Newsletter No.6

☆忠節

「ああ御主人がサマリヤにいる予言者と共におられたらよかってでしょうに、

彼はそのらい病をいやすことでしょう。」

(列王記下5章1−14)

 スリヤの略奪隊に捕えられて、その軍勢の長ナアマン将軍の妻のめしつか

えとし他国につれて行かれたイスラエルの一人の少女がこう言った。ナアマ

ン将軍はこの事がもとで、そのらい病がいやされたと聖書に書いてある。こ

の一人の少女の証詞が元でナアマンを動かし、スリヤの王を動かし、イスラ

エルの王を、そして神の人エリヤを、又ナアマンの多くの従者達を動かした。

現在でもなお我々を感動せしめる。信仰とは偉大なものであり、神の導きと

は不思議なものである。

 しかしこの少女はどうしてこんな事を言ったのであろうか。自分のまわり

は全て敵国人であり、異教の徒である。現在の常識で考えれば、主人に対し

ては面従腹背を、時の為政者に対してはレジスタンスを、そして反体制を叫

ぶのが当然ではなかろうか。しかしこのイスラエルの少女はこのような主人

に対して思わず心からの思いやりの言葉を出してしまった。そして期せずし

て自分の信仰が出たのである。この異教徒に伝道しようとか自分の信念を披

れきしようと言うのではない。只自分の主人に対する誠の心がこれをなさし

めたのである。

 このことは同じように他国に捕えて行かれたダニエルや、その当時の人達

(ダニエル書)にも言えることであろう。人をにくまず、人をうとまず只主

なる神に仕え、自分の主人を主から選ばれた自分の上司として仕えその信仰

をつらぬき、主なる神の道に反する行動は絶対に取らないが、主の選ばれた

上なる権威には忠誠をつくすという態度である。

 ひるがえって現世の風潮を見ると、権威に対しては兎に角反対する。、自

分の考えは何とか通す方法を考え、自分の意にそわない物には何とか邪魔し

ようという事が多いが、これはあやまった自由主義であり、権力闘争に毒さ

れた個人主義ではなかろうか。この点について聖書は何と言っているであろ

うか。

 モーセは出エジプトに当たって色々な苦難に会い、エジプト人と戦ったが

(出エジプト2.1〜)これは単なる反乱とか、敵を倒す事が目的というよ

りはむしろ、明らかに主なる神の導きに従うことであった。ダビデの戦いも

決してこの世の上なる権威に刃向かうことではなかった。時の王者サウロが

神に捨てられ、その王位から避けられるまでは自分を迫害する王に対して敵

対することをしなかった。(サムエル上27章)

