ニュースレター No.25 1979年4月
天上と地上 .r悔い改めよ、・大岡は滋づいた」くマクイ ヰ・−・17)
マタイ虹よる舶抒冶が示すよう忙、・F押入トlイエスlま、傭の人々把仰
の矧が存在すること、税収がそれ叱人るサャソスであろこと、そしで抑の
何では、この担とのしきたりとla遊坤が界なること、神の尉Ltとの粒とほ鹿
りてすべての思味ですはらLい軒、神の拘Lt現在この=で見るととlaでき
ないが、しかし租沖Lないのではなく、耽々の心の巾kは今も存在しうる
●
し、また仰の剛ま此把食・(いるのでその」埼をうかがい見るととが・亡きる
鍵、また父なる抑をも13仰叱よって兇ることができるということを嘗って
おられる● ⊥方叫tを賦みるに、とれは歴史杓に見ても大変すはらしい時代である一
人閑は創世の放めに8βのために犬上せ追われたが、神から1‘ぁなたIt斬K
汗してバソを食べよJ(朗3・ニュ9)と忠溝され、この軋Lにあって汗な
施しながら掛らいて放た.・沖はこの労な良しとされたのか、耕八女与えら
れ、鹿光収度を与えられ.・文舵せ作り、住噂七作り、蚊食を作ク、芸術を
畑作する能力むりえられた。収今ではその粥免した科学挽掛土、食料叱つ
いては礼梯改良によって収捜が増人し、!k描のため虹は、金桝、井食倒の
あらゆろ製品托よって、人的生枯が且かになった..近くla・・ケγト技術の
遊歩托よって、久しく神のみ手のlaのJulにあった宇胡托生で鹿礎して、犬
●体にま・e滋づいて粥ぺることができる、神が人肌托このような串をお許し
・−1・−
′こ : 士l一● 1 ● − ● l ‥・I−∫●I ●● ■ I−●1↓1−・I●−‘I − I−■1!I・I一壬UPI−I!−●●JIG−●l▲l一_−一I−‡ l・la●l ■一
托なったのには何か吊的があるのではなかろうかI
犬..Lの碑の持と押の飼為になも地上の竣成は火妃袖のもりであるからJ
沖の招から.見たら、そこ托は統一・があるに遜いない●・Lかし人何の拐では
モれセ確解するととができたいのが現貯ごある一次々人称よとの地上托享ェ・
いて甚だL・く慈托そまクてLま?ているrpmマ1−2タ)かモr我々ぜ地
上で行う思考にはモの砂軋桝Iてくる●人和が、軋ヒの凄舶よ、犬上虹放
ける飽満が示す沖の芋qの串廓とな二つ弛べて見る時、その病者の倦大き
な窮たりな感じ、あるいは内省七洩eyeする法則が全く粍なるよう虹蛙する
こと托なる● ●
天はすべての人托等しく鹿みを与え、生活の鞍を与えろよう抵L・⊂いる
の叱、′lミ虚物り配分は平呼虹いかない、力の観い瀦、.凱、者が、、必懲以上
の独占ななし、そのためこの世にLt惜k不安があり、令\、があり.不払が
起ろ.とれらを防ぐために人l柑ほ政約、適地の法を胡兎するが、とれがま
● たサクソの支配のもとk公正な欠く、これなuseそうとして鹿ワた人逢も、
●
その勅故i⊂反Lて、その行動はいつしかとの世の避妊従うため托、抵及は
● ● ■ ●
同じような不公jヒ不兜金なものとなっ・くいる.これを棟り起L七いろのが
このl姥であり、との桝の人達はとのような鍋の巾托せき込まれていつしか
成れ盤ててしまう紡絶となりているゅ ・ この故托地上のは則と犬上の汝朋とはどうLても統一一さ破るととができ
ないq ●
地上は元来神の畑為になるものであるから浮れから学んで称た汲舶は持
分的叱見れほ正しいよう托払える、しかL.この抜朋は延長しても天の法朋
に還することはできない.これが地上の決別と鞄絆の法朋とが−・・致しない
●
廃何であると思われ卑● . とれセ解決する方法はないであウうか、兜蹄の立食は−糀しており、
f●・1・字盤kつけられたキリスト以外のことは、あなたがたの何では何も知
るまいと決心したからである」(Illり 2−2)とあるよう托、人隅托必
弊なこと・l立先づr解い改めて十寸:・繋の桝常セf諾ずることであるjい、うの
叫2・−
・eある.そしてとれ叱よって人はi飢、I●札】が脳ぎメモつて節らしく臥♭さ
せられる(エペソ 4−23)そのl坤兜音!‡のみ吉兆は例解呵他となり、且つ
・−・つ−・つのみ宮非が耽々、の行動の府針となる.
