ニュースレターNo.83

News Letter #83(H9.10)1997年

 

スタートを振り返る(2)    矢田部 稔(コルネリオ会 会長)
 第79号で当会の発会の次第を述べた(発会時の名称は「OCU」)。当会設立の業務を直接的に推進したのは米国留学で刺激を受けた先輩達であった。しかし、当会設立は明治及び大正時代に生まれた二つの軍人信徒グループに負うところが大きい。単に軍人と自衛官という同職域故の親しさではなく、二つのパイプが新しい一つのパイプに結合され、待ちかねた水が流れ始めるのを見るようであった。実際に当の関係者が発会式に出席してその思いを吐露したのであった。私は設立準備に関与しておらず発会式に幸いにも参加できた若輩の身であって、殆どの方とは初対面であり末席でオロオロしていたのであるが、先輩達の喜びと情熱は今も記憶しているし、主の御働きを覚えたことであった。 二つの流れとは、明治32年(1899)設立の「陸海軍人伝道義会」と大正13年(1924)設立の陸軍主計将校(退役)利岡中和を中心とする「コルネリオ会」(我々自衛隊時代のものと区別するために「旧」をつける。)であることは言うまでもない。
  発会式には「陸海軍人伝道義会」出身の千葉愛爾牧師、佐々木親元海軍大佐及び「旧コルネリオ会」の今村和男空幕技官(後に防大教授、今村均大将の子息)の出席があった。当時71才の利岡中和先生は御健康故と思われるが欠席であった。
 さて、利岡先生は昭和46年(1971)に永眠され、我々の「コルネリオ会ニュースレター」第5号(1971年12月)に、「旧コルネリオ会」会員平山鉄次郎氏の弔辞が記されている。また利岡先生については峰崎康忠著「軍人伝道に関する研究」に詳しい。
 ここでもう一度、利岡先生の生涯を辿ってみる。中学生時代に聖公会教会で受洗、陸軍経理学校生徒科入学、第1次大戦に際し少尉で兵站司令部付糧秣倉庫長として青島攻囲戦に参加、帰還後経理学校学生科入学、委託学生として東大経済学部に派遣、その頃退官の意を固め任官11年目に中尉で退官、三菱に入社したが1年で退社、「しるこ」店を経営しつつ伝道に挺身、各地で集会を開きまた各地に伝道旅行(朝鮮満州にまで)、第2次大戦で召集を受け東満牡丹江に派遣、大連に転戦、病を得て内地送還、陸軍被服本廠亀戸作業所所長として再起、召集解除、これまでに夫人・長女・次男を病で失う、終戦、各地に伝道旅行、茅ヶ崎市で永眠。その間「真人横川省三伝」「新約聖書に表われたる軍人信者」「日支事変下に於ける軍人基督者」「ムーデー小話」「歌集 戦争と平和」などを著述。
 このような生活の中から「コルネリオ通信」112号まで(大正12年-昭和16年)及び戦後に「コルネリオの後」39号まで(昭和32年-昭和36年)が生まれたのであり、我々の「コルネリオ会」が昭和34年に生まれ、しばらく独立の機関紙を持てない時代に、利岡中和発行の「コルネリオの後」の数頁を提供してもらったのであった。  私の手許には「歌集 戦争と平和」と「利岡中和遺稿集」がある。私は利岡先生にお会いする機会がなかった。「遺稿集」は昭和57年に茅ヶ崎の御遺族を訪問した際頂いたものである。
 スタートに立ち戻ることは、ゴールを再確認することでもある。

 

