ニュースレター No.24   1978咋12Jl  クリスマスメッセージ 〔マクイ2−1〜11)  今年もクリスマスシーズンとなり、公H各佗もdI三水の忙がしさの●Il虹別 け藤れている・・Ilと払われる.租l14の特技である科学技術もさら叱次の浪椎 Ilぎして繁栄糾r可って方粥している特例であろう。しかし孟長々増加し鈍け るllと界人Llを卜介に凝うためl乞は、食事Iだけを増えても刺tでは木地であ るし、収・化のま:との文化を株川す●るため糾エ、必背な几ネル小一だりな考 えても、新しい州瀧の必1捌′たが叶はれている。かくして人掛エ、月施行を 父現し、線十ノJ叱よるエネルギ小判川法をlJf悦し 立た近ft医学ばl桐畑杓 な発展もとげ、′に朗苧の幻l識は新い、々l∴命の汲他叱正で及ばうとしている●  しかし一プJでと.れらの桝学技術のl州瀧山肘iすれはする柁、その咲の托 さ虻払い賓らなけ1tはならない。  例えは人lmの一端●lTの肋きな考えても、その他雉で徽妙な瓜托倒しては、                                                                                    ● 到瞳人加の及ぷ針eはなく、これな制式して作るという∫ltはとても考えら れる4卜eはない.その治注trの代人的ナ⊂汲能の・・一つな√≦似する■Ilがやっとで あり、Pポットは々州に艦少‡一ても人体の朋勺さ叱くらべたら介くおもち ゃ托符しく軌l均の械せ川ないI打なカlらさJ・しる.,朴声を少しでも々えるなら           ● は釣竿方伐背い、う汚班は巾く九;こがましい.ミ流上釘フなけれlぜならない●  この⊥う打人仰にllえられ・ている肘;モ柁術iこL州一l!ク)ごく一・・紳分でもり、 代りの妊妄州Kついては人だ稚い.ぶ対lの巾虹川はされているということであ                               −−・l・−  台「 る●                                                                  ●  初冬の中天叱租を仰ぐ時、その盈の過食、朱求叱ついて、我々が地歩し た天文学の助け托よって知り柑るのは、現れミの状態の庇筏としての存経で あり、それだけが耕りであって、その輿に架して何があるか、何時どのよ うな変化が起るのかは、正体把ほ何もわからない● そしてその和ま2000 咋何の叔から鹿た時七漣rマタイ2−2)も同じであったであろう.枚巧 は当時の文塘文献をあさ●りながら、ユダヤのよの詫鮎と亀との囚柴榊係妃 ついて学び、その出現を砕かめるため叱、はるはる輿はの地kやって盤た、 そして文叔の教える為り把従って、残齢をもってなるへPデtの所k来て 協I如もなくその後淋者托ついて閃いただした.  其他姓対する一途な態庇は今も苫も同じであも.  そして放らがl●長のJ‡う*を仰いて州かけると、見よ枚筍カi鹿方で見た 鬼が触らより先k遊んで助な子のいる所まで行き、その上叱とどまった」 と出いてある.この姐がどんな租であったか、漁れ租であったか、すい足 であったか、または何か明るい扱が明滅して見えたのか、税托それはわか らない● Lかし枚等は叉叔にナご首されていた鹿り托そとでユダヤの●Eとい われる助な丁・叱めぐり公ったというのである.  軋ぶ叱よれは、神はその一人●rセあがないこ1ミとしてこ この世叱お退り叱 なったの叱、選民といわれるユダヤのバリサイ人達は、それを溜める1tが hl架ず、そのため他等は換比残され、汲々輿仲人といわれる令lll界の比が、 こうして兜叱神のは叱人る執念な∫与えられ、今が温みの崎となっていると いうdlである●その敷いの欠礼のためにあがない主であるイエスキリスト がl批悠叱.とってみともってマリヤからこのllt叱′kまれて氷られたのであろ.  軋ぶは血を漁すこ・となし托非のゆるしはあり‡lはい(へブルり−22)と 「‡っているか、lll的l取出は3けのlい叱ある沖油の人_撃フl仙虹よっては非の椚 めがない耶を托々と盈別している.また動物の犠牲叱よるあ守めは−・特約で あり、それは肘杓の解りの岬虹一舷このlIt叱祝われた抑のイ・イエス叱よる あがないのチ戎であると言っている●                            ・2・‥  またイエスキリストの湛牡kついては「そのJ打破は人と舛ならず」(ビ 少ビ2一丁)とあるから人l和の机構内件を‡jっておられたので、その史的                     ● も耽々向戌抑租の誠数分裂から始まったものと思われる。