ニュースレター No.29 1980年9月
(OCU国際大会特盤) ●■‡T屯 エS AI)L瓦沖
(∬コリント 9:8) 英詞Swanwick姥於ける、OCIJの拘抹大金は、去6月30口(月)か
ら仰・週糊行なわれたの ・一ヽ 初めの日はしゅう雨ぜじカの天候であったが、大会番務局長ナルダーー吋・
佐のf ̄ょい天気ですね」という′ウィットある挨拶忙迎えられ・土筆ほてらJ・t
た宿舎咋落清くととになった。 それから一一一週間世界の各大陸から集凄った40ケ掲のクリスチャン軍人
逮と共絃共同生活を過ごすこと妊なった‘,
このヰ0ケ国は国藤が異なカ、常紡が輿澹り、皮膚の色が輿愈々、服装
・智僻も異なる人達だったが、鶉然めことながら誰・−・人として武器を允ず
さえ允人は孜く、文字通り平和の主の名のもと妊共咋型番教学び、典咋.考
え、共に祈る.塊金であったふ 4年前の米凶忙於ける大金では総勢our
O人を越す盛況で卦つたが、今 倒女工総人数こそ4¶0人足らずであったが巾ル(主糾よ不可能
なし)の標瀞Zもと集まった国の数年削∈叫の2倍教挿すAUGケ粥というこ
とで、参加者1名乃垂2名とレ、う国も多かったカ毒、しかLノ武装しない翠人
が平和の名のもとに−」盤忙会し、互に神を讃焚し畢審の指し示す平和咋向
つて−∴嫁い咋注目するという光屠はこの他のもめかと奴う捏でめったム合
ー・−1・… 同祈蒋金{色於ては鞋界の−それぞれの地区での恩みに対し二号ミの氷水を太たえ、
又批界各国の黎人クリスダ・ャンのため忙取少なす祈わは、語学力不足のた
め正確女杓容結やからなかっねが、虻咋髄審にある−チ富者の祈カのようで
参った¢我現からは5家應11人が参加したが、裁鞄杜漆法忙示す洩り、
いわゆる翠経では潅いので、それらの中担二あつても特異務存在である争を
由忍し、祈り妊おいてもそ・れ女鹿絨したものと凍った。その意味で哉拘の
防衛思想は40ケ頭の突端を行くものであ少、瀕んぜられず、恐れられず、
挫界のゞP和をり一・・ドするものであ少女レ、という祈りは、数寄数倍ずる老に
とって十分理解の出来るものであったと思われる。
4年海の姓非人余は決河ほ碑何で行なわれる頚をrき竣ったが、尚綜的な
OCIJの発展は非常に急速であカ、−4年後の健悍大金の場合、各国代表が
帰路日本中こ立寄る公算は大隻レ、ので誇外国との親脅とレ、う意味からも、そ
れまでに王ヨ本掲内紛OCUの充米が望まれる。
我々は兎角人口に対するクリスチャノの割合の少い審を気妊するが、こ
の点でスウェ・岬デンの代表と話し合っね所争こよると、スウ亡巾ヂソでは人
口の約nib)礎がクリスチサンと捧するが、・毎臼曜ヒI教会忙行っているクリ
スチャノ蛇約20建とレ、う瀦である0そして妓れ変った(l}Ron
again)奥 のクリスチャノは全体のl藤位でめるとい●う審でめった。とれがキリスト
教陸托言わ’九一る何の窺体であるとすれば、神学梢譜でレ、う新生とレ、う令が
如何与こ竜貸であるかがわかる占 ‘又襲老松帰路ロンドソまでの約3時間の道教ある英国海雑中尉の乗用虜
で送ってもらったが、・その人との金港の中で、クリスチャンとして執務ナ
る間に鞄難は牢レ、かとレ、う壌者の甥粥に対し、彼の乗組んでいる鮭靡は鹿
飽良二打数十名であるが、・その呼で奥のクリスチャン払由舟・−一人だけだと
