Newsletter No.18(1977年6月)

※アメリカのクリスチャン
[マタイ25−31〜40]
 聖書には「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることが、人間に定まっている。」(ヘブル9−27)と書いてある。これは我々にとって大変きびしいみ言葉であり、これによって我々の生活は知らず知らずに規制されることになる。
 本年七月に国際OCU大会が米国バージニア州マサネタスプリングに於いて行われた。
 そのくわしい様子は、それに出席された方々によって、くわしく報告されたので知ることができるが、筆者も幸いなことにその一員として公務の間を利用して出席することができた。
 大会は7日間であり、この間は米国OCU(Officers Christian Fellowship)の招待という事であった。そしてその前後の米国滞在中は米国OCFの客人としてできるだけの便宜を与えるという事であり、出発に先立って米国内旅行の計画を提出するようにとの事であった。宿泊先や輸送手段をはっきりセットせずに旅立つことには幾分不安を感じたが、しかしお世話してくれるというのを断る必要もないので、出発の予定だけ立てて、あとは向こうまかせという計画となってしまった。しかし結果からいってこの旅行は殆どこちらが予定した通りの行程を行動することができ、そのため公務出張の成果も十二分に上げることができた事は喜びにたえない。
 米国OCFには案内及びサービスの専門の係りができていて、我々の行動が円滑に行くための援助の態勢が十分にできていたので、之は驚きであった。しかもそれは時に応じて臨機応変であった。筆者はたまたま往路の飛行機が遅れたために乗り継ぎ便を変更して、予定とは別の飛行場に下りることとなってしまった。そのため宿泊第一日目もワシントンD.C.とは少し離れたアナポリスのOCF会員の家となり、お陰で米国海軍兵学校を見学する機会を得ることになった。7日間の大会の間に次の旅行計画について色々担当の人と打ち合わせたが、客の人数が多いので仲々はかどらず、どうなる事かと思ったときもあるが、幸いなことに旅行を予定していた米軍の施設や研究所の近くには必ずOCFの会員が居るので、その中から世話する人をさがしてくれる。又、観光地等については適当なホテルをさがして予約してくれる、という具合で大会の終わるまでには何とか単独旅行の自信を得ることができた。結局米軍人又はOCF会員の家に六ヶ所泊まったことになる。その六軒の家を比較してみると主人は軍人が多いので大体同じような感じであるが、奥さん達は一人一人個性があって皆違うのは面白い。
 大変活発な人、米国人らしく陽気な人、家事の処理が上手な人、大変優雅な人、クリスチャンらしく夢を見ているような人、おとなしいようで大変雄弁な人、ただし何れもアメリカ人らしく社交的で、つとめて話をしようとするという具合であった。こちらも務めて話を合わせるように努力したが、本当に親身になって接待してくれるのには恐れ入ってしまった。
 そして日本にも是非来てくれと言っても大体は仲々行けないと思うが友人が行くかも知れないからその時は宜しく、というような具合で、その誠意は決してこちらのお返しを期待しているのではないという事なので尚更感動する事になる。之は冒頭のみ言葉にあるように、「いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか」という問いに対し、「あなたがたによく言っておく、わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち、わたしにしたのである」と言うことであり、之を実践に移せば以上のような行動になってくるのではなかろうか。以上の人達はOCF会員の中でも特に信仰の厚い人達なのかも知れない。しかしこのように聖書の教えをそのまま実行するという事はすばらしい事ではなかろうか。聖書のみ言葉すべてを実行する事は我々には不可能かも知れないが、主によって救われ、主の後に従おうとする者にとっては、聖書の要所要所については、み言葉にそのまま従おうという週間こそ大事なのではないかと思われる。
 み言葉を暗記して、それをこの世に適用するというよりは、み言葉そのままを行って、それをこの世に調和させることによって、聖書の真理はより強くこの世に印象づけられていくのではなかろうか。今回の旅で接することができたのはアメリカのクリスチャンのごく一部分にしか過ぎない。しあkしこの僅かの交わりを通して与えられたものは、筆者の聖書観に修正を加えなければならないような事柄であった。

