ニュースレターNo.62

News Letter No.62 1991年6月
湾岸戦争
 世界中の人々の熱心な祈りにも拘らずついに湾岸戦争が始まってしまった。戦争の実態がどのようなものであるかは多くの日本人、特に高齢の人達は色々な形で実感していることであろう。目につくのは膨大な物質的浪費、想像を絶する精神的苦難、平和時では考えられないような残忍、非人道的な行為、大規模な環境の汚染、これらに歯止めをかけるものは、僅かにある国際法と国際条約だが、これらも背に腹が換えられない場合には無視されるかも知れない。国際紛争解決の手段としてこの進歩した時代によい方法はないのだろうか。ここに湾岸戦争の一日も早い終結が望まれる理由がある。今回の戦争は国連加盟国による米国を主体とする多国籍軍が警察軍的な考え方としてイラク国に攻撃をかけたものと言えようが、この停戦仲裁の処理について日本が何らかの主導権をもとうとすれば世界の信仰的基盤について考察しておく必要があろう。旧約聖書によれば始めに神は天地を創造されて、最初の人を造られ、男を造られ、そして女を造られた。現代の人類はその子孫であるという。人は罪のゆえに神から離れ亡びに向かって進み出した。神はそれを哀れみ救いのわざを計画された。先づ一部の民を選んで選民とし、それに予言者を通して神のみ心を啓示された。それが旧約聖書である。その中のモーセの五書には神による戦争の指示があり、その時の行動についてくわしく書いてあるが、それは全能の神の直接啓示であるから誤りはないであろう。しかし神の子イエスがこの世においでになることによって、神が直接人に語るのでなくイエスの十字架によって総ての人類の進むべき愛の道が整えられた。これが新約聖書である。旧約聖書の成就であるこの新約聖書によると神はもはや戦争の時期や方法を直接示されることは無く、むしろ人は互いに敵視しないで愛し合うべきことが示されている。
 旧約聖書によればアラブ民族は先祖がアブラハムであり、その庶子イシマェルの子孫である。従って元々は選民の出身であるが間もなくカナンの地を離れて四散した。そして七世紀にその指導者マホメットがコーランを正典としてイスラム教を始めた。アラブ民族は長らく選民としての生活から離れていたので、このイスラム教の神も聖書のアブラハムの神とはかなり違ったものとなり、正典のコーランも『目には目を歯には歯を』というような、新約聖書とはかなり異なったものとなっている。

 

 現在の世界の三大宗教はキリスト教、イスラム教、仏教であるが、この第三の宗教である仏教についても、その成立は古く正確な考証はないが、その倫理的哲学的内容には旧約聖書の思想内容と近似な部分があり、メソポタミヤ地方からの文化の交流による影響も考えられるので、その意味からは天地創造の全能者の息がそれらの民の上にも及んでいると言えるのではなかろうか。以上の事から全能の神のみ心は世界各国がその利害によって互いにさばき合うことではなく、終わりの裁きは主に委ねて和解すべき事を求めているのではなかろうか。歴史的に見ると中世に於ける十字軍、ヨーロッパ近代国家間での戦争、そして第一次第二次の世界大戦を通して行われて来た戦争倫理は聖書的信仰から見て果して正しいのであろうか。十字軍についてはとかく美化されやすいがヨーロッパ諸国ではこれに対する反省は無いのであろうか。第一次第二次の世界大戦の和解に当っては米国が大きな役割を果したが、この処理に問題はなかったか。世界に多数を占めるキリスト教国の立場から見て真に正しい聖書理解からの判断でなければコーランの正義観を正しく批判することは出来ないのではなかろうか。

 