いう番でめった。伝統を有し、すばらしい礼拝食を持、ら、専門の教職者を
布する英国海箪兵学竣の出身.削でエって;襲用されてレヽる英国艦艇咋クリス
チャンが屈ないというの拙妙夜話であるが、観は艦農から代
(償仰狂)という愛称で呼ばれているとの窃であタ、今回の叫一週間の休暇
ーー 2・一一 も昨年】.1月から申請していてやっと許可になったとhう壌で、これから
ヽ
我々をロンドンぜて送.りその見で両親のもと忙一一寸立寄タ、今夜中に帰艦
するという串であった。 とれらの審を思えば今や怯界は合理主義、唯物主義妊押し添されて信仰
はおとろえ、キリスト教掲と呼ばれるような国でも滞神的な面で大重な問
題をかゝえている番が思われる。 今回我国から参加した代表5家族のうち、現塀自衛官が2名、現職教官
が1名であったが、何れも長期の休暇が許可されている争を思えば、・我が
自衛隊の上司の間には衆所姥松見えなくとも、キーリスト教に対する大きな
理解がある事を知らなければならない0 本大会後紅くばられた第1珂終了報告によると付Theresa's
admiral(:use Of oneれessayという審であったが、事楽音実の不自由な各国翠人が一一堂
忙会して、思いが全く小・致しているという事壮大き夜番跡と欝わなければ
孜ら夜レ、。 我々が希求している世界平和も単なる概念的夜半和や男想像であるので
は孜く、各科の軍備という串契の前から見れは御方ケこ押しやられ・ているよ
うに見えるOCUの存在ではあっても、そこ妊ノJ、さいながらも亨和妊対す
る日梯があり、その平和に向っての細い道が縄残っている喪を認識すべき
では夜かろうか0 栄光は王のものであカ、主は我々の祈りを侍っ、て、我々に悠久の日額を
与えて下・さる事を信じたレ_ ■
● 第8回OCU(F)世界大金の観苛
滝 原 博(空者・3空位)
期 間 1980年6月30臼〜7月6日(7日間)
−●■■ヽ・■■■■
虹一」簸 イギリス,ダービルシャイヤー州のスワニツタ。ピ・・一クデ
イストリクト国立公歯に摸する景観のよhところに在る。会場はへイズ
会議センターといい、この種会議場として性欲州一一とhわれてレ、る。こ
叩−・3 −− の中核となる建物はグィクトリア時代妊鰻てられ、福音伝道の輿会場と
しては1900年頃から利用され、その後多種の付属飽教が付加され今
仁!に至ってレヽる0 主 催 者 Font(F官1−LOW
SHIP OF NATIONÅL Onus) 参加者及び参加者状況(カツコ内は参加子供叡を示し内教である。)
欧 州◆}・1. 9 ′L 9 【ヘリ )什−・ 英国114(6)、ベルギーー2、歯数17、フィンランド11(l)、
ノルウュ・【3、スウ浅山デソ1、スイス∠l(2)、オランダ5、アイ
ブレラ ンド2 米 州一叫lこIOU(1.3)叫
米国99(1こ‡)、カナダ9、エクアドル2、チリ5、ペルー2、
リビア1、ブラジル$、ジサマイカ2 北衆アジア榊33(1)−一
日本11(1.)、碑同13、フィリピン3、台湾6
南アジア及び教州一一二う4(4)・}・ ポ シンガポ・・一ル7、インドネシ73、パキスタン1、イ ニ′ド′l、スリラ
ンカ2、オーストラリ、ア15(4)、ニ:ユー・ジ叶・三きソド2
こアフリカーー3 8・−− エジプト6、ガンピ、ア1、ガーー・ナ7、ケニヤ亨)、マラウィ2、淘アl、