※ "Know your Bible"(第6回)
      ウイリアム・グラハム・ストロジー著
宮崎健男(大佐和キリスト教会牧師)訳
 民数記
鍵の言葉 -- 管理 章数36
 この書には、ギリシャ語から来た、Numbersという題が与えられている。その理由は二度に亘る民の人口調査の故である。(1章−4章、26章)この書はイスラエルの民のシナイに始まり、モアブの平野に到るまでの旅程の歴史を記したものである。その書は、約38年の期間に亘っているが、そのうちの27章(10章〜36章)は民がシナイを後にしてからの出来事を網羅し、とりわけ17章は最後の一年間の歴史を記述している。(26章36章)
 15章〜19章には、約37年間の放浪期間が書き記されている。この期間の記述は旅行と区別されていて、ここには放浪旅程が与えられていない。神の御旨から離れた神の民の行動は、神のカレンダーには記されていない訳である。この書の代表的な人物は、ヨシュアとカレブであり、エジプトを去った古い世代のうちカナンに入った唯二人の人間であった。代表的な章は、13章〜14章でカデシに於ける極めて大きな反逆を語っている。民のエジプトでの補囚の時期から、バビロニヤに於ける補囚までの間に、三度に亘る大反逆があった。第1は紀元前1490年の、この出来事であり、最後は紀元前975年ソロモンの死後王朝が二つに分裂した時である。
 この書の中に古代の詩の断章を保存していることは、注目に価する。それは偶発的にも、五書の他の書にある慣例を示している。(比較6章24節から26節、10章35節〜36節、21章14節 15節 17節〜18節、27節〜30節)民が約束の地にはいる前に、モーセ、アロン、ミリアムの全てが死んだ。即ち律法、祭司職、又予言は我々の嗣業の境界線にまで、我々を連れて来ることが出来るが、ただ、我々の天のヨシュアなる主イエスのみが、その中に我々を導き入れることがと言う事のたとえである。(訳者注、ガラテヤ3章22節〜26節参照)
 出エジプトが創世記と関連をもち、レビ記が出エジプトと関連を持っているように、民数記はレビ記と関連を持っている。レビ記の主題は信者の礼拝であるが、民数記の主題は信者の歩みである。
 前者は、純潔さを扱い、後者は、人生航路を扱う。前者は、我々の霊的地位を語り、後者は、我々の霊的進歩を語る。前者は、我々の内面的な状態を扱い、後者は、我々の外面的な行為を扱っている。レビ記は、儀式的であり、民数記は歴史的である。前者に於いては、聖所が主であり、後者に於いては、荒野である。前者は、特権を強調し、後者は、責任を強調する。前者は、神との交わりに召し、後者は、神に対する忠実さへと召す。
 レビ記は祭司と、神に近づくことについて、又神について語るが、民数記は、レビ人について、又人々のための奉仕について語る。

イスラエル人の宿営[ノート]
 宿営の教えは、重要であるので次のチャートは、注意深く学ぶべきである。
 



※第7回OCF(U)世界大会の概要
 矢田部 稔(陸幕)
期間 7月5日〜11日、米国の建国200年祭に連接して
場所 ヴァージニア州ハリソンバーグのマサネッタスプリングス(?)。ワシントンから自動車で約3時間の距離にあるジェナンドア国立公園の一部のような所、標高約500米、広々とした草原地域、長老派教会ヴァージニア教区の持つ研修センターを借り切ったもの。43万坪の広さの中に、ホテルのほか大講堂、パビリオン、売店、キャンプ小屋、プール、テニスコート、野球場、ボート遊びの池、老人ホームなどがあり、近くには各所旧跡も多い。
主催者 米国OCF(各国OCU連合との共催)
参加国 ガーナ、ケニヤ、モロッコ、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、英国、エジプト、フィンランド、西独、インド、インドネシア、ジャマイカ、日本、韓国、オランダ、ニュージーランド、台湾、シンガポール、スウェーデン、米国(計22か国)
参加者数 大人486名、子ども125名、計611名
日本の参加者 千葉牧師夫妻、武田会長夫妻、今井教授夫妻、矢田部2佐
大会のテーマ 神の姿ににせて造られたものにふさわしく
大会の目的 (1)全出席者が自国軍隊においてキリスト者としてより活躍することができるよう励ますこと (2)世界各国のOCF(U)における神のみ業について情報を交換し合うこと (3)軍人に関する各種問題について信仰的な学びをなすこと (4)祈りによる霊的進歩のための機会とすること
日課 毎朝7時45分から22時頃まで11の時間帯に分けられたスケジュールの繰り返し・・・・・・・・・・下表参照
使用言語 約95%は英語。祈りの時など自国語を使用。
進行 すべての行事(ただし、朝の祈祷会、ゼミ、居住グループ別祈祷会を除く。)を、1日ごと交替する司会者が担当(米軍将校、主として中佐)
音楽 宗教音楽家レイマー夫妻が奉仕。その他各国将校・家族が特別奉仕。全員で讃美歌、聖歌、米国のOCF作の歌などを実に沢山歌う。
自由時間の行動(昼食後ゼミ開始までの時間) 自動車に相乗りして近くの名所旧跡の観光にでかけることが多かった。
子供の生活 年齢区分ごとのグループで生活。ただし、食事は全員同時。
ワシントン−会場間の輸送 米国OCF個人の乗用車及び借用バス
ワシントンでの宿泊 米国OCF個人宅に分宿

