ニュースレター No.21  1977年12月


☆ 伝   道

 「そして主ほ救われる者を日々仲間に加えて下さったのである」
                           (使2−47)
 今年も伝道の季節をむかえて各地の教会では、その為の種々のもよおしが行なわれる.日本のプロテスタントも宣教100年を越えているがキリスト教国と言うには程遠く、未だに開拓伝道の域を越えないような教会が目 につく。「恐れるな、小さい群れよ……」(ルカ12-32)
 このみ言葉は時に応じて我々に大きななぐさめと励ましを与えるが、しかしこれは小さい事の言訳のためのみ言葉ではない。重要なのは数ではなく、信仰の深さだとはよく言われる事であるが、それにしても使徒行伝に始まる世界宜教に於て苦難の中での爆発的な膨脹はどういう事なのであろうか。信仰に関する事や、神学に関することは世上の理論や学問でほ容易に解明されない所がある。しかし信仰とは我々の生活を通しての事である以上、それを実行するためには世上の知識技術が大いに役立つのではなかろうか。特に近年多くの学者達が聖書神学の解明のために科学的方法を十二分に取り入れ、そのためむしろ「舟山に登る」程の現象さえ生じている事を思えば、そのような科学的努力が、もっと現実的な簡題である実践神学の上にそそがれなくてはならないのではなかろうか。
 日本の国は今や経済的には世界の檜舞台の上にあり、その市場ほ世界の すみずみまで浸透している。これは日本人が固有観念から脱脚してあらゆ る有効な方法を用いることによって始めて達成出来た事であろう。勿論そ の一つ一つの方法については正しくないものもあったかも知れないが、し かし全体的に見て理にかなわなけれは、このような現象は起こり得ない。 戦後日本の造船業は世界一となった。之は何百年もの間、造船技術のゆる ぎない権威であった英国のロイド造船規格を放棄した事がその原因であっ たと言われている.
 我々は伝道に当っても従来の伝統的方法のみに固執したり、外国から入 ったような方法のみに頼ることでなく、我々日本人各自に与えられたたま ものをもっと活溌に用いなければならない。世界のすみずみまで名声を広 めるような合理性と能力を持った信徒達が、教会では掃除かビラくばりし か出来ないという事では与えられたタラントを地中に隠す(マタイ25− 14〜)のと異ならないのではなかろうか。
 ここに最近市民がキリスト教にどれだけ関心を持っているかについての 一つの調査がある。これは教会のバザーの際に集まった市民について取っ たアンケートであるが、バザーは幼稚園の園舎と庭で行なわれた。会堂は 同じ敷地内にあり、正門を入ると会堂入口の前を通って園舎に行くことに なる。出入する人数は毎年4千人内外と思われたが、そこでアンケー卜用 紙を用意して会堂入口に場所を構え、アンケートに応じた人には抽選によ って賞品をつけることにした。これは過去二年間行ったが、その結果、性 別、年令、職業、教会に対する関心等について、かなりくわしいデータを 得ることが出来た。今年は之に一歩進めて、人々に会堂内に入ってもらう 事とし、会堂内には学園祭等でよく見掛けるような説明用ポスターを張り、 それな見て問題に答えてもらう事とし、抽選の他に正解者には小型新約聖 書を贈るという学習アンケートを行ったところ、150枚のアンケート用紙 は開場してから1時間半でなくなった。回収したのは121枚でその内訳は、 20才以上33、10才代46、10才以下27、記入なし15、であり、その 中30代が23名で、之には住所・氏名・年令がほっきり書いてある。又 記入のない15枚は始んど成年であった。アンケー卜部と氏名部とほ切離 したので対照は出来ないが、その大多数が、教会に出席したいという欄に 丸をつけている。記名した成人の中には幼稚園児の母親の名が多く見かけ られたが、それにしても内心教会に対する関心が深いことに驚きを禁じ えない。今後のその人達に対する対応に心を用いる必要がある事を感じた。
 我国は憲法によって信仰の自由は保証され、従って公の機関で特定の宗 教を宜伝する事は必然的に禁ぜられているが、しかしそのため、もし国民 が無宗教という名の特定概念に追込まれているとしたら容易ならぬことで あり、国際社会からも孤立することとなる。  クリスマスを迎えるに当って我々のなすべき事は国民の一人として主か ら与えられている責任を果たすべく勤めることではなかろうか。

