ニュースレターNo.67

News Letter No.67 1992.10
日本の進むべき道
 二大核保有国の一方ソ連が崩壊して世界の核兵器の分布は変わって来た。二つの保有国が互いに牽制し合っていた時代にはむしろ核戦争の危険はむしろ少なかったといえよう。しかしソ連側の核兵器の整備が不十分となり、その管理も不完全になったとすれば、整備された遠距離核を持つのは米国一国となり、その他の国々のものは遠距離に届かなく、且つ核兵器は分散されてその管理に問題が出て来るのではなかろうか。最大の核保有国である米国が、今までは一国だけを対象にしていたのに今後は多数の核保有国を対象としなければならない。米国も最大の目的は自国の安全であろうから、自国に対して特に脅威とならないものについては警戒心を減ずる事になろう。また核兵器の威力についても従来核実験を重ねてきた結果、少数の核の爆発によっては地球は破滅しない事がわかって来た。次に世界の平和に直接関係する通常兵器についても、戦争を防止するのに一番重要な事は武器を持たないこと、即ち武器の製造および移動を制約する事であるが、世界の現状を見ると景気向上や失業防止等経済的目的の為に、大国による武器の輸出が大規模に行われようとしているので、これでは世界中から戦争を無くする事は困難であろう。このような因果関係は極めて明白であるのに、これに対する対策が立てられていない。各国は自己保全が急で他国の事まで考慮することが出来ず、また従来の国際的習慣から背に腹は代えられないという事であろうか。世界の独立国は地球上それぞれの位置にあって、互いに近隣の国との間には民族的宗教的歴史的な関係がある。そこで互いの利害が合致すれば良いが、一旦利害が反するとかえって問題が困難になって争う事になる例が多い。しかし戦争をなくす為にはこの武器を使用してはならない。国際紛争を武器を用いずに解決するためには話し合いが必要であり、互いに情報を交換しながら意思の疎通を図ることが重要である。そして平和の為には経済的相互援助だけでは不十分で、互いに善意を持って交わる事が大切である。過去に於ける戦争勃発の歴史を調べても開戦の原因には色々あったとしても、それを決断するのは常に少数の人間であり、危急の場合人間は感情に左右されやすいので、そのような点も十分考慮に入れなければならない。
 日本は戦後半世紀、幸いにして経済的発展をなし、今や世界の経済的なリーダ一の位置にある。しかしその富は大量の外国からの原材料の輸入と消費とによって得られた物であってみれば、その富を世界の益のために還元する事を考えなければ、他の国から恨みを買うことになるのではなかろうか。ここに日本の現状を見ると、国民の消費熱はようやく盛んになり、このことは経済的バランスから見ては合理的だとしても、アジアの地区には飢えや経済的危機に悩んでいる国々もある現状では、その経済政策のあり方を再考する必要があるのではなかろうか。とくに国内の政治状勢を見ると汚職問題が続出し、国民全体がそれに翻弄されて膨大な政治資金が消費されているにも拘らず、その政治体制を改革することも出来ない。誠に金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしいと聖書にある通りである。(マタイ19:23)

 

 このような状態は第三者から見たら全く乱れた世相と言うほかなく、聖書に言う『罪が満ちた』状態(創6:5)ではなかろうか。現在のままでは新しい二十一世紀に向かって、日本の将釆は危ないのではなかろうか。今こそ日本の全国民はその高ぶりに目覚めて悔い改めなければならない。              (今井健次記)
会長就任にあたって
        コルネリオ会々長   矢田部稔(元陸将補)
 本年度総会(1992年6月13日、三鷹市のTEAMセンター)で、第6代コルネリオ会(キリスト者自衛隊員の会)会長に選出された。
 歴代会長は次の各氏である。