大会プログラム
時間 7月5日 6日(火) 7日(水) 8日(木) 9日(金) 10日(土) 11日(日)

0745     朝の祈祷会(司会 英陸軍少佐)(パビリオン)
0830     朝食(ホテルの食堂)
0930     聖書講義(米国トカログロー氏)(大講堂)
1030     コーヒー・タイム(大講堂周辺)
1100     各国報告(英ユーバンク将軍)(大講堂)           礼拝
1230                 受付    昼食(ホテルの食堂)
1300       ????
1600     コーヒー・タイム(ホテル・ロビー)
1630     ゼ ミ   自 由   ゼミ
1800        夕食(ホテルの食堂)
1930     聖書講解(米国スミス博士)(大講堂)
2100     居住グループ別祈祷会(ホテルの寝室)

ゼミ (1)地域伝道原論 (2)祈りと計画 (3)小グループ聖書研究の指導
(4)妻の役割 (5)別居生活 (6)祈祷パートナーの連携 (7)下士官へ手を延ばすこと (8)外国将校との協力による伝道 (9)士官学校・幹部候補生学校伝道 (10)文書伝道
 



※OCU国際大会での会長挨拶

 会長 武田 貴美(元陸将)
 米国独立200年に際して、米OCUのお招きによってただ今多くの皆さまの前で我が日本OCUからのご挨拶をお送りできることは大きな光栄であります。
 始めにあたり独立200年を心からお祝い申し上げると共に、貴国OCUの会員が、世界中のキリスト者軍人と共に連帯してこのような友情の交わりにありますことに対し深い賞讃の意を表します。又今回出席した日本代表に対する援助協力に対し深く感謝いたします。
 日本の軍隊に於ける伝道活動についてさかのぼってみますと、約80年前にうら若い婦人宣教師が米国から参りました。彼女の名はEstella Finchといい、1893年に渡日して東京及び新潟県高田に伝道の後、日本の黒田惟信牧師と共に横須賀で軍人伝道をすることに心をきめたのです。そこは元日本海軍の基地でしたので、ここに陸海軍伝道クラブを創りました。そしてその建物は今でも残っております。彼女はそこで日本国籍を得、その地で若い軍人や学生から"Mother"と呼ばれながら全生涯を過ごしました。本日、代表として共に出席しておられる千葉牧師は彼女と黒田牧師によって信仰に導かれました。このように我々OCUは80年のつながりを持っております。
 次に私自身のことについて申しますと、そこには偉大な米国宣教師Charles Logan博士を挙げなければなりません。私はこの先生から1951年にバプテスマを受けましたが、当時私は敗戦後の失望と無目的から喜びと信仰の生活へと変えられ、それ以来私の人生を通し、又信仰の友やOCUの交わりを通しての特別な方法によって福音による力を経験しております。有名な賀川豊彦先生を信仰に導いたのもこのLogan博士であるということは興味深いことですし、私の妻も妻の両親もLogan博士からバプテスマを受けました。Logan夫人は博士の死後帰国されて現在はアトランタに住んでおられます。
 その後私は自衛隊に入り、1950年日本にもOCUができましたが、それにはWilliam Pape牧師と在日アメリカOCUの人達、および英国OCUのGodfrey Buxton氏の協力がありました。Buxton氏は有名な福音伝道者であるBarcley Buxton牧師の息子です。
 日本OCUは現在会員約100名の小さな組織ですが、それには幹部だけでなく少数の曹士も含まれております。
 日本に於ける福音宣教は楽ではありませんし、特に公務員の間では集会は困難を伴いますので、この中にある働きのために特に祈って頂きたいと思います。
 OCUの国際大会には、ここ数回日本代表として出席できたことは幸いでした。1968年にはソウルで韓国の多くの熱心なクリスチャン士官にお会いして韓国OCUとの親密な交わりを結ぶことができ、1968年に??国スワニックの大会に出席、又1971年には西独ダッセルでの大会に、そして今回1976年に我々の代表がここMassage Springsに於いて主にある交わりの時を得て皆様と共に全能の主を讃美し感謝する時を得られた事は我々にとって大きな喜びです。
 終わりにのぞみ日本を訪問されて我がOCUのために援助して頂いた人々について述べてみます。
 先ずGodfrey Buxton氏は前後3回来日されて我々のために労してくださいました。又Gen Ewban Cleo Buxton氏、P.C.Petitijohn氏、TOK師、及びDr. Ro. Smith氏が米国から来られました。又韓国OCUの元会長ユーン大佐、中華民国のウー将軍が来訪されました。
 ごく最近は米国沿岸警備隊のグラント中佐が12人の士官候補生と共に来訪され横須賀に於いて食事を共にすることができたのは喜びでした。またMason大佐とMcDonald大佐は共に米OCUの会員で日本に於いて我々と共に交わりができた事について感謝いたします。
 ここで再び今回の大会に於ける米OCUの周到な準備と好意とに対し感謝の意を表します。どうぞ今後の我国OCUの働きのために引き続きお祈りくださいますようお願いいたします。