 第二次大戦後に出来た日米合作とも思われる日本の平和憲法は、始めはこの世離れした規定のように見えたかもしれないが、半世紀の施行期間を過ぎて実験の時代を終わり、その結果は世界の注目を浴びるような好成績と言えるであろう。この事について当事者である日本人はあまり気が付いていないようだが、しかしこの平和憲法を守って来た日本の出方について注目している国々は多いのではなかろうか。社会生活をするのに警察が必要だとすれば、国際関係においても警察軍が必要かもしれない。しかし警察軍は西部劇の保安官よろしくすぐ武器を抜くのではなく、もっと適切な取り締まりの方法を見出すべきではなかろうか。日本の警察の慎重さは参考になるのではないか。戦争を規定した国際法にしてもこの機会に更に検討してはどうであろうか。我国には古来『正宗の銘刀は抜いてはならない』という諺があり、磨いた技による無手勝流は武士道の奥義である。(ここに自衛隊の意義がある)科学の進歩したこの時代に先端の技術を制限なく戦争に使用すれば地球は破滅する。これらを使用しないで国際間の紛争を収める方法を案出しなければならない。              (今井健次記)
1990年AMCF国際大会
 1990年AMCFアジア大会が11月28日(水)から12月1日(土)までシンガポールで開催された。参加国はオーストラリヤ、ブルネイ、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、スリランカ、台湾、カナダ、英国、米国、シンガポールで、外国人107名、シンガポール人80数名が一堂に会して四日間にわたって、礼拝、聖書研究、セミナー、祈祷会、報告会、市内観光歓送迎会等多彩な行事が行なわれ、最終的にはホームステーがあり大きな祝福のうちに終了した。コルネリオ会からは今井会長夫妻、矢田部副会長夫妻が出席した。

 