RMH(Rocky Mountain High)に参加して 防衛大学校 4学年 木村恒之
 私たち防衛大学校本科学生、木村、後川、橋口、森山、角田の5名とリーダーの長濱研究員の一行は、この夏、8月3日から13日にかけて米国コロラド州のスプリングキャニオンにて行われたサマーキャンプ(RMH)に参加し、貴重な体験と素晴らしい収穫を得る幸運に恵まれました。
 半日近い空の旅を終えて初めて踏んだアメリカの大地は、LA。空の青さに自由の国アメリカを感じました。国内線に乗り換えてデンバーまで3時間、目指すスプリングキャニオンには車で更に3時間。やっとの思いで到着した頃には、さすがに精強(?)な私たちも少々ぐったりしておりました。
 翌日はゆっくり過ごして夜に皆と顔合わせ。陸、海、空軍及び沿岸警備隊のいずれかに属する面々と、10日間寝食を共にすることになりました。
 RMHの一日は、DEVOTIONSから始まります。これは朝食前に皆で集まり、聖書を読み、賛美歌を歌い、神に祈りを捧げる時間です。最初は歌えなかった英語の賛美歌も最後にはすっかり覚えてしまうほどになりました。朝食の後は日替わりの科目(ロープブリッジ、クライミング、トレッキング、バイキングなどなど)を野外で実施し、昼食は前日の夕食時に作っておいたサンドイッチを食べました。ロッジに戻り、夕食の後はEVENING SESSIONが行われました。その日一日から学んだこと、聖書の一節を用いた討論がその内容で、時にはゲストを招いての講話もありました。最後に神に祈りを捧げ一日を終えます。
 RMH最大のイベントは、4泊5日のトレッキングでした。4つのCOOK GROUPSに分かれて山の中でキャンプをし、標高4000m以上もあるエール山に登頂するというものでした。そこで遭遇した大自然の数々、コバルトブルーの青空、冷たく澄んだ雪解け水、静寂に包まれた広大な森には、心が洗われる気がしました。登山の途中でマット君と宗教を巡って議論になりました。私は日本人のほとんどが生まれながらの仏教徒で、死ぬと寺で葬式を行う。また日本古来の神道も信仰しており神仏混合という形を取っていると説明しました。すると彼は何故仏教を信仰しているのか。唯一の神はイエス様と聖書には書いてある。信仰を選択する権利は君にあるのだから、怖がることなくクリスチャンになるべきだと私を説得しました。そこで私は非常に困りました。というのも私は生まれてこの方一度もお経を読んだことがありませんし、毎日祈りも捧げていなかったからです。彼と話していて自分が宗教的なアイデンティティを持っていないことがわかってきました。私は今はただ聖書を学ばせて欲しいと彼に伝えました。彼も少々押しつけがましかったと私にわびました。それ以来彼とは大の仲良しになり、彼は私の聖書の学びを助けてくれました。夜になると満天の星空の下、たき火を囲んでのEVENING SESSIONが行われました。山での生活を通して、分かち合う(SHARE)ことの素晴らしさを学びました。
 RMHを通して、米国の大自然の中で神の教えを学べたこと、新たな米国の友人と交流をもてたことは、私たちにとってかけがえのない収穫でした。これを機にこれからもますます聖書の学びに励んでいく所存です。
■ 解 説     RMHとは    (長濱貴志)