※マサネッタの国際OCU大会に出席して
 千葉愛爾(日基.久里浜教会牧師)
 7月5日、各国からのOCU代表は続々とマサネッタ、スプリングの国際大会場に集合した。会場は南長老派教会に属するクリスチャンセンターの建物であるが広大な庭園の中に宿泊施設、ホール、喫茶部、売店など完備している。日本からの代表として武田会長夫妻、今井健次防大教授夫妻、矢田部稔陸自二佐、千葉牧師夫妻の7名が参加した。
 私たちが会場に到着すると直に室の割当が示され、アメリカの元気な会員たちが、テキパキと荷物を室に運んでくださる。6時から大食堂でこの会場での第一回の食事が始まる。マサネッタスプリングはワシントンから約120哩、ちょうど箱根を想わせる麗しい山水に囲まれた処である。ここの一週間の日課は概ね次のようなものであった。朝7:45祈祷会、朝食の後、09:30から一時間聖書の研究(トク氏によるヨシュア記講解)10:30コーヒータイム。続いて各国OCUの現状報告。これは一日一時間半ずつ3〜4箇国の代表がユーバンク総会長の司会によって行われた。日本の報告は武田会長から9日(金)のこの時間になされた。
 昼食の後16:00迄は自由時間であって、これが誠に貴重なよい時間であった。この間に近郊のドライブ、水泳、スポーツ、休憩などをすることもできた。私たちは一日Rammer夫妻の好意によって武田会長と共に有名なセナンドアのスカイラインのドライブを楽しむことができた。1630から約一時間各部に分かれて思い思いのゼミナールに参加する。ゼミナールは別頁の通りであるが、どちらかと云えば米人の為に計画されていたので一般外来者には語学力の不足で難しかったようである。18:00夕食、夜はW. Robert Smith博士による神学講座というよりも「信徒としての実践」に関しての聖書講座がある。これは最初は速度が速過ぎて多少違和感があったが、回を重ねるにつれ段々馴れてきて面白く拝聴した。話は一貫して「キリスト者としては何を善と云うか」と云うことにあったようである。新旧約聖書の聖句を縦横に駆使引照してキリスト教の(善きこと)とは(律法に非ず)(真)であり、(聖であり)(美)であり、(麗わしく)(楽しい)ことであることを説き来り説き去って、米人の間では一番好評であった。私自身としては午前のバイブル、スタディ即トク氏のヨシュア記講解が平易でゆっくりであり、為になったと思う。ゼミが21:00に終わると、就寝前の小グループ祈祷会が始まる。日本人グループは最寄の外人たちをも入れて14〜15名、各自の室を交代で使った。ベッドに腰掛けたり荷物の上に座ったりと云う姿勢で、その晩の祈りの題目を予め定め、殆ど全員が祈った。但し夫婦の組は時間の関係上、どちらか一人だけが祈ることになる。
 これは一日の中で恐らく最も印象深い行事であった。毎日の日課は概ねこの様なものであったが、この間朝昼晩の会食の度に自由に座席を選ぶことができるので色んな国の人と話を交える機会が与えられた。
 子どもや青少年たちは、それぞれの年令、学級に応じて適当にSunday School的の行事が行われた。
 朝のトク氏の講座と夜のスミス博士の講座はいずれも優秀な司会者によって進められ、敬虔な礼拝形式を以て終始した。この間各回共、特別奉仕として、Mr. & Mrs.Raimerによる合唱が行われた。このRaimer夫妻は現在アメリカの有数の歌い手であるが「礼拝の一部なるが故に」との理由で場内での拍手はユーバンク会長から禁じられたので、各デュエットの終わる度に「アーメン」と唱える声が聞こえた。
