ニュースレターNo.82

News Letter #82(H9.6)1997年
私の神論
私の中の神(今井 健次)
 私がまだ未信者だった頃、約40年の間は普通の日本人と同じ神観念を持っていたと思われる。クリスチャンになっても直ちに全能の父なる神を知ったわけではなく、その後聖書を学ぶことによって徐々に全能の神を知ることになった。
 私の子供の頃の神のイメージについては偶像論(1)(コルネリオ会ニュースレターNo.76)で述べたように、父が信じていた仏教特に法華教の影響が強かったようで、私の中の神(又は仏)と言えば、目をつぶると頭の中に浮かんでくるのは頭の丸い法眼をつけた仏像に近いイメージであった。成人するにつれて学校教育を通して、また周囲から入る教養を通して色々な神様を知るようになった。授業の学びを通して儒教の影響が入り、日本文学、日本古典を通して八百万の神々やいわゆる日本的精神土壌と言われるものが入ってきた。しかしそれらが祭られている神社のご神体には色々な物体が神々の象徴として存在していた。それらの影響によって私の中の丸い方の形がだんだん曖昧になって行ったが、その他の神々がそれに入れ替わると言うことではなかった。
 多神論とか汎神論とかいうのは後に宗教論として学んだので、それによって私の心の中の神が大きく変わるということはなかった。神に対する祈りの内容は主として自分のことが多かったが、例えば入学試験合格を願うときには、近くの立派な神社を通して祈った。特にその神社のご神体に対してというよりも、神社に祭られている偉人の昔の能力にあやかってその能力を分けて頂きたいということなので目をつぶればやはり頭の丸い自分の神のイメージがあられわたように思われる。学生時代に長く病気をしたがそのときも治癒を神に祈るというよりも、医者や先生や周囲の人の好意にすがるということであった。

 

 前大戦中私も技術士官として従軍したが、ここで先ず要求されたものは努力で、心を尽くし全力で投球するとき、その職務を果たすことが出来たし、上級者の心に合わせて合理的努力をすることが重要で、それ以上神に願わなければならないことは希であった。勿論皇祖皇宗や天皇は神ということであったが、神風が起こるわけでもなかったし、天皇は軍人の大元帥なので、すべての指令や物的給与はそこから出て来た。しかしそれ以上の大きな力があるとも思われなかった。自分の周囲でも戦争で命を落とした者が多くなってきたが、自分の使命の中に生きるだけが精一杯で、祈りによって助けられようとも思われず、最後は死があるだけだと思っていた。終戦になって命が助かったことは認識したが、それからの身の振り方についてはもう頭の丸い方に頼る気力を失っていた。ましてやこれ以外の神に願うという意欲も信頼もなかった。そこには霊的なものは失われて、それらは偶像でしかなかった。その頃各地に米国からキリスト教の宣教師が来て、通勤途中の駅の広場では屋外伝道が盛んに行われていた。キリスト教については多少の知識はあったが、その熱弁は遠くから聞いているだけであった。
 その頃結婚したが家内の両親はクリスチャンであった。子供が生まれて大きくなり幼稚園に行くようになったが、それが教会付属の幼稚園であった。日曜日には家内が子供たちを連れて教会に行ってしまうので自分は一人になった。その頃から私もキリスト教のことを知りたいと思って日曜日には別の教会に行くことにした。ある日の説教で「求めなさい。そうすれば与えられます」というみ言葉があった。そんなうまい話があるだろうかと思い、或る願いをすることにした。この願いは達成するのに数年を要し、その間転勤のこともあったが、不思議にその願いが次々と目標に近づいていった。
 そしてそれが達成される頃には私はイエス様の愛で雁字搦めになっていることに気がついた。そしてイエスの十字架を信ずることによってクリスチャンになることが出来た。そのとき私の心の中には、最早神の姿はなく、聖書の知識だけが次々とは入ってきた。そして父と子と聖霊の三位一体の神が概念として心を占め、特定の形の神をイメージとしてみることは出来なくなった。人は神の形に造られたが、逆に人の形から神の像を仰ぐことは出来ない。逆は必ずしも真ではないという法則を納得することが出来た。

