ニュースレターNo.38 1983年9月
ニュースレターNo.38 1983年9月
※ 夏に思うこと
予想外に暑かった今年の夏も終りに近づき、一般の間に定着してきた夏期長期 休暇も終って国内には再び経済大国をめざす忙しい日々の活動が始まった。世界 のトップレベルにある先端技術を駆使して世界経済を支配しようとする日本人の 有能さには驚きを感ずる.ユダヤ人が特別啓示による旧約律法の雄であるとすれ ば、日本人は一般啓示による自然律法の雄であると言えるかも知れない。しかし ユダヤ人の啓示理解に問題があるように、日本人の啓示理解特に霊的な面には重 大な問題があるように思われる。日本国内多くの地方で今年もお盆の行事が盛ん に行なわれたことであろう.又8月15日には再び終戦記念日がやって来て、前大戦でこの世を去った多くの人達の上に思いが寄せられ、それに関係する霊的な行 事が各地で行なわれた事であった.
日本の国に仏教が入って来たのは西暦552年聖徳太子の在世中という事である から、お盆の行事もその後から始まったものと思われる、仏教ではお盆になると 死人の霊が各家々に戻って来て、この世で生きている他の家族達と交りをするよ うに言われている.又更に古くは在来からの神道の伝統によって、偉人であった 祖先の人達が神という名でこの世の人達と交り、その人達を助け、超能力を発揮 し、生さている人達の上に君臨するような事が言われている.しかもこれらの事 は言い伝えであって理性では否定も肯定もすることが出来ない。しかし真実に死 人の霊というのはこのような働さが出来るのであろうか。
聖書によれば人は全能の神によって創造され、しかもその神のかたちに創られ たという事であり、サタンの誘惑によって罪に陥る前には全能の神と共にいたと いうのだから、罪によって神から離された現代に於ても人は無意識のうちに神を 求め真理を求める.これほ当然な事と思われる.しかしこれを人間の側から探求 する場合には、その真理の一部である科学、文学、芸術、技術等どの分野につい ても人間の理解出来る部分を延長した場合その尖端では、その正しい方向を失っ て本当のものに到達することが出来ない.真理を司どる神についての理解につい ても人間の想念から生ずるものにほ誤りが多く、これに固執する時、諸々の偶像 が出来上ってしまう.残念乍らこれが現実の姿であろう.そして人間の関心の深 い死後の姿についても、誤った偶像観から推測した結果は当然の事ながら誤りの 中に入ってしまう.近頃「死後の霊」の問題が色々と取上げられ、本屋の店頭に はこれに関する多くの単行本が並べられ、テレビの番組等でも多く取上げられる ようになった.この問題は日本人の将来に取っても重要な問題と思われる.そこ でこれらに顕われる誤りを正すために、はっきりした死後観を与える組織神学が 必要であり、その出現が待望される.そしてそのような組織神学の成育に一番適 している国は日本であり、これが完成された時、我国はキリスト教国へ移行する 準備が出来たと言えるのではなかろうか.
死んだ後はどうなるのか.お盆にそれらの霊がのこのこと家に希って来るのか、 戦没者慰霊祭の時戦没者の霊はいったいどうしているのか、祭場に霊が集合して 来るのか、若しそうならそれらはどのような状態になっているのか.全能の神を 信じ死人の霊がその神の支配下にある事を知っている我々クリスチャンが、それ を知らない大多数の民衆のやっている事に対し、只反対し、又は無視する事によ って問題の解決とはならない.特に我々自衛隊に職を持つものに取って「緊急に 際しては危険を顧みず」と宣誓していることもあって、いざという時に「死後の 問題」についてもはっきりした信念を持っている必要がある.「わたしが世を去 るべき時が来た.わたしの戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、 信仰を守りとおした.今や義の冠がわたしを待っているばかりである」(Iテモ テ4:6)という境地が得られるならば、地上の環境は如何に困難であろうと、 天上の霊の世界に於ては全能の主のみ許で永遠の平安の中にある事が出来る.こ れが「永遠のいのち」のわかりやすい説明になるのではなかろうか.
※ 戦後を顧みて(特別寄稿)
ユン・クンソプ (元韓国OCU総会長、現在日本在住)
私の戦後38年を願みれは、伊東平治という日本名で憧れの少年飛行兵の生活 に入り、その因縁で22年間を空軍に、16年間ほ民間航空に身を投じ飛行機と 共に生きた半世であった.東航校志願当時、日本軍の危険の多い航空兵の志願を 許し「命は天命である、生きのびれば、何かと役に立つ日が来るであろう。」と激 励してくれた父親の言葉が、今現実となったことに今更感無量である.