★"Know your Bible" (第8回)

   W.G.Scroggie   訳  宮崎 健男(金沢フイラデルフィア教会牧師、防大8期)

 新約聖書「The New Testament」序論
 「Testament」は契約の意味であり、およそ、契約のあるところには、 二者がいなけれはならない。この場合には、二者とは、神と人である.し かしこれは新しい契約である、と言うととは、以前に何かがあったことを 意味している。我々の聖書の訳文には「新しい」と訳される言葉が二つあ る。一つは、時間的に新しい意味(ネオス−ヘブル7−24)であり、 もう一つは、品質において新しいと言う意味(カイノス−へブル9〜25) で、両者共に、我々が新約聖書と呼んでいる書物の集合に用いられ、真理 である。時に関して言えば、それは旧約の後に結んだ故に新しく、質に於 いては、前の契約よりも優れている故に新しい。
 旧い契約は律法を中心とし、その回りをめぐっているが、新しい契約は、 福音の中とその回りにある。(ヨハネ1−17)
 新約聖書は、旧約聖書の土台の上にある上部構造である。旧約は前影で あり、新約は、その成就である。旧約は約束であり、新約は仕上げである。旧約は問題であり、新約はその解答である。旧約は開始であり、新約は、完成である。これらの契約は、分離しては正しく理解することが出来ない。
 旧約聖書中には、39巻の書物があり、新約聖書中には、27巻がある。 最も広義の分類は、伝道的な書物と、使徒的な書物でそれぞれ、4巻と 23巻である。
 それらは又5つの歴史書と21の教理書と1つの黙示緑からなっている と分類することも出来る。
 福音書は過去に関わるものであり、使徒の働き及び書簡集は、現在であり、黙示緑は、未来に関するものである。福音書の中では、キリストは予 言者であり、使徒行伝及び書簡集では、彼は、祭司である。又黙示緑中で は彼は王である。イスラエルは福音書に、教会は使徒行伝と書簡集に又世 界は熱示録に、それぞれ色彩を与えている。福音書の中に、我々は、啓示 された宗教の創始者を見る。使徒行伝と書簡集中に、その基礎を持つ。又 黙示緑の中に、その完成を見る。最初のグループの中に紹介があり、第ニ のグループの中に、適用があり、第三のグループの中に、実現がある。
 「福音書中には、諸真理が、幼芽として見出され、使徒行伝中には歴史的 に説明され、教理的には、書簡集中に展開され、応用きれ又、黙示録中に は、象徴的に表現されている。」
 この書巻集は、第一世紀の後半(紀元50−100年)に存在するように なり、代表的な時期は一世紀です。著者ほ8人で、へブル書を入れると、 おそらく9人である。書巻の年代的な順序は、それらが書かかれた順序であ り、おそらく、次の様である。
 ヤコブ書、マルコ伝、テサロニケ第一、第二の手紙、コリント第一、第 二の手紙、ガラテヤ書、ロマ書、マタイ伝、ルカ伝、エペソ書、コロサイ 書、ピレモン書、ピリピ書、ペテロ第一、第二書、使徒行伝、へブル書、 ユダ書、テモテ第一書、テトス書、テモテ第二書、黙示録、ヨハネによる 福音書、ヨハネ第一、第二、第三書である。我々の聖書の順序は、論理的である。先ずキリストであり、それから教会、最後は、完成である。
 これらの書物の価値は、歴史的にせよ、霊的にせよ、全て、その数や長 きとは不釣合いであり、人生や歴史に於けるその影響力は、測り知ること が出来ない。エデンに於いて始まった夜明けが、ここで真昼となる。旧約 聖書に於ける予言のキリストま、福音書に於いては、歴史のキリストにな っている。そして、書簡集に於いては、経験のキリストであり、熱示録に 於いては、栄光のキリストである。  
(次回へ)