 

1997年度 修養会 報告
主題:「み言葉に仕える」     
期間:6月7日(土)~8日(日) 
会場:防衛大学校5号館及び走水荘

 

実施内容
1 総 会
 会則の規定に基づき総会を実施し、以下のことについて決定及び申し合わせが行われた。総会に出席できなかった会員で決定等(役員人事を除く)に異議がある場合は、本ニュースレター到着後1ヶ月以内に文書にてご連絡下さい。

 

(1)役員人事
 会 長:矢田部 稔 副会長:石川 信隆
 総 務:中野 久永 企 画:圓林 栄喜
 会 計:今市 宗雄 渉 外:滝原 博
 広 報:山本 浩、檜原 久仁夫、今井 健次
 会計監査:滝口 厳太郎
(2)ニュースレター発行
  年3回(2月,6月,10月)を基準として発行する。
(3)1996年度会計報告及び1997年度予算
  会計報告及び予算案が承認された。今年から新たに予算を設定することとした。内容は後述。
(4)シンガポール大会への代表派遣
  代表を派遣する方針を確認した。
(5)各方面への連絡
  関東以外の会員に向けて、コルネリオ会の活動状況等を、できる限りテープ等により連絡していくこととしたい。
(6)防大聖書研究会
  石川兄、徳梅牧師の指導により多くの学生等が集っている。今後も防大聖研を継続する。
(7)ロッキーマウンテンハイへの参加
 8月に、長浜兄をリーダーとして、防大の学生5名が、アメリカに於けるロッキーマウンテンハイへ参加する予定。彼らの上に主の守りと多くの恵みがあるように、お祈り下さい。

 

2 学 び
  「フィンチ先生の遺したもの」と題して、エステラ・フィンチ(日本名星田光代)師に関する貴重な記録を矢田部会長により講演していただいた。
3 証し会
  4月に受洗したばかりの岩切兄(防大3学年)、新婚で幸せ一杯の圓林姉、ブラジル宣教の地から一時帰国中の下桑谷牧師の証により、祝福がもたらされた。
4 聖日礼拝
  10時30分から、馬堀聖書教会の聖日礼拝に出席。徳梅牧師による、 「溢れる恵み」と題しての説教、聖餐式が行われた。礼拝後、矢田部会長から、コルネリオ会への今までの支援に対し、お礼の言葉が申し述べられた。
5 曹源寺見学
 ミス.フィンチの眠る曹源寺に赴き、師の面影を偲んだ。
6 修養会出席者
 石川信隆・夫人、今市宗雄・夫人、岩切主税、圓林栄喜・夫人、角田正昭、下桑谷浩師、滝口厳太郎、滝原博・夫人、中野久永、矢田部稔・夫人、 山本浩、吉田靖の諸兄姉
インターネット短信
 昨年7月開設に、ホームページを開設致しましたが、ホームページを見て頂いた方はまだ2百人程度と少なく、感想等を電子メールで寄せてくれる方もあまり無いのが現状です。内容についても、なかなか充実を図れませんが、今後も少しずつでも良いものにしていきたいと思っております。
 そんな中で、感想を寄せて下さった方のメールをここに紹介します。前畑麗奈さんから
Date: Tue, 29 Oct 1996 11:16:21 +0000
 NTT からのリンクでJOCUのホームページを拝見いたしました。私はロサンゼルス在栂日本人です。日本でも、自衛隊の方々にクリスチャンがいると知って、神の偉大な力を改めて感じております。日本は他の国に比べても、信仰心があまり無い国だと感じておりました。しかし、このホームページを見て、本当に感動しております。これからも貴殿のグループを通じて、一人でも多くの日本人が真実を知り、救われることをお祈りしております。ちなみに、私は、ロサンゼルスはベルエアーというところにあるPresbyterianの教会のメンバーです。もう16年以上アメリカに住んでいるので(現26歳)日本語にはあまり自信がありません。特に、神様の話をするのにはやはり英語のほうが楽ですが、私で何かできることがございましたら、いつでも電子メール下さい。God Bless!       ■