ニュースレター39号 1983年12月

ニュースレター39号 1983年12月
☆全能の神
1983年も暮れようとしている。その中にあって全国に分かれてたむろしている未々のコルネリオも、過ぎ行く年を顧み、新しい年に更に向上を目ざしての心構えをしている事であろう。 我々はクリスチャンとして、主の至上命令「すべての国民を弟子として・・・教えよ」(マタイ28:19)の一端をになう者ではあるが、それに専念するものではなく、それに関連した日本国防衛の任務のために召された者であるから、そのためには或いは危険をかえりみず邁進することがあるかも知れない。過去一年を顧みて、そのわざに不十分さを示されたとしても、新年に向ってそれを克服する事が主にあって可能であり、我々が古い誤りから新しく正しい真理に目ざめるために、主は十字架にかかられた事を思う時、新しい勇気がわいて来るのではなかろうか。

 

 主なる神は全能であり、詩篇90篇2~6にあるように永遠から永遠まで神である。それは人の一生に較べて比較すべくもなく、又すべてのものをさばかれる方である。我国に於ては古くから、ユダヤ民族とは異なって誠の神はご自身をお現わしにならなかった。ただ儒教仏教等の伝来によって断片的な律法が与えられ、又神ながらのおおらかさを通して自然の恵みに十分に浴する事が出来た。そして霊的には全能の神の全き導きの代りに、神代以来の先祖崇拝という形を通して霊界をうかがい知ろうとして来た。

 

 人智は有限であるから、人の先祖を猿や単紳胞生物のように誤り考えた時代があったとしても、今や全宇宙の創造者であり支配者である全能の神が聖書を通して啓示されている。

 

 本当のもののある所には偶像はない(第1コリント8章4節)。現代の世界は物質文明が華やかで、とかく物質を偶像視する考えが起こりがちではあるが、人は物質のみによって満足出来るものでもなく、そのようなものを偶像視するのは知恵が足りないと言わなければならない。

 

 我々に取って父母そして先祖は精神的にも霊的にも大切であり、これに頼り尊敬する事は必要であるが、これをも偶像視することではなく、更にそのすべてを支配しておられる全能の神を認めなければならない。

 

 マタイ19:29にあるように福音のために父母を捨てる事は正しい真理ではあるが、このみ言葉は三世代同居を否定するものではなく、又モーセの十戒の中の人に対するいましめの第一である「あなたの父と母を敬え」と矛盾する事でもない。日本人の先祖には更に先祖があり、その先は雲上ではっきりしないが、しかしその先にも祖先がいた事は確かで、それが雲上から降臨したのが皇祖という事であろう。我国に於ては全能の主は聖書にあるアブラハム、イサク、ヤコブの神のようにはっきりした啓示によって御自分を我々の前に現わされなかったが、今や新約聖書の時代に於て、すべての国民の前に御自分を現わされ、我々の進むべき道をはっきり示されたのである。

 

 現代科学技術の発達によって世界中はどこでも指呼の間にあると言わなければならない。

 

 有史以来先祖を同一にする統一国家として育って来た日本国民も今や目を世界に、そして宇宙にまで向けて黎明の中にすべての創造者である全能の神を仰ぎ、大義悠久の中に身を置かなければならない。

 

 新年には太陽は初日の出として再び回って来る。何千方という人達が初詣と称して時を同じくして山に登り、或いは先祖をしたって社に集合する。我々はそこで天を仰ぎ全能の神を讃美し、且つ主が十字架をとおして我々日本民族にも救いの福音を啓示しそ下さっている恵みを思わなければならない。
☆58年度総会および研修会
1 日時1983・11・12(土)1400~1800

 

2 場所 東京バプテスト教会      渋谷区鉢山町9-2

 

3 議題

 

(1)1984年9月AMCF世界大会参加について(場所 韓国ソウル)

 

(2)1984年度役員人事の件

 

(3)その他

 

4 研修会

 

報告 アジア大会(台北) 足立順二郎兄

 

奨励 横山一郎(元海軍少将)

 

 滝口総務の司会で研修会、総会の順で行なわれた。さんび、祈祷に続いて自己紹介によって各自の近況について報告、次に今年二月に行なわれたAMCFアジア大会(台北)について、代表として参加された足立兄からくわしい報告があった。続いて横山一郎元海軍少将による奨励があり、旧海軍時代からの別稿のようなあかしがあった。

 