イエス・キリストの奉仕  (表省略)

★横山恵基兄昇天

 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15−13)
 北部方面武器隊、第301武器中整備中隊所属、横山恵基兄は、去七月三 十一日、余市町の海水浴場で、おぼれかけた友人を助けようと沖合から誘 導していたが岸に到着する前にカつきて海中に沈み、友人は助けられたが 本人は不帰の客となった。自分一人ならはおぼれる状況でほなく、又救助 の途中でも自分の身の危険を案ずれば緊急避難することは法律上許される 事であったが、兄はその道を選ばず、最後まで聖書の教えに従い、信念に忠実であった。兄のこの世の命は終っても、永遠の命のもとに天に迎えら れている事を信ずるものである。
 兄は静岡県の出身で熱心なクリスチャンホームに育ち、長じて16才の 時、静岡インマヌエル教会で洗礼を受け、以後忠実な信徒として生き、東京桜美林高校卒業と同時に陸上自衛隊に入り、以来北方武器隊に勤務、そ の間北海学園大学経済学経済学科を卒業、なお本年始め勤務成績優秀のため第5級賞詞を受けておられる。兄は又スポーツマンであり、スキーでは日本スキー連盟検定1級の腕前であり、札幌モイワブランデージ杯、自衛隊スキー選手権大会、石狩地区大会等で入賞、将来はカナダ国際大会出 場を目標に予定選手として訓練中であった。又バレーボール、持久走等中 隊対抗競技でも代表選手であった。その上アマチュア無線免許を持ち、隊 内の弁論大会出場等、その活動は将釆の部隊の中堅となるべき模範隊員で あった。
 この事故に際し兄の属する母教会、静岡インマヌエル教会では松村牧師 以下教会をあげて兄の死をいたみ、その信仰をほめたゝえている。その後 送って頂いた教会週報には毎回兄の記事、兄の回想記事がのっているが、 余白の都合でここにのせられないのが残念である。細かくは兄の直属上官 であった越田久一2尉(コルネリオ金員)のあかしによって承知して頂き たい。

●横山恵基兄をいたむ

    越田久一 (北方武器隊)

 52.7.31(日)今日も朝から暑くなりそうな雲一つない空、日曜礼拝の 後帰宅、官舎の狭い室の寒暖計はすでに34℃までのぼり、北海道にしては一夏に一回あるかないかの、ウダルような暑い日でした。
 子供たちに泳ぎに行こうとせがまれ乍らも、6月下旬配置になった新隊員教育の業務が気になり、部隊に顔を出さねば……何れにしようかと迷っていた矢先の13:30ごろ、当直幹部からの電話で横山3曹が水泳中行方不明との報をうけました。
 胸の高鳴るのをおさえて急ぎ出勤、現地や連絡先等聞いた後関係上司や 隊員に緊急連絡をし、現地にその後の情報を再三尋ねるもなかなか通ぜず、 今にも飛んで行きたい気持ちをおさえて、静岡市在住のご両親へ一報を入れました。その直後、最も憂慮ていた悲報が入り、神に祈っていた一縷の望みも切られ、暫らくはただ呆然とするはかりで、関係者一同絶句、気をとり直し祈りはしたものの私の頭の中は錯誤の連続でした。
 その悲報をご両親にお伝えしている私の電話の側に、誰か水をコップに 持ってきてくれたのを飲みほし、横山氏(父君)の冷静な質問にやっと我 にかえり、経過をお伝えすることが出来ましたが、振り返ってみて今だに記憶が定かでありません。横山3曹の事故に至るまでの経過は概略次のと おりです。
 本年度初め、武器中隊から前記の教育隊教務主任を命ぜられた私は、助教の派遣もあることを知り、その際はぜひ横山3曹をも一緒に派遣してく れるよう中隊長にお願いし承諾を意ました。
 6月下旬教育開始、横山3曹は新隊員35名の車両専門助教として、他の火器助教や営内班長をリ−ドして、若い新隊員(平均年令18.2才)の中に自ら進んでとけ込み、課業は云うに及はず課外活動の持久走・バレーボ ール・銃剣道等に率先垂範、兄貴のように親われており事実、私の片腕と なって活躍してくれておりました。
 たまたま事故前日の7.30(土)教育隊のバレーボール大会があり、その試合のレフリーや模範試合に出場した後、友人の結婚祝賀会に出席その後大学時代の友人たち8名で積丹半島余別海岸に行き1泊キャンプ、翌31 日帰途、余市町フゴッペ海水浴場で休憩昼食後、友人の知人で同行していた女性に水泳を教えてくれと頼まれ指導中、女性が浮輪用に持っていた発泡スチロールを流してしまい、岸にもどろうとその女性を誘導してきた際、 岸から30mぐらいのところで深みにはまり、横山3曹は泳げない女性をかかえて帰泳中、ついに力冬きて両者とも溺死状態になり波間に浮き沈みするのを陸にいた友人らに発見きれ、直ちに救助活動は行なわれたが、グ ループの人たちは誰れも泳げず、警察官や漁民の助けをかりて舟を出した時はすでに2人の姿は見えず、やっと仮死状態の女性を発見救助したものの横山3曹の姿は見えず、約1時間後(14:30頃)海底に眠る姿で発見さ れたものであります。
(余市署検証の結果、多量の水を飲んでの溺死と判定)