ニジム・−・ル3、ルワソダj、セネガル1、シエラレネオ2、スーーダン
1、タノザここア2、ウガンダ1、ジンパブ井1
42ケ国、aft=)名(拍 子供26名)
日本からの参加者 武田会長太秦、音井(元除幕兵)犬妻、今井防火教
捜犬凄、矢田部1陸偉大妻、滝原3空位未寮、武田会長の御子息(11
名) ・
大金のテ・−・マ 「tiers ABLE土i・・‥‥」(コリントU 9:8)
大金の目的 キリスト濱としての軍人である男女が共に集い、我々の間
一− 4 − に在ます神及び性に溢lいて神の証人としての我々のゲイジ講ソを再び敬
夕戻すこと。 ;沫 日課は下・衷のとあ一り0
J●・■■1▲r●−●■■●■■●●▼■■■ヽ■■−■■■■■
4臼鰭 2日納 chi 祈 り 朝 食 ■′ヽ叫■1■
珂 時間 6月:iく椎 0745 0830 0945 1100 1131)
lこIbo 14(IOU 7月1日的 柵1二二 0830 0945
1100 1131) lこIbo 14(IOU 171缶 19‡)0
報 敬具世食 2015 食 ワト ソ ノ榔の慈し
表「「 ̄丁 10‘00 礼 拝 榊 ピ タ ト
デ ゼ lミ ナ 鹿 央 自 f袖‡ 由 号音 あ
休憩 禽トビミナ・− 緻 チi ゼミナー タ 銭
竺1 .ノ 祈 拝 (各濁♂)報告女含む)
仰山ノj 遊 行 すペての行事(促し、朝の祈藤会、ゼミ等を除く¢)を、
1日毎交替する司会者が扱当(二主として英軍将校、大佐クラス)。
音 楽 講師デ・−ピヅド・ワトソノ節クルーープの演奏者が主として
也当0 自由時間の行動 ●ヽ
送 迎 迎えに当る0 近くの名所旧跡の観光等、テこ:・ス、卑球
英樹弼の係員を11ノドソ等の最番わの駅・空港等咋舵逢し
余が始まる前杵築拘に清いた参加者は、英国OCU金員宅
に分縞¢ 婦少打ついても同様. 特別行事 7月ohく臼)の午後2時頃解散。小・部の参加者は当日、
自由な交わカ及び反省会に参加。盈臼、特別仕立てのパスでロンドンへ。
市内の英国教教会(トリィニイティーチャ一山チ)で会食後、特別礼拝妊
参加0 叫 5 − ゼミ ナ叫 (名参加者は壌前に参加するクラスを申告しで参加)。
A:完全なクリスチサン・一一糸来の生活のために
B: 仰交わタ Lb:独身者向き、BY:既婚者向さ
C:develop咽}entry叫福音伝道むために D;
沸 叫く霊的成泉のため忙 E:祈カの力 演 デーーピッド・ワトノン緬
′l\ 1臼月:福音伝道 2臼呂;盤寵の鋤き 3日日こ塑嶺の満たし
4日日:1一一 致 5臼輯:笠的媚い 仙l参加者め所見)
この度のOCUイギリス坐会に出席で睾ぜしたことは索滴らしい慮み
で卑りました0 イギリスの金員力の献身的奉仕絃心れたれると典i、参
加した42ケ囲もの会員の皆様の主の元にある・”・致及び階級等参らゆる
感轟を超越した型金色ま末瞬¢)再現奄見るような錯党に落ち人身ましたu
また次絃感じ墟したことは、参加掬の殆どが従箪牧師を′指していてそ
の指導の元咋伝ミ道活動が活発をこ行われ、その成栄が地域伝道に役立って
いることを知ったことであわlます。日本¢場合は、従単牧師の制度の片
タんすらな(、組敏だった公の活動は当然あカませんが、わずかな羊の
群れの活動が−−・∴肢キリスト教界で認めら九つつあるのけ率いです。今回