1 Rocky Mountain Highとは
 軍隊において、キリストにあるリーダーシップとは何かを学ぶことを目的とした修養会の一種である。コロラド州ロッキー山脈の麓、米国OCFの修養地であるスプリング・キャニオンでの生活を通して、神の創造の御業に触れ、登山、結束法、渡河、川下り等の野外体験、朝夕の集会・聖書研究等をクリスチャンの仲間と共に行う。これらのことから、霊的な刷新・成長を図ることを目的としている。
2 参加者
 米国士官学校学生、沿岸警備隊、一般大学生で入隊予定者、既に軍隊等で勤務している者、その親戚の一般学生及び防衛大学校学生
3 日 程 8月4日  歓迎会/休息/買い出し   5日  結束法/渡河/テント展張等   6日  登山(日帰り)   7日  登山(ベースキャンプへ)   8日  登頂(イエローマウンテン)   9日  キャンプ地移動/休息   10日  礼拝/個人祈祷/瞑想   11日  下山/装備具返納       /外出・ダンス   12日  マウンテンバイク   13日  ラフティング(川下り)   14日  帰国 (毎朝夕:祈り・聖書研究)
RMHに参加した感想  防衛大学校 3学年 角田正昭
 私にとって今回の海外旅行は初めての経験でした。私はアメリカの広さに驚き、自然の雄大さに感動し、コロラドで出会った人々の親切心に触れ、私のなかのアメリカのイメージが間違っておらず、さらにその上をいく素晴らしい国であるというのが今回もっとも印象深かったことでした。
 コロラドは広大な大地が果てし無く続き、山間部へ行けばゴツゴツとした岩や松の針葉樹がまるで油絵の世界のように広がる、その中で私達はあの素晴らしいMt.YALEに登ってきました。私はあの様な大自然のなかにいることにより今までの自分や、いま現在の自分がどのような存在なのかを考えるようになり、またSOLOという自分一人で祈りをする時間には、聖書を読みながら「ああ、自分はAstray Sheep(迷える羊)なのかもしれないな。」と考えていました。それは以下のことがきっかけとなっています。私達は山に入る前はCamp Baxtonで生活していたときに、私が洗濯室に入るとMaxiemという女性がその部屋で敬虔な祈りを捧げていました。私は話しかけたりして邪魔してはいけないと思ってその場を去りましたが、後で私が思ったことは「彼女はいったい何を祈っていたのだろう。そして、何のために。」でした。そこで私がうらやましく思ったのは彼女たち軍人クリスチャンの人々が心から信ずることができる存在を持っていることでした。彼女たちは軍人としてのプライド以上にクリスチャンとしての自分の存在の確信、生きる意味をそれぞれ見いだしているようで、私が持っていないものを、私が欲しているものを彼女たちは持っていることに気がつきました。
 今回の旅行は確かにすばらしい自然に触れ、普通の観光ではできないアウトドアスポーツができました。けれども私は、言葉の障害は少しあったにせよ、RMHのみんなと触れてしか理解できない体験のほうが重要でした。私達は彼らの自信に満ちた、人生を楽しんでいるような姿勢を見て本当にうらやましく思っていました。
 このような素晴らしい機会を与え、また無事を守られたことを神に感謝します。■

