ニュースレター No.27    1989リ80年1月 b

 一一’     一  十字 架  l−壬=一リント1叫18」  ある統計抵よれは我国のクリスチヤソと称せられる人は約100万人で、 人口に対して1バーーセント瀬という額托なっているりそれやの人達が夫々 の政和教会を形成して全国に敵ッていること托なる。そし七それらの教団 ほ夫々の教魂倍粂を発寂している。それらな見ると懐かなり抜い又拳で複 雑な率.的を絃l芸=ノながら夫々の教会捕物に従容している。  望番か示すように揖々が発と認められるのほその行鞄托よるのではなく、 信仰によるという魂だから(pマ3−28)、この点から見るとその缶仁iし て1.、る文額は何ともむづかしく、特総意的と言われる郷分妊ついては、そ の人々によって兜解が輿なると思われるようなものが多い。クリスチャソ もとの健で生活Lている以上、その行為には由然托その倍仰がl出て来るの で、行為を供なわない信仰というようなもの托血まることほ出来ないであ ろう0  曳簿には「イエスを信じた‘」ということが即ち救い姥つながっている紡 が多いが(例えはョハネ11−一45)、とれはどういう怠味であろうか。  これの理解によって信仰ほ千差万別になるのではなかろうか¢或人はイ ェエスの言動によって真理を信じ、或人ほイエスの夙鋭から出る人格を、ま  た「イエス様といっしェ」というような信仰もあり、新約畢密から掛られ  る教理を、●または男爵を釜的絃理解して縛られる教訓を信じ、或いほ曳番                           ・卜1仙 全体の一言−・句をそのまま誤りのない紳の貫井とする遂藤並感の信仰まで ある¢そしてそれ・らの信仰を為して世界中妊宜べ伝えようというのである が、これらの教鶉でほ兎角牲解妊過ぎて大衆に語ってもよくわからない。                                                                                                          ● だからと言ってあまり卑近な事柄のみでは正Lい伝道妊はならない.  とれについて金歯の中でバウpはこれを要約して「十字架につけられた キリスト以外のことは語らない」くTコリソト2−2)と哲っている。  そこで十字架について考えてみたい。  さてそこ糾ま三つの壊が考えられる。第1はキリストの血であり、弟2 は十字架上の質しみであり、第3は大衆の耐での公開である.  人間の非を考える時、その罪からくる不法のため托社会終生ずる義み、 またそのため托生ずる苦しみを象徴するものとして、十字架抵よる苦痛、 吉敷は最もわかりやすく観々托訴えるのではなかろうか。そしてそれから の救いは、その罪を梅改めて悔悟を告白する審からくる串は、・lt】拇盤裔で セルセが帝銅の蛇を上げて、これを仰ぎ見た時医書れたとい’う故事が之を 教えている0(民21−−9) ところで弟1のキリストの血による罪の購 いであるが、この此の効力については我々の通常の考え方でほ理解するこ とは出来ない0 何となれはこれは次々人偶の側の沓と言うよりも、天の倒、 林の例の事だからである。この事抵ついて東紳大の北森泉戯教授はその著 「神学的自伝U P2ユ1」で、「十字架の愛.jは公理均現爽態であると言 っておられる。キリストの血の効常についても同棲で、これは理由な考察 してもわかる串ではなく、天国ではこ†いま公理だということであろう。 r●十字架の信仰は信じさえすれほ何でも許される安価な免罪符なのか」と いうような批判があるにもかかわらず、府界の真理の零点を宜べようと思 えはこれ以外にはないのではなかろうか。 rl・字架の言藤は滅びいく者糾ま愚かであるが、故にあずかるわたしたち 妊は神の力である。」