 初代(1959.5)吉江誠一(陸将)、第2代(1961.4)武田貴美(1陸佐)、第3代(1962.5)、清水善治(2海佐)、第4代(1964.7)再び武田貴美(1陸佐)、第5代(1980.10)今井健次(博士)であり、そのうち武田氏、清水氏は既に天国に召されている。
 今井前会長には12年の長きに亘ってご指導を頂き、更に会長就任のはるか前から(また、今後も引き続いて)機関紙の編集・発行を担当して頂き感謝申し上げる次第である。
 ここで本会の歴史に先立つ前史とも言うべきものを振り返り、また抱負を述べたい。
 その歴史の世界的な大先輩は英国のOCU(オフィサーズ・クリスチャン・ユニオン=キリスト者将校会)である。インドの東インド会社軍に派遣されていたソロッター陸軍大尉が本国の同僚キリスト者将校に対し波とインドにいる同僚のため祈ることを求めたことからOCUが生まれた。1851年のことであり、今から140年昔のことであった。
 その頃は、英国がアメリカ大陸の大きな植民地を手放して約70年が経過していたが、ワーテルローでナポレオンを打ち破りヨーロッパでの覇権を決定的としたウェリントンが死んで大葬儀が行なわれた頃であり、ロシア・トルコ戦でクリミヤに英軍を派兵する直前であり、既に250年間続いていた「東インド会社時代」を終わらせ英国がインドを併合してしまう年の少し前であり、また、マルクスが指導する第1インターナショナルがロンドンで結成される年の10年余前であった。
 宗教界では、メソディスト派を核とする信仰復興運動は成果をあげ、非国教派は一応その地位を確保していた頃と思われる。英国でYMCAやYWCAの生まれた時代であり、各国の各教派が独自の組織によって海外伝道を盛んに行なった頃でもあった。日本では、ペリー来航を迎える2年前であった。
 故国を離れ遠い植民地に派遣されたソロッター大尉は何を見、何を恐れ、何を望み、何を祈ったのであろうか。彼自身或いは彼のもとに集まった者達がどのような信仰を持っていたか、また、国教派であったか非国教派であったかについて私は詳らかでない。また、今日厳しく批判される帝国主義の当時の現実をどのように見ていたか、或いはその時代をどのように認識していたかについても詳しくは判らない。しかし、彼または彼らは、時代の制約のもとに罪に塗れて生きる存在としての人間が、時代を超えて生きる種を蒔いた一人でありグループであった。
 現在の英国OCUから受ける感じは相当に非国教派的であるが、国教派と非国教派は渾然一体となっており、今日の世界における軍人キリスト者会運動の超教派性の指標となっている。この点から逆に出発点を想像するとその姿がおぼろげながら浮かんでくる。
 信仰者としての国家や戦争に対する態度についても、英国OCUのメンバーは責任的でしかも偏らない伝統を保っていると思う。
 戦前に在英し終戦当時日本人として唯一人の英国OCU会員であった実吉敏郎元海軍大佐がコルネリオ会機関紙に寄せた文がある。これはある米国海軍中尉の寄稿文を紹介するものであるが、英国OCUの伝統に添うものとして、コルネリオ会の若い会員に与えたかったのであろう。
 『“何故神の民は戦うや”・・・神のお召は、私をして部下を義の主と平和の君のもとに導き、常に死に対する準備をさせる事を意味する。戦時における海軍士官としては戦闘目的達成が私の仕事なのである。もしその目標が敵の防御下にあればこれを有効に排除するであろう。しかし、若しこれを憎悪、怒り、または慰み半分にすれば、それは罪なのである。私は、義と我々の計り知れざる神の平和に生きているのである。主が再臨されるまで地上にこれ以外の義、これ以外の平和は来たらぬであろう。
 実吉氏の付記:聖書のある箇所を見れば、神は時々我々に神のみ心を従順に受け軍隊の一員として戦うようお命じになる事を明らかに知ることができる。我らの主が義の王国を地上に建て給うまで不義は亡びない事を知らなければならない。
 それ故我らは、聖書で主がそれをなし給うとされているように、神は国家に対抗したり国家を用いたりしてみ旨を行い給う事を期待することができる。如何なる国家もその支配者も神のみ旨なしには存在し得ないのである。
