ニュースレターNo.64
News Letter No. 64 1991年10月
世界平和
ソビエト連邦の政変以来世界の情勢は大きく変わりつつあり、世界の平和に関しても将来の予想を立てる事はむづかしい。しかし現時点においては国際問題を処理する機関としては国際連合が組織されている。
しかしこれは審議能力はあるがその決議事項を実施するための行政能力が未だ弱い。従って緊急事項を処理するためには実行能力をもっている大国の力に頼っているのが実情である。特に軍事行動については急を要する場合が多いので国連の審議を待っていたのでは間に合わないということになる。そしてそのための軍事力は国連が独自に持つのが原則であろう。国連には平和維持軍があるが、未だ世界の警察軍的な能力は持っていない。そこで最近の湾岸戦争においても指導的な大国である米国の軍隊を主幹とした多国籍軍がその役目を担当した。国連の平和維持軍が弱体な現在これも止むをえないと言わなければならない。この事は一国家に例えれば平和国家日本にも厳とした警察が存在していることから見て当然であろう。我国は近年の経済的な繁栄に伴って、種々な面で外国に与える影響が大きくなってきた。特に世界の平和に関しても、我国はその主要な一員としてその役目を果さなくてはならない。我国はその憲法前文に『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』また第九修に『国権の発動たる戦争と国際紛争の手段としての武力の行使を放棄する』となっている。この憲法の制定は日本国民の総意のもと国会を通して行われたものであるが、しかしその原案作成の段階では当時の占領軍の信仰的とも思われる理想案が多分に支配的であったと思われる。このような訳で我国の憲法はその精神において新約聖書の教えの総括とも見える平和条件を持っている。そこでキリスト教国と言われる国々か らはその現実性について多少の危操はあるとしても期待の目をもって見られているのかも知れない。我国は世界に貢献することの出来る経済力は持っているが軍事力は持っていない。そこで世界平和維持の為に軍事力が必要だとすれば、その分野は他の国に頼らなければならない。
旧約聖書では悪を滅ぼすために神は直接予言者を通して武力を用いられたが、新約聖書に於ては武力の使用について神が直接指示される事はない。そして互いに愛をもって他に接するべき事を教えておられる。我国はこの精神に則って武力の行使を放棄しているので、公正と信義を有する国々に対してはこれをもって応対出来ると思われるが、もしそれに値しない国があった場合には適切な応対が出来ない。この場合は国連のお世話になる事になる。前述のように現在の国連の状況では十分な世界秩序維持能力を持っていないので国の安全保証は他の国に頼むか、又は自ら防衛の能力を持つ必要がある。
世界の政治文化知能が進み、国連が世界政府としての機能を持つ事によって世界の平和を保つことが出来るようになれば、この時日本は世界の経済的分野を担当することによって世界平和に大きく貢献することが出来る。この頃『日本は金は出すが血は流さないのか』と言われることがあったが、しかし世界平和の為には血を流す事が必要条件であろうか。
日本国内では現在武器の所持を許さない。そして警察官も殆ど銃器を使用する事かない。このようなやり方が平和国日本の治安の理想を暗示しているのではなかろうか。このことは世界の平和に関しても参考になるのではなかろうか。国際問題についてもその不法を退ける適切な手段が設けられれば流血は避けられる。特に情報機関の発達した現在、より冷静な方法をもって政策を決定することに努力しなければならない。コンピューターによる模擬計算が容易に出来る現在、この解決の為に大量の物質の消費を伴うような戦争の手段によるのではなく、例えば棋上の戦術による勝負によって物質的なやり取りを決めるというような方法は取れないであろうか。国家の意志を個人が代表して決めるような従来の国家組織では民意は表明されにくい。戦争の結果に付いて賭けの要素が大きすぎて国民大衆に及ぼす利害が無視されがちである。このように大衆の生活の変化が直接支配されるような戦争開始の決定は、大衆自身の手によって決定されなければならないし、そのような組織が作られるならば戦争抑止には大きく役に立つのではなかろうか。そしてここには従来の兵力に代わる強力な抑止手段が考え出される必要である。