激烈・悲惨・壮烈を極めた沖縄航空戦に参加して、天佑神助、幸い生き残り、 本土決戦に向って覚悟を新たにしたが原子爆弾の投下によって戦争終結、八月 十五日、九州太刀洗飛行場で終戦、徹底抗戦を叫んで阿蘇山に立てこもろうとい う話もあったが、無事復員して韓国行の連絡船で帰国した.釜山から汽車でソウ ル経由開城に着いてみれば、母国は既に北緯38度線を境に南北に分断され、南 は米軍に、北はソ連軍によって占領されていた.永い韓国の悲劇はここに始まり つつあった.家では死んだとあきらめていた息子が帰って来たというので大さわ ぎとなった.実は間違って他人の遺骨が実家に届いていたわけであった.
それからの約ニケ月間は歓迎ぜめであった. 私の故郷開城は北鮮なので、ソ連軍の占領下にあり共産党政権のもと米は強制 的に供出させられ、地主は追放され、共産政権に協力しない人は反動分子、反逆 者として連れ去られた.私の家庭は元々クリスチヤン家庭であり、私の耳にかす かに甘く教会の鐘の音に気を取直し、死の谷から私を救って下さった神の恵みに 背いてはならないので、早速教会へ行って祈り教会を復興させる事を誓って奉 仕を始めた.しかし無神論の共産主義とは妥協の余地なく、熱烈なクリスチヤン だという理由と、反共教育をするという理由、又現体制に挑んで共産党集会に出 席しないという理由等で憎まれ役となった.そして毎日の生活が恐怖と死と反抗 の続きであり、生命の保障のない日々であった.今の妻と結婚して間もなく知人 から「一遇間後には逮補状が下りる」という情報があり、家族会議で決死の逃避 行を決め夜明け前に単身出発、二日後に38度線を越えて韓国への脱出に成功し た.その後韓国空軍創設に当って空軍に入隊し整備将校になった.1950年6 月北鮮軍は一斉に38度線を突破、初戦では北側が制空権を握ったが米軍のJET 10機の出動により制空権は挽回した.この間ある時目標に向って急降下と同時 に失速、錐もみ状態で墜落中「爆弾を落せ」という神の声を聞いて落した爆弾の 爆風に持ち上げられて回復生還し航空史上の奇蹟を生んだ事があるが、これにつ いては別紙にあかしをした.北鮮軍は南の大邸近くまで侵入したが国連軍の仁川 上陸によって攻守逆転、それから北鮮軍は後退、我々は元山飛行場まで進出した が、その間退却中の共産軍の非行、残虐牲を到る所で見せられた.思想の異る同 族相争いの悲惨さは目を覆うものがある.多数の民間人が共産軍や党員に手を縛 られ、トンネル内で火を付けて窒息死させられ、井戸に殺げ込まれ、反動者とし て親子兄弟でも訴えられる.私の母と妹一人とに遂に生き埋めにされて虐殺され た.しかもその殺した人は遠い親戚の一人であった.「自由なくば死を」という 自由の尊さを私は身を以て経験して来た.この自由と平和をだれが守るか、国民 一人一人の汗と血と涙と犠牲があって始めて守られるのである.代価のない自由 と平和はありえない.韓国戦争中不思議な力に守られてこうして生きのびる事が 出来た.やがて後輩に席を譲り一線から退いて民間航空に入ることになった.こ の間忘れられないのはクリスチヤソ将校としての信仰活動であった.韓国陸海空 軍の基督将校会の総会長に選ばれ、国防長官、各軍参謀総長、軍属牧師、各軍基 督将校達と協力し、軍隊の精神武装と信仰活動、軍民連帯事業等、全国全軍的活 動は西方国家自由主義陣営の模範となる事が出来たことも永遠に忘れられる事 がないであろう.顧みるに身を大義の為、人類の為、民族の為捧げるという事 は男子の本壊であり生き甲斐であり、人類最高の愛の顕れである.国がなけれ は国民もない.この主権を誰が守るのか、政治家だけではない、外交官でも軍人 でもない、国民一人一人の汗と血と涙と犠牲によって、即ち代価があって守られ るのである.
(原稿を短縮しました. 文章 在編集者)
※ 我家の特徴などの紹介
〔日本基督改革派、湖北台教会、十年誌への投稿文より〕
滝 原 博(空資料隊)
私共家族が、当教会に来て一年半以上になりますが、教会の客員として暖かく 受け入れられていますことを感謝致します.