 新約の時代に入っても同じで、よく引用されるイエスの宮清め(ヨハネ2

章14〜17)も時の権威に反対したり批判したりするという意味ではなく

(当時の政治、社会が正しくなく曲がっていたであろう事は想像にかたくな

いが)そんな事よりも、もっと大事な文字通り父なる神の家を清めなければ

ならない。という手本であろう。

 ペテロにしてもパウロにしても、又他の使徒達にしても、彼らは時の政権

から迫害されたが、その中で自分の信仰をつらぬきながら、その目的とする

所は、反権力というよりは伝道であり、信仰の確立であった。キリスト者は

元来神に対して忠実であると共に人に対しては誠実、誠の愛を持って世を渡

る人でなくてはならない。このようなわけでナアマンの妻のめしつかえの少

女の言葉の中に本当の忠節を見ることが出来る。

 我々自衛官も信仰上の明らかなあやまりは敢然と否定する必要があるが、

しかしそれ以外については主のたてた権威に対しては(ローマ13章)単に

知性によって従うことではなく、全き服従と尊敬と愛情とを持って、心から

の忠節をつくし、正しい道を邁進しなければならない。

 我々が信念を持って進む時、その時々の正しい道は御霊が示して下さるし、

主が導いて下さる事を信ずべきである。旧軍人勅諭にいう。「一つ、軍人は

忠節をつくすを本分とすべし。」と。

☆あかし  岡部 建蔵(防大)
 私が始めて神様の話を聞いたのは小学生の頃でした。その頃救世軍の人達

が町で話をしたり、あかしをしたりしておりましたが、これの先頭に立って

ちょうちんを持って歩いたことを覚えております。私がはっきりクリスチャ

ンとなってのは中学生の頃で、メソジストの教会で洗礼を受けました。それ

から受験の時代には離れた事もあり、その後教会に近づいたり離れたりしま

したが、聖書は離しませんでした。いつもつまづいた時の事を反省すると、

結局み言葉や救いの事について自分で何とか解釈したり、理性で理解しよう

と思った時、その働きがさまたげとなったようです。結局知恵に頼ることは

空しいことと思います(第一コリント・19)。又或時国電の中で聖書を開

いていたら隣の人がパンフレットを渡してくれましたが、その時の内容が今

も忘れられません。どうもその人は牧師らしく、そのパンフレットを読んで

みたら、どうやらその本人の献身のあかしでありました。その中で自分が高

校の学生の時、仲間で聖研をやっておりましたが信仰というよりはむしろそ

の内容の研究をやっていたわけです。そして或時牧師の人に頼んできてもら

ったら、その人は相当遠い所から居オートバイでやって来ました。その人は

風の日にも雨の日にも本当に自分たちをいつくしむ気持ち出来てくれました。

間もなく学校は卒業しましたが、年配が進につれて、その時の牧師の姿が目

から離れなくなりました。そしてその献身的な姿を思うと心にジーンと感ず

るものがあり、それが私の献身の元になりました。と書いてあったのです。

人の魂をゆり動かすものは人の姿にあらわれて来る何とも言えない気持ちで

あります。その時自分が聖書を読みながらも兎角その出来事とか、事柄とか

のみに目を向け、み言葉そのものの深い内容に向けていなかった事に気がつ

き強く教えられました。

(合同修養会の記録テープより)