は先輩の4組の参加者の列咋加えられ私大2人そろって参加、できたとと
自体が証し椎な少得たように思われます。転勤の多い私共、今、まで礼拝
に出させて聴いた教会で証しを求められたことが多く多少ましたが開か
れる皆様は輿剣に開レ、て下さ少せした¢従軍牧師制度を願い求める前に
地道な活動を通してとの自衛隊忙こそクリスチャンの必要なことを一般
山 6 −− 社会のクリスチャンに呼びかける男気が必驚なむでは澹レ、かと痛感して
おタせす0 、
☆ 第8回OCU世界大会姥参加して 杏 江 誠・仰・(元陣♯長・元会長・元隆将)
OCU綻ついては過去に紙上紹介もあることではあるが、ここ咋〜la・妄aす・
・1 るとOCUとはオフイサ付けズ・クリスチャン・ユニオンの略称で、世界列
南の粥防畢の箪人の中のギリスla者たち打よって私鉄されている国駆的な
修車団体である(.それぞれの国の速レ、こそあれ、国家の防衛という康大枚
使命の−一一嫡を担う同じ立場のキリスト巻向士が、それぞれの外交的政治的
情勢や寮の隔たりを鵡えて・一人のトイこr・ス・キリストを泡じての神への
輝い信仰のもと杵、共にその重賓を由党し、共咋己を顧み、共に理解し合
lへ そして祈タを通じて励まし合おうとする特色ある存在なのである。わ
が日本の自衛隊松倉いてもすでに約2(一年前托誕生し、コルネリオ会の名
のもと咋世界のOilにも参加Lてこん日妊到っているム
私はかって由衛隊に在って、たまたぜ信仰の飽い伺士と共咋この(}CU
を導入し設置した当時の−叫負であるが、こん臼せで7匝きに猛って世界の諸
所で健吉れた世界大金にいつも枯かれながらも出席の機会な適していたの
で参ったが、今回は()CU発祥の地英国での開催でもあり、殊にわが国()
CU誕生の際はるばる来日しで祝福し励ぜしてくれた当時の国際愈々簸た
る英頗のサ・一・〔‥く叫ト・ユーりくンク盤将軍から昨年来幾度となく参加を
促された経革もあって、〜一週間の会期中位か3日間では.あったが初めて出
席の機会脅得、私たち夫婦の生涯妊とってもまこと咋意義昧レ、感動を得た
次第であった。 今その所感からいくつかを拾ってみると、
その第】は、今回参加したのは実に40教ケ臥はるばる参集し允孝は
約300名を数え、地元の奉仕会員せで加えるとまさ忙400名近いもの
であった。歴代の国際愈々長や列封の会長会員諸兄姉の努力とは云いなが
− 7 −−− l
ら、長の導きの単音偉大さ女史めて心紅潮憧れた次第でめる。−
それをこつけても、な虫l参加托踏み切れない国々や共産圏の国々筍未参加
国があるq)は残念であり、今後蛇由国内へや呼びかけととも咋更に・−‥潮位
界の国・々へ働きかけ、卦互レ、が促界平和のための正しく力強い防碑の達成
忙邁進できるよう相互の輿励を更に強めることこそ私たちOCIJ金員灯ら
えられている何よカの使命で参ろうと思う。
第2は、卦よそ陛界の偶々から藤の包もとわどクの参加であるが、−その
代表者たちの散発夜そして熱烈−な祈カは、たとえその富菜が通ぜずとも凄
ととi心打つものがあカ、藍に、快界的忙著名な牧師ヤ、艮年信仰の指導
忙当亡二て衆衆人々の、特窺のテーマによる辞演と焚励と‡.t、穏やか改称け
さのうち咋もひしひしと身咋二浪って、怠泉をヰ†膚深めてくれたし、また、
釧鯵の合間に百花咲き乱れる美しい庭園に出てのコー・ヒ州タイムヤ、3庶