 次にゼミについて説明すると全期を通じて10科目のゼミがあり、各科目毎に1時間乃至2時間の予定で4日間の間に行われた。希望者はその好む所に従って参加した。
 OCU大会といっても今年は特に決議は行われなかった。各国のOCUの状態は様々であり、英・米・独の様に堅実で実力のある国もあれば、クリスチャン自体の数の少ないインドネシアやインドやブラジルなどもある。その各国の情況を聞いて、その場でその情況に応ずる祈りがなされる。これが一つの決議であり一同の決心でもある。
 この会議中の唯一の決議とも云えることは、永年総会長を勤めたサー・ユーバンク少将が辞任せられて新たに米国陸軍少将Clay T. Buckingham氏が総会長に委任されたことであろう。次で新たなる四人の副会長が設けられ次の人たちが委嘱されたことである。副会長(Vice President of the Fellowship of National OCU)は次の通り。
 Brigadier General Joshun Humid(所轄アフリカ地区)
 Chaplain General Alan Begbie (オーストラリヤ)
 Lt Colonel Wolf von Amsberg(ヨーロッパ)
 武田貴美元陸将(アジア)
 因にサー、ユーバンク少将は11年間この国際OCU会長の任にあり、世界諸国のOCU開発に多大の貢献を尽くされた。
 私と武田会長夫妻は日程の都合で会の終了する前日の朝会場を辞去したのであるが、その前夜、ゼミの終わった後、特に武田夫妻と私たち夫婦は壇上に招かれ、別れの辞と祈を頂いた。更に手に手をつないで会衆一同と共に(God be with you)の讃美歌を歌ってくださったことは、この世の天国を見た思いであった。
 又、今回は各食事に対して食卓司会者等の準備も極めて周到綿密に研究準備され、特に調理・配食には臨時の手伝いさんを多数雇って、一週間の長期にわたって献立等もよく準備されていた。
 OCUといい、OCFといい、「各人は軍隊に属するクリスチャンとしていっそう適切な働きをするために何をなすべきか」と云う事が大きな前提となっている故に、クリスチャンとして色々な個人的の信条や、イデオロギイに対する解決はOCU自体としては与えていない様である。これはクリスチャン否全人類に化せられた今後の大きな問題であろう。国際間の問題もあるので、OCU自体を不戦同盟的に取扱い且つ期待することは却ってその存立を危うくすることになるであろう。
 然し各国の軍人、軍族及その家族たちが、少なくとも個人的には大なる親しみを以て誠心誠意打ち解けて話し合いができると云うことは実に他の如何なるサークルにも見られない現象であり、この交わりはキリスト教によってのみ与えられる特権ではあるまいか。体育競技・芸術等も国際親善に役立つことは勿論であるが、少しの敵愾心もなく、競争心もなく、この国際的の融和をなし得ることは、如上の矛盾や問題を含みながらも、平和促進の見地からも結構な大会であったと思う。
 又、直接この大会で会った訳ではないがOCUの友好を通じてお世話になった各地の友人たちの親切も忘れ得ない思出の一つである。