 研修会に引続いて総会を行い、諸報告ののち、1984年度役員について話合いがなされ、つぎのように決定した。

 

会長 今井健次

 

執事 矢田部稔(幹事)、滝口鹿太郎(総務)、下桑谷浩(会計)、今井健次(兼広報)、小山田光成(渉外)、滝原博

 

 Tokyo Baptist Church牧師Dick Horn先生のご好意によって、この場所で集会を持てた事は感謝にたえない。

 

 御教会の上に主のご祝福豊かならん事を祈ります。

 

〔出席者〕 横山一郎、足立順二郎、矢田部稔、同夫人、堀内侯槌、中野正浩、滝口厳太郎、同夫人、滝原博、同夫人、同姉(五女)、木下孝、小山田光成、志賀正吾、馬谷誠二、下桑谷浩、今井健次、同夫人の各兄姉。
奨励要旨(横山元海軍少将)
 私の父は日露戦争に参戦、第3艦隊参謀として黄海々戦に於て敵弾にあたり、上半身は後部砲塔上にすわり、下半身はかげを止めないという壮烈な戦死をした。母はその後郷里土佐に帰ってクリスチャンとなり熱心な教会奉仕をしておった。

 

私は父の遺志をついで海軍兵学枚に入った。海軍大学枚を首席で卒業したので米国に留学することになり、続いてワシントン大使館付武官となり、野村大使のもと「如何なる妥協も戦争にはまさる」という考え方で努力したが止むなく開戦となった。

 

昭和17年夏交換船で帰国、軍令部の要望で日米会戦の図上演習を行うことになり、私がアメリカ艦隊司令長官という想定で現勢の日本海軍を相手に作戦を建てたが、後日の調べでは米国のとった実際の作戦は私のものと大同少異であった。この演習結果を参考にして戦ったならかなり異なった結果になったと思うが人員の都合でこの演習結果はそれだけのものに終った。その時軍令部次長伊藤整一中将に堤出した報告書には「戦闘には勝てるが戦争に勝つ事は出来ない。戦争の結果は日清戦争の前の状態に戻るであろう」と書いた。

 

続いて巡洋艦球磨の艦長としてインドネシヤに出撃、昭和20年5月海軍少将となりモスクワへ行く予定であったがソ連のビザが取れずそのまま終戦となり終戦処理をする事になった。マニラへの軍使、ミゾーリ艦上の調印式の後、連絡員として5年間GHQで働くことになった。

 

昭25年8月退職、職をさがしたが適当な所がなく米国の貿易商社で働くことになった。ここで海軍時代には全く考えなかった事、一体人 生とは何かという疑問が出たが結論を出す事は出来なかった。その時当時クリスチャンであった長女のすすめで霊南坂教会のクリスマス礼拝に出席したが40年振りの集会で強く示されるものがあった。

 

それから聖書を学ぼうと思い旧新約聖書を通読した。しかしその内容はごちゃごちゃしていてわからないので、その聖書の要旨を書いてみることにした。神の全知全能、創造、支配、人は神の形であること、霊性、愛、自由意志、罪、神のひとり子、神の国、生ける水、十字架の福音、復活、キリストの支配、等まとめてみたが奇跡と復活とはどうしても納得することが出来なかったので、この中に私の苦悩を解決するかぎがあると思ったが洗礼を受ける気にはならなかった。

 

その頃私に新明和工業の社長にならないかという話が起った。これには大変乗気になったが丁度米国の会社の用務で渡米する日がせまっていたので、この旅行の後に返事をする事にして飛行機に乗った。飛行機の窓から見える夜の空には万天の星が輝いていた。宇宙は広大であり空の地平線までしか人間には見る事が出来ない。その地平線まで行ったとしてもそこから更に地平線があるであろう。その時神のみ声を開いたような気がした。「虫けらにも等しい人間に宇宙星空の広大無辺なことがわかるか、わからなければ信じなさい。

 

この時私の以後の人生が決定された。そして洗礼を受けて信仰生活に入ることになり、新明和工業の社長になると社勢が多忙になって信仰が中途半端になるので社長の職をことわり55才の時に受洗した。昭和30年9月18日であった。これから吉田隆吉牧師と共に色々な苦難を共にすることになった。先づ妻をどう導びくかという問題があった。このため家庭礼拝を行う事にした。奇跡的に妻が洗礼を受ける事になり、それに感激して私は当時吉田牧師のもと盛んに行われていたボランティア訪問伝道に参加を申出た。之は自分を捨て自分の十字架を負ってキリストに従う事であった。