「Tコリソト1−18」 ♯  qK几0V yOur Bibl¢沖  (第13恒り         ′       著者 W.C.8eroggi¢       訳者 宮崎 健男(金沢フィラデルフィア準会牧師)  ルカによる福禽番  鍵の苫叫人生 「その人を見なさい」  カイザリヤにて薄かれる。斯界のため妊薄かれる。人間としての局面。 同情の稲浄  著作年代 紀元後56叫6()年          ー  苧 者  との爵3森口の禰肯の著作者についてほ、学者開拓意見の相遵がない。 ルカは新約望酋qI唯三痩だけ苫乱されていて、全てのとh来藤は欺や密簡中 にある。くコ\打サイ4の1ヰ、ピレモン糾、範2テヰテ4の11)  枇の蛾選は医師で、その紀擬や托17位の海用綿を用いていることか仁−、 彼が地中海沿岸を点点と航海する、混雑した摘船内で働いていたと思われ る。敏の専PI≡摘1識は、禰肯薄や使徒行伝中の多くの駐学用語の中妊も反映 している。披は最初の異邦人改信者の′−一人であり煮たヨ州Pツパでの最初 の伝道者の山人でもある0(使徒16の10 r ̄ゎたしたち_1)  ルカがパウ打と典町触いたととは、ルカにとってもパウpにとってもま たキリスト教会妊とっても井筒幸こ大切な壊架である0 ペアpとマルコ、ル ックーとメラソヒトン、カルビソとベレーザ苛も「教会の形成時代の紫くて 乗‘しい友帖.Tのもう・一方の例である。   読 者  マルコはrトーマ人のため、マクイはユダヤ人のため、またルカはギリシ ャ人のために薄いたが(1の1〜4、使徒1の1)彼らは当時の特大な腱 史を形為る三大民族を代衷しているく、法律耐のp叫マ人、宗教耐のユダヤ 人、文学、芸術南のギリシャ人である。                          小 3・−  チオビp托ついては知られていないが、異邦人世界の代表として宛てら れている0  著作の壕所 ルカがパウpと共に2年間カイザリヤに拘留されている間に披カ三拝叉 (1の1〜4)で裔き乾しているような調査をする充分な換金があったこ とと思われる。そこで汲々l・よこあ福音禽はカイザりヤで薄かれたと信じる ことができよう0   日 付  もし附述の推盈が正しけれは、パウpがカイザリヤ托いたのが紀元58 年から60年の閑であるから、口付を決める助けとなる。  ルカの福酋薄は三和常脅中、−一番新しいと信じられており、ネルコが紀 元後50年から55年の間に裔き、マタイが55年から57年の間祈二番い たとするなら、ルカはマルコの福音帝やl ̄pギア」を参考に【一得た紀元後 60年細に紀きれたと思われる。全ての共観裾藷番に対して、もっと後の 口付が主張されるが、これらは耐者ょりも、おそらくもっと信頼度が拓い。   文 体  ′ルカの補酋薄は裾酋番中、最も文語的である。記者ほすぐれたギリシャ 論文体に頼通した者であり、彼の著作は、他のどれよりも古典的である。   目 的  ルカの計画は彼切独柑な序文(1の1叫4)の中に充分に述べられてい る。即ちその仁11で後は動俵と方法とを述ぺている。方法については、彼は † ̄すべての番を初めから許しく調べ」「順序正しく」即ち歴史的な臍抒で 薄いたのである。紋の動像については、披の統者たちが「すでに附いてい る事が確来であることを十分托知る」ためである。ルカの計画は楓藷の普                         ・−・4一一 適均な視野を強調することであり、この中妊彼ほ共労者であったバウpの 緬神と使命を反映している。   特 徴  各々の補蹄の特節ほそれぞれの怠蝕を保つことにある。このことはマタ イとルカの礪務番に於いて鞍膚である.前者は明らかにユダヤ人のためで ありまた後者ほ外見上の異邦人のためであることも決ァいがない。  人類のために凄いたルカはイエスの糸桝をア〆ム逢さか敦っている。