 緊急連絡で次々と出勤、またニュースを聞いて帰隊する隊員を分担して、所属中隊の副長を長に教育隊の区隊長ら主だった陸曹が現地に向いました。
 その間、横山氏への連絡、調整を担当した私は、ご意向を承わって部隊内での葬儀を計画、関係上司に申上げたところ心よく承認を戴きました。
 それと、日基島松伝道所の土橋修牧師のご指導をうけて種々準備する中、 炎暑の日も暮れ涼しくなった21時ごろ、武器隊在隊者一同(100名余り)が迎える会場(駐屯地第1・2教場)に、親しい友人らの腕に持たれて、無言の帰隊をしたのであります。
 遺体安置後、土橋牧師の司式で昇天の祈りが行なわれ、着剣の衛兵が立哨配置され、馬場駐屯地司令や急を聞いいて帰隊した隊員の参列が遅くま で続き、中にはお棺にすがって男泣きに泣く同窓の方もありました。
 翌8.1(月)駐とん地は朝から半旗でした。
 午後、千歳空港にご遺族をお迎えし途中、土橋牧師宅に立寄ってご挨拶を述べられた後、駐とん地の会場へ、変りはてた我が子との無言の対面、しばらくして、優しく語りかけられる両親に、お父さん、お母さん、ようこそ・・・・・とでも答えそうな、口元に笑みをもったりっはなデスマスクでした。
 立哨の衛兵も銃をまともに支えることが出来ず、白手袋はクシャクシヤ でした。
 同日19:00〜前夜式、翌2日告別の葬式がそれぞれ予定どおり挙行され ました。
 両日とも、会場の第1・2教場は、駐とん地司令馬場陸将をはじめ、近郊部隊代表、隊員関係の他、民間の学友やスキーグループの人達が多く参 列され、準備した椅子200で足らず追加するも間合わず、立っておられた方もありました。
 挙式の中でとくに、横山氏のリバイバル聖歌262番の独唱された時は参列者の中から、慟哭の声が続いておりました。
 葬式の後、茶毘にふきれその晩はご遺族と共にBOQで一夜を過ごし、翌3日私と友人の車2台に分乗して、6年近く住みなれた駐とん地に無音の別れを告げ、北海学園大学、スキーに通った藻岩山、冬のシーズン中よく宿泊した中山峠の管理人さんにご挨拶をし、札幌に一泊、4日千歳空港より、父上の腕にだかれて懐かしの故郷静岡へ帰省しました。
 100時間にも満たない日時の出来ごとでしたが、横山3曹24才の生涯は、神によって与えられそして召えられたものであり、その間の行ないは誠にそれにふさわしい数々の業を多くの人たちの心の中に残されて行きました。
 かつ私自身に、神の僕はかくあるべきと強く教えて行ったものと信じております。
 「一粒の麦、地に落ちて死なば豊かに実を結ぶべし」(ヨハネ12−24)
 横山3曹が助教として教えた新隊員35名は、奇しくも、彼の誕生日9 月17日に卒業して、全道の武器隊にそれぞれ配置、巣立って行きました。 私はその後入校してきた52名の新隊員の隊長を命ぜられ、浅学の身に余 る地位ですが、み言葉や、よき同僚らの協力で勤務しております。
 教育隊の隊長は1人でも、その上には神の導きがあり、横山恵基兄も永遠にいることを信じて、よき羊飼いの門番として頑張って行く決心です。