その蝕めの抑馳                                                                                            ● は′18偶の染色体を持っており、そのJド放の24伽はマリヤから受けた. これは人仰から負けたのだから光金でltなかったであろう.しかし挽りの 2・l個は忠魂から受けたのだから完全触欠であり、との二者が−・件となっ た吼不完全な半数はそれと対となる残りの1ト数拡充企托カバーされて密 会なものが川瀬卜ったものと思われる.  甥3kよる染色体とは何であろうか、これは胤イ仁の杓竿ではわからない● これは統計杓に押収される・●Ilはないであろうし、坤王出托ほ一敗ポけとぶい てあろのだから抑lt伸びとの!1tを鮎こさない・eあろう●J‡し・沖がとの・ホを 科学を適Lて人打_Z虹示される噛があるとすれは、それは般後の科学ではな かろうか.¢1仏界托はql性牡軸もあるし、似た鋭敏はあるかも知れない。                                                                                                         ● しかし取出が.ぞ与っているイエスの誕′たはそれらとは令く別な岬なのであるゅ  この糾馳は・マリヤの旅円で何ら、Jl浦●ら−(みとりrが讃生した.それら はすべて軋l‡の二戸言音のとおりであったqこれがクリスマスであるq  我々はこの担叱ありては兎Jll脱例の!11のみ虹忠な健われ、物解を払えた 礎の他界のIlfほ見えない.しかしだからと言ぎッて物幣な也えたIlt紺が如い わけではない.7ジ7の・一†rl虹起って、ギリシャ、ローマに的まり、ヨー ロッパ、アメリカな桝り、今や令肘弥陀行き洩ろうとしている耕汚の汲の rpにあっく、この救いごI÷の′k湛のl●.1な舶念しで批う‘11は耽々クリスチヤソ 叱とってほ人きな再び・eあり、この世の人適托とってもまた人きな帝_Zの 光明ではなかろうか. ☆  仇Khow Y●urlilbl●沖 (覗1011・l)     考二符 W.C.8e川官gio     秋・持 切鴫 触刑(金沢●′イフヂルソィ●ア教欠1t仰.帖人印刷) マル・1による榊蹄;!l                            −・3‥− 達  灘の富盤二傘化「払の伐な見なさいJ  PTマ托て沓カlれる・P−マ人のためk手けれる・牛の槌な和音持つ・ 働きの・M経●    著作年代 紀元後50〜55咋       ●                                         ヽ   溌 破                       ●  ヨハネマルコはマリヤの息子でエルサレムに住んでいた.(快托12− 12)他の名痢11新約兜胡の■一丁把持桐111て光る.訂ハネが、ユ〆ヤ銘であ り、マルコがp−マ名である●  バウpの忠教艶純の始めとその終わり虹、マルコは牧と一桁であったが、 これらの抑例の胴kはべチpと−柵だった様であるq                                                              ■■  マルコがとの礪持出な凝いたと言うのは、非耶に古くからのk承であり、 鮎元像120年のバビアスの時rt托さかのばる.バビアスは他のことを 「べテpの舶訳者Jとして荊っている.他他の飽き10−34〜43はペア Pの鋭敏の壕杓であり、マルコの桐台は人節約kはべテpの口述のメッセ ージの全文である.「旭灘・古lと宵う虎姫kよっておそらくバビアスは 「翻訳者」を意味したと払われる.即ちマルコはべチpが述べ伝えたと思 われるアラム舶なギリシ・▼jJi叱耕訳したのである.   説 話  この拍の見解はマル=Iがp−マ人の読者たちのために前いたことな破く 文挿している●                  ●  この錐拠は外1伺的及び的山i杓である.槻してhl杓邪ヂ‡からの引川托欠け ている● P−マ人がカlらない結氷の意味は郁訳されている.(マルコ3− 17 5−・41 苛)  ユダヤ人の椚桝エ説明書れている.(マル:】7−2 15叫42)d・リー プ山の位揖が示されていろ(マルコ13・l)ユ〆ヤ人の枠はについては                                                                                             ● 富及されていない.  fl11のi氾綽托はのつていないプアソ胡が射されている.(マルご・6・−27、 7・−4.