢田部稔 滝原博 今井健次 岡部建蔵
 武宮啓夫 足立順二郎 小森邦治


☆コルネリオ誌原稿をお送りください。論説・あかし・通信文・近況・詩歌何でも結構です。
「コルネリオ会事務所」
 横須賀市走水一丁目 防衛大学校
  応用物理学教室 射理研内