Newsletter No.16(1975年11月)
※聖と愛
「イザヤ6−3,Iヨハネ4−8」
初めてキリスト教に接した時、そして初めて聖書を学ぶ時、我々が持つ疑問は「聖書の神様とはどういう方だろうか」という事ではなかろうか。そして唯一全能にして、誤りや不正と全く関係がなく、小さな不法をもそのまま認めたり妥協することのない聖なるお方であると同時に、すべてを包容して正しさに入れて下さる愛の方であるという、一見矛盾した感じを受けることになる。更に聖書を続けて学ぶ事によって部分部分ではだんだん理解が深まって来るとしても、この聖書全体をすっきりと理解する事は困難で、この一見矛盾は色々な面からいつまでもついてまわり、結局一生涯かかっても完全に理解することは出来ないのではなかろうか。
我々がこのような輝かしい聖なるお方と共に永遠に存在するためには救いの御業が必要であり、それはイエスキリストの十字架のあがないによって万人のために用意されているという信仰を持つ時、我々もキリストにあやかる者として聖なる者となり、世人を愛する生活(愛という漢字をもって聖書に言う愛の内容を完全に表現することは困難であるが)を送りたいと思いながら悔い改めの生活をするわけである。しかしいくら悔い改めて清くなったつもりでも、あらためて「あなたは清いですか」と反問された時、その不完全さに気がつく。
このように自分なりの考えで清さを求めても求めきれず、清めて下さるのは聖なるお方である事を思いながらも、この一見矛盾はいつまでもついてまわる。そしてその解決は「救い」という奇蹟以外にはない。すなわちこのきびしさを表現する聖と、暖かさを表現する愛とが重なり合って完全な調和をする時、偉大な力が発揮されることとなる。
そしてこの事はこの世にあっても真実であり、その事は色々な場合に実証される。
筆者は最近、朝雲新聞社発行の「沖縄方面陸軍作戦」という戦史を読んでみたがその中に面白い事実を発見した。近頃は戦記物がブームを呼んでいるが、創作の入らない戦史実録の方がはるかに面白く、一気に読むことが出来た。当時沖縄本島北部の山岳地帯の防備を担当していた遊撃隊というのがあった。第3,第4遊撃隊の隊長は共に陸士53期の大尉であったが、何れも部隊運営が抜群で、部下がよく意のままに勇戦し、共に終戦時に生還している。両部隊共米軍上陸の一年前に沖縄に新しく編成された部隊なので伝統をほこる現役兵の部隊とは思われないのだが、きびしい精神的肉体的訓練を隊長の部下に対する愛情でつつみ育てていくというやり方の中に隊長の自信と部下の信頼とが育て上げられた様子が見られる。これによってきびしい前線の軍紀の中でよく掌握されて勇戦したことと思われる。同じ沖縄で戦っている日本軍でも乱戦の中戦場から後退の時、統制を失った部隊もあり、その違いは部隊統率の面で考えさせられるものがある。又沖縄の主要戦場となった北飛行場に敵中着陸して勇名をはせた空挺部隊についても同じ事が言える。この部隊は秘密任務のために特別装備をもった空挺部隊のようであるが、それだけに特別な期待のもと厳正な規則と訓練によって育てられたものと思われるが、この部隊については戦時中筆者はたまたま東海道線の列車の中で共の乗り合わせたことがある。その列車が非常に混んでいたので、単身であった筆者は同類のよしみで割合空いていたその空挺部隊の車輌に入って行った。その時出て来たのが隊長の奥山大尉(陸士53期)であった。彼は写真にもあるように低い鼻の上に近眼鏡をかけた決して男前とは言えない面相であったが非常ににこやかに対応して、この部隊が特殊部隊なので防諜上出て行ってほしいという事であった。普通このような場合にはこちらに後味の悪さが残るものだが、その時は少しもそのような感じはなく今でもその当時の奥山大尉の顔を思い出すことが出来る。
このような温和な環境のもとにあってこそ、特殊任務のための厳しい訓練をも行うことが出来るであろうし、部下は鉄のような規律にもついて行く事が出来るのであろう。
沖縄戦記を通して特定の固有名詞の大隊はいつでも強く善戦するので、その部分は安心して読めるという事になった。これは戦術戦略の
知識による事は当然としても、予想不能の乱戦の中にあって、よくその難局に善処する事が出来るのはその部隊長の厳正と愛情を兼ね備えた人間性に負う所を大きいのではなかろうか。