☆「平安」  糸井 勇(元海軍大佐)
 私は青年時代に度々生命の危険に晒された事を経験しました。富士登山を

して日没下山して道を失った時、日本アルプスの白馬登山中雪渓の中途で暴

風雨に遭い進退極まった時、又軍籍に身をおいてからも軍艦出雲に乗艦中旅

順港口にて座礁し沈没しかかった時、艦隊勤務中巡洋艦衣笠に乗艦夜間訓練

の際駆逐艦と衝突しかかった時又上海事変や大東亜戦争に参加し敵弾の洗礼

や機械水雷の爆撃にあった時等数限りなくありますが幸にも毎時生命を守ら

れてかすり傷一つも負わなかった事は全く感謝の外ありません。

 これ等の事件一つ一つ取りあげて考えて見るのに平安な気持とてはありま

せんでした。思わず地上や艦上に伏したり一時は心臓の鼓動が止まったので

はないかと怪しむ位でした。

 使徒パウロは石にて撃たれて町の外に棄てられたり、破船して海上に一昼

夜も漂流したり或は盗賊の難あり、荒野の難あり飢と寒気のたえに眠れない

様な苦しみに遭いましたけれど克く之に耐え忍び徹底した平安を以て過ごし

た事が聖書に記されております。

 かくの如き全き平安は、一体何処から来るのだろうかと探索しました。ピ

リピ書四章六、七節に「何事をも思い煩うな、ただ事毎に祈りをなし、願を

なし、感謝して汝等の心と思いとをキリスト・イエスによりて守らん。」と

記されておりますが、結局全き平安は主イエス・キリスト御自身が与え給う

のであって、決して自分で努力して得られるものではないと解ります。

 或る二人の画家がそれぞれ自分の思っている平安を表す為に絵を描きまし

た。一人は遠くの山間にある静かな湖を画面に選び、もう一人は雷鳴の轟く

岩間に隠れた鷲の絵を描きましたが遂に後者がその選に入りました。嵐の中

にあっても怖るることなく平然としていることこそ真の平安であるのであり

ます。又マタイ伝十四章二十七節に「われ平安を汝等に遺す。我が平安を汝

等に与う。我が与うるは世の与うる如くならず汝等心を騒がすなまたおそる

な。」と主は仰せになりましたが、イエス・キリスト御自身をさえ惜しまず

に、我等すべての者に与え給うた神様は御子と共に一切のものを自由にお与

えになるに違いありません。

 過去を追想し未信者の時全く持てなかった平安を主を信じてから戴くこと

の出来たことを感謝しております。

 即ち全き平安は神様より私達に与えられたベストプレゼントであり、之を

受け得るためには信仰による外ないと確信いたします。

☆近ごろ思うこと  山中 明二郎(元海軍中将)
 近ごろ新聞等で、「日本が世界の孤児になる」と言う記事を、時々散見す

る。もし日本が、世界から「村八分」され、仲間はずれになる日が来たら、

それは丁度、大東亜戦争勃発前の状態になることで、現在四十代の人なら、

その結果がどうなるかについては、苦い体験から、よく知っているところで

あると思う。

 故にもし、われわれ日本人が、不信、不誠実にして、世界からきらわれ憎

まれるような言動があるなら、本然悔悟して真実の道を進むべきであると思

う。併しながら、今日、世界の大国と言われている国々にして、日本を審き

得る国がどこにあるだろうか。ソ連、中共はもとより、米英その他、先進文

化国家と称せられる国にして、日本を神の前に(国連ではない)訴え得る国

は一つもないと私は思う。皮肉なことに、日本が軍国化すると言うて、恐れ

ている国は、核爆弾の製造、保持国なのである。

 最近の印度パキスタン戦争はどうして起こったか。どんなに憎い相手であ

っても、人殺し武器を持たねば、戦争はならぬと思う。然るに彼らをとりま

く大国が、競って彼らに武器、弾薬を売り込み、使方を教えて戦争をやらし

たと言うても過言ではあるまい。憎むべきは、大国のエゴイズムである。国

際連合を無力なものとするのは、大国の我ままがするのである。このような

世界にあって日本が世界の孤児となっても、怖れることはない。

 核爆弾が米英仏イ中共どもを、自滅させる日が来ても、日本が神命に忠実

なる限り、然り、国際正義を守る平和国民である限り、断じて、滅びること

のないことを確信すべきである。日露戦争の直後、十九才で海軍に入り、過

ぐる日の終戦まで現役に在って、数次の事変、戦役に従った私は、四面環海、

海のよって生きねばならぬ日本は、己を守るために、海軍の使命の重大なる

ことを教えられ、かつ又、後輩に説いて来た。然るに事、志と違い、わが海

軍は、建軍の伝統的使命を捨て、自滅の道に突入するの止むなきに至ったこ

とは、当時の、内外情勢その他、いかなる理由があったにせよ、遺憾千萬で

あった。

 然しながら、有名な史家トインビーが言う通り、国は、国民の腐敗、堕落

によって滅びることがあっても、外的によって滅ぼされることはないとの言

葉の如く、日本は、未曾有の戦敗苦から、立ち上がったのである。

 これらの経験を通して、私が我が幼少年たちに、又その両親方に申したい