これな例えて宮へは、廿tの非という断層のため叱下方叱落込んでいたと
の桝の抑線の増宋が、断層の分だけ引.Lげられて天上の格線の増発叱迎紡
されたようなものである●. !取掛ま捻冶杓な教訓とか教兇とかを教えるはかりではなく、その一行一
句が収々の日々の触粥の拍針であり、地.Lと天上とをつなぐ迎頼称分と考・
えなければならない● ・
☆ 1 1 −K几●W Y…r Bible●” (節la同)
著者 W.C.8¢r●gal● 訳者 漑椅 他力r金沢フィラデルフィア教会牧師.防大8糊)
ヽ .マタイ托よる袖宵耕 触の宙輿「立廠」「あなたの王を兄上」
ユダヤで助かれた●ユ〆ヤ人のためk勧かれた.ライオンの戌な織子.
● ●
力の榊舟. 時州 紀元換52年〜 56年 ●
者 者 マタイは12鈎子の一人であった.牧のととは使址托任命きれた四袖歯
車‡の漑称の他K一駄だけ乾されているが、それは典子として召きれたこと
托鵬迎している.牧はp−ヤの収税納受人であったので、飼料人からとと
の外椛べつきれた.他の名の意味は「神の個物」である.古ftの人々は、
一致して、マタイが∈l分の名kちなんだ凋奇跡を破いたと侶じている.
漉 瀦 ■ ●
的谷な見る時、ヨミ托牧はl司糊人、叩ちユダヤ人のため叱軸いたことが分
る.その舵拠lま扱がエルサレムや〆ビラゃ、正樹叱ついて可l倒しているこ
と、た′ニla的l鮒‡のl川牡lな¢5レl=}しているとと、その当時也った功椚な、
−・:I・−
損宵の成叔であると見ていること、またキリストの糸朗をアブヲハム叱ま
で書かのばろて氾しているが、それ以肘叱11及んでいないととである.と
の戌な引倒はユダヤ人のみが、祁解することができたのである.
恭仰の場所 何処托も反対する根拠がないのであるからマクイはユダヤ托於いて、牧
の裾瀬を紀したものと推祭すべきである. 著作年ft ●
との耕が何l坤朗かれたのか正織叱決めるのlま不可能であるが、来際的托
● 官って紀元後了0年のエルサレムの滅亡以前であったことlま純爽である.
恐らくそうだろうと思われるが、もしそれが、ルカに上る凋脅沓叱先立
って繊かれたものであれは、マルコkよる凋音鞭の後であるととほ細かで
● あるからこ紀元汲52呼から56呼のl柑か、成はそれ以後であろう.
文 体 この紀掛t刷駐甘フアラーがr古代の何明き」辛た「不漁の革苅き」と
呼んだこと托特色づけられる.坤純な如意識き故に他史効果均な芸術がと
と托ある.知学なガりヲ十の収税人が、独力で、この蛾k湖り知れない効
●
■
果を持つ木をどうして解くととができたであろうか.