 

イスラエル旅行記(2/2) 檜原 久仁夫(3陸佐)
 今度は、ヨルダンのテレビの話です。  1日5回のイスラム教の礼拝時間になりますと、ヨルダンのテレビは、イスラム寺院の静止画とコーランの朗読を放送します。とても幻想的な画面でした。  また、ヨルダンのテレビでも「ポンキッキーズ」のような子供向け番組があります。その番組の中で、空手の練習のコーナーがあったのです。出演していた指導員も、子ども達も日本の空手着を着ていました。ヨルダンでは、日本の柔道、空手が広く体育教育に取り入れられているとのことでした。ガイドのアキフさんも、柔道の指導員でした。
 イスラエルからヨルダン、ヨルダンからイスラエルと2回国境を越えたのですが、ヨルダンのアカバからイスラエルのエイラートに再入国するときの2回目の入国検査がきわめて厳しいものでした。荷物を一つ一つ開けて、検査します。特にチェックされるのが電気製品です。ビデオ、ラジオ、そして電脳パンツ等を持っていく場合は、あらかじめスーツケースとは別のバッグにまとめて入れておけば、検査受けが楽だと思いました。
 イスラエルのエイラートから、死海沿岸を北上し、パレスチナ暫定自治区のエリコに入りました。エリコでは、アラファト議長の肖像画とパレスチナ旗が多く掲げられています。エリコは、ネボ山とは逆にヨルダン川の対岸のヨルダン領が一望できる緊要地形です。そのため、エリコの最高地点にはイスラエル軍の電子偵察施設が置かれていました。
 エリコの他にも、ベツレヘムがパレスチナ暫定自治区となっており、当時そして現在、ヘブロンの扱いについてネタニヤフ政権とPLOとの間で、話し合いが続いています。  エルサレムでは、主イエスの足跡を辿りました。エルサレムは、聖と俗が交叉するところです。イエス様が十字架を背負って歩かれたビア・ドロローサを歩くと、聖と俗との交叉についてさらに感慨深いものがあります。
 ビア・ドロローサの出発地点に、考古学用のトンネルの出口があります。開通時、イスラム教徒が抗議行動を起こした問題のトンネルです。トンネル出口は、イスラエル軍の2人の警備兵により警備されていました。そのトンネルのコースは、イスラム教徒地区を避けており、決してイスラム教を冒涜するような要因はトンネル自体にはありません。しかし、ネタニヤフ政権の政治姿勢に対するパレスチナ人の異議申し立てが、トンネル開通を契機に爆発したものと考えられます。
 ビア・ドロローサを歩いていく最中も、イスラム寺院での礼拝を知らせるラウド・スピーカーによる告知が響きわたります。  ビア・ドロローサが終わり、聖墳墓教会に至ります。聖墳墓教会は、キリスト教のさまざまな教派の共同管理です。しかし、教会堂の管理に関する教派ごとのさまざまな思惑の違いから、教会堂の門の鍵の管理はイスラム教徒が行っているそうです。 聖墳墓教会の後に、シオンの丘に行きました。シオン門の城壁には、第3次中東戦争のエルサレム攻防戦の際の弾痕がくっきりと残っています。  今回のヨルダン・イスラエルの聖地旅行で、聖書の世界がぐっと身近なものとなりました。イエス様が、本当に俗なる世界に入ってきて下さったことのリアルさを感じることができたのです。
 そして、もう一つイスラム教のパワーに圧倒された旅行でもありました。現代社会が閉塞状況にあると言われますが、その閉塞状況を突破できるのは、イスラム世界ではないかという気がしました。
 さて今後、聖地旅行に行かれる予定の方々にアドバイスです。折角の聖地旅行ですから、その旅行の印象を心に焼き付けたいと願うのは当然です。
 そのために、私はビデオ、妻はカメラという記録の役割分担をして、何とか見たこと、聞いたことを、記憶と記録の両方に留めようと努力しました。
 しかし、今思えば、ビデオやカメラより、テープレコーダーによる声の記録が旅の印象を心に焼き付けるのに最適ではないかと感じました。
 ガイドさんの説明は、書籍や大学の講義より、懇切丁寧で詳細なものでした。その説明を長時間録音すれば聖地旅行の貴重な財産となります。ガイドさんの説明の後に、その都度、自分の感想を録音すれば、これもまた、貴重な思い出の記録となります。 この旅行記が、今後聖地旅行に行かれる方の参考になれば幸いです。
インターネット短信(2)
後藤 茂光先生から Date: Thu, 24 Oct 1996 21:22:00 +0900
 お返事、有難うございました。  早速、御指示通りにやってみましたら、すぐ、アクセスに成功しました。有難う御座いました。仲々、見事なコルネリオ会のホームページを拝見し、敬服したり、嬉しくなったりしています。また、時々、アクセスさせていただきます。
 なお、自己紹介のやりなおしですが、もと海軍兵学校78期生の一人です。そんなことで、何年か前のアジア大会に講師の一人としてお招きいただく光栄に浴したことがあります。1954年末から現在まで牧師をさせていただいています。神学校の教師をしていたこともあります。現在は、筑波キリスト教会の牧師をしています。  これからも、どうぞ、よろしくお願いします。シャローム。
会員等消息
中野正治  航空救難団飛行群司令、航空開発実験集団総務部長等の要職を歴任されましたが、本年8月に定年を迎えられ、退職後は東京電力に勤務されるとのことです。
下桑谷宣教師  しばらく、日本に滞在されておりましたが、9月に再びブラジルに戻られました。滞在中は、コルネリオ会修養会、月例会等に参加、また当会発展のための貴重なご意見を頂いたことに感謝します。日系人移住地ブラジルアリアンサのアリアンサキリスト教会での働きが守られますよう、お祈りいたします。

 

山田伊智郎(2陸佐)  技術研究本部技術開発官(陸上担当)付(9.3.21付)

 

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