 

吉田隆吉牧師を中心とした聖徒教会は霊南坂教会から別れて独立、教職中心、宣教中心、ボランテヤ中心であり一時は1000人を超える教会となった。しかし止まる所を知らない勢は株式会社コイノニアの事業を広げ過ぎて失敗分裂することになった。現在83才であるが新しく東京カルバリー教会を目標に活動している。

 

戦時中神のみわざにより九死に一生を得た事があった。

 

第1は支郡事変で第5水雷戦隊で中佐参諜をしていた時、せまい水路を出ての戦闘 で爆弾が3発命中したが何れも不発であった。こんな事は普通にはあり得ない。

 

第2は太平洋戦で巡洋艦球磨艦長としてセレベス島マカッサルでB24、16機に襲われたが爆弾を受けなかった。戦後米軍パイロットの集会でこの時のパイロットに会い、聞いてみたら当時編隊の中に球磨攻撃に割当てられた人が居なかったという日本軍としては考えられないような状況があったようである。

 

第3は終戦処理でマッカーサー元師の要求でマニラへ飛んだ帰路燃科不足のため海岸線に不時着を余儀なくされた時、いくつもの奇跡が重なって無事帰還することが出来た。主のお導きを感謝する次第である。 (文責在縞集者)
☆出席者自己紹介
・掘内侯槌兄(陸幕調別)

 

 昭和36年受洗、小山台教会、浦和教会へ移り現在はOCUの会合に出ている。最近新しい英語版の聖書が出たのでそれを読んでいる。

 

・木下孝兄(空、入間)

 

 高校生の時から聖書には親しんでいた。教会の籍は百里基地の近くの石岡リベンゼラ教会に属しているが、現在は入間の同盟教団いのちの木教会に出席している。コルネリオ会を知ったのは約一年前で滝原さんが同隊付で来られた時であった。

 

・矢田部稔兄(陸富枚)

 

 横山さんと同じ高知県の出身、現在松戸市にある日基松戸教会に属している。それまでに十数個の教会を歩き、今は日基御殿場教会に客員として出席している。単身赴任で短大2年の娘と高校3年の息子があり、家族は何れも松戸教会に出席している。

 

・小山田光成兄(空資隊)

 

25年前に空自入隊、本年永年勤続の表彰を受けた。16年前に三沢のバプテスト教会で洗礼を受けた。現在は津田沼の保守バプテスト教会の世話になっている。コルネリオ会は1年前の横田基地での集会で知った。同じ部隊に滝原さんや馬谷さんが居るので心強い。

 

・滝口厳太郎兄(空気象本)

 

 満州で生れ小さい時から奉天のメソジスト教会に行っていた。学生の頃は桐生の教会で活動戦後同盟教団に所属した。昭44年町田市鶴川に移り、リベンゼラ鶴川福音教会に所属して10年目に会堂建設が達成された。コルネリオ会には数年前から出席している。

 

・滝原博兄(空資隊)

 

 幸関東勤務が15年になるので、こちらとの交りをさして頂いている。現在筑波学園都市の筑波みことば教会に出席定着出来ると思っている。ここは筑波の研究所の学者達が多い所で話題が少し異なり面白い所だと思っている。

 

・下桑谷浩兄(中病)

 

 昭40年救われ、41牢中央病院でコルネリオ会の集会が武田先生のもとで行なわれ、三宿の官舎に集合していた。その後聖契神学攻に6年間夜学に行い研究科を卒業した。あと二年で停年になるので、その後は福音のために専念したい。

 

・足立順二郎兄(元海将補)

 

 日本福昔ルーテル教団新町教会に所属、現在会堂がないので礼拝は各所を転々としている。近く土地会堂が与えられることになっている。自衛隊では補給の関係をやっていた。

 

・志賀正吾兄(陸幕)

 

 現在陸幕総務部開発科で電子機材の開発に従事している。教会は同盟教団の世田谷中央教会に出席している。

 

・中野正治兄(空入間)

 

 勤務は入間基地の航空救難団です。家族も同じ所に居る。7、8年前沖縄に勤務していた時救われた。現在の教会は木下君と同じ同盟教団いのちの木教会です。

 

・馬谷誠二兄(空資隊)

 