川〜42 等)                           ・・′I・・ }   ー   茫きれた場所 マ′†コはこの番をエジプトアンチd・ケ、シりヤ入力イザジャで糾、た                                                                                                                ● とjミ俄きれて朱たが、証し曳航祝すろl時、紀された執削土、ローマと見え る.この見附土べテp彷1の5−13把於いて、もしトミビpソJがp− マを意味するならは、生瀬L了りる択拠を持つ.  蔀作ヰft  この補酋碑lま、エルサレムの触娘の紀元70咋以胎托すIかれたものと思 われる。また四舶糾埠11つ研−のものであるととも純かである¢  ルカ虹よる_Z頚il押出允後拘56乍から60年紅かけてぶかれたので、 マルコの凋満場は址J己像56咋以耐虹州かれていたもの叱迎いないのであ る.エーティーPパートソソはl二は放も維火な年代として出水後50年を あげている。ヤニ・タil‡な給い<は新杓一_i;す川1他も桝申IのJさ物である。  .又 件  全知j汁、針llマル1によるものが・・・・俄放抑杓●eありまたllり川【人である. 他の掃射エ小さな絵である.批の好んだ時制は水先了l時制でありまた歴史 杓胤′lリ抒で、統・指のl阿に、欠松′lこ捕の行動と動きセ引き耽ててくれるので ある.(l・−30、37比倣)・tリソソ沖七は、・Yルコの文件ほ、HJ火的 でなく、お川的であり、どの印¶のr.‡並の知乱l托も欠けている●それ .1研頻であり、鈍らず、又榊.下汲またti抜勺の公くないものセぁる.」 と述べている.この邦朴さが、少なからずこの乃の他力である●  【二l杓  Unr・lの結氷lよその口的を述べるため叱用いられるであろう一(マルコl Jl)lqlち【1佗の泊仰山なlk捕世道って鹿た、また人々の巾で令榊力な傾 けて生さ.モし、伽、去来たイエス、また別様な忍ん・e鋳った伐としてのイエ スセ挫眺・rることであろ¢ rゼカリヤ3・一汚、イザヤ52−13 53・− 12)10申の・15抑は糾抒を髄的1.ている。l●人のア・がさたのも、仕え られるたか亡はなく、什えるためであり、たた多くの人のあがないとして、 n分の命を′jえるためである.111蹄−・16帝●                                              ′■                                          −● a 一−   特・色  とれらのりIで補帝は食んでおり、少数のものだけが名付けられるのであ る.ここ托は、18の奇跡があり、その二つはマルコkよる舶台場叱のみ                                                  ● 記きれている●また四つのたとえ点そlあるが、その一つは、この凋音歯だ                                                              ● けのものである.どのたとえも罪映がなく、軌、解温もない.÷ルコだけ が、使馳たちが「食ヰができない程k脱がなかった.1とこ舷満っている. 41国政は(●uth¢言さ)と抒う邪を川いているが、それはr朽ち托l「捏 ナ亡く」「すぐ叱J「一歩一歩.1「すぐきま」r〜するや術や.1またrきぴ しく」と笛うよう叱、色々k訳されている胡である.他のみが、キリスト が敵から遡れるためkまたは祈りによって枚の租を新た托するために車代 の最小で逝かれた少くても11以上の出水帝を炎々に岱げてくれるのであ る。他のみがイエスが「大エ」であったととを祈り、ナザレに於いてのネ 明似な年月K光を和らして●Fきるのである.捻り適し叱よる収納はマルコ の特放である.(例えは1−45.4祷、14−68帝)また枚lま絆如托さl き濫している。(例えは3−16、10−46、5−13、6【一7、1−35、 4…3缶、l1−4、12−−41、6−32、1−41.43、d−12.23符)  これらの詳抑やまたとの様なことは、為肘や希号や、時や場所や、色や 感柵托l均してもである●    ノ・一ト  マタイの揃せ粥中、106待の甥句の中で杓5001まマルコによ・る祁禽冶 661甥句からであり、ルカの凋解ヂll149の巾、杓3201由=l〜マルヨか らである●唯20から30のマルコの盤句だけがマタイにもルカ托も見出 されないのみである●                   (決河へ) 敦  円水中リスナ教則u胤「†i亨他の及.1投i埠叱よ†すろ反穎  矢川跡稔姐(陸幹校)から上舵「混ぜのひろはl投沓舶の河淋蛇の投出 托メ†する反励を柑峨するよう披仰がありました.