ニュースレターNo.79

News Letter #79(H9.10)1996年10月
§スタートを振り返る(1)
     矢田部 稔
 この度、本紙の編集発行の体制を改めることになったが、この事と関連して所感を述べたい。
本会は1959年5月23日(土曜日午後)に発足した。私は幸運にもその発会式に参加した。姫路部隊に配属される直前であったが、幹部初級課程学生として前年10月からこの年の6月まで静岡県の富士学校におり、参加可能範囲に位置していた。キリスト者自衛官として、この会の趣旨に大賛成であり喜んで参加したが、3陸尉25才の私はこの発足に関して何の寄与もしていない。諸先輩が労してくださった。
 会場は、渋谷の日本キリスト教団美竹教会で、そこでお会いした多くの方のうち、既知であった方は防大時代からお世話になっていた千葉愛爾牧師、佐々木親元海軍大佐のお二人と副会長の清水善治2海佐くらいで、その後長いお付き合いとなった初代会長吉江誠一陸将補、副会長(副会長2人制)故武田貴美1陸佐とはそこでお会いしたのが初めてであったと思う。
 美竹教会は、武田氏が属していた教会であり、そこの浅野順一牧師はカソリック吉祥寺教会の安田貞治神父とともにコルネリオ会顧問に就かれたが、いずれも出席ではなかったと思う。
 発会式の内容は、記録によれば、第1部礼拝、第2部議事、第3部祝会懇談となっており、第3部で米人宣教師ウイ リアム・ペイプ氏がOCUの歴史について、佐々木氏が英国OCUと日本陸海軍人伝道義会について述べ、千葉牧師が旧軍時代より戦後を経て現在に至る体験を通じてOCUの将来発展を切望され、主の下に霊的価値を高め誇りをもって職務に励むよう激励の言葉を述べられた。また中津学生が防大におけるバイブルスタデーについて述べた。
 上記の記録者である有本優3陸佐は、発足の経緯について次のように所感を述べている。
 旧軍隊においては、つとに明治時代からキリスト者将校の集いがあった由ですが、私の如き戦後改宗者にとりましてはアメリカのOCUについて知ることにより、日本のキリスト者自衛官相互にもこの種の会を持ちたいものと考えるようになりました。・・・諸先輩知人を訪ねて相談しましたが、その結論は何時も同じで「日本のような国柄の軍隊組織内の宗教活動は身を滅ぼすだけで、かえって仇となるでしょう」というものでした。・・・一時は諦めていましたが、・・・世界中のOCUの皆さんがその実現に期待を寄せられていることを知り、私達の努力の足りなさが恥ずかしくなってきました。・・・半田3陸佐の努力で懸案の「朝雲」(自衛隊内の週間新聞)に関連記事を掲載することができまして、待望の信者自衛官の名簿が集まってまいりました。これが突破口となり・・・本会結成が軌道に乗るようになったのです。・・・本会が活動を始めるためには大きな団体となるのを待つ必要はないと思います。初めは芥子種の如く小さな物でも神の眼から見て必要なものであれば「空の鳥を宿すほどの大木」となるに違いありません。明治より活躍された軍人キリスト者の先輩各位の後に続いて御旨の地に行われん如く努力すると共に世界の軍人キリスト者と手を握りつつ、天国での再会の日まで主の後から十字架を担って進軍したいと念願するものであります。ここに設立の経緯を申し上げると共に会員各位の愛の実践を通じての各自の努力と活動を祈りつつ報告を終わらせて戴きます。
 さて、関係者は皆--直接の推進者は勿論のこと私のようにその場に初めて参加した者も--大きな感慨を受け、主の御働きを覚えたことであった。このような状況であったが、この記録を直ぐに公にすることをせず、翌年1960年1月に発行された「コルネリオの後」第26号に掲載している。このとき、コルネリオ会は独自に機関紙を発行することをしなかった。「コルネリオの後」とは何か。それは次回の説明に譲ることとする。
 「コルネリオ会ニュースレター」第1号(1970年9月)から第78号(1996年6月)まで26年間の編集発行の実務を執ってくださった今井健次名誉会長に改めて敬意と感謝を申し述べたい。
§義なる神、愛なる神
趙成禄  大和田新田教会 宣教師