※千葉愛爾牧師夫妻を福岡に迎えて
 峯崎康忠(軍人伝道研究者・西南女子短大)
 O.C.U顧問、日基教団千葉愛爾氏は戦後(昭和27年以来)久里浜の開拓伝道に専念されたが、去る5月23日目出度く新会堂(会堂内の一角には故O.C.U顧問佐々木長老を記念するルームあり)の献堂式をすまされた後、夫人同伴、50年振りに九州を訪ねられた。ゆかりの地、佐世保での同期会(海兵51期)に出席のためであったが、途中、かつての勉学の地、第二の故郷・北九州にも立ち寄られ、しばし往時を回顧、30日午後は福岡で旧軍人伝道義会、旧軍人ホーム(呉・佐世保)関係者、緒方清、的野友規の両氏と会食、これまた50年振りの再会であった。固く同信、同士の握手が交わされ、4時から6時までの短時間ではあったが、互いの健闘を語りあった。今日では蚕紙とも70代で、既に老年層にあるが、信仰に支えられた心身は往時の海軍士官の面影をほうふつさせるかのようであった。以下、かつての軍人基督者について簡単に紹介しておこう。
 千葉氏が海軍兵学校時代、呉の佐々木共感(前述の故O.C.U顧問)宅で日曜礼拝を守り、更に横須賀の軍人伝道義会(現O.C.Uのいわば源流に当る)で黒田惟信牧師の薫陶を受けた(大正9〜11年)ことは周知の通りである。一昨昭和49年9月、奇しくも軍人伝道百年の年に開かれた星田・黒田両先生感謝記念会の記録は参会者の回顧談を氏が収録したもので貴重な研究資料となっている。
 一方、緒方清氏は佐世保バプテスト教会出身で海機28期生、軍籍では千葉氏より3年先輩に当たるが、同じく義会人として日曜の外出日は必ず伝道義会の礼拝に出席し、フィンチ・黒田両師から教えを受けた。関東大震災時、氏は駆逐艦「蔦」の機関長として、品川・横浜・横須賀間の通信連絡の任に当たっていたが、当時、ハワイに療養中のフィンチ女史に災害の状況と義会の無事を知らせ、震災第一報として喜ばれたという。任官後は勤務地が殆ど呉であった関係上、呉バプテスト教会に籍をおいたが、特に同地の軍人ホームのため永年尽力し、「呉軍人ホーム25年誌」を編集(昭和8年)するなど、舎母十時キク女史の片腕となり、佐世保軍人ホームとの交流にも努力した。この間、田中種助(遵聖)牧師の創めたアサ会がバプテスト教会から分離独立したとき、緒方氏も同信、同士の者と行動を共にし、同会のため財的にもバックアップ、今日のアサ会隆盛の地盤をつくった。昭和33年田中牧師永眠後は呉から福岡の地に移り、河野博範牧師のもとで、アサ会のため献身的奉仕を続け今日に至っている。近年、手記「十時キク女史と呉海軍々人ホーム」「軍人伝道義会・海軍々人ホームと私」「アサ会信仰」など貴重な研究資料を寄せている。
 的野友規氏は呉の海兵団出身、大正15年、呉軍人ホームで十時舎母の導きを受け、佐世保転属に際しては同地の軍人ホーム舎母松村里子女史にバトンタッチされた人である。氏はその後、佐世保軍人ホーム解散(昭和10年、松村女史永眠)まで、今は亡き津村秀穂氏(海兵団出身、永く佐世保鎮守府に勤務)と共に、終始一貫、村松舎母を中心に、家族軍人の一人として信仰生活に励んだ。この間、太田十三男、田中謙治、佐々木親、山中朋二朗、緒方清、千葉愛爾その他多くの伝道議会関係の将校諸氏と信交を深めた。満期除隊後は前述の津村氏と共に田中謙治氏の創めた福岡聖書研究会に連なり、中村鑑三の孫弟子として今日に及んでいる。田中氏は昭和46年、津村氏は49年、ともに永眠したが、この間、的野氏は「死の谷のかげを歩むとも」と題するソロモン従軍記を日記の断片をたよりに昭和48年に著した。(現在絶版)その中には基督者軍人として軍活動中、何を考え、何を行ったかについて示唆されるところが多いので、次の機会に紹介するとしよう。
 なお、軍人ホーム関係者として北九州に八幡バプテスト教会員福田雅氏(呉海兵団出身)のほか、筑豊の地に日基教団大三浦教会牧師服部団治郎氏(横須賀海兵団出身)が健在であるが、種々の都合で御両人をお招きできなかったことは如何にも心残りであった。しかし、的野氏の詩篇133篇を引用しての「証し」と千葉氏の「祈り」を最後に、誠に意義深い集いとして終始できたことは感謝であった。
〜〜追記〜〜 的野氏は津村氏と共に松村女史の三周忌記念に「佐世保海軍々人ホーム舎母村松里子先生を偲びて」を編集刊行(昭和13年)したがその中には太田十三男氏はじめ伝道義会、軍人ホーム関係者のあかしが多数掲載されている。なお、氏は最近、手記「田中謙治、津村秀穂に対する回想」「艦隊勤務と軍人ホーム」など貴重な研究資料を寄せるほか、ソロモン海戦で戦死した山本五十六大将の最後の模様を現地関係者として詳細に調査中である。(S.51.7.20)