シンガポール戦没者記念墓地で
矢田部和子(元陸将補夫人)
 90年11月28日から12月1日まで開かれたコルネリオ会のアジア大会に参加のため、その前後を含め主人とともに一週間シンガポールを訪問しました。私がコルネリオ会の国際大会に参加するのは、80年英国・86年東京・89年韓国大会に次いで4回目でした。どの大会でも、主にあるキリスト者の国を超えた交わりは、大きな恵みと励ましが与えられ、喜びに満たされるものですが、今回もまたそのことを感じさせられました。が、ここでは、その会のことではなくシンガポール滞在中に感じた別のことを書きたいと思います。
 この会が担当国で開かれますとき、他国からの参加者は大会の前後その国の会員の家に宿泊し、その家族との交わりを深め、また彼らの教会の礼拝に一緒に参加するのを常としています。私達がお世話になった家庭は、9年前同国でこの会が開かれた時に(私はこのとき不参加)主人が宿泊させていただいたタン・ハン・キー氏宅で、当時新婚のタン氏も現在は3人のお子さんがおられ、機甲旅団長の要職に着いていました。
 大会前日に到着してタン氏宅で泊めていただき、翌日は大会が始まるまでの半日、タン氏が各地を案内してくださるとのことでタン夫人、お嬢さん達と一緒に私達は出かけました。最初に立ち寄ったところが、1939年から1945年までの戦没者を記念しているクランジ英連邦戦没者記念墓地でした。なお、後で知ったことですが、日本の横浜市保土ケ谷区にも英連邦戦死者墓地があるとのことです。
 国土の面積は淡路島くらいと聞きましたが、市の中心部を北方へ抜け、緑したたる風景の中を、合間にブーゲンビリアが咲き乱れるなだらかな起伏の道を走り約1時間で墓地に着きました。小高い丘全体が墓地になっていて、門を入ったところに、「ここは観光場所ではない、戦没者を記念する墓地である」と英語、中国語、ヒンズー語、マレ一語等数種の文字で書かれています。高さ約50cm、横約30kmの墓石が将棋の駒を並べて立てたように整然と20基1組となって丸い丘の中腹から上へ丘全体を巡るように建てられています。私が見たところ約2、000基と思いましたが後で聞くとその何倍もの数とのことでした。墓石には戦死者の氏名、生年月日、戦没日、聖句が刻まれています。まれに十字架の印が無い墓石があり、これは彼がキリスト教でなかったことを示すものと思われます。墓石の前にはガーベラ、松葉牡丹、金魚草、都忘れのような花々、或は少し背丈のあるハイビスカス、芙蓉等花をつける木などが咲き競い、常夏の濃い緑と色とりどりの花、深い静かな空との調和は、真に戦没者を記念するにふさわしいものでした。
 丘の最上部には大きな陸橋とこれを支える壁状の脚のようなものが建てられており、壁面は人間の背丈の2倍くらいのところまで大理石で出来ています。その大理石には軍隊の部隊別戦没者名が刻まれています。イギリスの植民地として100数十年を過ごしたシンガポールには従来からのマレ一人、中国人などに加えインド人、イギリス人も大勢居住し、彼らは英領下に生活し、日本との戦争において、これらの中国人もインド人も英軍兵士となって戦ったのです。そのほか、豪洲などからも応援の兵士がやってきました。
 丘陵最上部の記念碑前面に、入り口と同じ数種類の言語で「They died for all free men」、「為一切自由人面死」、(ヒンズー文字などは私のワープロにないので書くことが出来ません)と刻まれています。日本語にすると「彼らは全ての人々の自由のために死んだ」と言うことでしょうか。
 イエス様は、私達に自由を得させるために来られたとルカ4:18に記されています。全ての人のために死なれたとⅡコリント5:14に記されています。第二次世界大戦で日本軍が侵攻を始めた当初、一部の人は100数十年間の英国支配から解放されるとの期待があったとも聞きますが、記念碑の意味は、3年半の間日本軍に占領されていたシンガポール(「昭南島」と改名されていた)やマレーシアが日本の支配から解放される戦いにおいて英連邦の軍人が尊い犠牲となったことを意味します。
 マレーシアの一部であったこの島は、日本の敗戦で英領に戻り、その後マレーシア国が独立し、更にマレーシアからシンガポール国として分離独立して今日に至っています。この国は、英連邦内の独立共和国として25年、自分達の手による政治でアジアの新興工業経済国として、観光国として、着実に繁栄しています。私を含め多くの日本人が観光に訪れます。
 あのとき、この島の多くの人が英連邦のため積極的に日本軍と戦ったのでしょう。しかし、前途ある若者が戦で命を落とすことは真に残念なことでした。中には無意味なもので犬死のようなものだと思った人がいたかも知れません。戦没した方の全てが「全ての人々の自由のために」の意識をもって戦ったかどうかは判りません。大きな時代の流れの中でその立場に立たされた人間のせざるを得ない、歩まざるを得ない道であったと云うことでしょう。しかし、そこに誰にもそのときには判らなかった神様のみ心がありました。Iテサロニケ1:4によると「神から選ばれた」者として、この墓地に眠る幾多の霊は記念されているのです。これは戦争を美化して云うのでは決してありません。何故なら戦争は罪の凝縮されたもので戦争自体が罪であると思いますから。戦争は人間の罪によって引き起こされるものです。しかしその中に巻き込まれてしまう人間に対し、神様はそこでも救を備えられ大きな祝福にあずかる道を与えて下さいました。  「They died for all free men 」私は石碑に刻まれた文字を手帳に写し取って、丘陵に整然と立ち並ぶ墓石と穏やかに浮かぶ雲を見ながらしばし佇み、ここに眠る英連邦軍人達のことを思い、またこの墓地には直接関係はありませんがこの地で亡くなった日本軍人のことを思い祈りました。
   常夏の 丘に並びし 幾千基       自由のために 死すと記され
   コルネリオ会集会報告
 1.10月定期集会
  日時 平成2年10月27日(土) 15:00~17:00
  場所 東京新宿区大久保
  実施事項
  1.奨励 今井健次兄 「ヨシュア記 23章」より
  2.Maddox師 歓迎の件
  3.話合い
   参加者    矢田部稔、中野正治、長橋和彦、長橋晴子、今井健次の諸兄姉

 