信仰生活の面で一向に成長しておりませんけれども一応夫婦共受洗後20年を経 過し、また長女、次女、三女は既に小学生の4年~6年の間に洗礼を受けている こと等々から何らか皆様に参考になることがあればと祈りつつ拙文をしたためて いる次第です.
私共の家の特徴としましては、
1.子供の日曜日の過ごし方として、たとえ運動会があっても、教会学校を終わってから運動会に参加させたこと.多くの先生が理解を示してくださったこと を感謝している.
2.私の職務柄、転勤が多く、従って多くの教会に今までお世話になったこと.
現在の教会籍は、日本基督長老教会系で、家内、私と四女は杉並教会(小畑牧 師)に、長女、次女、三女は入間市の仏子教会(須山牧師)にあり、教義的な面で親類関係にある派です.
3. 私共夫婦は、防衛庁関係の信徒同好会「コルネリオ会」の会員であることで す.同会の歴史は明治時代に遡るもので、戦後は昭和34年再興され、私はその数年後その存在を知り各種集会(葉山のレーシー館等)に参加、不思議なことに家内は私より早くその存在を知っていたようであります.
同会は世界的組織AMCF(「軍人基督者会」)に属し、4年に一回世界大 会、各地域大会があり、まじめに参加すると2年に一回はどこかの国に行くこ とになる.私共夫婦にとり最初の参加は、英国のクービー県スワニツクであり、 約40ケ国から400人近くの軍人及びその家族が集まり、証し、賛美等、また古城 の見学などがあり、「神の下に全ての人は一つなり」を体験してきたものであり ました.最近では、シンガポールで若者の国の熱心な伝道活動を観て、羨ましさ を感じるとともに日本の巧利打算的多神教混合の、無神教国に等しい状態を嘆い て成田に降りたのでありました.両国の大会に参加して共通に感じたことは、皆 軍人でありながら率先して近隣伝道に熱心であるということでありました.
何年か後には日本においても地域大会を開く番が回ってくると思いますが、神 は不可能を可能として下さる神であることを信じ今から祈っているところであり ます.
4.蛇足になりますが、もう一つの特徴を付け加えます.それは兎とのつき合い で、6年程前、家兎を杉並教会の姉妹から載いて大切に飼っていたところ、春先 の土曜日、外出時に庭の餌いに入れ夕方帰ってみたら死んでいた.たまたま暑い 日となり、直射日光に長時間当たり死んだようだ.その死体は長女の切なる願い ではく製にして大切に家に置いてある.その後近所から一対の黒と白の兎をもら った.数えきれない程生まれては近所、幼稚園等にもらわれて行った.今当教会 の話題をさらっている兎はその孫である.
次に話題を変え、我家の家庭礼拝のやり方などについて長くなりますが述べて みたい.子供を交えての家庭礼拝はもう10年も前になりましょうか.一日一章、 新約から始め旧約へ、このローテーションも今では3度目の旧約となった.司会 も四女を除き交代制で行っている.数年前までは親の一方的司会であったが、今 では各人工夫し、変化に富んだ学びとなりつつある.時には神学校歴7年の妻が 歴史的背景をいとも易々と説明しているのをみ、子供も私も感心するのみである. 思えば、長女が小学校(武蔵野学園=府中市)入学後、妻が東久留米に当時あっ た「日本基督神学校」に入学し、ギリシャ・ヘブライ両語の単位だけはあきらめ ながら3年プラス1年(四女出産のため)、よくも東京の小金井市から通いつめ たものと感じ入っていた.四女の誕生に当たり、私共夫婦にとりかけがえのない 証しがあり、多くの信者、神学生、先生方の祈りにより支えられた子で、妻はロ マ書11章22~32からシオンと名付けることを決心、私ほ苦心して賜恩の字を決め たのであった.シオンの丘は、国を守るとりでで、~要塞という意もあるよと小畑牧師が後で教えてくれたりした.
当教会の今後の地道な発展、特に男性会員の増加を祈りつつ筆を置かせていた だきます.
※ コルネリオ会に対する批判と反論
矢田部 稔(富校)
本会の目的は、会員の信仰と交りを深めその使命達成に寄与することであって、 部外の信仰団体と論争をすることではありません.更に本会は旧教・新教の別、 新教各教派を超えた者の集いですから、本稿で述べるような新教の一教派である 日本キリスト教派がこの10数年間陥っている混乱に起因するような問題に触れる ことは、背景説明なども必要となり、あまり適切なことではありません.