 ダニエル書4:24に「王よ、これは王の上にある神の命令である」と、エレミヤ書27:1~8、46:25~26に「主は一つの国を以て他を罰するのである」とある。国家の一員である国民は、神が不義を罰し給うためある国を撃ち負かすために用いられるのであるから、神のみ旨の下にある国の軍事上の責任を持つのである(民数記32、ロマ書13:1~7、ペテロ前書2:13~18)。」
 日本に於いても、すばらしいコルネリオ会前史がある。1899(明治32)年米国婦人エステラ・フィンチ師により横須賀に設立された「日本陸海軍人伝道義会=Japan Army and Nave Mission Club」によって多くの者が福音にあずかった。30年間に約1,000名が救われただろうと言われている。また、1922(大正11)年陸軍主計大尉(退役)利岡中和を中心に軍人信徒集団「コルネリオ会」の集会が始められた。
 現コルネリオ会は、「伝道義会」や軍人信徒集団「コ会」の多くの関係者から支援を受け、米国・英国・韓国などの軍人キリスト者会の祈りのうちに日米安保条約改定の前年1959(昭和34)年に発足した。
 本会は、発足以来33年間に、諸外国で開催されてきた多数回の軍人キリスト者会の国際大会に代表者を参加させて来た。1986年にはアジア大会を東京で開催することができた。全ては恵みである。  初心に帰り喜びの信仰グループとして成長したい。更に初心の初心、ローマの軍人キリスト者コルネリオ(使徒行伝10)の謙虚さ、家族ぐるみの態度、施しの心、熱心な祈り、み言葉に直面する姿勢を持つ会として発展したい。幸い副会長には石川信隆氏が与えられている。
 会員諸兄姉及び関係の諸兄姉のご協力ご加祷をお願い申し上げる。
故勝俣和雄空将補の部隊葬
 航空自衛隊航空資料作業隊の隊司令であった勝俣和雄空将補の部隊葬が1992年9月28日(月)府中基地のクラブ大ホールにおいて荻窪教会小海基牧師の司式によって行われた。
 オルガンによる讃美歌奏楽ときれいな生花によって飾られた雰囲気の中、参会者空幕長を始め数多くの高官、OB先輩、同期生、後輩、友人と大半が自衛官であった。讃美歌、祈祷、説教からなるキリスト教式葬儀は初めての方々が多かったと思われた。横田基地からも米軍人が5名参列された。
 故人は今年一月に胃病のため入院。手術、退院、通院、再入院と闘病生活をしてきましたが薬石効なく9月25日に招天されました(満53歳)。現役の自衛官としてプロテスタントのクリスチャンだったのでキリスト教式で部隊葬が行われました。勝俣司令は私(小山田)の上司だったので大きなショックでした。クリスチャンとしての交わりを持てなかったことが私自身残念に思っております。私自身がクリスチャンとして旗幟鮮明にしなかったからだと反省しております。滝原兄姉も勝俣氏とは付合があったがクリスチャンである事は全く知らなかったとの事でした。告別式での讃美歌斉唱では勝俣司令に聴いてほしい気持一杯で人一倍大きな声で歌い「アーメン」を唱和しました。故人は夫人と一人娘(9歳)を残しておられますので、ご遺族の将来のために祈りたいと思います。 (小山田光成記)
防大聖研ニュース
 防大聖研出身の防大36期(陸上)長浜貴志兄が6月28日久留米インマヌエル教会において洗礼を受けられました。祝福を祈ります。
 防大聖研第1期出身の防大34期(航空)加瀬典文兄が9月27日那覇バプテスト教会において洗礼を受けられました。祝福を祈ります。
信仰告白  1992(平成4)6.20
 長浜貴志(東北武器隊)