勿論人間の知識や行動は神の前では完全ではなく、又友のために自分の命を捨てる事が最大の愛であると言う聖書のみ言葉(ヨハネ15−13)を行う事は容易ではない。しかし聖と愛とこの二つの事は少しも矛盾する事ではなく、聖書はあらゆる真理の元を含む故に統率の本義もこの中にかくされているのではないかと思われる。
※ "Know your Bible"(第4回)
ウイリアム・グラハム・ストロジー著
宮崎健男(大佐和キリスト教会牧師)訳
出エジプト記(Exodus)
鍵の言葉−−贖い 章数40
Exodusと言う表題は、ギリシャ語で出口又は、出発を意味するが、この書はイスラエル民族が、エジプトの束縛から解放されることについて述べている。12章に記されている出発から、この書の最後である40章の出来事まで、約1カ年の間のことである。ヤコブの息子たちが、イスラエル民族を成すに至った、即ち一家族が一民族となったのである。最初に、彼等がうちひしがれ、泣き叫ぶのを聞く。次に彼らが自由にされ、導かれ、養われるのを見る。更に彼らが教育され、確立されるのを見る。1章〜18章までは歴史的である。19章〜40章は律法的である。この書は地理的に、伝記的に、又制度的に学ぶべきである。この書の卓越した人物は、モーセである。この書の主な出来事は、モーセの訓練、エジプトの神々に対する審判としての十の災害、過ぎ越の制度、エジプト出発、律法の授与、儀式の規定、祭司職の任命、及び幕屋の建設である。創世記に於ける選びに続いて出エジプトに於いては、贖いがある。贖いの必要性は、民の状態と良心の中に見られる。(1章〜11章)贖いの方法は、血(12章)と力(14章)による。贖いの律法は、神の御心であり、十戒の中、及び契約の書の中に示されている。又贖いの方法は幕屋と、その諸制度の中に示されている。創世記と出エジプト記のつながりは、密接である。一方には、神の目的が啓示され、他方には、そのための神の行為が示されている。一方には、人間の努力と失敗があり、他方には、そのための神の行為が示されている。一方には、人間の努力と失敗があり、他方には、神の力と勝利とがある。一方には、約束の言葉があり、他方には、成就した業がある。前者には選ばれた民があり、後者には召された民がある。前者には神の選びに憐れみがあり、後者には神の選びの方法がある。前者には民族の啓示があり、後者には民族の実現がある。
[ノート] Exodus(出発)
変ぼう山に於いて、イエスが、「エルサレムで遂げようとしておられる最期※について」(ルカ9:31)語っておられ、又それからずっと後で、この山での出来事を思い起こしながら、ペテロが、彼自身の去る時の近づいて来たこと(IIペテロ1:15)を語っているのを見るのは興味深い。[訳注※は、共にギリシャ語exodus(the way out)が、使われている。]この用語exodusは、この書の表題に関連があるに違いない。贖いは束縛から自由に至る唯一の道である。exodus(出ること)によってのみeisdus(入ること)があり得るのであり、我々は次の様に読むのである。「私たちをそこから連れ出された。それは私たちの先祖たちに誓われた地に、私たちをはいらせて、その地を私たちに与えるためであった。(申命記6:23)(次回へ)
※日米合同集会
今年に入って第3回目の日米OCUの交歓会が9月28日の聖日日米軍横田基地在住の米OCF(会長 マクドナルド空軍中佐)の招待により、同基地の新しく献堂された礼拝堂において行われました。
前回は7月に実施されましたが、その時は男性会員が主体で、ピクニック野外昼食会をはさんで催されました。その時、多くの米国側会員の夫人子供さん達が参加しましたが、日本側からは、夫人子供の参加が少なかったため、今回は是非同伴での交換を主体ということで行われました。
朝9時半、米会員の出迎えをうけ、最初マクドナルド中佐の司会により聖書研究会が9月7日に献堂されたばかりのチャペル内の一室で行われ、次いで、同じく真新しい礼拝堂での聖日礼拝に出席しました。
終わって昼食会に移り、米国側からの出席者約20名と子供たち、日本側からは矢田部2佐御家族、武田先生御家族はじめ、滝原家及び加藤君、志賀家、森田家並びに堀内3佐が参加され、なごやかな交わりがもたれました。その後、新チャペル内の見学を従軍牧師さんご夫妻の案内で実施し、午後3時ごろ11月の再会を約して感謝のうちに別れました。