しかしながら、本会ニュースレターの内容そのものを利用した本会の誹謗や本 会関連の資料を用いた自衛隊員の信仰否定論が公表されますとこれらに反論する ことも必要となります.最近二つの反論一一つは本会として正式に、他は筆者 個人として-を行いましたので、それらを要約してお知らせします. 番 号 論文名(字数)記述者 掲載紙名 発行所 発行 年月日 軍人伝道の開寓性の検討を 働く人 日キ教団 82.3.1 (3,200字) 第288号 社会委員会・ 野々村曜(日キ教団平塚 中原教会牧師、神奈川教区 基地自衛隊開港小委員会委員)
伝道委員会 一7- 日基牧師団の防大来訪 本会ニュース 本 会 8a 6 __ (600字) レター 今村和男(本会々負)
第34号 コルネリオ会の皆様へ
教 団 新 報 日 キ 教 団 83.5. 7 (1,200字)
(彰 森野巷右衛門(日キ教団牧 会者共同研修委員会委員長 第4028号 コルネリオ会から「牧会者」 数印新報 日キ教団 83.7.9 ④委員長へ(1.200字) 矢田部稔(本会幹事) 第4032号 自術隊伝道をめぐる義論に福音主義教会 日キ教団福音 83.7.10 ついて(も100字) 竿矢田部稔(本会柏) 連合横閑耗 第73号 主義教会連合 (横浜指鑑教 会内)
1. 日キ教団牧会者共同研修会が大破で開かれその帰路20数名の牧師団が82 年1月30日防大を訪問、その様子を今村教授がレポートした.
2. 地元で反基地・反自衛隊運動などを行っている神奈川教区基地自衛隊問題小 委員会或はその同調者が、日キ教団の本部機構を利用して、牧会者共同研修会 が1年以上前に防大を訪問していたことを非難し、「牧会者」委員長に対し弁明文を出させるように強制したものと思われる。
そこで委員長が公開声明文を発表したが、本会に対し誠に非礼なものであった。
これに対し筆者が反論案を書き関係者と役員の審議を経て、本会幹事の職名 を付け投稿したが、紙面には職名は削除され筆著名が所属教会名とともに掲載 された.・・・4
その後、本会からの反論を得て日キ教団の本部機構において、前2で述べた 議論が再燃したようである.また、83年7月12日、東京で行われた福音主義教会連合協議会においてレポーターから教団の諸問題の一つとして本件もとりあげられ、本会が非礼に対して怒り適切な反論をしたものとして報告された.
4. 3の時期より少し遅れ、「牧会者」委員長から本会々長あて職印を押した正 式の声明文が届けられた.内容は3と殆ど同一であった.これに対しコルネリオ会会長からの反論返書を4とは別に委員長あて送った.
上述より先、1が発表されていた.これは、峯崎康忠薯「軍人伝道に関する研究」(ヨルダン社)及び筆者が記した英国において開催されたOCU世界大 会の参加報告(キリスト新聞1980年10月4日号、11日号および18日号)をもととして、その論旨を逆転させ、教会を反戦・反基地運動に向かわし めようとするものであった.
掲載紙は発行部数もあまり大きいものではなく、影響力は小さいものではあ る.しかしながら、無視するわけにもゆかず反論しようと思いつつも反論の手段も思いつかないまま延び延びとなっていたが、5月連休の時期にやっと書くことができたものであった.・・・5
その要旨は、次のようなものである.
1は、「教会は自衛官をあたたかく迎えよ.などと云っていると戦後日本の 教会が自明のこととしてきた平和主義が消え去って了う.教会は反軍・反戦運 動と連帯することを中心とせよ」と云っているが、それはおかしい.教会は、 世俗の公権力を積極的に意味づけることが必要であり、それがなけれは、隠遁 するかその宗教自身が権力を奪取するかしなくてはならなくなる.
国家が福祉面・安全保障面いずれの仕事を進めてゆくにも権力が必要であり、 その分野で働く人にも福音が伝えられることが必要である.
教会が自衛官をはじき出し福音にあずかり得ないものとしようとする提案は 教会の情緒的な差別設定運動に過ぎない.
ペテロが「異邦の軍人など清くない者は拒否せざるを得ない」と云うのに対 し、神は「神がきよめたものを清くないなどと云ってはならない」と迫られる. (使徒行伝10章)そこから初代教会が発展した.