 防大23期、防大の時からコルネリオ会の活動は知っておった。教会へ行ったのは高校生の時からですが、この会に参加したのは始めて、昨年八月青森から東京に来た。今度空資隊で滝原さんや小山田さんと同じ職場になったのは幸です。教会は新宿区のホーリネス教会へ行っている。

 

・今井健次兄(元防大)

 

 終戦後人生の目標を見失っていたが、昭和36年クリスマスに空2佐として土浦試験場に勤務していた時救われた。以後東京および横須賀に動務し、本年四月防大を停年退職、その間日基の小平教会に在籍。主のみ旨を求めつつ行動している。
☆英語をしゃべらずに国際大会に参加する方法
玉井佐源太(陸松本業)

 

 1981年の軍人キリスト者第一回アジア大会に参加させて頂く事ができました。今日になって、あの時に参加を決心して本当によかったと考えております。同年四月中旬と思いますが、同大会が開かれる事についてのお知らせを矢田部1佐から頂きました。参加資格は会の代表という事であり、当時私は入会間がなく、参加希望を出すのも、大変勇気のいる事でした。まして、英語は「書き」「話す」事は駄目。心の中で「希望を出そうか」、「やはり、希望を出して問題を起こすような事はしないでおこう」、という気持が相克します。そんな気持でいるある日「アフリカの象やライオンも荷物として、日本をはじめ世界各地に移動するという事に思いつきました。そうだ、俺達は神の家族として一緒であるから一人でも多く、一つの場に集まり、多くの国の軍人がイエスの聖言を如何に信じているかを体験して、自分の信仰もふり返って見るのも、この機会をおいてないかもしれない。

 

こういう意味で私も会の代表者である。こんな考えに変って参りました。目的地シンガポールまでの往復は、所定の手続きをとればそれ程問題ではないと思われます。早速、勇気を出して矢田部1佐に電話で参加希望を申し上げると共に、参加させて頂けるかどうかもさる事ながら英語ができないで悩んでいる事情を説明致しました。矢田部1佐の御返事は大会への参加は可能であるとの事でありました。言葉の問題の方は、私の決心とか、考え方とか個人的な問題です。その夜、防大、今井教授のお宅へ電話を入れて、今日矢田部1佐にシンガポール行きの希望をお伝えした事、そして、英語能力の不自由について説明致しました。今井教授からは「是非参加しましょう、英語というけれども私だって堪能というわけではない。大勢が一緒であるし、大会でも必要な時は通訳もされる事になっている。それ程心配する事はないではないか等々」との御説明でした。「それ程英語はできない」とおっしゃられても、今井教授と私では、「できないという程度が違う事は分っていましたが、何かしら勇気が湧いて来て大会参加の決心が固まりました。

 

 五月に入りますと、矢田部1佐から海外渡航手続きをとるための御連絡があり、その内容は「軍人キリスト者アジア大会の概要」や、既に矢田部1佐が済まされた、陸上幕僚監部に堤出する海外渡航承認申請書の複写等でした。そしてこれを参考にすれば渡航承認申請が容易にできるものでした。その他戸籍抄本や写真の準備は急ぐ必要がある事、そして渡航手続きは、東京、神田の「富士トラベル社」に依頼された事等、細部の御説明がなされていました。こんな事情から私も必要な事は総て矢田部1佐に「右へ揃え」をすることにして、難なくスムースに、シンガポール航空機に乗る手続きが済み、気がついた時は、武田先生御夫妻、今井教授御夫妻、矢田部1佐、滝口2佐御夫妻、滝原3佐、私が成田空港に集合しておりました。特に滝原3佐夫人と御嬢さん方の御見送りが華やいだ雰囲気をつくって下さいました。

 

 飛行機に乗ってしまえば、もう、こちらのもの一路シンガポールです。チャンギ空港の玄関に立ってみますと、シンガポールOCUの皆様方の温かく、明るい出迎えがあり、それぞれOCU会員の御宅に割り当てられて大会の前日までそこで御世話になりました。

 

 滝原3佐と私は同宿でシンガポールを離れるまで一緒に行動致しましたが、滝原3佐の英語力と細心の御心遣いが私を大変助けて下さいました。帰りは往路の逆を反復し無事シンガポール航空機から成田空港に降り立った次第です。

 