3象食卓を桝んでの茫チカ合いは、ま亨ケこ拘の縞たカを忘れさせての繁りで
ぁって、これらお互いが・一・札ニLエアオー・ムを身につけた際、武鮨も装備も
その規律も方式も興る武人札上なのであろうかと疑わ抄るほどでめって、、
主を通してのそのノし¢)趨レ、の探さ托今更ながら衿を正した次第でめった0
第:i蛇、それぞれのl藁葺のOCUに力を尽して来られた将星建と親しく情
蔽を変わす喜びであった。紫朗のピ▼、一・チ大将と払1日の弟でナれ遽ってし
まったが、前ふ良したュ・−・りdノク将畢夫妻を始め、硯憐貯金炭の米陸軍バッ
ヰン.ガム将軍夫凄、英国会長のサ〆・ハレーース・【Iウ提督、料句の′、・インー
ズ将輝夫凄、ガーナのノ、ミデュ将軍夫妻、・その他韓国、台湾等の将軍提督
夫袈ら∠子心を開いでの語らhは忘れることのf出来なレ瀞ハ出である0
最後絃心オ:らお胤を申したいのは主催国たる紫朗OCUの大変なと努力
忙対してである。すでに1976年の前大会の産後から周到な准備を進め
られ、万全の態勢の上咋、到れわ尽せ少仇11遭いを払われ、それによって、
日々の起居を楽しみながらまことに意義乾い大食を味わうことが出水たの
であった。顧みて更めて会の終始忙対する去の導きに深く感謝するととも
忙、英国金員の諸兄郷咋厚く厚くお礼を申し上げる次第である0
ーー 8 w・ ☆ スワニツクからスワニツタへ
流 出 舞 梁(会良・カ鴎将)
1988年同じイギリスのスワニツタでOCU健界大金が抑かれ、口本
から参加したのは故佐々木親旧擬革大佐と私共夫喪の3丞てあったが、今
剛ま11名ケこ増加した。この中で特に元睦蕃艮で初代会長や寿江カニ睦村の
御参加を得たことは私共にとって大きな助ましであ少、よろこぴであカ、
厳中亡今後の御指導を耕待し感謝に堪えないく,残念だったのは藤岡の千発愛
増牧師が病気のたや参加f出来なかったととである0私共がスワニツタ・忙到
着したのは6月30日の牛后であっ舟。12年日の訪れであるが、広々と
した菜しい芝生の廃淘、敏彦と茂った周辺の藤、それに本館、教会蛍、大
浦盤、大食′遣も全く昔のま潔の袈で多少、久しぶカ忙ふる望に帰った様な
やすらぎを栄えた。新館の宿舎忙荷物をおいて外に出て見れば既忙全世界
から集った参加者が会場の内外忙あふれていた。特にアフリカの参加凶は
前回はカーーナ1国であったが、今回は13ケ開托急増していた。また前回
ケこ址し思い入が多く活気杵みちたよろこばしい会場風発であ?た。大金の
行壊及びその活動等の全般姥ついては鶴忙ゆづ少、私は特に感銘の辣かっ
たこと及び私自身の思塊体験の想出を報告したい¢
川 大会4日日7月3日夜の集金忙於て矢田部−▼・一佐は特忙遇はれて指名さ
れ膚仰の証詞をされた。会場むこあふれる全挫界のOCUの玄を前忙して
静かに塩上にのほカ堂々と落付いて正確な英語で力強く自衛官キリスト
者としての確膚に満ちた感銘深い証詞であった。約10分間の誌が終る
や拍手の嵐が亀内にひび奪わたり誠に感激のひと時であった。この時私
は12年前、同じ会場の同じ演墟の前忙立って証詞をされた汝佐々木大
佐のその時の凝を想い浮べ感慨無慮であった。前回の佐々木、今回の矢
田都南者あ証詞は夫々の会衆に大き改感銘を与えたことは私共日本CO
Uの仙人として誠にエろこぴに堪えない0