この鶴の主潮の岬払な神兜さ叱上って、世界の金ゆる悲劇セも収ろ叱足
らぬものとする叔な悲朋をどうして枚が描き出すととができたであろうか●
また如伽て掛1フルートの戌な甘央な別1の刑べからJ終えんの大尉払
叱責る迄、七ゆまず、最も力強い恋戚感と壮大さの項紫を染めている受払
●
の仙な作仙するととができたであろうか.また何故、世界kとって「ハム
レタト」や「〆ソテの神此」や「失楽刷」な一まとめ托して失う上りも、
あなどられたガリラヤ人叱上るとの仲津な一倍を失うことがより大きな帆
●
失となるのであろうか. 何故ならとの糾ま天才叱上って生まれたのではなく塀示叱よって生まれ
・●
たものだからである.技巧の共によるものではなく頻劇化よるのである●
作瓜の仲人きは、求名托よるのではなく、替:蹄の此した、イエス・ヤリス
ー・.4−
●ト把よも放である一そしてこのや虻、‡モ巧も・叉作も結辞もな・くd完全な
経度庚申仰明さむも才て触ま4咄恕ありの食まに沌′くているで
●
●
杷はどの均蒋妃於いても r勃発Tな払っていない故に‡●渦り・知Ltない税
劫輿的ユであろ. f.1鉾さ この滋藷顛めぎ!均lよ、縛r′好ほ、この爺がニュダヤ人の漢方のため紅潮か
れ・旦丈二外故祇与†いて全く一・〆ヤ.人的でふる・という魂食お弘ても嘲らかでふ
る一計せ巾妄主的は持続七独演と伺逮でけることの吋虹あも拭・亡あるゃ叩ち
牲均J}溌男ご)職.掛む碑ナことであろヰ デ統の戌酢〔!鑑擁せ俄I>の各個虹て}
・ねく●ニュでもったゥ つよやタ汐詩・卜甘ソ巾よが・ふダヤ人のノソう●‥であクた
ということな.ホやことであゥた。i 糾払涛,坪や、夷ほ吟t、のでl・iなか・.′たが、疏いf.ほ贈J書土的払が掛.、の
で、銃抑1こ汚かれていも.1 その村鞄ほ、ワ・・・ク故繋が造ぺ●・⊂いも払祇努!淋托イエス
ヤ汐入 La と讃 う人助な軋示することであり、Lかb鵜よよ諾う憤を沖斌托、・rエス・ヤ
●
甘スゝの簡戯を動的叔、預言、・r及と乳紘の胡快の●F托明鉢kホ1.、人々
が租在の粗食他の申で、紋iウや社風去の犬βの滋鈍を認識すろ托覚ろこと
・eあさた.‡Elむ幣輯の中忙節付が寸・漉されていたことを示すことが、・rタ
イの虫村立た甘え紘を適Lての跡悠の怠執であった。呼も新約ほ刑杓からhl
軋Lたもの・亡ふり、附杓せはるか虻超也Lていろ小イこ仁入のlollにeh杓lモモ
の統治怒号寺つのであや、潮抑まモの始太りを持つのであろ。こill小池のお
妃は沌ら.れない・Vタイのぶ働の頻繁であも。
沌 re 鉄人呼 (決組托騒く)‘ いII央恰杓織)
奇 ● ■ ● .払のあかし 吼如3秒年虹人緑抜糸、咋AIミ放めて1ルネ=・金の・〔f任七知り、0.C・
U.の公告にfro‡櫛させ・く瞬き、多くの主にある札鞠と変わりの時な働ね弥
●
把感顔をしますu −・5 −
ここ虹私の現況と祖先を少Lお伝えLて兇把持仰の丈えを鞄たく邪セと
りました● 、
肉簡か沸州のり本ノックスト単文教負の翁夙●ごあったため、執やつく掛
から、験時ヰも執汲の劫乱の患中kも、この救急に桝坤−rろことができま
し¢● 21埠虹父の称馳線all托引鍵froて、剤粛河恐桝式わ2、3の家族と
●●
如軌畑帥鯉批「たずさわることができきL・た¢学生附岬、大字
の.新庄地、桝鞋盤称.枚為に鞋金Lee怠k、鵡は沌数奇軽けることがで女史
●
Lた●伺じ故虫の大草奄容態しで料▼たせ銀h各党艶托、r新しい緑地の我
あ叱軽食t.幣結審汁女托けもぺきだ.1と由分・e滋いなから、演簿良漸隠入
組批監、払鮮、添乳.姐や鶴、繋艶庁、小∫l、祈臥松鞄二軍神淑、砂浜、
耗史枠、矩漁火苧映、熊雀、官ケ寄、始町と、鵜婆転戦経の漣放と薄秩k
・敷力.む挽けている糾托、各地の数食k舛一舟の奉公毒・ヒL・く畑野するのが
やっと.と女ラ串ftのない洗練で、あっと女う榊托l島卒倒も裁ぎ恭りて
いまi.たせ鮮銃掛飽に允.ウ、釈な叫m打払川虻淀め、この地打払拓伝凝む
始めていた、鵜111桝脅故金に初めての粂掛とLて転入虫L、租紘、女針路
●
として蒋はしてい●ます● 頴砂金尉エゼpでと.たか、5家族、1¢人女鹿えるととろ●よでた到りま
Lた¢ ●
● 馳鉱は娘金軋牡師【t屯、J叱桝乳・亡すが約1.如0方円で土地な婦人し、
支払いを終え、いよいよ、金魚捻凝の旅立な岬飴L女Lた● l一⊥・
このため公党建鴇虹ついて放射中ですが、鵜.蛙抒3け坪(2軒敬称性宅)
ぐらいそ、い、約墳りの金堂の盈針があり史Lたら鹿知らせ爪け小ほ争で
す.よだほど逢い邸ですが、どうむlこわため托も和知錆下き廿杓お軌、
したいと鮎、・け甘(朋耶l称呼卜fキー2急=〒幣二心l}
●ユ、
V、J = \ ・′ r ● ● ●
ヽ. I. 矢印称 ー ■一丁、 ヽla′
l 「、≠ /  ̄ ● 食
Jルネウォ金沌虫20周年把乳タ ●ヽ
● ●
ヽ\ヽ ●、 ヽ ● ヽ. オ、・、(統林)..