現代日本の教会も、自衛隊伝道をあたたかい心とこの世の労苦を負う同じ人 間に対する共感をもって始めることが必要である.
☆日本古典考(1)
今井健次(元防大)
1. ぶろろ-ぐ
われわれはクリスチャンとして聖書を神のことばとして生活している。し かし我々が今まで生活の場として育って来た回りの環境は、いわゆる異邦人 の国であり、そこには昔からの生活習慣があり、環境があり、自然がある。 主の民として先に救い出された我々が、そのような多くの隣人の中にかこまれ、それらの人達にこの福音を述べ伝えようと思う時間題になるのは、それ らの事柄と聖書のみことばとの関係であろう.「すべての人にはすべての人 のようになった.幾人かでも救うためです。」(�コリ9:21)とあるよう に、我々は日本人の救いのために古くからの日本の事がらについて学ぶ必要 がある.この意味で我国の古典を学び、日本人の考え方がどのような歴史的 背景によってつちかわれてきたかを考えていきたい.我国の古曲の始まりは 古事記と日本書記によって代表される。これらの内容および書かれた背景に ついて調べる事から始めていさたい。
2. 古代展望と民族の定着
古事記は西暦712年、元明天皇の御代に太安万呂によって撰上され、そ の内容は上中下三巻からなり、上巻は神代の物語、中間は神と人との物語、 下巻は人の物語と要約することが出来る.下巻は仁徳天皇以後、即ち撰上の 時から約300年間さかのぼって書かれているが、古墳その他の資料によっ て概ね史実とされている.中巻は第1代神武天皇から応神天皇までで、この 間ほ考古学的にも研究は進んでおらず、古墳の発掘等によっても資料がとぼしく、 特に神武天皇から数代についてはその裏付けが出来ないというのが歴史学者の定 説のようである.古事記執筆当時にも参考文献は少なかったと思われるのでこの 部分は史実としてよりも創作の部分が多いもののように思われる.この時代につ いては日本国内よりは中国大陸に多くの資料があり、後漢書東夷伝にかなりの記 録があり、これは3世紀頃の日本について知る資料として重要である.古事記上 巻については史実として受取る事は困難であるが、考古学的な縄文式文化や弥生 式文化の発掘による資料によってその成立事情を断片的に推測することが出来る.
始めて日本に統一をもたらした天孫種族は九州地方から進んで来て大和の地方 に入り、更に古くから出雲地方に住んでいた人達と合流して国内を統一したとい う事になっており、その過程を資料と物語りとをつき合せて学ぶ時、その時代の 人達の生活、考え方を想像することが出来る.武力による併合や、国ゆずりとい う方式による合流等、象徴的な神話をとおして日本人の心の原点がうかがえるよ うな気がする.
3. 家族主義と集団
中国大陸の歴史がBC4000~3000あたりからあるのに、我国について は僅かに出土する石器時代や組文時代および弥生時代の遺産があるだけなので、 その時代についてのくわしい年代的な説明は出来ない.それらの発掘された住居 跡、墳墓やそれに関する出土品から、原始無階級社会から始まって次第に共同体 があらわれ、階級社会となり、統一国家となり、そして古事記下巻の律令国家へ と進んで来た.ただその成長の過程は諸外国の場合と異なり、日本人独自の方法 で発展したであろう事ほ古事記の色々な神話・物語りを通してうかがい知ること が出来る.
そして夫々の家父長的家族の形態が成長してその中から蒙族が起こり、これら が首長のもとにまとまって集団となり、まとまった日本国としての統一が完成さ れていった事がうかがわれる.(続く)
※ ミーコ中佐歓送会
米OCF日本代表のJoseph Meeko中佐御夫妻がハワイ転勤のため日本 を去られることになったので次のような歓送会を行った.
場所 港区乃木坂前、健保会館
日時 1983.6.18(土)14:00~16:00
開会の挨拶に続いて、自衛隊コルネリオ会との主にある交りに貢献され、 日米両国の親善に寄付された事についての感謝状が今井会長からMeeko中 佐に手渡された.中佐からの感謝の挨拶があり続いて会食に移り、一同和気 あいあい旧懐談等に花を咲かせ初夏の一夕時間をも忘れて日米親善のうちに祝福の時を楽しむことが出来た.