ことは、個人としても、社会人としても、又国民として、ぜひとも持たねば

ならぬのは、自主、独立の精神であります。自分は自分で守る他はありませ

ん。自分は自分で額に汗して生きて行かねばなりません。これは利己主義で

はありません。人の好意に甘え、人のフンドシで相撲を取るべきではありま

せん。前にも書きましたことですが、恐らく日本人ほど陳情請願、デモ、す

わり込みと、ことあるごとに、他を頼る国民は世界中で少ないのではありま

すまいか。死生命ありと観じ、生者必滅と悟り、儒教や仏教で鍛えられて来

た日本人は、言うべきを言い、為すべきをなし、所信を断行して、悔いざる

根性を持つべきではありますまいか。

 大西郷は「人を相手にせず、天を相手とし、己の足らざるを思え」と教え

ました。

 「かくすればかくなるものと知りながら止むにやまれぬ大和魂」と詠じて、

江戸、小塚原に斬られた吉田松陰の不動不易の精神を見なおすべきではあり

ますまいか。

 美濃部東京都知事が、ゴミ論争で、自区のゴミは自区で処理すべきだと言

う説に反対している連中はエゴイストと言わざるを得ません。

 交通事故死一萬六千人、重軽傷数十萬人の日本を救う道は、他力ではない。

全国民の自立、自覚、自助、自重による他にはない、と思います。

 過ぐるクリスマスに当り、全世界に渦まくエゴの中で、切に感じたことは、

偉大なる犠牲を示したイエス・キリストであります。神の子キリスト。彼は

世に降り、人の子として孤独でありました。わずかに得た十二弟子の一人は

彼を裏切り、残る十一人は、イエスのとらわるるを見て悉う逃げ去り、最も

深く愛されたペテロさえ、イエスを知らずと言ったのです。併し、神の子は

神の子でありました。彼は孤独ではありません。父なる神の子であったイエ

スは萬民の救いのために十字架上に死にましたが、葬られて三日目に、よみ

がえり驚喜した弟子たちや、多くの信者たちの前にあらわれて、彼らを教え

励ましたのであります。神を知らぬ科学者等が何と申そうとも、復活のキリ

ストをその目で見、その声を聞き、その事実を書いた聖書の福音は、永遠不

滅の真理を示しているのであり、ここに、欧米文化の基礎となった、世界最

高の宗教は生まれたのであります。

 然しながら、爾来二千年、いわゆるキリスト教国民の多くは、キリストの

教と神の知恵に生きた父祖の歩んだ道を外れて、悪霊の誘いに落ち入り、次

々と神の審判を受けつつあります。私は汚されて悪臭を放つ彼ら欧米人のキ

リスト教を信じません。そうではなくて、聖書の示す不動不易の真理を示す

キリストのキリスト教をわれらのものとし、世界の孤児たることを怖れず、

堂々神と共に歩む国民となりたいと願うものであります。

(経堂子供の家幼稚園 園報より)

☆ 随想
(1)惚れの三番目  矢田部 稔(陸幕)

 土地に惚れる、仕事に惚れる、女房に惚れる、ことを俗に三惚れという。

この三つに惚れた男、この三つに感謝できる者は幸いであるという。教会に

惚れることを加えると四惚れとなる。この四惚れの三番目について考えてみ

よう。創世記は、主なる神は「人がひとりでいるのは良くない。彼のために

ふさわしい助け手を造ろう」と男のかたわらに女を造られた、と言っている。

思い返せば、この助け手に私がはじめて巡り会ったのは11年前、結婚して

早9年近くになる。

 体重を気にして体重計に乗っている彼女に「箴言12章4に、賢い妻は夫

の冠、恥をこうむらせる妻は夫の骨の腐れ、とあるが如何」と問えば「冠に

なってあなたの頭の上に乗っているよりあなたの骨にかみついている方がい

いわ。」とぬかす。いづれの日にか、「その子らは立ち上がって彼女を祝し、

その夫もまた彼女をほめたたえて言う」(箴言31章28)ようになっても

らいたいものである。



(2)私の旦那様   矢田部 和子

 「僕には地位も財産も無い。信仰だけが宝です」歯の浮くようなきざな台

詞も、まだ少女趣味が残っていた私には、すばらしい言葉に聞こえたもので

す。そして結婚。

 仕事の書物か聖書を置いた机の前に夜遅くまで座って私に取合ってくれな

い彼の背中に向かって心の中でつぶやいています。「この情熱をもう少しで

もマネービルに向けてくれたらなー。」

 誕生日に子供達から「お父さんは食いしん坊だから」とキャラメルをプレ

ゼントされ、悦に入っている食いしん坊父さんも、最近は残飯整理係の私に、

食べる量を越されたようです。

 彼が時折り「兎追いし」と小学唱歌「ふるさと」を口ずさむのを聞くと父

を亡くし、続いて空襲で家と妹を失い、幼い弟妹の長兄として母と苦労を共

にした少年時代の土佐の山河を思い出しているのかなと考えます。

 自衛官としての彼の仕事を思う時「主が正しい者を祝福し、盾をもってす

るように、恵みをもってこれを守られる」(詩5篇12)ことを願わずには

おられません。



(3)うちのかあちゃん 滝原 博(航空総隊)