● ● 一● 訝ルネサオ金は、昭和さ・月2こloll、炎j試渋件のH本ヤサ・スト救印
・●ヽ・j〜..・
−ぢ−・
′ 弟竹故金の金党を僻川1.て発公式を行った.
水虫は、滋として次の4つの姐れが触められたものであった.
ゆ日本仲梅坪人位道残金 膿須解日本戚冊数金牧僻凪H他店氏及び*尉村
人エステラ・フインサr晩年n本托榊化し吼loll先代)女史kより明治32
●
年発鬼1.たもの.そのメソバー・であった淋叩大作佐々木勉戊及び淋呼人佐
′
J「典衆網代(税久兇択教愈牧桝.本金抑和)の榊埠k杓うととろは人きい.
◎コルネ少オ金 柑叩七耐火肘(退役)利剛‡つ和托托より火lieu年発足.
「
当時先行qtであっ求ニr●訂ルネリオの汲.1誠叱本金la班来させてもらった。
犬川OIL=待缶l発凪)桝地 租研からそのノンんであァた海叩●
人托欠●!f歓呼氏及び染田OAK(本郷)劇男Iであろゴッドフレー・バック
ストン托(松江−1川ミれ、戦後抑・dカ、肋Jr)のはけまlノな受けた。
●
◎朱悶究此)朗鵡 椀舶ft水没抗サイリア人工ペイプ蛇
の助渚と丸損な食けた¢ 0その持か特例CO U軋びオランダOCUの祈りも桝けられた.
軸ft余技Lt当時挑♯公徳都枚方a妓で汲に醸成良をつとめられた瀬托誠一
●
先払将、昭和36年叱き帥1於兵瀧絶将が射yet余技叱なられ現在托及んで
いる。牧月ュ!●コルネリオ!が今村榊朋戊の桶触により昭和36呼から環
6・埠まで、RTZりレネウォ金エさ・−ス・レター」が今JFK触次代の舶牡叱より
昭和一15年から究術され本埠で25々数え、約100名の余技と拘100爺
の食卓けトのカ叱遜られている.公休研修金は、eye醸托把対していないが、
31)〜.10Tヶ可くらい捗付かれたであろうか.
上おの@及びが、la木のヤリスト省三1(人のすべてであったと云うわけ
ではなく二三フルネリオ金の発桝凱参和したグル● ̄プである紅潮ぎな
い.勿浪この性かにキリスト増呼人は沢山lいた.紙村lee久の牧する瀦ニ亡兄
●■ 町政公の抜海恕つとめたFl疋何魂触耶少将ほイr箭であるが、そのはか村投.
托も応11庚托も多数のヤリスト符がい′=のである。・
・現カニ臼人のキリスト教界の渉州糾よ、〔1維i糾正式な脆盤しエうとLない
●
● はれりか、むしろその肋ゼ≠々する鮒r増カ〜掛.、.−払杜この点虹ついて「キリ
ー・7叫
スト斬削などで航を訴えてヽ1るが糾叱成果な称るものでUT【、∴・し
かしながら、肘遜のよう托コルネリオ仝が20年の脱史な持つととができ、
●
史托それ叱兜立つ時代托多数のキリスト者呼人が刀を拓いていてくれたと
と及び外尉の叩人4、リスト符〆ル・−プも耽々のため叱祈ってく・れていると
とは大きなほげましである.「今11庇みの時.1(コリソト第2●斡6:2)
であり、「今の時を牝かす」(コPサイ与!=:5)ととが必繁であろう.
バウpの食故も柑は生温者との斗いを鵡じて弛められた.