は)私は恵ぜれたことに、今回で5回OCU他界大金咋参加を許された。
即ち韓国、イギリス(2回)、西ドイツ、アメリカである。参加Lた各
叫 9・− ノ→ 13) (4) 大金に於て末々特別夜御恩を愚か絃受けたが、すペての大公をこ共通して
強く数えられたことは=フたしの仕える月軍の主拡生さてかられよすj
(列生紀寸▲3鹿卜l節)との畢旬の奥理であタ、各巨日毎妊段々と解く破
く教えられたが、特昨今珂はあのアフリカの馳に牡きて勧湊給?万輝の
主のお力を見せられ、r●神はそれをなすことが可能であわ給う」との今
大会でのテ・−一マの鞄句が能く教えられたことはまこと書こ大き滋感謝であ
つた0 倒貯Oath牡野太余打参加し各国OCUの友と親しく変ること妊よっ
て私の勤務している日本医療缶ミ道金衣発病院に3つの姉妹病院が毎えら
れた。Telンドン¢)病綻はバクストン大尉によ少、ボンの病院はドイツO
CUの親友汝アンメルミコ・・−ラ・一軍医少将によカ、叉ヂンバーーの嫡流は
アメリカOCFのメイノン中佐のお牡話によった。それらはいづれも同
じ僚命を持つキリスト教病院である。 食掛中きこ旭際OCUの役員金が閃かれそれ忙参加した。次勅令艮、副
会長の選任と大公開催良の決定であるが、会長はべッキノカム少将が留
任し副会長はトイツと日本の辞意が認められヨ岬lコツノミはイギリスのt】
j大将、アジアは2つ咋分れ北アジア性能凶のシン中将、南西アジ、アは
シンガポー′レのタン中佐、アフリカはガ肋ナのハミド少将、アメリカは
会長釆務。大会は明年8月シンガポールでアジア大金、1984年世界
大金が韓国で開催と決定した。尚名誉会長ユーパンク少将の御賓憩妊よ
り私の挨拶が瞬際OCU副会長(アジア)ょわとして各辟代表忙印刷配
布濱れ允。その内容性別紙のとおりである。
☆ 再びイギリス大金妊出席して 武 田 妙 子(武出金農夫人)
あと幾日て「スワニツタ」の合富来に、糊待と不安と鰻艶の入り変った
心境で迎えた出発の日、6月26日。9時半迎えの単に同行の息子「健」
と同乗、横須賀駅に杓う0横浜に住む長女、河合帝発と駅で合流、泉京駅
−−10 − から箱崎に到着。此処で出発手続をすせせ、後よタ釆た健の蕩裕菜子音ん
との5人で虞食後さあ出発。パスで成田行にのるので2人町オ盲ナラして
留守中の襲をたのみました巾空港には今井先生亡失凄も着かれ、大斡銑空
パリー・行の人と夜少食した。 時は5時半。途中ソウルで乗夕換え、更にアラスカのアンカレジで中継、
休息の後日的地バリーには選時近くオルリ空港咋到着、それよ
カバスでドゴ・−ル蟹港まで行き、飛行機を乗少換えて目的地イギリスのと
−.スロー空港に到膚するとl ̄ドクタークケダ ウェルカム」のプラカ∴一ド
を持った背の轟い夫人が居られるのでこの方が迎えの方と・−一日でわか少、
安心してロンドン郊外のケーーアさん(OCUの友)の家に庚内して頒きま
、した。ととは高い樹々に蝕まれた静か夜・・一角、鹿と犬藻だけのお住いで、
夫人のおヤさしい歓迎咋飼うたれつつ、お庭の百北も兵盛りで腺のつかれ
もいやされた思いでした。夫人秒お心づくしの菜味しレ、昼食を瀕き、それ
から夕方まで休息させて頂き・ました。 第1日払、バックストン家およぴミッシ讃ソ病院を訪問、2日日は【Iン
ドン市見学、3日日もシ州エル・クーバー家を訪問、その間ケ・−ア氏の車