 うちのかあちゃんは美人では決してないけれど、一目会った瞬間から「そ

の人は我が伴侶になるぞ」という予感がした。その瞬間とは何時かというと、

防大の四年生で、もろもろの訓練を終わり、電波障害の卒研に追われている

頃であった。その頃実家の方からそろそろ相手を決めてはどうかという便り

があり、国を守らんとする者、一生連れ添う者ぐらい自分で見つけねばと意

地を張り、家からの候補者には見向きもしなかった。

 さてなれそめは何かと言うと、その一寸前防大の校友会誌「小原台」に我

が拙筆がのっていて、たまたま物見高い愚妻がそれを読みそれの感想文か、

はげましか得体の知れない手紙が、我が白亜のほこり高き学舎の我が手に舞

い込んで来たというわけで、数日後に面会と相成った次第である。

 その後の消息はかあちゃんの文を見られたし、近況は如何というと、かつ

て会った頃より体重が10キロ減った非常に甘えっ子である。反面意地っ張

りである。先日の教会の修養会の直前までよく頑張って朝の祈祷会に行き、

私の霊的向上と家庭の一致のために祈っていた。

 私も三人の子供の親となって親爺の貫祿を示せないでいる毎日を気にした

り、妻との祈り会いもなく、むしろ互いににくしみ合うような毎日をどうに

か踏み越えたいと思っていた。修養会はその解決を与えてくれた。第二日目

の夜、妻が「あなたは今のようであったらもう我慢しない。最後の願いだか

ら尾花先生になぜ忠実に生きられないか話して祈ってもらいなさい。」と強

迫され、先生の所へ足を向けたら「あなたは重荷に負け、逃げようとしてい

る、もっとその重荷を軽くし、まず足元を主に近づけなさい。」ということ

になり、先生と口角泡を飛ばして色々話し合った。その後私の気も直り、思

いやりが先に立ち、子供達との間にも楽しい会話がなされるようになった。

主にある勝利に妻は喜んでいる。

「終に言う、汝等みな心を同じうし、互いに思い遣り、兄弟を愛し憐れみ・

・・・。」



(4)うちのとおちゃん  滝原 美津江

 「チリリ・・・・・」本棚から鈴虫の声、本棚は本のためならず、よろず

物置でした。

 「お母ちゃん、かわいいね」「ん!?」「よく鳴くだろ」(残念!我家の

百人隊長殿の賞賛のまととなったのは彼自慢の生物の音色でした。これはは

るばる所沢から求めて来た虫でした。)「お父ちゃん、この頃やさしいね」

「・・・・・」「このところポカン、ドカン、やらないね」「うー」「あな

た若いわねえ」「あー」「新宿高校の頃は?」「オールバックの美少年だっ

たんだぞ」「防大生の頃と一寸も変わらないわ」「二十五才位には見えるだ

ろう」「秀才だったんだって」「うん、そりゃもう、ムニャムニャ」「夢多

き若人でしたね」「我が青春に悔いなしさ」「会って一週間しかたたないの

に二度目のデートでもうプロポーズしたりね」「必死だったんだよ、この人

による以外に妻となす女なしと思ってね」「美人じゃなかったのに。女らし

くもなかったのに。かしこくもなかったのに、何故だったのでしょう。」「

やっぱりクリスチャンだったからだろう。そうだろ」「山口、葉山、奈良、

京都、静岡、横浜と駆けめぐって会いに来たね。毎晩電話してきたね、まっ

たくしつこかったわね。」「うーむ」「お父ちゃん少しやせたかしら」「い

や変わらんよ五十八キロだ。余りもせず足りもせず」「子供はあっと言う間

に三人よ」「生めよ増えよだからね」「私達の宝だわね」「ふーむ」「ああ

十一時よ」「ではお祈りして休もうか」「ん、ではお母ちゃんから」『おそ

れるな小さき群れよ。なんじらに御国を賜うことは、汝らの父の御意なり』

(以上は矢田部ご夫妻、滝原ご夫妻の属しておられる教会の夫々の教会報か

ら再録させて頂きました。)

☆通 信
◎太平洋放送協会からお便りがあり、ラジオ文化放送の番組「世の光」(朝

 6.15〜6.25)でコルネリオ会の平山鉄次郎氏の御証詞を放送して下さった

 との事です。全国のコルネリオ会員の諸兄どんな所に我々の理解者がおり、

 又どんな所で我々の見知らないクリスチャンが我々のために祈っておられる

 かを思う時、主の御栄光のために固く立たなければならないと思います。



◎」参議院議員 西村関一氏(社会党)よりお便りがあり、ベトナム民主共和

 国へご出張の機内でコルネリオ誌第5号をお読みの由、主の道に国境がない

 事を期せずしてあかしして下さいました。先生の御活躍の上に益々主のお栄

 えのあらん事を祈ります。



◎沼津市の相原正勝牧師よりお便りがありました。コルネリオ会の上に常にあ

 たたかい好意とお祈りを頂いていることを感謝申し上げます。



☆ コルネリオ誌原稿をお送りください。論説、あかし、随筆、近況、詩歌何でも結構です。





「コルネリオ会事務所」

 横須賀市走水一丁目 防衛大学校

  応用物理学教室 射理研内