ヤリスト瀦としてまた払出寵としてJULふ・}クな戦きカセされ、イザヤ・
●
ペン〆・リ・ソの釈省とんて一維有名叱なった山水七平氏は次のように云って
いる.(「倍他の戌」1979呼2月巧) l ̄r一木は敬竹叱敗叫職桝の【‡木々別馴勺l(荷叔し左.・…・・(しかし)払
は解職縄後払川時代の思想毅の著作々溌んだ.・・…・当時はとうt、う木を脱
●
んでいると少々軌がおかしいと思われるのが治祖でありた。とのような瓜
恕家の埠想托教会や伝避妊従耕する人たちが臥亡・な示す口々l東上うなどと
は夢にも払っていなかりた.(ととろが)先口あるととろでむ潤の努一線
に北つ先生方を鮒托して駒沢なした.熱心に仰いていただき頻剣な黎閑々
受けた.締りの列中で25年肘な思い私R身まったく・川Lou.なかった時代
の到来叱凱、た.すべては川いられる帖が来れ11川】いられるのであろう.
人は黙ってその坤俄せしていればよいのであろう.Jと.
1●天がFの・・・…すべてのわざ托は時がある.1(位穎の沖3:l)
以ド、きわめて餌拍的な云い方であるが、心掛けを項Fl的虹列叔してみ
よ●う● 1. ▲a コ叩 ・仇 勤持切痢紅おいてほ、神の栄光なあらわすため与えられた蛾滴を金う
し、キリスト者とLての生き方セあかし・∫ること¢
所朗故余kおいては、l;ぎ仰の低・技なはかること.
家拭妃如いて1ま、・りレネ=・托学ぷこと.r・汀抗10:2)
コルネリオ金のメソバ・一としては、 川・教総額加えた人弼lb湖セリぎすとた.
カス教授.6月15日は)新藤会のり一〆−はオヲソ〆のベタナェル師、
司会はバタストソ師、午前の牧舎は斡国の朴中佐と日本の武m、牛后はカ
ナ〆とイギリスとナイジェリア、ガーナであった.6月6日く日)この日
ほ大金6日間の中で最も高潮した里丑の日であった●先づ嘲8時教会生に
於て里糞式が行われた.里公金の式瓜をつけた司教により一人一人牢ひざ
ますいて按手を受けて漉かに行われた.引掛、て里日礼拝が行われた●午
后lま日本代表の佐々木大佐の証同一第一次大戦に於ける地中海出動時の息
瀧体験Iの発表である.佐々木大佐は英昂王より投与きれた敷革を持参し
て故残した後、拘20分間にわたり正確な英諮で静かに竜を始めたが段々
と耳耕し、ついに溌を流し、声をつまらせ乍ら、戦争中生死の塊の中にあ
って主が常叱供にいまして練って下さった無限の息洗の想出を誇られた●
辞が終ると会長のユーバソク将軍が根上にあがり佐々木大佐の払粋な里捷
としての信仰と日本OCTへの貫献をたたえた後、英国式ラグビー試合の
チャソビオソ忙対する見習に従って自分のOCUネクタイをはずして佐々
木長毛の祷托掛まれた.満堂感動の大拍手が長くつづいた.佐々木鼻糞当
時77オ、信仰生活60年の最他流であった.・奇しくもこの日は棟豹努睡海
軍伝道暴食の創立者息師ミス・フイソチ(星出光代先生)召天の紀念日で
あった.紬引つづいて会長夫妻の¶Oct世界旅行”の報合があった¢美
しいカラースライドで施の想出を語り、日本についても札挽と東京の集金
と京都案内の光景が示された.特に韓国については一年肝のソウルの国際
大会の光紫が絆如托、そして枚門店の国境線の状況もあった・特に会衆に
大きな慈姑を与え、参加5名の斡国代表に対して拍手がおくられた・6月
17日(月)は即金式があり、次回はドイツで粥推ときまった●佐々木長尭
Itエジソバラの夫人金の招きで前日出発、私共は会長始め多く●の友托おく
られて、つきぬ名残りを惜しみ再会を拘して別れた●丁イルヲソドの老夫
●
人が次は天領で必らずか、ましェうと、私共の事々固く担りしめたことlま
忘れられない.との7日脚私共の生涯で最もすはらしい天国の放であった・
来年は愈々再びこの地托痛く.否行くのでなくてOCTのふるきとに帰
一9−
☆ えるのである.モんな失点をもって準備している.どうか我が日本のヨル
ネリオの友が多数奉加できます秩に・特に現役・制収の友?奉加七祈る●
因み托去る7月6日、国際会長バタヤソガム将軍と東京で会い祈りました.