なお、その折りに11月22日、23日の日米合同OCU研修会の打ち合わせをすませ、秋の集まりが喜びのうちに実りの多いものとなるように祈りました。
以上簡単ですが御報告とします。 頌主
(森田 忠信 記)
※「コルネリオ会」についてキリスト新聞へ投稿
矢田部 稔(陸幕)
九月六日付の社説で、コルネリオ会が紹介されたが、当事者からひと言申させて頂きたく筆をとることにした。陸海空自衛官(幹、曹、士、防大学生等)及び之に関するキリスト者が共に聖書を学び主にある信仰と交わりを深め、各々その使命の達成に寄与することを目的として、渋谷の日キ教団美竹教会の会堂を借り発会式を行ったのは昭和三十四年五月であった。超教派を本旨とし、旧新教及び無教会の別を問わず包含するものとし、聖書研究会、修養会、祈祷会等の開催、機関紙等の発行その他の事業を行うものとし十六年を経過した。現在の会員は約百名、年一回の家族を含む一泊修養会は楽しく待ち遠しい。旧海軍では明治三十二年、米国婦人フィンチ師により横須賀に設立された後に舞鶴、呉にも拡張された「陸海軍人伝道義会」によって多くの者が福音にあづかった。この会には、義会主任となった黒田牧師のほか内村鑑三、前田多門、ラウダー夫人ら多くの協力者があった。
旧陸軍では大正十二年十二月「コルネリオ通信」第一号が利岡中和、松本武夫の両氏によって発行されて後、通算百十二号まで刊行され、戦後は「コルネリオの後」として再刊されていた。さかのぼって英国では、1851年、インドに派遣されていたツロッター陸軍大尉が本国の同僚のキリスト者将校に対し彼とインドにいる同僚のため祈ることが求めたことから英国OCUが生まれた。YMCAが1844年、YWCAが1855年に発足しているが、その時代である。日本伝道史上著名なバークレー・バックストン師の四男、松江生まれのゴッドクレー・バックストン師は、英国のOCU顧問として長年にわたって指導を続けられ、昨十一月来日の際には「コ会」のため特別の講演を行ってくれた。米国OCUは大戦中の1943年の発足であるが、第一回OCU世界大会は1959年6月米国で開かれた。我が「コ会」発足の翌月である。世界大会はその後、西独、オランダ、韓国、英国で開催され、最近の三回は日本代表が参加した。大会にはアジア、アフリカを含む世界各国の陸海空の軍人及びその家族が集まる。旧陸海軍のキリスト者グループの伝統と諸外国軍隊における運動に刺激され、また彼らの祈りに支えられ、自衛官有志の願望が実ったのが、この会であり、小さなものであるが遠く広い背景を持っている。
先日ある朝食祈祷会で、防衛大学生のとき初めて教会の門を叩いた私自身の経緯や「コ会」のことを話すと、「コ会」のための多数の祈りが続き励まされた。一方では自衛官がその職務の故に、救いにあずかり得ない異邦人であるとされたり、自衛官の信仰問題はタブーであるとされたりする。使徒行伝21〜22章には、百卒長コルネリオより一階級上の千卒長ルシヤのことが記されている。陸上自衛隊では連隊長がこれに近い。パウロが第三回海外伝道旅行からエルサレムに帰ったとき、彼の福音理解が間違っているとして学者、宗教家、文化人、裁判官、議員達が怒り狂って彼に暴行を加え、彼の弁明を聞くと更に怒りを倍加し、彼の暗殺同盟団を結成する状況となったが、その混乱から彼を救いの神の御計画に参与したのは、軍律厳しい千卒長ルシヤが率いるローマ占領軍のエルサレム駐とん部隊であった。
私達自衛官が混乱した困難な状況下で神の御計画に参与することを命ぜられるならば、その時に正しい決断ができるよう願わずにはおられない。「コ会」はまだまだ成長の余地が多い。キリスト者である自衛官で「コ会」を知らない方は是非御一報を願いたい。
(注)
以上は「コルネリオ会」の存在が、又矢田部二佐が執筆したコルネリオ会ニュースレターの記事がキリスト新聞論説の取上げるところとなり、同新聞「雲の柱」欄で小論争が起こった。それに関して「コルネリオ会」の補足説明をするため矢田部二佐がキリスト新聞に投稿したものの全文である。キリスト者自衛官は部外のキリスト者や他の一般の人達から種々の点で注目されている事を思う時、「我々の戦いは血肉に対するものではなく、やみの世の主権、天上にいる悪の霊に対するものである」(エペソ6−12)とのみ言葉にあるように、反対者各個人が敵なのではなく、彼等も等しく愛すべき隣人である事を思い、我々はそのような論に迷わず、毅然として本文に邁進すべきであろう。