 丁度チャンギ空港に到着し玄関口に出たのは八月七日の19時頃で、独立して数年という国家の真夏の夜の国際空港、あの羽田空港の夜景にも劣らない気麗さで、広い道路と南国の街路樹の珍らしさを加え、生き生きとした近代的な息吹きが感じられました。教会を訪問しクリスチャンとの交り、ナショナルディにおける国軍創立記念式典の見学、チャイナタウンの買物、日本の首相官邸と比較してシンガポール首相官邸の広さに感心させられたり、今までに写真や絵でしか見たことのない色々な情景を目のあたりにし又体験する事ができまもたのも大きな収獲でした。

 

 ローヤンキャンプでの大会中は説教、講演、説明等の主なものは在日米軍横田基地のミーコ中佐の御厚意によって通訳され、はとんどの内容を自分のものにする事ができました。又、言葉は違っても聖書は共通、みことばの章、節、行を追って、なんとか皆様について行く事ができたものと自分だけで納得している次第です。

 

 国家の異なる人々が、短い期間ではありましても共に生活し、神の恵みを分ち合い、信仰について影響し合えた事を堅く信じております。8月14日までの期間中、色々な信仰の姿や会話や行為を見る事によって、世界やアジアの時代の流れや臭いのようなものが私なりに感じられ、帰国してからも、新聞、雑誌、テレビ等の報道内容について、自分としての捉え方が変った事に気付きます。「百聞は一見にしかず」とは良く申したものです。

 

 最後にシンガポール行きを決心するまでの危倶についての結論として、現在の心境は「なあに、何とかなるさ、実行する所に意義が生まれるんだよ。」こんな感じです。唯、この文章を滝原3佐が読まれたら「玉井はなんと他人の思い遣りや、親切を理解しないのか」と嘆かれるかもしれませんが、それはそれとして、御勘弁を頂き、この次の機会に若しこのような事がございましたならば、私のために再び御苦労頂く事をお願い申し上げて筆をおきます。
☆日本古典考(II)     今井健次(元防大)
4. 日本の神々

 

 古事記の上巻中巻には男女多くの人物が登場するが、その個有名詞の最後には神とか命とかがつけられている。そして中巻ではその命のうちから正統系図の継承者が天皇となって日本国の皇統を継承している。滋来天皇が皇統の継承者として現天皇にまで及んでいる。天皇については一時国民精神統一を目的として神格化された時代もあったが、第二次大戦後はいわゆる天皇の人間宣言によって超人的要素は取りのぞかれ人間自然の姿として我が国民の首長としての存在となり、法制上も国民の象徴という立場となった。天皇を国民の首長として尊敬する事は当然の事ではあるが、しかも天皇は人間であり、人間以上でも以下でもない事の理解が根本であろう。古事記は一人の人間稗田阿礼の記憶する所を太安万呂が撰上したものであるから、その記憶能力には当然限界があり、それを越えた部分でほ史実として不確実であると言わなければならない。下巻については概ね歴史として認められるとしても中巻の始の方になると史実としての裏付けはとぼしくなり、上巻に到ってほ考古学的にも殆どそのあとをたどる事が出来ない。

 

 神、命の名称が天皇の名称に変るあたりが一つのぼんやりした境となっているのではなかろうか。日本の歴史は皇位継承を重視し、従って有史以来皇統は連綿として切れた事がなく、それだけにいわゆる国民の本家に対する憧憬と尊敬とは極めて厚く、又本家である天皇家の国民に対する応待も概ね首長にふさわしく民を愛する政策を取って来たのが日本の現在までの歴史と言うことが出来よう。

 

 これから民が偉人であった祖先の死後を霊的な存在と考え神という名で祭り、自分達の守護者として死後も理想化された姿として尊敬の対象として来た。それが日本の神々であろう。従ってそこには生前の活動と支配力の余韻を期待するものがあり、一概に偶像として排撃すれば足るというものではないように思われる。しかしその点が後世の国学者や宗教者によって、神道という宗教的偶像につくり上げられたという事で、古代からの民は天地の創造主を知ることがなかったので、その先が不明確であったものと思われる。全能なる天地の創造者なる聖書の神の存在に気がつけば、日本の神々が聖書の中に組入れられていること、即ち詩篇82篇の神々は丁度日本の神々に相当する事がわかる。

 

 その点に着目して盲事記上巻を読めばその円滑な理解が可能であろう。

 

5. 建国のはじめ

 