世 界の救い主としてのイエスを捉供する臼的遂行の申で、敏だけが、二人の 免妨者、良きサマリヤ人、失われた鋭簡、放蕗息子、金持とラザp、パリ サイ人と戟税人や他の5つのたとえ話を乱していることほ注臼に価する. また故だけが、■10人のライ病人の奇跡や奇跡的な魚の補換や他の4つの 番跡を記録しているっ ルカだけが妓初のクリスマス讃歌である0謂ゆるBe礼¢仙tヱc,b岬卜 f旦。払哲ミ吋uneDimittic!Å,¢他汀i誉)ゃ、伽ria in転]。¢1きi皆1を保存       − しているぐ〔訳者注:(1=i¢孔edietl18 W祝福叫叫・の冶で始まる讃兼敏 は)マリアの讃歌くルカ】の46巾55)(3)シメオンの確(ルカ2の29−− 32)(4)アベマリア(ルカ1の28、42)($)F′いと高きところ妊は禅 に栄光あれ.暑の讃歌くルカ2の13、1‘l)〕  襖ほ祈りをこ特別な魂雪性七与え、他の職務涛糾、よ省略されている立が祈 られた6つの出来壊を記Lている。またこの福膚躇の特良であるたとえ紡 の中の3つは祈りに関するものである。  良きおとずれの普適性ほ「恵み.j($蜘)  「良いおとずれを祭げる.1(10拘)「救い主」、「救いjまたほ「救 われる.j く14珂)と言うような富発で強制されている。「変すべき医師_f である著者ほ全ての罪妊病んでいる魂総偉大な医師を捏供している。キリ スりまr一興邦人を照らす光.卜であり「全ての肉なる者は神の救いを見るの である.j悔改めと詐の赦しは、「全ての悶民_j咋寛ぺ伝えられるべきであ                          一一6− 希 った¢  この ̄福音沓はまたイエスの婦人たちに対する鹿みとやさしさに対して特 別注意を払っている。                                                                                                ●  例えは、そのことは著者のエリサべツ、マルヤ、マルタ、イよスの牲、 やもめ、イエス托従って行った婦人たち、カルパリへの途上で泣いていた 婦人たちまたイエスの「エルサレムの娘たちjへの冶らいへの宮及の中妊 見られる。またこの禎寮費の吋には貧しい、質素な人々や、失われ、侮ら れた人々托特別な注意が払われている。また天使の現われ托ついても多く 語られている。  最初の2審と最後の数牽とほ極めて電頚でありまた糞わしい。またルカ による福音薄托特有の偉大な区分である9奉51簡から18拳14節迄は、 心を引きづける興味がありまた、歴史的にも価値が高い。それほ「脱臼配」 また f●偉大な挿入」とも呼はれてきたものである。  以上がこの虹録の鞘賓な特徴であり、その中に、「何処虹あっても我々 を沓ばせる深遠でいつくしみ総官み、東和で力強い人間性」がある。或る 名うての不信者でさえ、それは今まで托脅かれ−た薄簿中、鹿も菜しい本で ある」と訴ったのである0  説教1一望なる馬の鈴j ゼカリヤ沓14車20.21              子 薬 愛 顧●(H基久現浜教会牧師)  軍隊ほ現在はどの国でも未だ必蜃である。  それほ何となく平和のシンボルとは貰い牲いようであるけれども、人類 ほまだその鍵性中こ於て尭壁でなく、ややもすると膚ぐ正常状態から逸脱し てしまう。親々jままだこの様な人類の常道からの逸脱や暴観な防ぐため妊 法律やカを用いなけれはならない・軋ま恋しい事である。  との世抵ほ穎激発把携わる人、法淀の検尿役の医師とか、火葬墳で働く 人とか、あまり我々にとって進んでやりたくない仕事ほ沢11_1ある。そして 軍隊の職務妊従事する人もまた、世間からほその様な限で見ら丸勝ちであ                         −¢− る。しかしよく見れは大体‡廷の中の什瀦ほそうであり、漁夫必・ずしも黎で ない。余程辛避妊恵まれた人が好きな仕事に徒渉して生活する番が許きれ る0  軍隊の最も理規約な型ほ国連を究壁叱進化せしめた世界轡察琴でありま しょう0 団遜はまだまだ非常托不完全であり無力であります。  