 戦争を経験した私は、その体験から「義なる神」について知りました。戦場で、軍人が人を殺し殺されるのを見ました。戦争には、倫理はありません。しかし「悪いことをする者は、必ず死ぬ」という「義なる神」がいらっしゃることを信じました。終戦、生き残っている人々は、みんな弱々しい者達でした。私の所属していた大隊、約六百人のほとんどが死にましたが、私も弱者です。戦争が終わり「愛なる神」を知り、軍人は悪者の大将であると悟り、私は悔い改めました。1950年に逃げる道を探すように士官学校に入り、1987年に軍を除隊するまで、「愛なる神」を信じて歩んでまいりました。退官後は日本で神学を学びました。日本は、私にとって外国です。異文化の日本社会では、他人にどんなことも「迷惑をかけない」ということを心掛けてまいりました。しかし「迷惑をかけない」ということは、「伝道が出来ない」ことでもあります。この地で伝道を始めて一年半が過ぎました。大和新田キリスト教会には、現在12名が出席しています。教会の信者さん達に「求めなさい。探しなさい。たたきなさい。」という御言葉を納得して頂くために創世記19:17を引用して説明していきます。御使いがロトとその家族に対して言われた言葉ですが「命がけで逃げなさい。後ろを振り返ってはいけない。この低地のどこでも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」同様に私達も救われるためにはただ一生懸命に命がけで振り返らず、立ち止まらずに逃げることだ、と教えています。救われるためには、求めることも探すこともたたくこともためらわずに直ちに行動する必要があるということでしょう。戦場では、ぐずぐずしていたりためらっていると、死んでしまいます。ナポレオン将軍は早い機動力を持っていました。ためらわず攻めさっと引く俊足な機動力をもって勝利しました。詩篇119:60「私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました。」とあります。私の性格からしてそれが出来ないので困りますが福音伝道のため、何でも無理矢理でも迷惑だと思われてもこれを急いでためらわずに頑張ろうと思います。私は、人生の第三段階なので早く伝道をしなければならないと思います。今年は礼拝出席者20名の目標を掲げています。どうぞ、このために祈って下さい。栄光在主。
§1996 AMCFアジア太平洋会議
 韓国OCUの創立40周年記念にAMCFのアジア太平洋大会を韓国ソウルのオリンピック記念館で1996年10月8日~11日の間行うことになった。参加者は60カ国から800人以上の代表を招く予定とのことである。我が国コルネリオ会からも矢田部稔会長、滝口厳太郎兄、滝原博兄、同美津江夫人、長浜貴志兄の五名が代表として参加する。大会では礼拝、賛美、セミナー、グループ別話し合い、各国報告、各国賛美、歓迎ディナー、特別演芸や交わりがあり、会終了後は観光ツアーも予定されている。また、大会中韓国軍人の家庭へのホームステイも用意されているということである。大会の成功を祈ります。
§モンゴリアの兄弟から
 モンゴリアに行っておられる木島正敏宣教師からお便りが届きました。それによると「永遠の光教会」にモンゴル陸軍士官学校の士官候補生がおり、その方がコルネリオ会との交わりを願っているとのことですのでお知らせします。若い方がペンフレンドになって頂くことを祈っております。その方の証をのせます。(原文モンゴル語。木島宣教師翻訳) (証)
 私の名前は、オドントグスと言います。20歳です。私はモンゴル陸軍士官学校で学ぶ士官候補生です。「コルネリオ会」のことを聞いて大変興味を感じました。連帯が与えられれば幸いです。私はキリスト者として交わりが出来ればと願っています。現在私は第3学年ですが、この学内にも数名のキリスト者がおり、交わりを持っています。私は1994年7月に主イエス・キリストを信じ「永遠の光教会」に出席するようになりました。主イエスをそのときから私の救い主として受け入れ、喜びに満たされました。神が天地を創造され、御子イエスが私のために救いを成し遂げて下さったことを信じます。こうして1995年8月27日に水のバプテスマを受けました。主は、私の内に住まわれる生ける救い主です。「永遠の光教会」では、小グループ(7つあります)のサブリーダーをしています。
 士官学校の内では、信仰の戦いも多くあります。教官の多くは仏教徒ですし、私達の自由にも制限がありますから。
 しかし、聖霊の力によって私達は信仰に立っています。どうぞ私達のためにもお祈り下さい。
 イエス様に栄光あれ。
署名 オドントグス
(1996.10.1復刻電子化)