 2.Maddox師歓迎会
  ニューオータニホテルのチャペルの元宣教師であられたDon Maddox先生と夫妻が来日されたので、11月10日(土)市ケ谷のレストランで昼食会を開き旧交をあたためた。出席者つぎのとおり
   矢田部稔、石川信隆、滝口巌太郎、滝原時、同夫人、小山田光成、寿円正巳同夫人、武田妙子、今井健次の諸兄姉

 

 3.11月定期集会
  日時 平成2年11月17日(土)15:00~17:00
  場所 東京新宿大久保
  実施事項
   1.奨励、 中野正治兄 「ヨシュア記24章」
   2.話合い
    出席者    矢田部稔、下桑谷浩、中野正治、小山田光成、今井健次の諸兄

 

 4.12月定期集会
  日時 平成2年12月15日(土)15:00~17:00
  場所 東京新宿大久保
  実施事項
   1.奨励、 石川信隆兄    「1サムエル 1章」
   2.クリスマスソングを歌ってクリスマスケーキで祝う。
   3.シンガポール大会の報告、話合い、
    出席者    矢田都稔、石川信隆、宮岡修二、滝原博、今井健次、今井倫子の諸兄姉

 

 5.1月定期集会
  日時 平成3年1月19日(土)15:00~17:00
  場所 東京新宿大久保
  実施事項
   1.奨励、 滝原博兄    「1サムェル 2章」
   2.消息(Petition氏、Meek氏、河本中佐)
    話合い
    出席者    矢田部稔、滝原博、同夫人、今市宗雄、中野正治、今井健次、同夫人の諸兄姉
   会計報告 (1990年1月~12月)
 収入の部           (単位:円)
  前年度の繰越金      1、005、711
  献    金         240、400
     計         1、246、111
 支出の部
  ニュースレター発行費     90、000
  新聞広告料          40、000
  防大聖研講師謝 礼      10、000
  定期集会費          30、000
  臨時集会費          24、720
  通  信  費        22、820
     小計          217、540
  次期へ繰越        1、028、571
     計         1、246、111

 

 繰越金のうち\800、000は定額貯金

 

@献金者氏名(敬称略)
 矢田部稔、滝原博、武内哲史、森田忠信、今村和男、谷岡博志、吉江誠一、坂野光昭、斉藤孝、久恵、武田妙子、天野清、蔵谷三郎、山田伊智郎、北川政雄、宮越明彦、関六郎、宮岡修二、武野仁司、篠田肇、寿円正巳、井上淑、石川信隆、コルネリオ会修養会、島田修、松山暁賢、伊沢動、納谷憲正、小山田光成、藤田勝男、飯塚正実、海野幹郎、鮎川英男、岡村紀子、三上俊弘、荻原洋聡、横谷道三、高畑章、花盛動一、足立順二郎、今井健次、中野研精、若葉キリスト教会、小森邦治、大浜亮一、高橋恵、石井克直、滝口巌太郎

 

下桑谷浩宣教師基金    (単位:円)
 収入の部
  献 金         196、000
 支出の部
  下桑谷浩宣教師へ    100、000
 残額の部
               96、000

 

◎ 献金者氏名(敬称略)
  矢田部稔、滝原博、武内哲史、蔵谷三郎、斉藤孝、久恵、吉江誠一、谷岡博志、今村和男、森田忠信、武田妙子、坂野光昭、天野清、宮越明彦、宮岡修二、横山一郎、武野仁司、島田修、松山暁賢、鮎川英男、海野幹郎、伊沢動、小山田光成、藤田勝男、石川信隆、市川武功、岡村紀子、三上信広、荻原洋聡、高畑章、足立順二郎、今井健次、中野研精、小森邦治、高橋恵、大浜亮一、滝口巌太郎             (会計係:石川信隆)

 

    コルネリオ会事務局(JOCU)     東京都東村山市富士見町2-12-34       TEL 0423-93-6902
     郵便振替 東京 3-87577        (発行責任者 今井健次)