をフル咋清併して頂き、4日日はOCUの若レ、友の車で午後スワニツクに
向いました。途中大雨咋あった少、何処までも税くきれhな芝生や点々と
ある牧場、日本の北海道で見るような風奇数眈めつつ5時すぎ未だ明るh
日ざしの中昨日的地に到着しました。もうすでに多くの入違が着き旧知の
顔もほつほつ見えました。 歓迎の夕女が始まカ、夜の集金によって7日間の大金の藤があきぜした。
以前の大金には小数しか参加されなかったアフリカから今回は大勢見え、
又始めての南米からの金魚も加わったので会壮大レ、旺盛り上カましたく,
朝食咋焼くバイブルアワーや夜の集金には、牧師尊属のバンドの人たち
のり−ドで賛糞が歌われました. 「ハレルヤ ハレルヤ Hisao,fねisノRod,rise払汁ohm
theぅ dead.jack曲の軟性大食堂を圧しました。特に最後の夜はリクエストが後
ーー・la仰 一ヽ から後から続き熱気結いやが上にもあふれ、夜の疫けるのを忘れさせせし
たく, し
今も日食閉じ、耳をすま秒ると「疲れた若衆咋釆女れ、溌汝を休まさん」
の歌声が怒涛の様に押しよせ又消えて行さ一ます。最後の朝食の折こ私の牢
めにジー,.−スを注文し、ベ・−コソ、ハムをとり分けて下さったイギリスの
旧知の鳶将軍は「賓女のOCU生活も長い」と労をねぎらって下さいまし
た¢ 私は「主人は5庶、私は・i鮭大金打出度しましたIDと答えながら、故佐
々木先生がバラの咲いた顔鞠で散歩をし、東大人が私敏感かな胸に抱いて
l ̄天駒て食いせしょう_jと決して下さった12年前を思lハ、胸が熱くなる
のを感じました。 ユーバンク、トーク、バックストン、アフリカのヨシ7大審、多くの数
々が日に浮びせす。叉今倒=)0年の知dの棟忙、親身以上絃私速3入費
もてなしでFさったケーア大人、蒸れタ尽せカの歓待をしてF革ったと一小・
●家、感謝の召発もめカません。 今壮途くかウ壬の視・福盤か托と祈るのみてすQ
2庶にわたるスワニツタ大食を通して脱いた多くの友情を終生忘れる頚
はできません0 ハレルヤ ☆ OCU国際会議忙出席して
武 few 鋳(武刑余畏御子息)
8仰フィルムと写真を通して主に奉仕するという軒で、はじめて父糾司
行してOCU匡l際会破に参加車せていただ車壌した。()CUのノンバ・叫の
方々とは日本忙来た折に親しく嘗せていたださまlノたのでその方々との再
会を楽しみに金護符臨みぜした。外鼎での会議になるとどうしても言葉の
不自由さから余分な緊張をしてしまいがちです0・しかしそれぞれの国の人
々が4年ととの再会を濱び、叉その神の凝睾忙心から感謝している蛮を見
る忙つけて、尚くなってhた持分の休も徐々に佗ぐれてゆきました。会議
叶−・12・・・一 では世界各国から集まっている人達を考慮して、スライドや絵チ寸劇、歌
r 等を多く取身入れて、そのP壬容を怒るべくわかりやすく説明し、叉午後の
数時間は観光、スポーツ、休息と自由に選択出釆る様な配慮が多少、1人
で参加しても家族で参加しても、それ夜クかこ有意義であるよう椰かかむ遼
レ、もうれしいものでした。あれだけ多くの国の人々をスム叩ズ打数かせた
スタッフq方々の御苦労とその力に今さらながら感心いたしますu金轟の
それぞれのプログラムも索賭しいものでしたが、く)CUのもうひとつの大