 キリスト教との初めての出会いは、幼稚園に通っていた頃に始まります。朝礼はお祈りで始まり、終礼もお祈りで終わりました。クリスマスの時期になるとイエス様の誕生の場面を劇で演じます。ベツレヘムで、ヨセフとマリヤが宿を探しますが、私は、その二軒目の宿屋主人を演じたのを覚えています。それから、小・中・高校と離れており、大学に入り、ヨーロッパ旅行をした時のことです。ある空港のロビーで、あるアメリカ人と会話がはずんでいました。突然その人は、「イエスを知っているか?」と聞きます。先の幼稚園体験から知っていると答えると、“Jesus loves you、 You love Jesus! "と言って、私と握手をしたまま、私に覚えさせました。私はその時、半分、警戒心のような念を持って、心を殆ど閉ざしていたように思います。それからです。多くのすばらしいクリスチャンに出会い、聖書を学ぶようになっていったのも、そのヨーロッパ・ツアーには、クリスチャンの4人家族がいらっしゃって、彼らの優しさ、明るさに当初私は強くひかれ、仲良くなりました。今でも、交際を続けております。
 4学年になって、卒業研究を始めました。私のアドバイザーもクリスチャンで、月に一度の聖書の研究会を勧められ、聖書というものを初めて手に取りました。自衛隊のクリスチャンの集会にも、一度、アドバイザーの導きで出席しました。その年の夏休みにアメリカ東部に旅行した際、米海軍士官学校の聖書研究会の友人をアドバイザーから紹介され、週末を利用して彼を訪ねることになりました。彼は私に、大変分かりやすく、今になって思えば、キリスト教の教えの重要点を教えてくださいました。士官学校の礼拝にも連れて行ってくださいました。その礼拝の後、波の紹介で、日本に理解のあるクリスチャンに出会う事もできました。これら一連の出会いは偶然ではないようです。会った人一人一人が印象深く心に残っています。それから教会にも行くようになり、牧師先生との語らいを楽しみにするようになりました。それから、罪というものへも目を向けるようになり、祈るという行為もいつのまにか、自然にできるようになりました。しかし、心のど乙かでキリスト教というものを疑い、批判的でありました。聖書を読んでも分からないことばかりでした。いつも批判的に読んでいたのです。神の存在ということも、半信半疑でした。
 3月上旬、ある方が洗礼を受けた日の事です。帰り際、その方に引き止められ、信仰について聞かれたのですが、聖書を批判的にしか受け入れられない事を話しました。その方も、同じような体験を繰り返して来た事を語り、聖書の読み方に大きな波があったと言うのです。詩篇139篇を開き、そのような時に慰められて来たと話してくださいました。特に8節から12節が印象深く残っています。神の偉大さに圧倒され、一日中感嘆に明け暮れたのを鮮明に覚えています。そして、次の週、牧師先生に、洗礼について学びたい旨話しましたが、大きなハードルが残されていました。今までに、自分のした悪事、失態、罪を悔いて、なかなか眠れない事は何度か経験したことがあったのですが、自分の心に目を向けることの習慣のなかった私にとって、私のいっさいの罪を自覚し、それをイエス・キリストがこの私の為に贈ってくださったということを理解しようとしても、理解に苦しむのです。何故、二千年の後の時代のこの私を罪から救ってくださるために、イエス様は自ら十字架にかかられたのか。
 それから、ある日、友人に詫びの手紙を書きながら、なるほど罪ばかりだな、自分は、そして、キリストの十字架を信じるとは、それを飛び込んで信じて、一生を過とす事だな。頭での理解でなく、ただ信じ続ける乙とだと分かりました。そして国際ギデオン協会の新約聖書の裏表紙の「キリストを私の救い王として受け入れる私の決意」の箇所にサインし、と日付を入れました。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」 (ヨハネ3:16) 以上が、私の信仰を持つまでの経緯です。
 自分の幼少時代を考えると、小学校に上がる前に親が離婚し、父と、祖父母に育てられ、母親という、愛を直に注いでくれる人の欠如で、心はひねくれ、何か、愛を求めていたように思います。何をやっても、心のどこか隅の方で空しさを感じて、もがいていたように思うのです。ここに来て、大きな生きる目的を見出したように思います。

 

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