なおこの反論ほ嗣枚出潮 K投11iした所、Llキ故印川欣称から「教何の挽かれている令放杓な状況か                           ・−d− ら本J削ま舶赦しないlとの弘が・ついて避退して来たものです. ◎ \、_ I●河瀬伊勢Tr餓舟教会牧師)戊の投鵡繋臥l 太る6月7日は食で、人胤損他殺対策特別抑訊法が呵決.成就Lた.地 度榊托代む我々は、他出の抑さ、地度対策の必繋とその凶此托ついては⊥ く_汲ゥされており、このは柑の成立を牧迎する人も多いと思われる.しか しこのは柑のねらいは命く畑の点にある.桝.村策法は、マグェサー−ド8 扱の地だの下知でく.了が川されれは、災祷発′‡ミ肘托捻棚人出の槻阻で出納隊 の紡馳出動が呵伐であろとしている.白熊件桝ll勅するや、町は岬・椰の成 絶句ドkおかれ、たとえヤカ=●(.・沖ミ鴻粘りで地拭が曳きなくても、柄・ホ把 捉わない行動は犯押となり、訳せられる.つよりl軋吋策はは災宵対舛とい う帆血縁かぷった約安就法といわぎるな柑ない.立た現父叱地鎚弘り≠が允 ′lミLた件のlTl柄練の救済独助が、は比耶・−・ではありえないと考えられる. 昨年9月頒浜でのフ′ソトム戦績●ll放で、fl似した子仇より北托無倣の米 ●qレミイpタトセ故l11したことかちも朗らかである.Il術隊の救粥描鋤は何 .上りも小火1●f庁や人幣水触顔の保藤なl●1抑としている.…・・‥・・ R I矢l11称鹿兄の反論J l●地戊対恥払一個他の御瀧言lま、舵は的叱111:柑j隊に朴rろものではな く政約−・般托射するものであるが、亡I租巾であり教公の−−・出である払には 納‡牲できない¢  ここでは、偶々の折柄,l川i忙触れず【.一律i隊托ついて脱水叫叱附うてみた い.抑批藷のヂi慮もrl術隊の地滋におけるさ.I椎比朴eはないと思われるか ら●  た立たまl一舶持と札代j 9月吋叱_bミ教改心箭の宗教叱関する介松功氏の 鹿又がある.  川t俗の公桝ノJな湖畔叫叱意味づけることのできないこ;言放は、略為する かその宗教n身が樅ノJな健岬するかしなくてはならない.ニ;ミ教改称路たち                         ・一丁−− の教え叱は、赦免詮とJちに同溌論やlIt俗の公櫛力遊が含まれていたが、公 .祖の完く政となり符なかった傍線のそれには小盤はlとしての教会を超えて、 は民生捕食収叱わたってそbf=tな免おうとする故鋭k11欠けていた.」                                                   ●  戦後ロムのキリスト教公叱は、敗戦の体験、叩l針k故にヌfする反省或は                                                               ● 叫繍忙いじめられたことなどから、叩嫁叱カナる批しゅ・う杓な繋持を口碑 隊忙代射することkより、敬竹の非感応を払いまたアジア穎はとの迎梯な 深めることができるとでもする紬向が償い。  かくして、臼勧隊を不吋触祝し30勺ミを耗過しても感締約舵瀕反応以外 叱山初旬論は欠格の生まである.舟松鹿又の餅挽はH本の二1三池となり、令 体としては1廷仰の仲挽へと進んでゆく.  アジアでも非八畑I二流細岡では中yスト冶の耶人は少ご⊂くない。11(人を                                             ′ 教会からはじきluす教成せ徽推させてゆけは、いずれクレームな付けられ                                    ● よう●  払は今林、斡はを池倒し教会と叩隊の朋●杭協力状況な一一・幣1..たが11人で は鮎他できないものである.払の紳在榊、押角川27†1の1仏川洗礼があっ たが、チャプレソの拙か山般の牧師多数がその柳川托ヱ1っていた。  鎌介教会及び抑刹ll教仏k収托戎l・上将来虹.むいて杭するlこ一助でT及げその 架族叱対する牧公的な鮎舷も欠くのは残念である. 血 ●ヽ  Me Donlld氏畝迎公  米lqOCFのMe Donaldl転が大人と八托灼一一也l和「l木および的悶々紡 l和された軌条托、11Jl19円(「=15=川 からホテルカ・・−クニのMad{le 仲炉4i渦朗で払迎公な行った.肌e Donald.比は沌イErlOCFのft求であっ たが昨年晩、収任の米川OCIPK痢杭して外MのOCIJの溌払のため叱労 しておられ・る。