従って叔々にとって大変盟まLくないけれども人類の革徳が最高に発達 するまでほ世界各国は偶戦力な操有していく壊でlノエう。  砥々ほ地上平和を確保する手段とし、て、JLむを得ず現状のように各騒が 戦力な保有する形を許容している虹過ぎません。  このような現状を踏まえて、キリスト者の呼人ほ、心の中では不木恵乍 らも、糾也共にその生命に係る仕審を引受けて禽槻しているわけでありま す。しかも臼碑偶の閑繰します巻lま全く生命妊深く的する羊とであり、ま た大変高い、欺い任務であります。そして最も良心栂にシヤー・−プである壌 を贅求される舷菜であります。即ち幼糠な子供キこ刃物を持たされないと同 じであります。軋照な保管し、使用糾壬ずる者とLてキリスト裡最適の人 ほありません。戦争は決して望ましいものではあり生せん。然し現状に於 ては尚避け姓いものです。(戦争は勢なり‥‥‥孫子)。戦中ほ火の如く、 周囲が好むと好まざるに拘わりなく之を捲き込みます。沸かが之抵当らな けれはならず.無理やり托之を駆りたてられるというのが戦争です。之ほ 衆托容易ならぬことですれ誠絃舜の熱気な必賓といたします。  水平和ならしむるもの”(マメイ5巾一9)と言うのほ或意味に於て、礼 儀正しい淑女であるよりも、都庁の営視総監のようなものでなけれはなり ませぬ。キリスト者軍人の在り方は(イザヤ49血一3〜4)(イずヤ53− 5)にありますよう妊。 rIぁなたはわがしもべ、わが栄光をあらわすべきイスラエルであると。L かし払は言った。¶払ほいたずら抵触き、●溢なく、むなし●く力を費L・た。 しかし納まことに我が正Lきは主と共にあり、わが報いはわが神と共にあ る’,と。_i現在の日本ほ戦争の令汲未だ収まらず、アレルギ仰の現貌が敬                          一−一7・−− 争托関係したものに照っている。しかし由碑隊ほやほり必凝である. ・然   「l し彼は孜々のとがのために傲つけられ、われわれの不為のために砕かれた                                                                                               ● のだ。披は自らこらしめな受けて、われわれに平安を与え、そめ打たれた 傷によってわれわれほ隙きれたのだ。.」軍隊にほこのような面があるので はないか0  あのべテpか最後の晩生の後で、マルコスという大祭司の僕の耳を切り 落Lた時に、キリストがなさっ・た番な思い出します0 キリス=まその時                                                             l 「それで許してやりな書い」と言われて、その傷ついた将に触ってその場 で医されたとあります.その後当のマルコスがどうなったかほ聖教に配さ れてありませんが、恐らくその後ほ熱心なクリスチヤソになったのではあ るまいか。とすれはこの場合、兎に角、剣というものほマルコス咋とって 臥!ゝの一つの動捜となった串ほ察奨です。ここに我らほ武器というものの 一つの使い方な学ぶのである。キリストは言われました0「あなたの剣を もとの痢に収めなきい{,剣をとるものほ、みな剣で滅びる」(マクイ26 −52)  これは必ずしも軍人托対する呪いではない。払はこれほキリストの常食 であると思う。これほ剣というものの頚任音盤わしている。レース用のカ ーを200キロの時速で操縦するものほ、それ相当の危険を党怖してかか らねほならない。飛行将校は地上勤務者に歓べて、より危険舷の高い仕壊 に徒事している訳である。若し人が剣を取るならは、或いほ拝観なするか も知れないいI、う壊をいつも念煎に紅くべきである。