☆ 通    信

・東調布教会牧師・東京聖書学校々長。小出忍先生から、次のお便りがありました。
 ・・・7月英国ケズイクコンベンション出席のため渡英、Capt. Cadfrey Buxtonのお宅を訪問、恵まれた時を持ちました。お茶の後Capt.のドラ イブで陸軍大学、士官学枚に案内され、特にChapelで色々ご鋭明があり ました。ケズイクの時司会者の発議でQueenに結婚式の祝賀電報を送るこ とになり、割れるような喝采でした。王室との温い感情を感じとることが出来ました。Buxton氏は武田先生の事をなつかしげに話しておられました。御祝福をお祈り致します。

・中野島教会牧師・聖書神学舎教師・後藤茂光先生から、次のお便りがありました。
 ・・・・コルネリオ会のニュースレターをご恵送下されありがとうござい ます。近著の第20号も興味深く読ませていただきました。また、多くのことを教えられ感謝しております。
 お互にキリストの兵士、主にある戦友としてしっかり立ち、サタンと戦 って参りたく存じます。神のすべての武具を身につけ、祈り、祈り合いな がら各自の部署をしっかり守って行きたく頼っています。 平安。

・ 静岡インマヌエル教会牧師・松村導男先生から数次にわたりお手紙および教会週報を送って頂きました。
 ・・・・日本中のコルネリオの方々が国家の為に篤く祈る人になって下さるよう祈っております。糸井勇氏(元海軍大佐)よりの通信によれば夫婦で四日市インマヌエル教会に出席中の由です。
 ・・・・「横山恵基兄召天感謝献金」を頂いたので、祈った結果、若くして召天された、恵基兄を記念し七千円で折皮の旧新約聖書を買ったので、十ニ年間日夜愛用して書き入れの余白がない程になり、いたんだ聖書にお別れの辞を書きました。
 ・・・・「横須賀市陸上自衛隊105中隊で教育を受けておられる勝山昌之兄 より、初めての月給の十分の一献金が送られて来ました。ニケ月は外出が 出来ないので、手紙で励まして上げて下さい。」
 ・・・・「自衛隊内の勝山兄より、隊内に数名のクリスチャンが見つかり、交りを持っておる由、防衛大学校の今井教授よりコルネリオ会ニュースレ ターが送られた由。」

・勝山昌之兄(武山駐とん地 105中隊)
 松村導男牧師より紹介され、ニュースレターを拝見、忙ししい中にこれほどの会をつくっていられる事は大へんすばらしい事と思います。私もキ リスト教にふれてまもなく、まだ何もわかりませんが、聖書のすはらしさ に、いつも感激しています。これから信仰を深めていきたいと思いますの で、この会の活動内容を教えて頂き度く思います。いろいろな宗派がありますが、どのような形をおとりになっているのかお教え下きい。またニュ ースレターを送って下さい。御多忙中恐れ入りますが、是非お力添え下さいますようお願いします。

(なお勝山兄の新任地は北海道北千歳の特連との事です。千歳支部によろしくお願いします。)

・中生啓一兄 (調本東京支部)
 51.10.16付、調達実施本部東京支部検査二課へ転勤しました。住所は 立川市栄町1−6−1 防衛庁宿舎821、教会は立川聖ペトリック教会 (聖公会)へ行っています。7月1日付三海佐に昇任しました。



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コルネリオ事務局
(日本OCU)
横須賀市走水1丁目 防衛大学校
応物教室  今井教授気付