またMadoc帥も九OCFのノンノミ−であったが執心三は氷 河のミッションK夙して、ホテルオークエのGard¢n Ch叩¢lを・11鴨し ておられるカである●  rl木小切からは、十灘政財牧師、武l1.1余技犬塵、矢lU滞松丸大鹿、滝原沖 兄、今ル触次兄が川仰、久し振り虹回ら船荷で共諾乃叱よる交歓な行った. なおその抑でMe Donald蛇から、lI一向米語斤LIl、γフリカ灘川、州Ilイツ、 インドシナ、フィリピン、斡はやのOCUの粥軸托ついてのお前があった. ☆ 戚 ヽ一l    l 一一l一● ()沌=絶大叩札、椚イ・舛 (棉叫)  ェ:.・一スレターlい野川い十リスト教欠牧坤、後藤戊几牝!lミからおtモりして挿 払いたしました.三l二人lよ輸叫几地軌渦のこ顎炎11ミで、その款机も八叱他川 舶市政公で准什さセていただいております.・−一年柑桐このエーースを抑止 し、l二J納でぎのか寂放と変りせいただきたいと〃じ・こゴJりました.その他払 逮の教余に於ても、いろいろと訳線の時があり、そのために祈り、神の埠 さ叱⊥り丈えらJl.今lI叱二1与り生した.1二人の父は川嶋∫1・リスト教公の柁裁 とlノて、永いい椚川こテ占を終え1j犬しましたが、そのクリスチャソ,トー人托 ヂ‡ち、あと虹残った=I人の・r供述11・すぺて仁川11の氾托繊かれて今11に太 ってこにり:tすu 払も.Iこの救いのみわざ托すべ●{なおゆだねして仰の1.qの・・一・ Hとして受け入れらfI.、【1々教余の咋什托我んでh了仰生妨を少んでおりま す.娩牧・了・は桜柴枯知人・一年ミIこですが、今ははッきりと神の潜れミなみとめ、 挽礼呼他のため学んでおります。払漣も心から神に戚細し治んでおり生す. すべて仰のご針術の小姓払速がおかれておる巾な党え、この槌托神の変が すべての人托そそがれておられるエー三をみとめ、み溌えのため献身の党椚で おります.何卒央士の一人として私速もコルネリオ公の変り托入れて招き 庇くご交信をおねがいいたします. 立Kあって. 0 川村欠如兄 (ノヽ施)  軒挟伐卒柴以盤、始めての九州勅劫となり、飢拍称隊の一月として発作                            ヽ 北、悠治の如く汲劫するその掛lI.托のめり込み、触発札ヒのl11托一ケ月が 舶ぎ了‖ノたり CGS/仁乍小悩りましたご椚】界ご〃帖托メl11御礼lい_い′ろ蛾                          −9− i 公な池したことを搾く恥じ、改●めて求心より御礼努々御挨拶Ill.Lげます. () 臓l11と1之兇 (北こ下弦】02人)  信仰とl軍和んでいる胡がらを柵附しまだ見ていない小犬を仰視すること であるといわれる.tう托、娘近・では鑑魂がひじ∫う旺l・.つてき止して和が 神格杓虹兇えるよう托なりました.また物虻ヌJする執耶も少なくなり、欲                                                             ● 印をおさえる和がlll来るよう叱なりました.;りレネリオ余ほどうなっ_d(い ますか、どうぞ盤触払うち捲って溌晩して下さい.  く沌からはしはしはお快りな∬ほ献金なTrlいております小今Jf紀) ○  槻n 隆兄 (光一帖佐) 水城帥輸他の勤劫を椴橡虹仲呼辿漉し、飢汲研究苧l覗椰11‖こおいて工浪 技術祝のエネルギーセソクー糾所純一klほ切払純:1三代とLて軌渦すること托 なりました.架から小で】0分祉の痢です.今後・JtエそJしく九;榔いいたし ます¢  (l●l●も) L柚rh●就川沖鵡扶6・・3tI6 ()  佐々木朗次沌 (九∴椎flミ) 小11時も如常に打過ぎ欠礼しており生す.鵜丁‖象の!lこき.!紙11別れ・⊂参りま した.、憤械のご飢餓七祈り生す. (山千_b) 大村市池=ニ’1●l二1309〜1 ○ 瓜常特火兄 (二重托)  嘩い÷1ミの兜名を心から舟焚いたLます.この皮下卍紅梅描いたしました● 近く托お川かけの炸は此非お屯徹り下さい.  53咋12月221J、机増山補隊20咋IOケ刀の勤徹を終り仲呼退唱 の二P延です.今後八なお一掴のご父祖を牲払わりますようお付いいたします● ・rド1宅) 火帝iレ今羽町d77−】7 今羽叫川地】5−…d. ー川− フルネリオ叫雅局く11本OCU) 械豹竹山鑓水一一TlこI防衛大学快 応物欲拍  今舛赦舵気付 . 1 , ●  ● .  ′   ● 希  ▲■ L ●● ● ● ■ .      .− ● ・l ■● ■           ′   ヽ ■ 一■ ● ●●● h・†」′ぷr† ●..  ′ ●・ヽ  ●●  イ ●r・や!Jスト者由勅令の愈) .ェ・−−スレターー ′転竺$