キリスト者自術宮と は由分自身を生命の危険にきらしつつ、きら托残酷な番を好むものである かの如き世の訳フた批判妊堪え乍ら、しかも他人の保安簿護の托抵当ると いう立派な仕務咋当っている人であり・ます。町ちキリスト者由解留という ものは確樹とした将念と冷静な良心と判断を持ち、−・時杓な感情終盤って IC B妨のポタソを押すような壊が決してあってはなりません。忍耐救く 己が破務を遂行し、安易な人道主為(ヒューマニズム)や感情に溺れると とがあってほなりません。                         仰8−・  このような次第でありますので、陸海空のこの戦力はクリスチャソでな い人のみの手打任せると言う事は大変心野なことであります。武器が椅密 になり、聴力なものになれはなる程、とれを保管使用するものは、より良 心的に鋭く、且つ視野の広い人でなけれはなりません。  核兵器托ついてほ、如何咋防碑的であっても使ってはいけないと思われ 尭す。兵網の保有盈その他妊ついても、架際糾ま色々論議のある所であり まLょうが、ここでほ述べません。  なお日本のOCtTの各員の滋場というものについて一一宮いたしますと、 所謂平和論者によれは、いかなる能瀬の兵掛をも保有することほいけない という事になっている篠です。然し最近新らLく防・和に槻する論鎖が新脱 鮫上を娘わLて居ります。しかしキリスト老自衛官自体は何となく反由耗 縁者であるかの如く、同じ自術隊内に於て思われている節カモある0それほ 淵m先棒舷元海軍大佐が、「自術隊の中をこクリスチャンが殖えたら戦争虹 弱くなるの、ではないか」という祭日8を受けた串があった。という話から連 想されるのである。そうかと思うと、ある教会に自前慣が制服で行くと変 な般で見ら丸る額があるという舐も以鮒醗傾いた壊があります。日本のキ リスト老自碑留ほiE抵由椅隊や社会から特別な視線を受けているという、 誠妊不忠譲な現象を患しています。この釦ま臼碑智のキリスト教への求道 を大きく附二んでいると思われます。今Fjここで滞納托述べる涛ほ出来ませ んが、Fl椅隊の中にキリスト者‡ヨ椅慣は絶対に必響です。  軍備をなくすという拳は地上の理想であります‘,しかし現在ほ世界考察 虹移行する途上妊あるという瀦でありまLェう。  (合同礁金礼拝におけるもの) 曲W  合同集金および総会報舘 1979年11月17(土)、18(円)の両日、鹿窮においてコルネリオ金 恒例の集金を行った。第1日日ほ日米合同で山王ホテル妊於て行われた。 15:00受付によって始まり、由己紹介の後、臼本例の報告絃続いて、                          −9叫 J.Blo¢kきOn牧師抵より「士官と弟子・‥…人ほ2人の主人経つかえるこ とが出来るか」と超して、晩さん金をほさんで2恒】托わたり型番演済があ つたb                               .  その間のt¢a tim¢には臼米の金員の間での交歓が行われた。米国側ほ 在留数も少いためか、また移動の多いためか、初対面の人達が多かったが、 それでも儀印、座縄、厚木の各農地から代表のMe¢ko少佐他十数名が参 加Lて下さったので、合同集会とLて有意裁な時を過ごすことが出来た0 合同塊金終了後日本側はククシーに分釆して当日の宿舎ルーテル播ケ谷セ ソタ州に偽った。  第2日日はコルネリオ会の塊食および総会が行われた。07:30転昧総 統いて新藤会および懇親会があり、朝食の後08:15より滝原兄司会のも と絃璧R礼拝が行われた。説教ほr●盤なる偶の鈴」と超して千集愛殖牧師 が担当書れた。体けいの後10:00より給金が粥催された。今回の主賓演 題は会則の改正で、コルネリオ会創斑後20年を経過し、旧会則でほ来館 と合わない点が多いので、改訂を目標妊良期間検討してきたもの妊ついて 今例の総会に上捏審注したものであり、則刷のような新会則が決定した。 鮨いて新会則のもとに役員の選出を行い、次の諸兄が逮はれた。 