我国には古来『正宗の銘刀は決して抜かない』という格言がある。今後世界にはこの様な方法についての開発努力がなされなければならない。 (今井健次記)
コルネリオ列伝 〔榎本隆一郎海軍機関中将〕
榎本隆一郎氏は和歌山県の農家の出身で、和歌山中学校(現在の桐蔭高校)を卒業後、横須賀にあった海軍機関学校に入校した。ここの教育は学術、精神、訓育の上に更に幹部としての躾(しつけ)教育を加味した全人教育であった。
しかし彼は精神教育の中心である軍人勅論の教条主義に満足できぬものを感じるようになり当時横須賀市平坂上にあった軍人伝道義会に入った。ここでは星田光代、黒田惟信両師からキリスト教の教えを聞くことが出来た。星田光代師は本名をエステラ、フィンチという米国婦人で1893年妙令24才で宣教師として来日、軍人伝道義会を創立し、理想を同じくする黒田惟信牧師の協力を得てキリスト教の伝道を始めた。榎本等の機関学校の生徒達は日曜日毎に平坂上の義会に集まり、星田師から新約聖書の講義を聞いた。星田師は生徒をボーイズと呼び、ボーイズは星田師をマザーと呼んだ。平素は全く英語を用いず、書道をたしなみ、生活様式は全く日本人と同じであった。そして日本国を愛する一念に燃え、毎日の祈りの中にも皇室と日本国への祈りを欠かすことはなかった。
平坂上には礼拝堂と剣道柔道の道場があり、キリスト教の米国婦人が武道を奨励したという事によってもその人となりがうかがわれた。
従ってそこに集まった者は真理を追い武道に励む真面目な青年達であった。伝道義会で教えを受けた者は一般軍人もいたが大部分は機関学校の生徒で25年間におおよそ百人近くが集まったといわれている。榎本はここで神を信ずる信仰を得てキリスト者としての人生をあゆむことになった。彼は機関学校を卒業後練習航海に出て少尉に任官後は戦艦浅間、駆逐艦浜風、桧に乗組んだ。浜風の分隊長の時代に青年士官の研究課題論文に応募して、わが国兵備の最大の弱点である燃料について論じた。これが認められてその後海軍大学校の専科学生として九州帝国大学工学科に委託学生として入学し燃料を専攻することになった。
その後徳山海軍燃料廠をはじめとして海軍省と商工省とで燃料政策の仕事に従事した。
また人造石油の重要性に着目して欧米を回り、その導入と増産に努めた。戦時中は北京在勤やソソガポール赴任等をして後軍需省燃料局長で終戦をむかえた。海軍機関中将であった。戦後は日本瓦斯化学工業会社を創立して社長となる傍ら、国際基督教大事理事長として福音宣教に奉仕した。余生は天然ガスの事業の発展につくして1987年満93才の誕生日を迎える前の日に死亡した。
榎本ほかねてからその自叙伝に星田先生は生前自分を葬るときは、遠方の人々にまで通知することなく附近の居合せた近親老少数で見送ってほしいとの希望を述べられていたが、そのような達人の心境は人種、宗教の如何を問わず共通であると思う、私もそのようになりたいと言われていた。榎本はこれを遺言として書き残し、葬儀は近親者だけで簡単に行われたのであった。
コルネリオ会修養会
コルネリオ会平成3年度修養会はつぎのように開催された。
日時 平成3年6月1日(土)14.00時~6月15日(日)12.00時
日程 総会決議事項
o役員人事
中野正治兄が新潟地方へ転勤のため、代って小山田光成兄が役員(書記)になった。
oフィリピンで行なわれる1991年アジア一大平洋AMCT大会に代表を送ること。
oブラジルの下桑谷宣教師に支援献金を行うこと。
oキリスト新聞にも会の広告を出すこと。
話し合いの内容 (別記する)
参加者
徳梅陽介師、矢田都稔、同夫人、関六郎、石川信隆、同夫人、今市宗雄、同夫人、中野正治、小山田光成、滝原博、同夫人、山田伊智郎、同夫人、小暮幹太、小林直行、長浜貴志、今井健次、同夫人の諸兄姉。
定期集会報告
1.7月定期集会
日時 平成3年7月 20 日(土) 15.00~18.00
場所 東京新宿区大久保
実施事項
1.奨励 矢田部稔兄〔1サムエル8章〕
2.話合い
参加者
矢田部稔、石川信隆、滝原博、同夫人、小山田光成、今井健次、長橋晴子の諸兄姉
2. 9月定期集会
日時 平成3年9月 14 日(土) 15.00~17.30
場所 東京新宿区大久保
実施事項
1.奨励 滝原博兄 〔1サムエル9章〕
2.話合い
参加者
矢田部稔、滝口巌太郎、滝原博、同夫人、小山田光成、今井健次の諸兄姉
3. 10月定期集会
日時 平成3年10月 12 日(土)15.00~17.30
場所 東京新宿区大久保
実施事項