 古事記のはじめの序の部分によると、「いかなる時代においても、すべて天皇の御事業は、過去のことがらを参照して、今の時代を明らかにし、教化道徳の衰えたのを正しく起し、五倫の道の絶えたのを後興するという、これ以外にはなかった。」(福永武彦訳)とあり、この事を明らかにすることが古事記執筆の目的であったとされている。

 

 従って歴史的によくわかっている事柄については歴代天皇の行跡について、事実について記載されており、下巻は主としてこの方法によって書かれた。しかし史実的にはっきりしない部分については、史実そのものよりも、各時代の指導者の徳に着目した建国について記載されている。そして建国のはじめについては、その人的要素と共に国土の成立についても、共に理想化された形として神という名称を用い、その建国の記述がなされている。執筆を時代的に考えるならば、当時中国大陸に於ては儒教、仏教、道教等が盛んであり、又近東メソポタミアに於ては、イスラエル、ユダの両国が滅亡してそれらの民は補囚として各地に分散させられていた。これらの選民と言われる人達によって、モーセの五書を始め旧約聖書の啓示文書が世界に侵透したであろうことほ想像に難くない。

 

 古事記には始めに陰陽のことが取上げられ又、創世記の天地創造に近い事が取り上げられている。しかしこれらは筆記者の信仰としてではなく、先代の旧辞や皇帝の日継からの撰緑であるとされている。記者の言わんとする所は、一族からなる指導集団が生まれ、国土を策定するまでの事情を理想的な国造り物語として後世に残すことにあったので内容の神秘的記載を事実化しようというものではない。寧ろ後世の神学者が宗教的必要からその内容を信仰として取上げるよう解訳している場合が多い。 (つづく)
☆外国通信
1.韓国OCU

 

 来年9月27日から10月3日までの間韓国ソウルで開催される1984年AMCF国際大会についての招待および依頼の手続きが前後2回来た。

 

 これに対しJOCUのNational Reportおよびコルネリオ会前会長武田貴美元陸将のメッセージを送った。なおこの大会への日本からの出席予定者概数を15名として通知した。人員には余裕があるので出席希望者(家族同伴歓迎)は役員まで申出て下さい。

 

2.ノルウェーMCF

 

 ノルウェーのクリスチャン軍人の会であるMCFから会誌と共に英文説明書が送られて来た。これによると会員は陸海空合同であるが海軍の人は少なく、来年度にはこの方面に活動したいということ。

 

 会員が一番多く集まっているのは首都オスロー周辺で、この近くには25人のContact Officerがいて活動している。陸海軍の祈り会が出来たのは1851年であったが、それからしばらくは低調でありAsle Enger現会長のもとで活発となり1980年の英国スワニックでの第8回国際AMCF大会に始めて参加祝福を受けた。それから1982年に第一回の国内大会を開き、以後機関紙FOKUSの発行を行っている。北部旅団長が最近ノルウェーの新開に「我々は毎年5000人の平和のために働く者を教育している」と書いている。又「平和」という言葉でつぎの三つの意味を示している。

 

(1)平和とは戦争がないこと。

 

(2)平和とは自由、正統および人間の権利をもって互に結び合うこと。

 

(3)平和は神により神の愛によって我々すべての人達に与えられるものである。

 

3.ペルーキリスト者軍人福音協会(ACEM)

 

 南米ペルーACEMのC. A. Reyna兄から会報と共にスペイン語の手紙が添えて送られて来た。解読出来ないのでほん訳してもらって、英文で返事を出した。国際AMCFのニュースレターによって日本のOCVおよび自衛隊を知り、交歓を求めてきたものであり、我々のために祈って下さり、又、ペルーACEMのためにも祈るようにとの依頼があった。そのためのお祈りをお願いする。

 

4.インド福音協会  インド福音協会に馬するMatthew中佐から、インドに於ける食料事情の悪化から餓死者の多い事について写真入りパンフレットによって救済を求めている状況を知らせて来た。インド国内各地に定常的に多数の餓死者がいる由である。コルネリオ会としてもそのために祈り、又我国に於ても救済のための適切な行動が起されるように祈りたい。
☆転動、住所変更の場合は御一報下さい。

 

☆原稿を募集します。論説、あかし、近況、詩歌、写真等お寄せ下さい。

 

コルネリオ会事務局(JOCU)

 

東京都東村山市富士見町2-12-34

 

TEL0423-93-6902

 

振替 東京3-87577

 

(発行責任者 今井健次)