「Meeko中佐挨拶」
皆さんの顔を見ると色々な事を想い出します.最初の会合は多摩のレトリー トセンターで、四年程前でした.それから色々な所へ行きました.シンガポー ルへ行った事、ビリーグラハムのクルセードの時にもこの様な会合を持ちまし た.私は皆さんの顔を見る時、日本人の顔を見ることは勿論ですが、クリスチ ャンの顔を見るのです.そしてクリスチヤンの顔というよりも本当に私の兄弟 の顔を見ると言ってよいでしょう.私は白人ですが私達は神の子供ですから、 長い目で見たら本当に兄弟姉妹です.嬉しい事も悲しい事も心を一つにしてい きたいと思っております.先日横田基地のチャペルでOCFのディナーがあり、 武田先生が来て話されました.参加した人数は大人が知人、小人が20人位でし た.米国人は20人位で皆クリスチャンでしたが、あとは皆クリスチヤンでない 日本人でした.米国人の友達として来ておりました.英語と日本語で福音が語 られましたが、今後もこのような会合が行なわれると思いますが伝道の良いチ ャンスだと思います.今度私はハワイに転勤になりますが、後任のLumpkin 中佐はコオーデネーターとして最適だと思います.私は米軍基地に行く機会が 少なかったのですが、その点Lumpkinさんは仕事の都合で、あらゆる基地に 出張されます.もしBible studyのある基地へ行けば、そこの人達を元 気づける事が出来ますし、ない所へ行ったらBible Studyをつくる事が出来 るかも知れません.神にあって本当にすばらしい交りが出来るよう祈っておりま す.〔日本語挨拶をテープで収録〕
「出席者」 矢田部 稔、滝口厳太郎、滝口きぬ子、滝原 博、滝原美津江、小山田光成、中野 正治、山口 利勝、海野 幹郎、堀内 侯槌、今井 健次、今井 倫子、LTC・Meeko、Mrs・Meeko、Miss Meeko、LTC・Lumpkin、Mrs. Lumpkinの各兄姉
ミーコ中佐歓送会にて(左からMiss・Meeko、Mrs. Meeko、今井会長、LTC・Meeko)
● コルネリオ集会報告
月例会 役員会
日 時 58.6.10(金) 58.7.7(金)
場 所 東京下落合 新屋徳治師宅
実施事項
(1) 聖書研究
(2)Meeko中佐歓送会について
(3)日基「牧会者共同研修会委員長」からの文書について
(4)名簿の整備について
(5)祈り 出席者(重複分省略) 滝口厳太郎、下桑谷 浩、小山田光成、今井健次の諸兄
AMCF国際大会について
AMCF(Association of Military Christian Fellowship) 国際大会が来年1984・9・27~10・3の間韓国ソウルに於て行なわ れる。それに関する参加協力と祈り依頼の書簡が韓国OCUから属さました。 各国から多数の代表が参加するものと予想されますが、我国OCUからも近隣 の関係もあり、成るべく多数参加して大会を盛上げたいと願っております.開 催時期からみて現職会員の参加は制限されると思われますので、OB会員は成 るべく多数参加下さるようお勧めします.尚参加費用については往復運賃以外 は殆どかからないのが通例です.
大会明細はまだわかりませんが先方から参加者概数を聞いて来ていますので、 参加可能性のある方は早めにご一報下さい.(変更可能)
● 消 息
藤田勝男兄(空補本)
残暑の侯主に護られて健康な毎日を過ごしております.さて八月一日付を もって補給本部勤務を命ぜられ無事着任しました.長い間単身赴任を続けて おりましたが久し振りに自宅通勤が出来るようになりました.今後ともよろ しくお願い申上げます.
玉井佐源太兄(松本駐業)
暑中お見舞い申し上げます.この度松本駐とん地業務隊勤務を命ぜられま した.仙台駐とん地第305保安中隊在勤中は公私にわたり有難うございま した.今後ともよろしくお節い申し上げます.
川村安牟兄(旧海軍軍人)
兄の所属しておられる、日基鎌倉雪の下教会の週報から.
大正7年から終戦まで海軍航空技術関係に勤務しその間、上司であった横 須賀伝道義会の花島孝一さんから親切な御指導を受けた.昭和12年ドイツ 出張の直前、鎌倉雪の下教会で 第二種軍装に略綬、短剣の姿で洗礼を受け た.それから四十数年、家内と共に教会の奉仕をしております.
☆ 転勤、住所変更の場合は御一報下さい.
※ 原稿を募集します.論説、あかし、近況、詩歌、写真等お寄せ下さい.
コルネリオ会事務局(JOCU)
東京都東村山市富士見町2-12-34
TEL 0423-93-6902
振替 東京 3-87577
(発行責任者 今 井 健 次)