1.奨励 今井健次兄 〔1サムエル10章〕
2.話合い
参加者
矢田部稔、今市宗雄、小山田光成、今井健次の諸兄
修養会・集会での話合いから
1. 信仰と勤務について
リスチャンは同一理解のもとに思想を統一する必要があるか。
各個教会がそれぞれに共通の考え方を取入れ、それを確認し合う事は許容されるとしても聖書信仰の立場から、その理解には当然自由がある。
戦後入って来た欧米の宣教は欧米の生活習慣を導入するものではない。信仰によって日本人の習慣が欧米のものに似て来たとしてもそれが宣教の目的ではない。
日本古来の生活習慣について、精神的な偶像礼拝にかLわるものでなければ、無理に取り去る必要はないであろう。宣教の目的はキリストイエスを亘べ伝える事であって、規定の生活方式を取入れることではない。
日本の教会の習慣を厳重に守りながら霊的に仏教的、異教的な要素が入るならば大きな問題であろう。
特に都会の教会では、生活習慣に外国のものが多分に入って来て、むしろ日本古来の様式が薄くなっている所もあるが、それで良いのではない。聖書に立帰って使徒の時代に学ぶべきであろう。
いわゆる福音主義と言っても広義な意味がある。しかし聖書からの直接の教えが重要なのであって、社会情勢の中で解説された論調 ・思想が常に正しいとはかぎらない。
自分が神様よりも大事にしているものがある場合、例えば仕事、子供、趣味等が大事ならば主に喜こばれない。
仕事に熱中している時、神を忘れているとしたらそれは罪だろうか。
この時常に祈り心を持ってやればよいという論があるが、神の事を考えながら地上の仕事に熱中出来るだろうか。若し一つの目的に向って熱中してやる事が主のみ旨であるとしたら、その時はすべてを忘れて目的に向って熱中すべきであろう。 人は二つの事に同時に熱中出来る程有能ではない。
湾岸地区に行っている掃海艇の人達の中にもクリスチャンが居るかも知れない。その人達のためにも祈りたい。
しかし彼等は世界の人達から又特に日本人から注目されているようではあるが、この人達のやっている仕事は特別なのであろうか。主の目から見られたら一般の人の仕事と少しも変りかないのではなかろうか。
2. 反自衛隊の問題
受洗間もない或る自衛官から次のような要旨の手紙が事たので、それについて話合う。
聖会や修養会等不特定多数のクリスチャンの集る場に出席して、自分が自衛官だとわかると偏見、先入観に満ちた詰問を受ける事が多く、「自衛隊は天皇の軍隊だ」とか「自衛隊と靖国神社との結びつきをどう考えるか」 等々、不毛なイデオロギー論争や裁き合い、水掛け論に陥ることは良くないと思う。
これについて我々は信仰に立ち福音に生きるべきであって、不毛な論議に入るべきでない事は(1テモテ1:6、4:7、Ⅱテモテ2:23、テトス3:9)等のみことばに示されるとおりである。特に若い人は(1テモテ4:12)のように立向うべきであろう。
「再軍備反対」という標語があるが、これは日本国憲法から見て当然のことであり議論の余地はない。
防大初期の頃はこの種の偏見が多く、学生達は不快な思いをさせられたが、これはクリスチャンに対する一種の迫害となり、そのためその場を通って来たクリスチャン自衛官の信仰はむしろ確立させられた。
古いコルネリオ会員は大低そのような場面を通ってきている人が多い。
ある合同集会で神学生から、クリスチャンがどうして自衛官かつとまるのかと真面目に質問された事があったが、理路整然と話をすれば数分間の説明でも解答が出来た事かある。
それで全く了解したわけではないと思うが、一応の楊を持たせる事は出来た。
集会で年配の牧師と同室で宿泊する場合もあるが、そのような時はむしろ良い機会で自衛隊関係の話を聞きたがられる事も多いので、こちらも熱を入れて説明する事が出来る。多くの場合相手は防衛関係については殆んど知識がないので珍らしがって熱心にこちらの話を聞く事になり、納得出来なくとも真向から反対するという事もないので、又来年も話を聞きましょうという事で終りとなる。
我々は信仰の基本については妥協はあり得ないが、世に広〈宣べ伝えるためには、その社会とこの世の行動について妥協しなければならない場合が多い、そうでなければこの世と共存することが出来なくなってしまう。
◎ 定期集会を毎月開いておりますので、参加を歓迎します。
コルネリオ会事務局(JOCU) 東京都東村山市富士見町2-12-34 TEL 0423-93S-6902
郵便振替 東京 3-87577