19各0年−スワニタクー.年−シソガボール■ と●
・以 上
日米合同集会 在日米軍OCF代表の交替にともなう放送迎仝七丸ねて、6月23日(土)
16:00〜19:00 東村山市の今井兄宅で日米合同の集会な行った.出
好者は米国側が今回舟国書れる8th●●l室大尉夫妻、および斬らしく代表
●
となられた址●●k●空少佐夫妻、日本側ほ、武内♯集会長、矢岡称稔1睦
佐夫妻、森円忠信3室佐、井原縛2睡佐、今井健次兄お上びその家族5名
であった.金ほ8th●●l大府夫妻への感謝状顆呈に始まり、自己紹介、あ
かし等、時のたつのも忘れ和気あいあいのうちに進められ、次回は本年秋
に予定することになった● 飴 洩 ○ 倍
日本向盟キリスト教印可間、准名町政金名誉牧師 野知新兵裾先生か
らつぎの上うな励ましのお使りを硯きました. 感謝●
「領主、いつもコルネリオ鼓ありがとうとざいます●W・C・スタpタ
ギー仰の福音さの序替は執に有益でとざいます.毛生英国にての入信ほ
靖65年前ですが、入信直後ケズイブクでス師のお古を抑きました.同
師は実に素晴らしい土手学者です.この後の分が楽しみでこぎいます●
曾滋益々と健在にて、壬魂のきかんなるととくあらゆる両叱書かえつつ、
日日をお遇としのさ、払に主のと息水と心からハレルヤセ叫ぶ次粛でと
ぎいます● ●●●●●●●●●●●●●●●
」 なお先生lま故に90才を遇ぎ今純お元気で教会では礼拝温故や祈再会
を担当しておられる由混れ禾ります● 主のみ名ははむべ‘きかな●
. ・−10−
日本浦音クルセーr主幹、牧師 本田弘慈先生からつぎのようなお
便りを演きました.‘感謝. ● 「いつも初会掟を和恵送下さり有払うとぎいます●今庄はまた甘い和
献金を沢山に賜わり有井く存じます●厚く厚く和礼申上げます.併せ
て和島の一月の初発艮と御前進を和祈り申上げます.何卒皆々杜によ
ろしく和巧い申上げます. pマ8辛2さ〜39や」
松山醜幹兄 く3建佐) 「この定昇3$4会計鮮長(八戸牲とん地)を拝命しました.コルネり
オ会員として、八戸、三沢托所在する陸海空自補坪、それに米軍に丑
格していきたいと思っております●」 恵繋正青兄 く抜本)
コルネリオ金エーースレターを送付していただき、ありがとうとざ
いました.今井先生、矢印称1佐、森ma佐などの練先牛の投耕文を
有意為に拝見きせていただきました● 私は昭和51年に北海道勤務を発令きれて後、l年半々帯広にて、
また1年間を明石忙て遇とし、今回技本の政和付勤務となりました.
その仰の平不頻をおゆるしください.転勤に伴っての教会生活ですが、
帯広においてlまバタティスト帯広教会、明石においてはイソマメエル
加古川教会にて、それぞれ家族ぐるみの良い変りをいただきました.
初めての土地に行った均合、自席官だけでなく、土地の教会負と良い
人榊粥係台東くことができるのもキリスト者の特稚の一つだと思いま
す.現在ほ三塘の官舎托住むととになりましたので、もともと私が所
属しています日本同盟基甘教団の教会である世田谷中央教会に出席を
しています.桝共に乗たととでもあり、今後は本会に対しても、私の
できるととがあれは、役に立ちたいと考えます.今後の先見を祈りますふ
・−11−・
▼ ■ ●.1.一;..■●▲....●.■l一
○ 森的忠倍兄 く垂井) ′ ′ 2等室佐に昇任きれ垂♯防術舟運用社運用井2柾勤務となられまし
た●滝庶件兄く3等室佐)も同じ所で勤務するとのさです.
0 金友 半時鹿忠先生(西再女子穎大枚技)の羊キ「軍人伝道の丘史
に印する木」が近く出版きれる由、先生の神助らきが主にlかに用い
られますよう祈ります. 0 矢印群枚兄 く1睡佐)
統♯学枚の許程を終えられ、建白幹鉢学枚研究称井内研究室長にな
られました● ○ 堀内長租兄 く2換佐)
粥査事故蒲字数育群に移られました. コルネウォ事務局
く日本OCT) ♯窮共布走水一丁日 防瀬大学枚
応物故童 今井教授気付 ー・12・・−