会 執 執 執 執 執 夜 番 事 壌 事 事 武川激発兄(衣笠病院) (幹壌) く禽紀) (余計) (広報) (渉外) 矢川郷稔兄(陸幹校) 滝原 浄兄 く空希) 塩月安邸兄(網本) 今井健次兄(防大) 森H忠信兄(空港) それより矢【8群兄の閉会祈藤の後、今後の活躍を期して閉会した。   出席者く二日を通Lて)  新屋徳沿師(H本望番神学校々長)、武田政美兄夫妻(元陸将)、足立                               ▲ 脱二邸兄(元海将禰)、描水沓治兄く元海1佐)、今井健次兄夫安く防大)、                         −−10− 矢印称稔兄未寮(陸幹枚)、滝口叔太郎兄失費(航驚)、森附忠信兄(空 港)、塩月安邸兄(嗣本)、沌願持兄(箋尊)、鈴野芳敏兄(神劇l!地遵)、 武内帝史兄(抜本)、式宵啓未兄(元垂2佐)、瀬下次邸兄(元陸2佐) 奇 遇 ○ 信  来演弘明兄 (1随尉.禽士枚) ご飯沙汰いたしております。防大で今井先生以下と捕物を始めたころの ととが懐かしく思われます。じ後伊丹36常連で6年間、ここ藩士学枚で 拇3年になろうとしています。現在は全国から選抜された初級幹椰をレン ジャー教帝Lています。父蠍兄弟とも全員クリスチャノですが、糞も結婚 憫もなく瞭分で肪手に受洗いたしました。家庭は平冶で子供逮もよく祈っ たりLています。磯務、地域柄あまり教会も熱心には適っ七ほおりません が、験壕でも昨年は助教が受洗いたしまLた。 (⊃  小森邦冶兄 (1陸尉.中方) 伊丹在勤6年を経ました。この間病気を験余に身体を鰊えることをこ決心 し、ジョギング年間1,000キロを臼標に時日励んでおります。  H標逮践には税速く過去二年とも700キp程でしたが、いつしか身鋳 ほ丈夫になりまLた。札幌時代に心臓手術で武拝1会畏紅いろいろご配線頂 きまLた。∴女もこの事にほ20才把なります。 ○  中野研瀬兄 (1陸轡.別府) 札幌地区病院に入院中略はご鮮塵なお見輝いをいただき誠にありがとう ございました。またコルネリオ会の会員のはげましのお言葉な感謝してお ります。別府に転錠となり4ケ月経過し脈粥妊進んでいます。本当に神様 に感謝しております。一日も早く退院し隊務に拍抽出来るように頑求りま す。コルネリオ金の今後盛々の徴発展な祈ります。                          −・、11¶ く中野兄ほ番故受像加療中です。早期快徽をお祈り下書い.) 0 趣榊久山兄 く2陸尉.北武)                                                                                                  ヽ 11/3〜4苫小牧地区倍絶大金を轟錦で粥催予怠です。千歳の渡辺、中 野(仲)、三藤兄等と逢えるかと焚しみ忙しています。総会のご践功を祈 念いたします。 0 市Jll武功兄 (元陸士) 1978.3.15過破、いのちのことは社内の全国家庭文奔伝道協会に勤務 しています。(略号玉江C)  E技Cでは四国のキャイピングカー伝道と名づけて、個別トラクト配布 を愛娘県ほか托行っており、スタッフとして交代で出救しています。ニュ ースレターお送り下さい。 ○  Lで.‡(.L.R召PS技01−Pで (ハワイ) 米国ハワイ在任の及耳PS打OLDで海軍中尉夫妻から武付会長宛、別鉱の ようなお手航が参り生した。内容ほハワイの興味湾海軍農地に勤務してお り、「ハワイ地区の国際杓世話役をやっているので、ハワイを通過する人 で賓方の推せんする人ほクリスチャソでも、非クリスチャソでもよいから 私の所へ紹介lノて ̄Fさい。蕗んでお世鵡しますっ」ということです。ご希 望の方は倦までお知らせ下さい。 −・12−− ヨルネyオ食事券局 (日本00U) 硬頻繁帝建水一丁日 防帝大学枚 応物教義 今井教及気付