き凌意義拭、神の下忙あつまる者同志がお旦レ、を知力合レいそ・の友情を深め
てゆくのも鬼のがせないものと思レ、ます。特咋会議の最終日妊開会後1人
1人が再会を約しながら次々送少出された時にそれを強く感じぜした。又
●余戎の始せる前の3日間杜l ̄ウインドスワム」という小雀な町て()CUの
メソバ・・一の「●ヶァ._1さんとhうお宅でお世話昨夜わまし允が、はじめてお
●金hする方でしたの咋i〜くからの友人の様なもてなしをして臍き溌葺仰絃エ
る強さを感ぜず咋.はhられませんでした¢ そしてr●ヶ了.】さんが最後与て私
逮に言った音楽がとても印象的でした。I ̄私逮は神の下で同じ血が適って
います。それは皮膚の色や男女で分けられるものではなく又肯い知力合レl
で参るかどうかも尚係多少ません。大功なの蛇神を僧じているか信じてい
ないかという串だけなのです・‥…」と。 ☆ OCU家族の交わ少
矢【H部 和 子(矢【q部1佐夫人)
OCU世界大会¢)ことは、自衛隊、教条の方々杵知って頻き度lハと思い
ます。大金の様子の報告は別の方忙譲カ、私は、大会の前後忙、OCUの
メンパ・−−である英国の3家庭、西独ボン、ベルリン、それぞれ1家庭でお
世論妊なったことを紹介し・ますり いすれも退役軍人の家廃で、興国く)CU本郷妊勧めるフイリングハム氏
(若くして退役している)以外は、お子様方練成人し、鹿央婦だけの家庭
もあカました。とく普通の、いわゆる庶民生活の方々ですが、長い伝統と、
・一13柵 ノー 歴史の■Pで増われた膚仰と、軍人としての静かな落凄いた誇♪を備えた風
格ある方′セでtノた。特絃老夫婦たち蛇・.かって戦争忙伴う幾多の経験を潰
れたと伺いせした。そして、ある天賦は、月1珂、自宅を開放して型番研
究会を閑竜、青年凄を信仰咋堰くこと醗心を砕き、叉、別の太線は、教会
学校の奉仕をされてレ、ます0 2泊お性訪iなったフイリ/グハム家では、
夫人が型番を統み開かせるのを粥きながら、13才の少年と10才の少女
は、朝食を摂カ、登校し壊す。日曜日絨、▼それぞれ、スー・:γ、ドレ不妊着
替えて、可愛い英国紳士、淑女になカ、彼等がとlie頗している近くの隆軋士二
宮学校の教会へ、私共を案内してくれ潰した。2.3百年は経たと思える大
木が繁り、小鳥が飛び交い、来鼠が戯れる教会の嵐】この教会で、どれ捏
多くの士官候補牲が礼拝をして重たことでしょう。礼拝では、掛率こが歌わ
れまし耗じ 大食印象礼拝でも「神よ、我らの女士を救h導き給え」との拘
軟が歌われ、ました。 大会後、現役軍人ニ.⊥−▼→准将逆転の亜で、彼の家族と−・叫緒にロンドン市
げjを見物、大変楽しレ、時告過しました0 現役、退役、立iて家族i司志も親しい間柄で()CUが航く政教張った、腔
叡と力¢)ちる余であると思いました。 私は、今春から勧めを約めたげかりでしたが、関係者の深い堆婦女頂き
長劫休暇を許され、又、主人の律の励まし、朗斯からわざわぎ来でくれた
私の梓と共¢こ、しっかり留ミラてを守ってくれた子駄たち等、総てのことが整
隼.られ、イす意義な大金ケ⊂参加臼i来、又、初め1この海外珠行が出演て、輿婁
な体験を碍ましたととを感謝し1【!ハます。
コルネリ オ余教務局 (J.Getエ) 韻演賀‘お盤水・一・一・ ̄ユ}B
防衛大学校応物教強 今 井 教 授 気 付
・一−・14サー