※通 信
次の方からお便りを頂きました。感謝。
・山中朋二郎氏(元海軍中将)
拝答 コルネリオ会ニュースレター15号拝受、毎度の御厚意厚く御礼を申し上げます。
後引用のバルト戦争論その他何れも有益且つ面白く拝見しました。愚生終戦迄在役三十余年艦船に、学校に、官庁に在って教えられ、教えて来ました事は、只々「日本防衛」の一念でありました。
リーダースダイジェスト近刊のトラトラを読み、又日本の近情を見、感慨無量であります。
キリスト者としての神与の使命と自衛官として後任務の重大、多難を思い、会員各位の後奮闘を祈ります。
OCU武田会長、千葉牧師他各位に宜しく。 敬具
・丹羽 喬師(恋ヶ窪キリスト教会牧師)
頌主 たびたびコルネリオ会の機関誌をお送り下さいましてありがとうございます。皆々様の厚き信仰をいつも心から尊敬申し上げております。私共の教会にも元自衛官をしておられた青年の方が三人ばかりおられますので、とても有意義な機関紙であり、心から感謝しております。お働きの上に神様の祝福が豊かにありますようにお祈り致します。
・土橋 修師(日基、島松伝道所牧師)
・岸本羊一師(日基、千歳栄光教会牧師)
お二人からアンケートを送って頂きました。
※会員近況
・今村和男兄(防大教授)
世田谷キリスト教会設立50周年記念にあたり、この5月、25年教会に通った事の表彰をして頂きました。これも主の恵みです。
教会学校教師も22年となり、初めて教えた子供の子供を現在教えています。体力上この2年間は小学2年生のお相手をしておりますが、可愛いです。
・藤原正明兄(一陸佐 陸幕)
今年中に再就職をするべく準備中です。ふさわしい職がありましたら御紹介下さい。幸い頑健ですので大いに働くつもりです。少し余暇が出来ましたので、ゆっくり聖書を読んでいます。
・武内哲史兄(一海尉 府中駐事)
最近は恥をかく回数が多い程、人生にプラスするものありと考え、極力あちこちに顔を出して、恥をかいたり文句を言われたりの生活を楽しんでいます。
・小森邦治兄(一陸尉 中方)
札幌を10年前に出る直前、当時5歳だった子供も今年はそろって高1、札幌医大で心臓手術を受けた美恵も姉と全く同様超心臓振りを発揮してスポーツ好きのおてんばさんになりました。小生家内と共に子供に手がかからなくなりましたので、教会学校の中高科と小学科に奉仕できる態勢となりました。昨秋は業務学校入校が機縁となり、今井教授とお交わりの機会を得、また現在防大勤務の橋本一空尉も知友として与えられました。今秋の大会を楽しみにしております。
・林田芳秋兄(二海佐 下総)
下総基地、体育局次長、サッカー部長、野球部長、東葛体協、沼南町体協理事、沼南町体育指導委員、自衛隊感謝地区長代理として、クラブ活動、町と自衛隊のパイプ役として頑張っています。
・志賀正吾兄(一陸尉 通補)
10月までAOCに入校中、教会は船橋インマヌエル教会に出席したり、東大宮福音自由教会に出席したり、変則的な状態です。
・市川武功兄(三陸曹 空挺団)
48年5月10日救われ、49年8月7日にきよめの恵みに入り、現在3年目に入っています。
人の一生が3才までの感化によって生涯きまってしまうように、新しく生まれて迎えたこの一年を如何に過ごすかによって信仰の生涯が方向付けられることを思い、信仰の点検と進むべき道を求めている。久里浜の通信学校に於ける5ヶ月は、多くの思いと共に、「この道を歩む者はおろかなりとも迷うことなし」とみ言が心にしみている。コルネリオ会の上に主の祝福を祈ります。
・戸島成忠兄(防大教官)
教会では役員(長老)として、また教会学校教師として高校生会を担当、青年伝道の幻を与えられ、現在高校生伝道フォーク・バンド「ノア」を主催して張り切っています。
・瀬川博兄(二海尉 によど)
現代大湊地方総監部気付、によど水雷長、青森聖アンデレの牧師が月一回程度家庭集会に来てくれる。
・大橋忠造兄(二陸佐 業校)
本年3月業務学校に転任、新米教官として大童、あらゆる面で再勉強の時と考えています。教会は25年前受洗の原教会恩師が存在し、心良く迎え入れられています。
・越田久一兄(三陸尉 島松)
51年2月の北部方面スキー戦技大会に参加すべく7月より武器隊冬季戦技訓練隊長を命ぜられ合宿しております。