※主の御名を崇めます。
 市川武功(空挺団)
 あるいは車をたのみ、あるいは馬をたのみとする者あり
 されどわれらはわが神エホバのみ名をとなえん(詩篇20.7)
 先日に届きましたニュースレターを読ませていただき、山王ホテルで行われた合同集会を思い出し、恵みを覚えてみ名を崇めております。
 初めて集会に出席を許された私にとり、日米合同のため田舎者の私はとまどう事が多くありました。(食事など)
 第一に語学力の無い事を残念に思いました。また、短い交わりの中でしたが、アメリカの人たちの明るいのびのびした生活の一面を見せられ、深く生活の中へ信仰が根ざしている事を教えられ、日本のクリスチャンもかく在らねばと思わせられました。私個人としても部隊の中で、一人で気をはっているとどうも明るさを失いがちになります。
 なお良き交わりの時が、これからも多く開かれるように願う一人であります。
 また一人の兄弟が救いにあづかった事を証しさせていただきます。
 兄は氏名を山田文好と言い、同じ中隊に属し、教会も同じインマヌエル船橋教会に出席しております。昨年の11月に救われ、クリスマスに洗礼をいただきました。
 山田兄は昨年の初めに新町駐とん地(群馬)から、こちらの空挺団に転属をして来ました。当時私は久里浜の通信学校に入校中であり、8月に帰ってから兄弟と知り合いました。何か大変悩んでおられる様子でした。
 彼は統一原理に属するある女性とお付き合いをしていたとの事です。集会に誘われ、その話を聞くうちに、思想が混乱して、働く事に意欲を失ってしまったとの事で、多くの不安の中に日を過ごしていたそうです。私がキリスト信者で教会に行っている事を知った彼は、何とか私と交わりを持ち話し合うようになりました。私も教会に導かれたのは、同じ統一原理のある人を通じてでした。原理の話に不信を持ち、近くのキリスト教会に行くようになった私は、そこで救われ信仰に入りました。それらの体験を通して、山田兄の事情を悟らせていただきましたので、
 一つには原理の誤りを教え示すと同時に、
 二つには、同じ教会に出席をすすめ、同年代の交わりに加え、自分から教会に出席するようにしました。
 教会の交わりの明るさと、すばらしさに兄は心を開き始め、先生から個人伝道を受けて信仰に立ちました。 ハレルヤ
 私が救われてより、2年半の間、同じ祈る友の与えられるようにと願って、祈って来ましたが、主はお答え下さいました。
 初めのうちは私があまり熱心すぎて、多くの人をつまづかせてしまったようでした。
 この様にして神様は救われるべき魂をそなえ、お救い下さり、神の国に入る者としてくださいました。心の悩みは解決され、元気に勤務に励んであります。
 またもう一人、同じ船橋教会に出席している兄弟ですが、4年間空挺団に勤務して、現在退職をして近くに住みつつ、交わりを持つ兄があります。もと隊員であった事で、貴会に加えて下されば幸いと存じ紹介いたします。
 以上証とともに二人の兄弟を紹介いたします。
 いよいよコ会の上に祝福の加えられ用いられんことを。 在主。

新会員
    山田文好 陸自通信学校気付
         横須賀市久比里2−1−1
    鈴木静夫 千葉県八千代市大和田119
         花沢様方